第7話 『壁、寝る』
どうやら私になかった鼻が生えたようです。
「いや、なんでやねん」
リディアは気持ち悪いとドン引きしてるし、私はいきなり鼻が生えたことでリディアの部屋の香りが良いことに気づきつつ、突然のことに関西弁でツッコむしかなかった。
「なにがどうして??そもそもなんで最初鼻なかったの?」
自問自答するしかなかった。本当に謎。なにゆえ?
そんなことをしているとリディアは私の横から壁に手をつきこちらを伺い見るような素振りをしていた。
そして口元に手をやり、ありえないことだというように首を振る。
「ちゃんと鼻の凹凸があるのね……」
「気にするところそこ?」
今そこじゃなくない?なんで生えてきたのかが重要じゃない?リディアってちょっと天然なところもあるのだろうか。……それはそれで推せる。
「何で鼻生えたんだろう……」
うーんと私が考え込んでいると、リディアがあっと声を上げた。何か気づいたのだろうか。
期待した目でリディアを見ると
「目潰しもできそうだけど、鼻も折れそうね」
「いや、物騒!!」
「やめてくださいよ!」と私が叫ぶとリディアは声を上げて笑い「冗談よ」と言った。
さっきからよく笑う。私はなんだか嬉しい気持ちになった。
「──さて、もう夜も遅いわ。わたくしは寝るけどあなたはどうするの?」
「私も寝ます」
「壁って寝るの」
これは驚きと言うような表情を見せるリディア。
私は壁だけど壁じゃないので寝ます。
「あなたのことをまだそこまで聞いてなかったわね。また明日聞かせてもらうわ」
「はい!」
私の元気の良い返事に満足したのか、リディアはベッドへ移動する。私はそんなリディアを見つめた。
数時間話しただけなのにまるで付き合いの長い友人のような気持ちになっている。
明日はもっと今のリディアの状況を詳しく聞こう。それで対策を練れるように頑張ろう。
それから私はまだこの家から出たことがない。
念じて本棚や廊下、部屋など移動できたのだ。もしかしたら他の建物にも行けるかもしれない。
もし移動できたなら学園でリディアをフォローすることもできるかもなのだ。
そんなことを考えて私はなんだか浮足立った気分で瞼を閉じた。
✽
リディアはベッドの上から美那の様子を窺った。
寝ると言っていたがこのあとどのような行動を取るのか気になったからだ。
美那は壁を移動できるようだったが、まさか移動せずこの部屋で寝るのだろうか?
そっと様子を窺う。
美那は瞼を閉じたところだった。
「……まさか本当にここで寝るつもり?」
美那に確認するような独り言がポロリとこぼれたとき、壁から顔が消えた。
「……え?」
リディアはベッドから起き上がる。
そして慌てて美那がいた壁に手をやるがそこには少しザラッとした紙の質感がある壁の感触しかなかった。
もしかして移動したのかしら?……それともやはりなにかするつもり?少しでも気を許すべきではなかった……?
ぐるぐると嫌なことを考えてしまう。
色々とこぼしてしまった自分の行動を責める。
あんな壁に頼るべきではなかった。あんなすぐ気を許すんじゃなかった。でも疲れていた。
仕方がないことだ。本当に?悪いのは誰?
リゼ・ホワイトじゃないの?
あの常識知らずのせいで。
負の感情が頭をかけめぐる。
リディアは唇をぎゅっと噛みしめた。
……折角さっきまであの壁のおかげで気持ちが少し軽くなっていたのに。またこの嫌な感情に支配されるのか。……このドロドロした感情に。
「……こういう感情、なくなればいいのに」
拳をぎゅっとにぎり、ポツリとリディアが呟いた。その瞬間だった。
「え?感情がなんて?」
バッとリディアが勢い良く顔を上げると美那の顔面が目の前にあった。
「わぁ!?」
「きゃあ!?」
二人して大きな声で悲鳴を上げる。
リディアが美那を最初に見たときのような声の音量ではなかったからか、外にはもれなかったようで今度は誰も来なかった。
「びっくりした!いきなり目開いたらドアップに美女って威力すごいな!!」
「驚いたのはこっちの台詞よ!あなたの顔が消えて壁を確認しても何もなかったからもういないと思ったのに突然出てくるなんて!」
「えっ?私顔消えたんです??」
美那は驚いたような声を上げる。
知らなかったのかとリディアは言おうとしたが、知らないのは当たり前かと思い直した。寝ている自分の姿なんてどんな状態なのか見えるはずがない。
「……っていうかあなた、わたくしの部屋で寝るつもりだったの?」
その言葉に美那は肯定する。正直、リディアの部屋だから寝づらいなんて微塵も思ってなかった。
なんなら鼻が生えたことで部屋の良い匂いに包まれ安眠できるとさえ思ってた。そう素直に告げると……
「あなたね……」
リディアは呆れた顔で美那を見やった。
「いやだって!別に横になって場所を取るわけでもないですし、それに私眠ったら顔消えるんですよね?」
だから邪魔にならないですし!と必死に言い訳をする美那。顔が消えるのは今知ったことなのだが、瞼を閉じた顔が壁にあるのもなかなか怖いということはあえて誰も突っ込まなかった。
「モラルの問題でしょう。常識的に考えて勝手に人の部屋で寝るのはどうかと思うけれど」
「ごもっともで……」
ごめんなさいとなんとも情けない顔で謝る美那にリディアはふぅ……と息を吐くと、まぁいいかと思う自分がいることに気がついた。
「……あなたって、人の警戒心をすぐに解くことができる才能でも持っているの?」
「えっ?」
美那はいきなり何を言われたのかわからずきょとんとしている。
リディアはなんだかむず痒いような、なんとも言えない気持ちになった。ふぅ、とため息をついて再度口を開く。
「……だから、特別に許してあげるわと言っているの」
「なんかわかんないですけど、ありがとうございます!」
明るい笑顔で美那がリディアに笑いかける。
リディアはその笑顔を見て、今までの友人で一番仲が良いグレースとはまた違った安心感を抱くのだった。
公爵令嬢として安易な行動には出ていけない。ほぼ一日気を張り、毅然とした態度でいなければならない。
貴族同士の付き合いだってそうだ。いつ揚げ足を取られるか。周りは敵ばかり。
そんな中出てきたなんとも奇妙で、突拍子のない行動をする表情が豊かな喋る壁。
普通に見たらただただホラーなのだが、そんな存在にたった数時間でほとんど気を許してしまった自分。
こんなのは初めてだなとリディアは苦笑するのだった。
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