霊感2
「……なあ。二人とも、俺がいるってことわかってるよな?」
二人の間に、啓太の不機嫌そうな声が割って入ってくる。
慌てて彼を見ると、その声に違わぬ仏頂面を浮かべていた。
「ご、ごめん……」
きっと事態の深刻さを理解していない自分に腹を立てているのだろうと、藍は思った。大事な話をしているのに、優斗に頭を撫でられ、能天気に喜んでいたんだ。呆れられても仕方がない。
「でも、これからどうすれば良いの?」
改めて問題に向き合おうとするけど、事態が事態なだけに、どうすればいいかなんてわからない。それは、啓太も同じだ。
「さっきも言った通り、俺は坊主でも霊能力者でもねえ。どうするのが正解かなんて、正直なところ分からない」
啓太はそう言うと、申し訳なさそうに頭を下げた。
「悪いな。無責任に不安にさせて」
「ううん、三島が謝る事じゃないよ」
啓太は啓太なりに、この事態を心配してくれている。藍にもそれはわかっているから、彼を責める気なんてない。ただ、どうすれば良いのか分からず途方に暮れる。
そんな中、しばらく黙っていた優斗が、啓太に向けて言った。
「なあ、この世にいるのがまずいなら、俺が成仏すれば問題無いんだよな?」
「まあ、そうなるな」
「ならとりあえず、成仏できそうなことでもやってみるか? 例えばお経を唱えてみるとか。できるか?」
「まあ、家で聞いてるから、できないことはないけど……」
こういうところは、さすがは寺の子だ。だけど啓太は、この提案を聞いて浮かない顔で尋ねた。
「でも、アンタは良いのか? このまますぐに成仏しても?」
成仏する。改めてそう言われて、その場にいる誰もが沈黙した。
状況を考えると、確かにそれが出来れば最善の解決法に思える。だけど藍には、それは捉え方によっては、とても酷な事を言っているようにも感じた。
せっかくこうしてまたこの世に現れることができたというのに、すぐに消えてしまう。それは、優斗にとって辛いことなのでは無いか。
そう思ったのは啓太も同じだったようだ。
「もしこれで本当に成仏したら、今度こそこの世には二度と戻ってこれないかもしれないぞ」
もう一度、念を押すように聞く。それは優斗の真意を探るようにも、啓太自身が成仏させることを躊躇っているようにも見えた。
優斗はすぐにはそれに答えず、少しの間もう一度考える。だが、やがてはっきりと言った。
「ああ。元々こうして幽霊になってるのがおかしな事なんだろ。なら、残念だけど仕方ないな」
仕方ないといいながら、その表情は流石にどこか切なげだ。彼の心中を考えると、それも無理の無い事だろう。だからこそ啓太もあえてそこには触れず、ただ小さく「そうか」とだけ答えた。
「じゃあ、始めるぞ」
啓太は緊張気味に言うと、静かに両手を合わせお経を唱え始めた。
「~~~~」
この間、藍は何も喋らなかった。いや、喋る事が出来なかった。もし口を開いたら、優斗に行かないでほしいと言ってしまいそうだったから。
果たして優斗は、このまま成仏してしまうのか。見守りながら、藍の頭をよぎっていたのは優斗の葬儀の日の出来事だった。
あの時の藍は、最初優斗の死を受け入れることができずに、ただ泣いているばかりだった。啓太に背中を押されてなんとか別れを告げることができたけど、今の自分はその時とまるで変ってないような気がした。
だけど、我儘なんて言いたくない。優斗を困らせたくない。その一心で、藍は口を噤んだまま、じっと優斗を見つめた。
そして、啓太の唱えていたお経も終わり、辺りには静寂が流れる。
しばらくの間、誰もが皆無言だった。藍も、啓太も、そして優斗も。そんな中、最初に沈黙を破ったのは優斗だった。
「……成仏しないな」
そう、彼の体は相変わらず透き通ってはいるものの、依然として消えることなくその場に残っていた。
「やっぱりな」
