啓太のすること2
「なあ、藤崎のことだけどさ……」
「藍がどうかしたのか!」
啓太は何と言おうか迷いながら話を切り出すが、藍の名前が出て聞いた途端、優斗がすごい勢いで食いついてきた。今まで穏やかに話をしていた分、その勢いに圧倒されてしまう。
「どうかしたのかわからねえからここに来たんだよ。どう見ても朝から元気がなかったし、それに、なんだか先輩との間に距離があったって言うか……」
それは、朝二人と出会ってすぐに気付いた、啓太から見て最も大きな違和感だった。
いつもはほとんど優斗に向けられている藍の視線が、今日はやけに逸らされていた。それに、交わす言葉の数も極端に少ない。
いつも腹が立つほど優斗に対する好意を見せていた藍のそんな態度は、明らかにおかしかった。
「やっぱりそう思うか。避けられてるよな、俺」
優斗にも自覚があったようで、寂しそうに言う。啓太にとって、そんな優斗の表情を見るのは初めてだ。
今までは優斗のことを、常に笑顔で余裕を漂わせているような奴と思っていたが、目の前の彼は見るからに落ち込んでいて、そんなものはどこにもない。
「先輩こそ大丈夫かよ。藤崎もそうだけど、アンタも相当辛そうだぞ」
「そうか? 自分じゃわからないな」
優斗はそう言うが、啓太にはそれがやせ我慢しているようにしか見えなかった。そしてそんな彼の様子を見て、啓太はかつて目にしてきた何体もの幽霊達の姿を思い出さずにはいられなかった。
「気を付けた方がいい。これは経験則だけど、幽霊って奴は肉体が無い分、精神の影響が直に出るんだ。心が痛いとより苦しいし、怒りや悪意が強いとそれに呑みこまれやすくなる。そう言うのが、悪霊ってやつなんだと思う」
「そうなのか……」
これこそが、啓太が幽霊を良く思っていない何よりの理由だった。少し前まで穏やかだった者が、ふとした拍子に急に凶暴になったこともある。
これには、優斗も少なからず驚いたようだ。
「なあ。今の話、藍には内緒にしといてくれないか?」
「……ああ。言わねえよ」
元々、何も問題が無いうちは藍に伝える気はなかった。もし彼女がこれを聞いたら、すぐに真っ青になるのが想像できた。そんなのは見たくない。
だが、もしこのまま二人を放っておいたら、すぐに問題が出ないとも限らない。今の優斗を見ると、そう思わずにはいられなかった。
それを何とかするために、まずは一言問う。
「藤崎と何かあったのか?」
どこまで聞いていいのか、そもそも自分が間に入っていいのかもわからない。それでも、これを聞かなければ前には進めない。
優斗は少しだけ間を置いて答えた。
「夕べ藍と話をして、多分俺がその時言った事にショックを受けたんだ」
「ショックって何言ったんだよ。そもそも、話って何なんだ?」
言っていることが具体的では無いため、今一つイメージできない。すると優斗はまた少しの間考える仕草をする。昨日の夜行われた二人の会話を説明するための言葉を探していた。
「恋バナみたいなものか?」
「こいっ!?」
優斗はその表現で正しいのか迷っているような言い方だったが、それでも啓太に衝撃を与えるのには十分すぎた。
「ホント何話してたんだよ! いや、喋らなくていい。って言うか絶対喋るな」
何が悲しくて、自分の好きな奴と、そいつが更に好きな奴との恋バナなんて聞かなければならないのか。
実を言うと、それはそれで知りたいという気持ちもちょっとはあったが、もしここで聞いてしまったら、とても平静でいられる自信が無かった。
それに、藍に何があったのかは気になるが、それを聞くためにこうして優斗を訪ねたのかというと、微妙に違う。
ここにきたのは、理由を聞くためでなく、現状を何とかするためだ。
「つまり藤崎の様子がおかしいのは、先輩が原因で間違いないんだな」
「ああ」
それだけ分かれば、それ以上詳しい話を聞こうとは思わない。最初は優斗の態度次第ではしつこく問い詰め、場合によっては糾弾しようかとも思っていた。だが彼の様子を見ていると、本気で藍のことを心配しているのがわかって、いつの間にかそんな気も失せていた。
