第5話
「うわぁーっ、あははっ、ほら、お兄さんももっとまわしてっ」
大きな、飲み物の代わりに私達を入れたコーヒーカップは、ぐるぐると回る。あちらにもこちらにもコーヒーカップ。皆もぐるぐる回っている。
「うわっ酔うーっ! あはははっ、たのしーっ」
カップの底から伸びている棒に乗っかっている鉄製の円盤を回すと、カップはさらに速度を増す。景色はどんどん速く廻り、いつの間にか髪が速度になびいている。ひときわ模様が可愛らしい物を選んだのに、これでは回るのが速すぎて外から見ても何かわからないかもしれない。
「わっ」
隣のカップとぶつかりそうになった。でも大丈夫、決してぶつからないし、割れない。
「ゆずりあいだね、お兄さん!」
そう言うと、ピエロは吐きそうな顔をしたまま笑っていた。
「だいじょうぶ? ごめんね、わたし、まわしすぎちゃった?」
ぐったりとベンチに横になったピエロは、頭にアイスクリームのカップを乗せて、それでも楽しそうに笑っていた。
「お兄さん……頭、……だいじょうぶ?」
「お兄さん、これ……、えっと……お、おばけやしき……?」
ピエロは回復するとすぐに立ち上がり、私の手を引いてここへやって来た。
夕日に照らされた、ボロ屋敷。
「……っいやーっ!! おばけはきらいなのーっ! ろくろ首もドラキュラもいやなのー! やーめーてー!!」
ピエロは人間だと判断出来た私も、お化け屋敷の化け物達に対しては、どうしてもそう思える自信が無かった。単純に、日頃から恐れていたからからだ。
ピエロはにこにこと楽しそうに笑って、本気で嫌がる私を屋敷にあがらせた。絶対にコーヒーカップの復讐をするつもりなんだと思った。
屋敷の空気はひやりと冷たく、泣きそうになる程気味が悪かった。薄暗く辺りを照らす電灯が、さらに不気味さを増幅させる。ほら、今にもそこに……
「そ、そこ……」
ピエロよりもう少し前。扉の陰。
「ほ……ほ、」
私のあまりの震えを感じ取ったのか、とうとうピエロはこちらを振り向いた。
真っ白い顔が、にやりと笑う。
「いやーーーーっ!!」
ぶんっ
勢い良く手を離し、一人で駆け抜けた。
お化けだ。白い顔のお化けだ! お兄さんは白い顔の化け物だったんだ。あれ、でもそれって元からじゃなかったっけ? いやいや、もしかしたら、この屋敷に入って、お兄さんはお化けに取り憑かれてしまったのかもしれない。うん、そうに違いない。
一人で勝手な妄想を膨らませながら走り回り、気が付いた時に居たのはは屋敷の奥深くだった。
……まずい……
後ろを振り返ると、そこには
「ほ、っほほほほ……骨夫ーー!!」
正確には、骨だけの男。先ほど扉の影に立っていた彼だ。あまりに混乱していたのか、勝手に名前をつけてしまった。
骨夫から逃げようとまた走り出すと、今度は滑らかな布にぶつかった。
「ぶっ、あっ」
人だ。マントに顔を突っ込んでしまったらしい。
「わわ、ごめんなさいっ」
彼はいいよ、気にしないでと言わんばかりに微笑んだ。その口元には、素晴らしく尖った犬歯が覗く。
「ぎゃーーーーっ!! ドラキュラーっ!?」
彼から逃げようとした時には、もう私はたくさんのお化けに囲まれていた。
定番の白いカーテンみたいなのや、青白い顔をした貴婦人。人体模型にろくろ首、仕舞いには落武者。コンセプトがわからない。
「ひっ……」
一番奥から、白い顔をした化け物がゆっくりと歩いて来る。顔には笑みを浮かべ、暗い道を踏みしめる……
「わ、わ、あ……」
ぱんっ
音がしたと思うと、何かが弾けたように、ぱっ、と電気が付いた。
「え……?」
今まで暗闇に閉ざされていた視界が開けると、そこは古い舞踏会の会場、ダンスフロアのような所だった。
「ここ……」
見上げると、そこにはピエロが居た。にっこりと笑って、満足そうに見える。
まわりの皆も笑っていた。骨夫……は表情がわからなかったけれど、ドラキュラ、カーテン……には目と口がついていたからわかったはず……、貴婦人、人体模型、ろくろ首、落武者……。
「もしかして……、みんなお兄さんの友達?」
問いかけると、白い顔はまたにこりと笑った。
それから、皆で踊った。
それは正式な舞踏会で踊るような物ではなく、マイムマイムや盆踊りという「皆で仲良く輪になって踊ろう」的な、非常にこの荘厳な会場に似つかわしくない物だったが、それはそれは楽しかった。
古ぼけて厳めしい、しかし風格が有って美しい部屋に、皆の足音と唄い声が響きわたる。
時々ピエロがつまづくと、お化け達は大きな声で笑った。
「大丈夫?」
訊くと彼は少し戸惑い、少し笑って、全然平気と言わんばかりに、突然バック転を披露した。
うわぁ凄いと感動していると、皆に馬鹿な奴らだ、輪を乱すなよと笑われた。
着地体制のままでいたピエロは急いで円陣に入り込み、頭をかきながら私の隣で笑っていた。
「お兄さん、すごいね! そんなことできるなんて、ぜんぜん分かんなかった!」
初めてバック転を見た興奮のままでそう言うと、彼は嬉しそうに、笑った。
……頂上はもう過ぎたらしい。
観覧車の中には相変わらず空調の音だけが響いていた。
窓ガラスを鏡にしようと横を見たが、まだ外の暗さが足りないようだ。自分の姿は映らなかった。そのまま外の景色に目を遣ると、観覧車が回ったからなのか夕日がかなり落ちたからなのか、眺めが随分と変わっている事に気が付いた。
そこには小さなステージが見え、そこでは今日最後のショーが開催されていた。
よく見てみると、その中にはピエロが居る事が分かった。しかし、あの時のピエロとは別物らしい。恐らくあれは女性だ。
ピエロ。
愉快な動きで陽気にステージを周り、時に派手な失態を見せては観衆に笑われる。しかし、私は笑う事が出来ずに、ただ考えた。
人は笑う。人が失敗をするのを見て、どうしようもなく、笑う。それは仕方が無いし、止められない。
だから、だから笑われないように頑張らくてはならない。私は、道化師にはなりたくない。
女性ピエロが玉に乗り、バランスよく踊り始めると、突然観衆の目が変わった。
演技を終えて歓声を浴びる道化師の笑顔は、いつかバック転を披露した時のあのピエロのそれに、よく似ていた。
嘲笑われたくない。こんな気持ちがあるせいで、私は昔から何も手に入れられない。
手を伸ばさないから、届かない……