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六話『老客』後編

 


 お風呂上り、櫻子が部屋に戻ると机の上には彩り豊かな料理が並んでいました。

 春の山菜の天ぷら。筍の煮物。(さわら)を中心としたお刺身。

 ゼンマイのお浸しにフキノトウのみそ和え。ごぼうやニンジン、素材がたくさん入った豚汁。お櫃(おひつ)には炊き立てのご飯。


 ――まぁ。これ、全部あなたが作ったの?


「はい!櫻子様のリクエスト通り、こちらの季節に合わせた春の膳になります!」


 櫻子は目を輝かせました。

 そして、ふふふと笑います。


 ――雪景色がきれいだけど。本当に今の季節は春なのね。


「はい!……あのやっぱり冬の物の方が良かったですか?」


 ――いいえ。不思議だなって思っただけよ


 櫻子は微笑んだまま、食卓の前に座りました。

 小雪も微笑んで、部屋の入口に座りますと、頭を下げました。


「それでは、ごゆるりとお食事をお楽しみください」


 ――あら?もう行ってしまうの?


「はい。お食事の邪魔になりますので。何かあれば、こちらで呼んでいただけると駆けつけます!」


 そういってしめすのは、机の端に置いてある。小さなベルが一つ。

 櫻子が手に取り、軽く降ると『チリーン』と音が響きます。


 けれど、少しして櫻子は首を横に振りました。


 ――だったら、食事の間、私の話し相手になって頂戴な。


「え、でも」


 ――久しぶりに、誰かと話しながら食事をするって、してみたいの。それにさっきもいったじゃない。恋の話をしましょうって。


 小雪は身を固めます。

 『恋』――。『恋』とは、何でしょうか。小雪には経験したことないものです。


 けれど、お客様のお願いを無碍にも出来ず。

 小雪は耳をぺたんと下げて、正直に言いました。


「お客様、私は誰かに恋という物をしたことがありません。あまり話し相手にならないかもしれませんが、それでよろしいですか?」


 小雪の発言に櫻子は、少しだけ目を細め。小さく笑いました。


 ――……いいのよ。今でいう、えっとなんだったかしら。


 すこし視線を泳がせて、櫻子は考えます。ああ、と思い出したのはすぐの事。


 ――そう、恋バナ。私の恋バナを聞いてほしいだけ。


「櫻子様の、ですか?」


 ――そう。こんなおばあちゃんの昔話で悪いのだけどね。聞いてほしいの。


 小雪は目をぱちくり。

 すぐに笑顔を一つ。


「はい!小雪で良ければ、お話を聞かせてください!」



 ◇



 机を挟んで、小雪は櫻子の前に座りました。

 櫻子はゆっくりと食事を楽しみながら、笑顔を浮かべています。


 ――おいしいわ。


 筍の煮物を一口食べて、頬をほころばせて。

 小雪はお客様の食事の邪魔にならないように、微笑んだまま静かに待っていました。


 けれども尻尾は正直にございます。

 楽しみが大きすぎて、あっちにふさふさ。こっちにふさふさ。


 ――ふふ。


 思わずと、櫻子も笑ってしまうほどでした。

 櫻子は箸をおきます。


 ――私の恋の話。


 ぽつり、ぽつり、と。


 ――あんなに偉そうに言ったけど、私だって一つしか知らないわ。


 目を伏せて、愛おしい思い出を思い出す様に。


 ――おじいさん。私の夫の話よ。


 ここで、ピンと来たのは小雪です。

 手をぽんと叩いて、なるほど。


「そのおじいさまと出会ったときに恋に落ちたのですね!情熱的な出会いとか!」


 櫻子は、ふふと、はにかみ。

 首を横に振りました。


 ――いいえ、おじいさんとはお見合いだったの。初めて会った時から、堅物で、真面目で。あんまり多くを語らない人だったわ。


「そう、なのですか?」


 ――お見合いをして、すぐに結婚をして。子供も出来て。あの人ったら、ぜんぜんしゃべらないんだもの。何を考えているかわからない人だった。


「――では、櫻子様も恋はしなかったのですか?」


 櫻子ははにかんだまま、首を小さく横に振りました。


 ――そりゃね、当時は恋なんてしている暇はなかったから。あの人は働き詰めだったし、私は家事育児で大忙し。これでもね、3人も産んだのよ。それも男の子ばかり。


 当時を思い出す様にため息をついて、櫻子は続けます。


 ――やっと子育てを終えたと思ったら、孫までできて。その頃は共働きが普通になっていて、息子夫婦の代わりに私が面倒見たの。


「……それは、大変でしたね」


 子供の面倒がどれほど大変かは、小雪も知っていますから。

 ですが、これにも櫻子は首を横に振るのです。


 ――いいえ、とても楽しかったわ


 小雪は目を大きく広げます。

 櫻子の顔をまじまじと見ましたが、そこに嘘偽りはありません。


 ――だって子供の一瞬なんてあっという間よ?私の面倒なんて、すぐに必要なくなったわ。


 くすくすと笑い、それは幸せそうに。

 宿屋に訪れた時から、気が付いていましたが、櫻子は本当に幸せそうに笑います。

 それは、聞いているこちらも幸せな気持ちになるほどです。


 ――孫の子育ても終わったころには、あの人も停年でね。二人静かに暮らすことになった。


「……」


 ――桜が咲く春の事よ。4月の4日。家族でお花見に行く日だったんだけど、私ったら風邪を引いちゃってね。私だけ、お留守番。


 櫻子の瞳が、再び愛おしげなものに変わります。

 何かを思い出す様に、優しく。


 ――あの人がね、桜の花びらを沢山持って帰ってきたの。花びらだけのもあれば、まだ花だったものもあったわ。私へのお土産。私の手のひらに乗せてくれたわ。


 手のひらを目の前に、まるでそこに桜の花びらがある様に。

 櫻子は僅かに頬を染めます。


 ――言ったのよ、あの人。『桜の花は名前の通り、お前に本当に良く似合うな』――なんて。そっぽを向いて、耳まで赤くして。


 思い出を慈しむ様に、櫻子は手を握り閉めました。


 ――『桜の花びらで済まない』そういっていた、彼の体が桜の花びらだらけだったのは忘れられない。私はね、あの瞬間に初めて恋をしたの。……おかしいでしょ?夫婦になって50年以上も経つというのに。


