三話『女性客』 前編
深々雪降る、狐のお宿。
皆様こんにちは。今日もちょいっと一休みしていきやせんか?
さて、今日は早速ですが、狐のお宿にお客様がお越しになっております。
スーツに身を包み、しっかりメイクを施した女性のお客様。
名前は日向五月。此度のお客様にございます。
五月はスマホを片手に当たりを見渡しんした。
此処がさっぱり何処だかさっぱりわかりゃしやせん。
そもそも自分はさっきまで電車の中にいた筈であると、頭をかしげます。
たしか、スマホが急に光って。それで。それで。
それで気が付きゃ、雪積もる古びた門の前。
漸く肌に耐えようのない寒さが襲って、五月は身を抱え込むように震える事となりました。
丁度のタイミングで、門がぎぃと開きます。
出てくるのは長い髪の着物姿の女将が一人、狐の女将小雪です。
「ようこそいらっしゃいました。此処は宿屋『子ぎつね亭』!私此方の宿屋の――」
ここまで言って、小雪は「はっ」と顔を上げます。
慌てたように門の中に引っ込んで、慌て急ぎ足。玄関へひとっ飛び。
五月が怪訝そうに見つめていますと、狐耳の少女は古い半纏を手に戻ってきました。
「どうぞ、お客さま!お寒いでしょう?此方を着れば、たちまちポカポカにございます!」
真っ赤な顔で、赤い手で差し出してくるのもですから。
五月は小さく声を漏らして、受け取るしかございませんでした。
◇
「こちらが、今夜のお客さまのお部屋になります!何か御用があればお呼びください!」
きれいに掃除された部屋まで案内された、五月は半纏で包まりながら呆然と小雪の話を聞いておりました。
一応ですが、此処が異世界である事。
自分は異世界転生か異世界転移させられた事。
そして此処は、その自分が出向く筈の異世界とは、更に別の異世界。
小雪と言う少女が経営する宿屋の事。
あらかし説明を受けましたが、着いて行けないのは当然にございます。
しかしといいますか、みんな同じと言いますか。
視線を上げれば、小雪。
正確には彼女のふわふわの耳と尻尾に目が行ってしまう訳です。
「お客さま?あ、寒いのでしたらストーブを用意いたしましょうか?それとも、囲炉裏がある部屋に案内いたしましょうか?」
そう言って、小雪は耳をピクピク動かします。
おもわず五月は指をさします。本物か気になったのです。
「ああ、私の耳ですね。はい!本物ですよ?触ってみますか?」
そう、また耳をピクピク。
五月は悩みましたが、恐る恐ると小雪の耳へと手を伸ばしました。
ワンタンの様な感触と見事なまでに、ふわふわな毛。
それは実家で飼っていましたミーコ(犬)の耳の感触と良く似たさわり心地で、本物にございました。
五月は漸くと言いましょうか、自身の頬をつねります。
痛いです。もう一度強くつねります。痛いです。
それで理解するのです。これは、現実であると。
異世界転生?私は死んだの?嘘でしょ?
