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初恋と幽霊  作者: 無月兄
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優斗の事情1

 その日優斗は、いつものように藤崎家で夕食をとっていた。夕食に限って言えば、今や自宅よりもここでとることの方が圧倒的に多い。

 それが終わると藍の宿題を見てやって、それから他愛のないお喋りをする。これもまた、いつものことだ。


 そうしているうちに、いつの間にか時計の針が進み、そろそろ帰った方がいいであろう時間になる。藍に別れを告げた後、店の方にいる両親の様子を窺うと、ちょうど手が空いていたので、こちらにも帰りの挨拶をしに行く。


「ご馳走様でした。いつもありがとうございます」


 食事の代金は毎月まとめて支払っているが、毎日栄養のバランスを考えてくれたり料理自体にもサービスしてくれたり、明らかに代金以上のことをしてもらっている。

 邪魔になると悪いと思い、一声かけただけで退散するつもりだったが、それに気づいた藍の父親が愛想よく返事を返した。


「遠慮はいらないって。ユウくんが来てくれると藍も喜ぶし、いつも面倒見てもらってるからね」

「いえ、それは俺が好きでやってることなので」


 こうしてお礼を言われるのは何だか照れ臭いが、同時にとても心地よい。だがそれから、藍の父は少し真面目な顔になっていった。


「ところで、お家の方は大丈夫なのかい? その、ご両親のことなんだが……」


 場の空気が少し重くなる。藍の父親は尋ねながらも、どこまで踏み込んでいいのか迷っている様子で、ところどころ言葉を濁していた。しかし優斗は、笑顔を作ってそれに答える。


「ご心配なく。少しゴタゴタしてますけど、そこまで深刻になるほどでも無いので」

「そうかい。それならいいんだけど……」


 藍の父親はまだ言いたいたげではあったが、幸いそれ以上は何も言ってこなかった。そのことにホッとしながら、もう一度帰りの挨拶をする。


「それではお休みなさい」

「お休み。気をつけて帰るんだよ」


 そうして優斗は、一人家路につく。その途中、さっきの会話を振り返りながら思う。


(おじさんに余計な気を使わせてしまったな)


 藤崎家の両親が優斗の家の事情を知ったのは、少し前のこと。それ以来、二人とも他人である自分のことを本気で心配してくれた。

 それは、素直にありがたく思う。優斗にとって、藍はもちろんその両親も、とても大切な人達になっていた。だからこそ、出来ることならあの人達を、我が家の問題に関わらせたくなかった。


 道の先に自分の家が見えてきて、そこに明かりが灯っているのを確認したところで、急に優斗の表情が固くなる。珍しく、父親がこの時間に帰ってきているようだ。

 玄関の扉を開き、そこにある女性ものの靴が目に入った時、さらに表情が固くなる。

 自分の部屋に行くには、その前にリビングを通らなければならない。そっと近づくと、案の定そこからは話し声が、いや、言い争う声が聞こえてきた。


「今更出てきて、母親面するんじゃない!」

「あなたこそ、あれでちゃんと育ててるって言えるの!」


 もう何度も繰り返し聞いた言葉が、耳を突き抜ける。戸を開いて顔を出すと、そこにいるのは優斗の両親。二人は優斗に気付いて一度だけこちらを見たが、それからすぐに口論を再開した。

 同じようなことをよく飽きもせずに続けられるものだ。そんなことを考えながら、さっさとリビングを抜け自分の部屋へと入っていく。


 こんなことになったのは今から一カ月ほど前。その日優斗は、実に七年ぶりに母親と再会した。

 かつて彼女は、父以外に好きな男性ができたと言って、泣きながら引き留めようと追いかける優斗を振り向きもせず去って行った。

 それからしばらくはその光景を何度も夢で見ては、行かないでと叫んでいたが。しかしいつの間にか叫ぶ言葉は帰って来るなに変わり、やがては何も感じなくなっていった。


 それが突然戻ってきて自分を引き取りたいと言った時は呆気にとられ、再婚した旦那と最近になって別れたと聞いて納得した。ようは養育費が欲しいのだ。

 優斗の父親は世間一般で言う高給取りのエリートなので、その額もそれなりのものが期待できる。

 だが優斗の父親はそれに納得いかず、今まで育ててきたのは自分だと、注いできた愛情だの苦労だのを声高らかに主張した。


 だが優斗は、その主張はどこまで正しいのか疑問を持っている。母親が出て行ったその日の夜、自分を指して何でコイツも一緒に連れて行かなかったと嘆いていた。食事なんてここ数年作ってもらった記憶はなく、好きなものを食べろと現金だけを渡された。まともな会話ど、週に一度あればいい方だ。

 それでも今自分を手放したくないのは、養育費をせしめて喜ぶあの女の顔を見たくないからだろう。


 かくして、お互い自分が育てると言って一歩も引かず、たまにこうして話し合いという名の罵倒が繰り返されている。そんなことが続くものだから、最近ではすっかりご近所間の噂の種となっていた。

 因みに両親が言い争っている間、優斗はいつも蚊帳の外だ。自分のことなのに話に加えてもらえないという事実に首を傾げながら、それでも巻き込まれるよりは遥かにマシなので何も言わなかった。

 部屋に入り戸を閉めるが、尚も二人の声は僅かに聞こえてくる。そんな雑音を振り払おうと、優斗はベースを取り出し弦へと指を走らせた。


 文化祭も近い事だしもっと練習しないと。スピーカーに繋いでいないため音は出ないが、指の動きの確認ならできる。そして何より、これに集中している間だけは、相変わらず聞こえてくる両親の声も、少し遠ざかるような気がした。

 出来ることなら、近所迷惑など考えずに大ボリュームでかき鳴らしたかった。そうしたら、あんな雑音なんて完全に消し去ってしまえるのに。


 両親の口論は夜中まで続いた。だがそれが終わって母親がタクシーで帰った後も、優斗はベースに集中したままだった。これを止めたら、その瞬間また二人の争う声が聞こえてくるような気がした。

 そんな訳ないと分かっていて、それでも指を離すことはできなくて、気が付いた時には朝を迎えていた。いったいこれで何度目だろう。最近では、両親がいない日まで同じことをやっている気がする。


 まあいいか。ちょうど練習量を増やそうと思っていたところだ。何の問題も無い。

 そう自分に言い聞かせながら、優斗はますますベースにのめり込む。それは彼にとって、この家で両親の声から逃れられる唯一の方法だったのかもしれない。


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