「なあ。大沢先生って、今日は教職員会議で遅くなるって言ってたよな?」
「ああ、言ってたけど?」
それは、昨日部活を終える際に言われたことだった。しかし優斗は、なぜ啓太がいきなりそんなことを言い出したのか分からず首を傾げる。
「俺も、今日部活来るの遅れる。だから放課後になってしばらく、ここには先輩と藤崎しかいなくなる。その間、二人で話せ」
出来ればこんなこと言いたくなかった。お膳立てだけしておいて後は全部任せるなんて、自分には何もできないと敗北宣言するようなものだ。
だが事実、自分が藍に何を言ったところで今の何とかできるとは思えない。けれど優斗は違う。
それは、今回のそもそもの原因が彼にあると言うだけの話じゃない。例え原因が彼に何の関係のないものだったとしても、やはり一番に藍の力になれるのは優斗だろう。
そんなのは認めたくないし、出来るなら優斗でなく自分が何とかしてやりたい。だが、そんな気持ちを押さえながら言う。
「何があったか知らねえけど、あんたが原因だって言うなら何とかしてくれ」
「三島……」
啓太にとって藍の一番である優斗は、恋敵みたいなものだ。そんな彼との関係修復の後押しなんて、本当なら絶対にしたくない。それでも、落ち込んでいる藍の姿を思うとこうするしかなかった。
優斗は最初その言葉に驚いていたようで、だけどそれからしっかりと頷いた。
「ああ。ありがとな」
感謝なんてされても、ちっとも嬉しくない。だというのに、優斗は真っ直ぐに見据えながら礼を言う。
(まったく、幽霊のくせに色々人を振り回しすぎなんだよ)
啓太はそう心の中で呟いた。優斗は幽霊で、本来とっくに過去の人になっているべき存在だ。なのに彼は、未だにその言動で藍を一喜一憂させ続けている。啓太にとってはそれがすごく悔しかった。
きっと優斗は、啓太がこんな思いを抱いているなんて知らないだろう。
「悪いな。色々気を使わせて」
優斗はなおも啓太に礼を言う。
ほらこれだ。人がこんなに悔しがっているのに、当の本人はこの調子だ。こんな態度をとられると、明確に嫌ったり敵意を抱いたりなんて出来なくなってしまう。
「そんなのいいから、藤崎のことを頼むぞ」
精一杯の強がりを言いながら、いっそこいつがもっと嫌な奴ならよかったのにと思う。もっとも、そんな奴なら藍に好かれることも無かったろうし、今幽霊となってここにいるかもわからないが。
「そう言えば、藤崎がショックを受けた理由ってちゃんとわってるのか?」
話せとは言ったが、もし優斗がそれを分かっていなかったら事態が解決する望みは薄い。
「確証はない。けど心当たりならある」
「……そうか」
もしここでわからないなんて言ったら話が振り出しに戻っていたが、それなら大丈夫だろう。
啓太は入ってきた扉を開くと部室を後にした。そしてその途端、背中に一気に疲れが圧し掛かって来た。今の会話の最中、自分でも気づかないうちに緊張していたようだ。
まるでその疲れを吐き出すように、深く長いため息をつく。
(何やってるんだろうな、俺)
無力感に苛まれる。これで自分にできることは終わり、後は優斗に期待する他無い。そう思うとどんどん気持ちが沈んでいくような気がした。
「……ったく、しっかりしろよ」
誰に言い聞かせるでも無く呟いたその言葉は、藍を落ち込ませた優斗と何もできない自分の二人に向けられていた。
その頃部室では、優斗が一人、藍が来るのを待つ。
藍の様子がおかしくなった原因、あくまで想像に過ぎないが、それについては心当たりがある。だが、藍に直接それを聞くのが怖くて、何もできないでいた。
啓太が背中を押してくれてよかった。でなければ、もしかしたらずっとこの状態のままだったかもしれない。
もっとちゃんと向き合わなければならない。啓太のおかげでそう心に決めることができた。
例えそれで、藍との関係が二度と戻らないくらいに壊れたとしても。