叫びをあげるのは死極まっとうにございましょう。
五月を前に小雪は慌てました。
「し、しんだ――転生とは限りません!ここは異世界への旅路へ向かうお客さまが迷い込む一夜限りのお宿。一晩明けますと、お客さまは本来行くはずであった世界へと行くでしょう?でも、転生とは限りません!転移の方もたくさんいらっしゃいますから!」
擁護をしてくれたのでしょう。五月は自分が行く世界の事を問いました。
小雪は耳を下げてしまいます。
「も、申し訳ありません。私には其処までは分からないのです。他の世界との交流は原則禁止ですので。一晩だけが精一杯ですし」
ありえない、つかえない。
思わず、その言葉が口から洩れそうになりましたが、五月はぐっと我慢致しました。小雪は頭を下げます。
「ですが、お客さまの向かう世界はきっと素晴らしいものでいっぱいですよ!沢山の魔法や、冒険が待っていて」
ここで五月が遮ります。
べつに冒険なんて興味も無いですから。
魔法は興味が無いとなれば嘘になりますが、あったら便利ぐらいしか考えておりません。
半纏に包まりながら、五月は溜息を零しました。
人生最悪……と
仕事はつらい。
婚活は上手くいかない。
親からの孫コールがうっとうしい。
どんなに頑張っても報われない。
そんなつまらない人生だったけれど、ここで更に異世界行きとか、ご勘弁。
――いいえ。五月の頭に一つの可能性が浮かびました。
なにも冒険を強制される危険な、世界だけが異世界じゃないと。
五月の世界で流行っている、令嬢に転生して美形の殿方に囲まれて贅沢三昧出来る、そんな漫画や小説。
そんな世界も、ある意味異世界ではないかと。
そこで五月がなりますのは、『主人公』か『悪役令嬢』。
どっちに転がり込んでも美味しい役どころに違いないのです。
それなら良いなと、五月は口元を吊り上げました。
「あ、あのお客さま?」
心配そうに此方を見上げる小雪に五月は我に返ります。
なんでもない、と言いますと、小雪は胸を撫でおろし、もう一度五月を見上げるのです。
「それでは、客さま。如何なさいましょうか?今日は一段と冷えますから、ストーブを!ああ、でも、お風呂もありますよ!我が宿の温泉は天下一品。ひとたび入れば身体もぽかぽかです!」
五月は僅かに表情を変えます。
異世界へ行く。これは何とか受け入れました。
ですが問題は今です。
いまこの世界もまた『異世界』だとか。
そんな複雑な問題で悩んでいる訳ではございません。
小雪からは説明を受けましたので、あれです。
今までのご褒美で異世界に行く前に一泊の休みを貰えた。
そう考える事にしたのです。
なんとも前向きな女性にございます。
ならば、何が問題か?
五月は手元を見ます。今、自分の手元には使えなくなったスマホしかありません。
あったはずの鞄が無いのです。
つまり、女の必需品。『メイク用品』が何一つとしてないのでございます。
五月は苦虫を噛み潰したような表情を見せますと、首を振りました。
温泉アレルギーなのだと適当なごまかしを入れます。
この言葉を小雪はすとんと受け入れます。
慌てふためいて、深々と頭を下げます。
「こ、これは失礼いたしました!でしたら、何か別に暖かくなるモノを御用致しましょう!」
あまりに小雪が頭を下げますので、五月も流石に居心地が悪くなります。
別に小雪が悪い訳じゃありませんから。
何と声を掛けるべきか迷っていますと、小雪が顔を上げました。
五月は改めて、まじまじと小雪を目に映す事となり言葉を失います。
柔らかそうな夕焼け色の髪。
真っ白で染み一つない透き通った肌。
卵型の顔には鼻筋が通った形が良い鼻と、ふっくらと柔らかそうな唇。
青色の瞳は大きく蒼天のように輝いて、まつげも長く、眉毛も長く形が良い。
女の五月から見ても、小雪はまごうこと無き美少女にございましたから。
よく見れば体つきも。今にも折れてしまいそうな細い身体、そのくせ着物を着ていても隠し切れないと分かる胸部。
だのに小柄で、誰からも守ってもらえそうな。
むしろです。
今まで見て来た芸能人の誰と比べても、これ程の美女はいないと思えるほどに。
大柄の五月とは正反対にございました。
――五月の心の中に影が落ちたのは、当時にございます。
五月は小雪から目を逸らしました。
温泉に入れないなら別のを用意して。寒くてたまらないから。
とても冷たく放ちました。
小雪はきょとん。そして満面の笑顔を浮かべるのございます。
◇
「如何ですかお客さま!」
部屋の外、大きな庭の先でせっせと火を熾す小雪が五月に声を掛けます。
五月は身を丸め、小さくくしゃみ。
普通に寒い。そう声を荒げました。
あれから五月は掘りこたつと、ストーブが用意された部屋に案内されました。
ただ、この堀こたつ。古い物でして。
炭を焚いて温めると言うもの。そのうえストーブも石炭ストーブ。
だんだん部屋が暖かくなってきたかと思えば。
小雪。唐突に部屋の扉を、全部開けてしまったのでございます。
なので結局は寒い部屋に逆戻り。
五月は半纏をきつく握って、こたつに潜り込むしかありません。
「申し訳ありません。何分古い物でして、換気をこまめにしなければ。問題が……」
小雪の説明は納得がいきますとも。危険なことぐらい五月にだってわかります。
ですが、寒い物は寒いです。――それに。五月は小雪を見ます。
割烹着を着て、必死に火おこしをしている小雪。
彼女の前にはドラム缶が一つ。
まさか、まさかと思いますが。アレに入れと……?
