ツインテールと五月病の姉
あぁ、解かれ散ったツインテールよ
世界は何故こうも美しいのか……!
「……三継、何やってるの?」
俺の部屋のベッドに沈んでいたブレイズちゃんが目を覚ますと、まず最初に、自分に向かって腕を組み、祈りを捧げている俺の姿が映ったことだろう
そう、今の俺は彼女へ信仰を捧げる信徒。彼女の姿がいつ、いかなる時でも美しく在れる様に祈りを捧げ続けることが、俺の使命なのだ…!
「……ブレイズちゃん」
今の彼女に真摯に向き合え。今日のブレイズちゃんを強く網膜に焼き付けるんだ…!
キリッ!
「なっ…何よ…?」
まだ眠たげな眼に俺を映して、困惑した表情を作り出すブレイズちゃん
枕の跡なのか、頬を少し朱くしている。とても可愛い
「……今日も、世界に感謝…!」
「…なんなのぉ?」
可愛い………!
俺と正式に契約を結んだことで、消滅の不安が綺麗さっぱり消えたのか、憑き物が落ちた様に大人しく、そして、本来の少女然とした姿をよく見せる様になったブレイズちゃん
最初の二日間は、俺の言動で振り回した挙句の本性の露出って感じだったが(自覚はあった)、最近のブレイズちゃんは、特に気張る様子もなく、ベルクさんや同級生とも上手く付き合えている様だ
「三継、そろそろ暇になってきたわ……」
ブレイズちゃんが、朝ごはんの卵焼きを頬張りながらぽつりと呟く
ブレイズちゃんが現れて……召喚戦争が始まって、既に二週間が経過していた
「そう言わないで、ブレイズちゃん。もう少ししたらゴールデンウィークだし、まだまだ楽しいことは色々あるよ」
「それは、成功した人だけが言えるんだよ…?」
突如として聞こえてきたおどろおどろしい声に、ブレイズちゃんの背筋が凍りつく
恐る恐る台所の方を見ると、猫背でドス黒い雰囲気を纏った眼鏡少女が、トーストにチョコクリームを塗りたくりながら、狂気じみたせせら笑いを溢していた…
「四承、大丈夫?」
「大丈夫じゃない…」
姫島 四承。今年から大学生になった、俺の姉だ
……見てわかる通り、引っ込み思案に加えて、たいへん打たれ弱い性格で、友達作りが大の苦手……つまり、たいへんなコミュ障だ。姉はこの季節になると、決まって陰鬱な雰囲気を全開に作り出し、今後の不安やら何やらを撒き散らし始める
いつもなら、慰めつつ放っておけば自然と治っていくのだが、今年はブレイズちゃんもいるので、何かしらの悪影響が出る前になんとか収めたいと考えているが……
「ぅ……三継……やっぱり……」
「大丈夫…!多分……!!」
早速、出てしまったか……
ブレイズちゃんはこの世界に生まれたばかりなので、良くも悪くも周りに影響を受けやすい。特に、この姉の影響を強く受けてしまった場合、無駄に引っ込み思案で被害妄想が激しく、早とちりして暴走しがちな、赤髪ツインテぺたん娘という盛り盛り美少女が生まれてしまう
ブレイズちゃんだったら許されてしまう属性であるものの、俺たち姫島族だとか、他の人間がなってしまうと、物凄く面倒くさい人間が出来上がってしまうヤツだ。早急に片付けるに越したことはない
「私だって、やめられるならやめたいよ…でも、今更友達の作り方とか思い出せないし、サークルとかどの面して入れば良いか分からないし…! 大学はぼっちだと苦痛だとか、怖いことばっかり言ってくるし…!!」
「み、三継! やっぱり、この世界は怖い場所しかないの!?」
「違うんだブレイズちゃん! そこは人それぞれというか、ホラ、俺たちには康太とかベルクさんも居るだろ? 親しい友達がいれば、割とどうにかなるよ、多分!」
「そうよ、ブレイズちゃん…」
「ひっ…!」
さっきまで台所にいたはずの姉が、いつの間にかブレイズちゃんの背後に佇んでいる…
まるで幽鬼の様な立ち振る舞いの姉に、ブレイズちゃんが酷く怯えた声で反応すると、姉は微笑ましいものを見る目で、ブレイズちゃんの震える肩に優しく手を置いた
「もう量産されきった言葉ではあるけど、腹を割って話せる友人が一人でも居るなら、学校生活はそれだけで豊かになるものよ。お友達は大切にね……」
二人の間を、仄かに暖かい春風が流れる
顔を青くしていたブレイズちゃんも、姉の優しげな声を受けて、ツインテールが緩やかに跳ねた
姉は、メンタルが非常に弱く、対外の性格も暗いが、別に陰鬱な女というわけではない
仲良くなった友人や家族には、落ち着いた雰囲気と優しげな姉オーラを見せる、淑女然とした人だ。ブレイズちゃんは春特有のあんな姉しか知らないゆえに警戒を解かないが、きっと、この季節さえ乗り越えてしまえば、二人は良い関係を築けると、そう思う
「でもね…」
しかし、それはこの季節を乗り越えてからだ
姉の一言と共に、ブレイズちゃんの肩に置かれた傷一つない手が、薄暗い闇を纏う
背後に佇む気配の変化を敏感に感じ取ったブレイズちゃんは、びくりと肩を揺らし振り向く。首を回した先では、優しげに微笑んだ姉の薄ら濁った瞳が、底知れない闇をブレイズちゃんに放っていた
「親友がいるから大丈夫って思ってると…いつの間にか、コミュニケーション能力を失っちゃうよ…?」
ふふふふふ………
絡みつく様な不気味な笑いが、指先から伝う闇が、金縛りの如くブレイズちゃんを包み込む
それは、強大で圧倒的な敵を前にした恐怖でも、得体の知れない亡霊を目にした恐怖でもない。ただ、漠然とした不安。敵も分からず、歩む道も見えず、しかしそれでも進まなければならない、もう止まることは許されないという、強迫観念にも似た、ちっぽけな悩み
しかし、そんなちっぽけな闇でも、生まれ落ちたばかりで純真無垢な少女の心を折るには充分な力を持っていた…
「み、三継…もう……ダメかもしれない……」
「やめんか!!!」
五月病の姉から愛しのブレイズちゃんへの侵蝕を断ち切り、闇を裂く俺の平手!!
「あいたっ」
素晴らしい破裂音と共に、姉から発せられる闇が霧散する。そのまま顔を真っ青にしながら虚空を見つめるブレイズちゃんの手を取り、勢いのまま家を飛び出した!
「行ってきまーす!!」
大丈夫だブレイズちゃん! 五月病の魔力に負けないでくれ!!!
五月病に負けないでくれ…