他ならぬ、お経を唱えていた啓太本人がそう言った。
「考えてみれば、死んだ時に親父がしっかり葬式あげてたんだよな。今更素人がお経あげても何とかなるわけないか」
「……そうか、そうだよな」
啓太が脱力したように言うと、優斗もこの状況をどう受け止めていいのかわからず困り顔だ。
「こうなると、俺はいったいどうすれば成仏できるんだ?」
「……わからねえ。他にこういう時の定番となると、この世に残した未練があるとかだけど、何かないか?」
「無くはないけど、今更どうにかできるものじゃないな」
「そうか……」
なんとか成仏できそうな方法を探す、優斗と啓太。
だが藍は、優斗が成仏しなかったのを見て、少しホッとしていた。無事成仏出来た方が良いはずなのに、そう思って覚悟を決めたはずなのに、消えずに済んで良かったと思っていた。
「ねえ。本当に、今すぐ成仏しないとまずいのかな?」
つい、願望混りにそんなことを言ってみる。
「お前、何言って……」
「そりゃ、このままじゃ良くないってのはわかるよ。でも、今のユウくんを見てると、どうしてもすぐに何とかしなきゃいけないようには見えないんだけど?」
馬鹿なことを言っているという自覚はある。だが、今すぐ成仏させなければ危険というわけでないのなら、もう少しこのままでもいいのではないか。そんな思いが、どうしても頭をよぎる。
すると意外にも、他の二人もすぐに反対はしなかった。
「確かに。これからどうなるかは分からないけど、とりあえず今のところは、特に不都合なさそうなんだよな」
まずそう言ったのは優斗だ。そこには藍と同じように、もしかしたらこのままでも問題ないのではという期待があるようだった。
一方、絶対怒られると思っていた啓太も、藍の発言に顔をしかめたものの、それを即座に否定することは無かった。
「さっきも言った通り、亡くなった魂がこの世に留まるってのは良い事じゃない。けど、けどまぁ、一日や二日でどうにかなるものとも思えないんだよな。ああ、けどだからって、このまま放っておいていいってことにはならねえぞ」
悩むようにあれこれ言いながら、一度優斗をじっくりと眺める。藍の疑問に何と答えればいいのか、迷っているようだった。
その末に、一度大きく唸った後、言う。
「少なくとも悪霊の類には見えないから、藤崎の言う通り、今すぐまずい事にはならないと思う」
それは実に予想外の言葉。だけどどこかで期待をしていた言葉だった。
「それって……」
「とりあえず、このままにしておくしかなさそうだ」
その言葉に驚いたのは優斗も同じだった。念を押すように、二人してもう一度啓太に確認を取る。
「じゃあ、ユウくんはもうしばらくこのままってこと?」
「いいのか?」
啓太としては、この結論は決して納得のいくものでは無いようで、その表情は硬い。だがそれでも、二人の問いには首を縦に振る。
「いいもダメも、どのみち成仏させる方法が無いんだからどうしようもないだろ。あくまで、とりあえずだからな。何とかできそうな方法が見つかったら、すぐに試すぞ」
とりあえずというのを強調するあたり、やはり成仏させた方が良いという考え自体に変わりはないようだ。
そもそもこれでは、問題の解決を先送りしただけと言える。もしかしたらわかっていないだけで、今後大きな問題が起きないとも限らない。
だがそれでも藍は、まだしばらくの間優斗といられると思うと嬉しかった。たとえそれが身勝手な思いだったとしても、好きな人がそばにいることを喜ばずにはいられなかった。
するとその優斗が、ホッとしたように呟いた。
「良かった。さっきは、成仏するのも仕方ないって言ったけど、本当はもう少しだけここにいたかったんだ」
「ユウくん……」
それと同時に、部室の天井に取り付けられたスピーカーから、下校時刻を告げるチャイムが流れ始めた。