そう思うのは仕方が無い事にございましょう。
こんな雪が積もった寒い中。
裸になって、あの小さな入れ物に入れと。
理解できずにいます。
――無理です。
気持ちのままに素直に叫びますと、小雪は驚いた表情を浮かべました。
そして耳をぺたんと下げるのです。
「ど、ドラム缶風呂……。嫌でしたか」
見て分る通りにしょんぼり致します。五月の罪悪感が深まります。
なにせ、五月の我儘で小雪はドラム缶風呂を用意してくれたわけですから。
ですが。そもそもお風呂には入る気が無いので、勝手に用意した彼女が悪いのです。
別に五月はお風呂に入りたいなんて言っていませんから。
しょんぼりした様子で、火を見ている小雪が悪いのです。言い聞かせました。
「……分かりました!でしたら、焚火を致しましょう!」
五月が目を逸らした時にございます。
小雪が「ぽん」と手を叩いて名案と言わんばかりに笑いました。
ドラム缶風呂は無駄になりましたが、焚火はまだ使えます。
呆然とする五月を前に、小雪は身体を向けます。
「それでは、準備をいたしますので少々お待ちください!」
そう、胸元でぐっと手を握りしめて。意気揚々と準備を始めるのです。
うんしょ、うんしょとドラム缶を何とか退かして、焚火にさらに薪をくべます。
そのまま走って、暫く。
沢山の芋やら鍋やら持ってきて、焚火に準備をし始めるのです。
五月は頼んでないのですが。
声を掛ける間に、椅子やらなんやら用意するので止めに止められません。
そんなこんなで準備は完了。
小雪は五月へニコリと微笑みんした。
「さあ、お客さま!準備完了です!思う存分楽しんでいってくださいませ!」
◇
「いかがでございますか、お客さま!」
焚火の前で小雪が笑顔で五月に声を掛けます。
額の汗を拭って、焼き芋の調子を見ながら、チーズを焼いております。
コレも全てお客様の為。
しかし、当の五月は溜った物ではありゃしやせん。
焚火の前。半纏を上から被って布団を被って、手渡された焼きチーズを頬張ります。ですが寒くて、寒くてそれ何処じゃないのです。
「もう少しお待ちください!焼き芋が出来上がりますから!」
そんな五月に、やはり気付きもせず。小雪はせっせと働きます。
こうなれば必死に働いている小雪の方が熱そうです。
寒い!!!と――。
五月が我慢できずに口に零したのは、それからしばらくの事でございます。
小雪はぱっと顔を上げました。
「お、お寒いですか!?た、焚火じゃ、足りませんか!?」
勿論だと五月は頷きます。
事実に漸く気が付いた小雪は慌てたように頭を下げんした。
「も、申し訳ございません!お客さまの気持ちにも気づかず私ったら!は、早くお部屋へ!今すぐ暖かい物をお持ちしますから!」
引っ張り出されるように外に出された五月は、今度はぐいぐい押されるように部屋の中へ。
小雪は慌てたように五月をコタツの中へ押し入れて、もう一度頭を下げると部屋の中から出て行きました。
一人になった五月は考えます。
今まで寒くて何も考えられなかったけれど、体が温まったからこそ思考が戻ってきたようでございます。
五月は思いました。何故自分がこんな目に合うのだろうと。
何でもかんでも小雪と言う少女は押し付けが激し過ぎます。
そう思うと、心底苛立って仕方が無くなってきました。
