第7話 あとの祭り
高揚感に満ちた帰り道、思い出されるのは屈指の名シーンだ。
俺がスローモーションで駆け寄り西野花を抱きしめる。
そして何かが呟かれ、彼女は照れたようにこくんと頷く。
ふたりは見つめ合いキラキラしている。
そんなシーンを見せられたらいくらなんでも察しがつく。
子供だってわかる。
元カノが現場から逃走したのがいい証拠だ。
改めて確信する。俺は成功したんだと。勝ったのだと。
「あいつもこれでもう諦めがついただろ……っているううううっ!」
軽快な足取りで自宅に帰ると、古歩美穂乃がドアの前に座っていた。
残像とか幻とかではなく思いっきり、はっきりくっきり現存していた。
「あれ、おっかしいな。疲れてるのかな俺……」
目を閉じて瞼をもみほぐしてみたが、やっぱり古歩がいる。膝を抱えている。
何があったのかあちこち服が汚れていて髪も乱れていた。
今日はお互いさんざんだったらしい。
「おかえり、りゅうくん」
「ただいま……じゃなくてなんでいるんだよ」
「なんでって、会いたくなったからだよー」
「くそ、全然前と行動理念が変わってない。とにかくそこをどけ」
門番みたいな古歩を横切りドアを開けると、服の裾を掴まれた。
俺は少しだけ躊躇したが無理矢理に引きはがし玄関に入る。
閉じる音がしないなと思って振り返ったら、彼女がドアを抑えていた。
「それでも中に入らないんだな?」
「もう彼女じゃないから」
「お前なりに一線は守ってるわけだ」
「あと家にはもう入るなって言われたから」
「にしてはよく入ってるよな?」
「ちゃんといないときに入ってるよ」
「それアウトだからな。全然アウトだぞ」
言葉通り彼女は室内には入ろうとせずその場にまたしゃがみ込んだままだ。
ただ散歩をねだる犬みたいに俺を凝視してくる。
何を待っているというのか。
俺から優しい言葉やを手を差し伸べてくれるのを待っているのか。
でもそれは絶対にしないし、できない。
もう昔のようにはいかない。
俺にはもう可愛い彼女がいるのだ。
「今日、見てたんだろ?」
「見てた」
「だいたいどこまで見てた?」
「家を出てから西野花と別れるまで」
「一部始終!」
うまくやったと思っていたが自宅を出発した時点で傍にいたらしい。
「告白したのも聞いてた」
「聞こえるような声じゃなかったと思うが」
「高性能集音マイクでキャッチした」
「あそう……ならもうわかっただろ。俺には彼女が出来た。もうどう頑張っても――」
「でもお試しって言ってたよね」
古歩が俺の三行半を遮り、ことさら明瞭に発音した。
痛いところを突かれ言葉に詰まる。
「で、でも恋人には変わりはない」
「他の女の子に目移りしたら解消なんだよね?」
「しないから問題ない」
「私がんばるから」
「どこをがんばろうとしているっ」
困ったことに失恋を受け入れるどころかさらに燃えていらっしゃった。
「私、絶対に諦めない。あんな糞ビッチ糞女に負けないから」
「糞は一回だけにしとけ」
「負けないから」
古歩はスカートの生地を握りしめ目に涙を滲ませていた。
なんだかんだショックは受けていたらしい。
相変わらずいちいち愛が重い。
だからまだ俺たちはこの引力と重力から解放されていないのだろう。
「まだ忘れられないのか?」
「何も忘れないよ」
「もう一年以上経つんだぞ」
「まだ一年だよ」
「もうとっくの昔に別れたんだ。いい加減に忘れろよ」
「忘れない。りゅうくんは私のこと忘れた?」
「こう頻繁に出没されたら忘れられるものも忘れられないねっ」
「よかった。じゃあお揃いだね」
「ちっともお揃いじゃないわ」
そのとき救急車のサイレンが通り過ぎ、会話が途切れる。
音が肥大化し遠ざかっていった時には何を言おうとしていたのか忘れてしまっていた。
沈黙になったが彼女は俺をじっと見ているだけだ。何も言わない。
昔からこうだ。彼女は俺との沈黙がつらくない。
普通はこんなとき気まずくなるものだろうに、何でだ。
「もう帰れ」
そこで完全に馬鹿らしくなったのでさっさと追っ払うことにした。
「美穂乃がどうしようが俺は必ず花ちゃんと恋人になって見せる。邪魔させない」
それについて古歩から言及はなかった。
ストッパーがなくなりゆっくりとドアを閉まっただけだ。
ようやく元凶が去ったと安堵したが、不意に外からこんな声がした。
「戸締りには気をつけてね」
「お前が言うな」
それから俺はしっかりと施錠をした。