 櫻子はやはり、微笑みます。

 小雪は呆然とその話を聞いていました。

 櫻子は、ゆっくりと話を続けました。


 ――それからは毎日が本当に楽しかった。好きな人が側にいたからかしら。毎日がガラス玉のようにきらきらと輝いて。ああ、私幸せだなぁ――って。……たった十年だったけど。私は確かに恋をしていたのよ。


「……十年?」


 ここで、初めて櫻子の顔がわずかに曇りました。

 微笑みを絶やさずに、それでも。悲しげな色を見せたのです。


 ――あの人は、私を置いて先に死んでしまったわ。


 この言葉に小雪も言葉を詰まらせます。

 なんと声を掛ければよいか、分からなくなったのです。

 小雪のそんな表情に気が付いたのか、櫻子はすぐに色を消しました。


 ――そうだ、小雪さん。私はいわゆる生れ変るのよね?


「え」


 思わぬ問いに、小雪は一瞬固まります。


「えっと、はい。転生であれば、今とは別の他の誰かになるかと」


 小雪の言葉に櫻子は問いかけてきました。


 ――だったら、また恋もできるかしら?うん、今度は沢山。


 それは――。

 それはできると思いますが、もしかして櫻子は、おじいさんの事を忘れたいのでしょうか?

 けれども、その考えを払うかのように、櫻子は笑いました。



 ――あの人がね、死ぬ前に良く言っていたの。もし、俺が死んだら俺の事なんて忘れてしまえ。もしも生まれ変わることがあれば、俺の事なんて忘れられるほどにいい奴に出会え、て。笑いながら。


 だからね。


 ――今度は沢山いろんな人に恋をするの。だって、恋をするたびにきっと私は、あの人が言った言葉と、あの人の笑顔を思い出せるでしょう――?


 櫻子の笑顔に、言葉に、小雪は呆然と聞き入っていました。

 だって、それは、まるで。どこかで聞いたような、小雪の身にも覚えがある話でしたから。


 胸をはって、幸せそうに言葉を上げる櫻子が、それはとてもまぶしく見えたのです。


 櫻子は静かに目を伏せます。

 閉じていた手のひらを、再び開いて。誰かを想います。


 ――でもね。きっと私は最後にあの人を忘れるわ。


「そ、れは、どうして?」


 かすれた声。

 ようやくと振り絞り、問いかければ櫻子は言いました。


 ――あの人と同じぐらいに、その誰かを好きになって愛して。また可愛い子供が生まれて、幸せに暮らす。そして、幸せの中で、ふと時々思い出すの。『ああ、そうだ、私にはあの人もいたのだった』――てね。


 それは、まるで大好きな人に「私は今も幸せよ」と伝えるように。

 ぽつり。小雪の手の甲に暖かな雫が落ちました。


 ――あら、泣いてくれるの?


 櫻子に言われて、ようやくと気が付きます。

 涙をぬぐって、小雪は微笑みました。


「櫻子さまは、先ほど言いましたね。――たった十年だけど彼に恋をしていたって」


 ――ええ。


 櫻子が頷きます。

 小雪は小さく笑って首を横に振りました。


「違います。きっと――。あなたは、まだその彼に、恋をしているのですよ」


 静寂が一つ。

 何かが腑に落ちたように、櫻子は自身の胸元へ手を置くのです。


 ――ええ。そうね、私、まだ恋をしているのだわ。


 そして、やはり桜のように、美しく花を咲かせるのでした。




 ◇



 宿屋、玄関を抜けた先。

 門の前に小雪と櫻子は佇みます。

 小雪の説明を受けて、櫻子は門を見上げました。

 少女の隣を抜けて、軽々とした足取りで、入口に向かいます。


 ふと、彼女の足取りが止まり、振り返りました。


 ――小雪さん、ありがとう。とっても楽しい一日でした。


「いいえ、お客様!素敵な一日をありがとう」


 あ互いにお礼を言い合って、二人は笑いあいます。

 櫻子は再び門を見上げました。


 この先に向かえば、櫻子という人間ではなくなるでしょう。

 けれど、この宿屋で何度も人生を振り返る時間がありましたが、良き人生だったと、心から思えます。


 きっと櫻子には、図晴らしい人生が待っているのでしょう。

 沢山の人と恋をして、たった一人と出会い、そして思い出の終わりに誰かと再開するのです。


 櫻子は微笑みます。

 最後に一つだけ、言い忘れていたことを思い出して、小雪を見ます。


 ――可愛らしい女将さん。あなたもきっと、また素敵な恋をしてね。


 そう、誇らしげに。

 狐の女将にはまだ少し難しい話ですが。


 それでもと、小雪は微笑むのです。

 どうか、彼女の未来に幸がありますように、と――。


「いってらっしゃいませ!どうぞ、よき恋を――」



 こんこんこんろろと、狐のお宿。

 素敵な出会いがあなた様にありますように――。


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