そこへタイミング悪く戻って来たのが小雪です。
「お客さま!ホットミルクをお持ちしました!」
声を掛けられますが、五月はそっぽを向いて断ります。
障子の向こうで小雪が慌てているのが分かりますが、今は彼女の顔も見たくございません。
放っておいて欲しい、と強い口調で言いますれば、小雪は耳をたらんと下げて去って行きました。
悪いなんて思いはしません。
元から小雪が悪いのでございます。
五月はそう判断して、こたつに潜り込むのです。
しかし、ほんの少し、またまた障子に狐耳の陰が映ります。
今度はなんだ。
そう呆れて。もう一度強い口調で、放っておいてくれと頼みましたが。
どうも様子がおかしいです。
五月が声を掛け終わる前に、小雪の姿が障子から消えてしまったのです。
いいえ。消えたかと思えば、また映って、また消えて。
その繰り返しでございました。
流石にこうなると、五月も気になります。
半纏に丸まりながら、そろそろと、障子へ近づいて小さなスキマを一つ。
外をのぞき込んで、五月は少しばかり驚いてしまいました。
「――はぁぁ…。はぁぁ…。くしゅん――」
小雪が焚火の前で、まだちょこまかと働いているではありゃしやせんか。
真っ赤になってかじかんだ手に何度も息を吹きかけながら、焚火から焼き芋の確認をしています。
側にはまな板に包丁。
大根、ニンジン、ゴボウに玉ねぎと、お肉が少し。
鍋の前で、待っているのです。
頭には既に白い雪が積もっていますし、身体はカタカタ震えております。
それでも小雪は仕事を止めようとは致しません。
必死になって、料理を続けるのです。
五月は静かに障子を閉めました。
なんでございましょうか。小雪のあの姿を見て苛立ちが募っていきます。
元はと言えば小雪が悪いのに。
これでは彼女を突き放して、一人で仕事を押し付けているような気分にございます。
何故でしょうか。
そんなのいつも通りだと言うのに、こうも良心が痛むのは。
小雪はこの旅館の女将です。
それなのに自分に迷惑をかけて。
彼女が働くのは当然なのに。
お客である自分はただくつろいでいればよい。そのはず。
雪が積もった小雪を五月は無言で見つめました。
「?――如何なされましたか。お客さま」
小雪が顔を上げます。目の前には五月が佇んでおりました。
半纏を纏いながら、寒さで顔を赤く染め上げながら、五月はポツリと言います。
なにか手伝うことは無いか。とても暇なので手伝わせて欲しい――なんて。
きょとんと見つめる小雪の空色の瞳を前に、五月は目を逸らします。
コレは罪悪感からではありません。
これから五月は異世界へ『主人公』か『悪役令嬢』になって頑張る訳ですから。
今までの様に我儘し放題のわけには行かないのです。
そんな『主人公』は、最後は真の主人公に糾弾されておしまいにございますから。
そんな『悪役令嬢』はごめんだ。私は主人公なんだから――なんて。
そんな事をぶつぶつ呟きながら、五月はもう一度、なにか手伝えることは無いかと尋ねました。
五月の言っている悪役令嬢なんてことは、小雪には分かりませんでした。
それに五月はお客様ですので、お手伝いなんてしなくても良いのです。
でも。今ここで、彼女の好意を無下にすることは、何よりいけない事だと小雪は理解し、微笑むのです。




