第6話 『鼻が……』
何を話そうか。そんなことを考えていたらあっという間に夜になり、湯浴みなど寝る準備を済ませたのかリディアが戻ってきた。
別の部屋で着替えたのだろうか、寝間着姿だ。
「逃げなかったわね」
「逃げる理由がありませんし、私も話したかったので」
そう笑顔で言うとリディアはなんとも複雑な表情をしていた。
リディアは先程の椅子に腰掛けるとちょっとの間黙って何かを考え込んでいるようだった。
静かにリディアの様子を窺っていると、リディアは顔を上げ口を開いた。
「悪役令嬢、という言葉なのだけど」
「はい」
「わたくしはどうやらリゼ・ホワイトに悪人と言われてるみたいでね」
「えっ」
あの、ストーリー上では温厚で人の悪口を言わないリゼが?
私は耳を疑った。そして即座に思い出される記憶。
そういや、漫画とかでこういう悪役令嬢ものって主人公も転生してたりする話をよく見かけた覚えがある。
──もしかしてリゼも転生してたりするのだろうか……?
「悪人というか……人の悪口を言うし、嫌味も言ってくるような人だ、とリゼ・ホワイトは親しい友人に言ってるらしいとグレースが言ってたわ」
リディアはグレースは私の友人よ。と付け加えてくれる。知ってるんだけどね。
「ま、その通りなのだけれど」
はぁ、とため息をつくリディア。今日何回目のため息だろうか。
しかも、よくよく聞くとその親しい友人というのはアルベルトのことらしい。いやなんでやねん。
嫌がらせしてきてる相手の婚約者にそれ愚痴るって神経すごいな。
それに、もうそこまでリゼとアルベルトは仲良くなっているのか。
「あの女、本当悪賢いのよね。人がいる前では善人を演じてるけれど、わたくしや他の生徒会の方たちの婚約者の前だと態度が一変するのよ。」
人を小馬鹿にするように話をするのよ。と疲れた顔でこぼすリディア。
──それってゲームの中のリディアがリゼにしてた態度じゃない?リゼとリディアの性格、入れ替わってるんじゃないの?
「生きていく上でそれも一つのスキルと言えるのでしょうけど、相手が自分より立場が上ということがわからないのかしら」
またため息をつくリディア。確かにそうだよな。
リゼは養子になって男爵位にはなったがリディアは公爵家。だいぶ差がある。
こーれは、転生間違い無しでは??
でもこのことで悩んでいるということはアルベルトのことがあるからなのかもしれない。
好きな人が恋敵である女の話を聞いているとなったら辛いだろう。
それこそ無理矢理にでもリゼとアルベルトの仲を引き離すだろうに……
「アル、じゃなかった。王太子殿下にその話はしたのですか?」
「人によって態度を変えているということは伝えたわ。……でも様子を見るからにわたくしの言葉を信じていないのでしょうね」
悲しそうに言うリディア。
まじか。アルベルトってそんな人だったっけ?誰にでも優しくて頭良い設定だったと思うのだけど。
なにか考えがあるとか?
「それに、あの方はリゼ・ホワイトにわたくしにも見せたことのないような顔で笑うのよ。すごくやさしげな顔でね」
「それは……」
なんとフォローしたらいいのか頭が回らず、言葉が出なかった。
先程の顔面高速移動でも気持ち悪がられるだけで苦笑でさえしてはくれなかったし。
どうやってリディアの心を軽くできるのだろうか。
そう悶々と考えていたら口が勝手に開いていた。
「……私が」
「なに?」
「私が、あなたの味方になります。それで、その証拠とか集めたり、作戦を練りましょう。あなたが破滅しないために」
言ってからハッとする。何を言っているんだろう。こんなことリディアに言っても慰めにもならないのではないか。しかも私壁だし。
そう思ってちらりとリディアの様子を窺う。
「……!」
リディアは困ったような、でも少し嬉しそうな顔で小さく笑っていた。
その表情がなんとも綺麗で、私は思わず見惚れた。
「壁に励まされるなんて……ふふ、わたくしだいぶ疲れていたのね」
そうやって心なしか先程より穏やかな顔で、リディアはまたぽつりぽつりと話しだす。
「最初は引き離そうとしたのよ。できる限り殿下の近くにいようって。……でもあの方はべったりされるのが好きじゃない方だから、やめたのよ」
「……でもそうするとあの女が殿下に引っ付きまわるの。婚約者がいる殿方に言い寄るなんて非常識にもほどがあるって、そう伝えたら殿下に泣きついたりしてね。殿下も彼女を咎めることをしなかった」
リディアはどんどん顔を俯かせていく。
悲しさと怒り、虚しさを必死に抑えているように見えた。
「──ずっと好きだったの。私のことを見てほしくて色んな方法でアピールしたわ。でもあの方がわたくしを見てくれることはなかった」
「……なのにあの女にはあんなふうに笑って……」
リディアはついに両手で顔を覆ってしまった。
そして大きく息を吐きだして小さくつぶやいた。
「──疲れたわ」
殿下を慕うのも。殿下とあの女を見て嫌な感情に振り回されるのも。
リディアの言葉に胸が苦しくなる。リディアは今本音をこぼしてくれている。さっき私のことを知ったばかりであれほど警戒していたのに。
──それだけ、キツかったということではないのか。
奇怪な壁にこぼしてしまうほど誰かに縋りたかったのではないか。
しん……と部屋が静まり返る。どう言葉を紡げばいいのかわからず私は焦った。その時、少し気の抜けた声が聞こえた。
「……ふっ」
思わず私はリディアの顔を見る。リディアの体は少し震えていた。泣いているのかとも思ったがなんだか様子がおかしくて疑問符を頭に浮かべる。
「……?」
「っふふふ……何であなたが泣きそうな顔をしてるのよ。壁なのに泣くこともできるの?」
「今あなたすごく変な顔してるわよ。」とリディアが声を震わせながら言ってくる。その目の縁には小さい雫が見えた。
「……はぁー……冗談よ。全部嘘。別になんとも思っていないわ」
リディアは大きく息を吐いて落ち着くとそう言った。……そんなわけないのに、誤魔化すのが下手なんだな。なんて思う。
でもあえて何も言わないでいるとリディアはそのまま少し笑みを含んだ声で話し出す
「あなたが本当に危険な存在じゃないか確認しようと思ってね。どうやら本当にただのお人好しでお馬鹿な喋る壁みたいね?」
「お人好しでお馬鹿って……」
「褒めたのよ」
「絶対褒めてない!」そう言い返すとリディアはまた笑った。
本当はよく笑う人なのだろうか。ストーリーでは悪役らしい笑顔で笑っていたが、今のリディアはそれは無邪気に笑っている。見た目が大人びているので無邪気に笑うと随分と幼く見えるな……。
──ああ、やっぱり幸せになってほしい。破滅なんてしてほしくない。
悪役で悪口も嫌味も言うしエスカレートしたらもっと酷いことする人だけど、それは嫉妬にかられてしてしまっただけで、本当は努力家で人を褒めることができて侍従に慕われていて……人にも自分にも厳しい、笑ったら幼く見える人。
今の私の状況が夢でも現実でも、私はこの人の力になりたい。この人に幸せになってほしい。
──そう思った瞬間だった。
ティロリン、と妙な音が聞こえたと思ったら
リディアが突然「うわっ」と声を上げた。
私が不思議に思っているとリディアは私の顔を覗き込むように見つめる。
「いきなり鼻が生えた……?気持ち悪……」
リディアはそう言って私から少し距離を取った。
……どうやら、私の顔になかった鼻が生えたようです。
鼻が生えるって意味がわからないですね
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