六話『老客』前編
こんこんこんろろ――。
皆様、ようこそおいでくださいました。
宿屋『子ぎつね停』へようこそ。
大変お久しぶりにございましょうが、今日も今日とて小雪の宿屋。
みなさま、どうぞゆっくりしていってくだしゃんせ。
小雪がこの宿屋を初めて、もう何千回目の春の季節がやってまいりました。
子ぎつね停に咲くのは、白くて淡い、触れたら無くなる雪桜。
こんな日は、こたつに入って蜜柑を口に放り投げるのが一番にございます。
それは女将の小雪も同じ。
ちょいっと時間がありましたから、小雪はこたつでぬくぬく、暖を取っておりました。
「はぁ、こたつ最高~」
なんて、口に出して。ちょっとだらしなくもございます。
こんな時に限って、だいたいお客様がお見えになるのですが、小雪は大丈夫でございましょうか?
――……失礼する。小雪殿はおられるか?
「はひ!」
そしてそれはやはり的中。
玄関先から声が聞こえてきました。
もちろん小雪は大慌て。
お客様がいつ来てもいいように、お掃除は完璧に終わらせてはいますが、いきなり人が来られますと、おっかなびっくり。
飛び上がって、思わずとちゃんちゃんこを羽織ったまま、玄関へと走っていくのでございます。
玄関先、雪かきが終わった石畳の向こう。
小雪は大きな門を「うんとこしょ」と開けました。
まず目に入ったのは、大柄な群青色の服を纏った男が一人。
――……小雪殿、お久しぶりにございます。
「まぁ、国光さま。こんにちは」
男の名は国光。
齢30になる男で、この世界で唯一といってもいいほどに、小雪を対等に見てくれる。何世代も前からの友人のような存在です。
それはもう、ずっと昔。半蔵や左衛門の代から、小雪の宿屋の手伝いをしてくれていますから。
といっても、小雪からすれば、国光は子供のころから知っていますから、まだまだ小さな子供でございましょうが。
「国光さま、今日はどのようなご用事で?」
――……いつもの通りです。必要な物資を届けに参りました。
「まぁ、ありがとうございます!今日は春の国?夏、それとも秋?」
――……昔の暦で言えば春ですので、春の国の物を。それと――
国光が何か言いよどみます。
何か言いたげに、後ろに視線をちらり。
小雪も首をかしげて、背伸びをするように後ろを見ました。
そこには、女性が一人――。
白髪の頭。曲がった腰。薄藤色の着物を纏う、微笑む上品そうなおばあさんが一人。
ひとめで分かりますとも――!
小雪は大慌て。国光の隣を駆け抜けて彼女の側へ。
深々と頭を下げるのです。
「お出迎えが遅くなって申し訳ありません!――ようこそいらっしゃいました、お客様!」
◇
「こちらのお部屋にどうぞ!」
冬の屋敷、小雪は今日のお客様を部屋に案内いたします。
案内した部屋は「柳桜の間」。ピカピカに磨き上げたばかりの部屋にございます。
――あら、すてきねぇ
部屋に案内されたお客様は、ほうっと息を呑みました。
――最近はこんな素敵な部屋、見かけないもの。整備も行き届いているわ
優しげな笑顔で話されます。
これには小雪も心がぽかぽか。
思わず、尻尾も揺れてしまうという物です。
――あらあら、女将さんも可愛いわ
そんな小雪にお客様もニコニコ。
なんとも微笑ましい光景となりました。
――ところで、小雪さん?
「はい!」
――ここは、どこかしら?
けれどもどっこい、お客様の一言で小雪のしっぽもピンっ!
しまった!説明がまだだった!
「申し訳ございませんお客様!」
小雪は頭を下げます。
「ここは、宿屋『子ぎつね停』。異世界へと旅立つお客様がたどり着く。新しい人生の前に、ほっと一休みを満喫するための宿屋になります!」
――異世界?旅立つ?
ここで小雪は少し慌てました。
客様のぱっとみのご年齢は、70半ばといったところ。
年の若いお客様であれば、だたいすぐに状況を飲み込んでくれるのですが、お年を召されていると、そうもいかないのです。
まぁ、異世界転生?転移?どちらも聞きなれない言葉ですから。
だから、どう説明しようかと悩むのでございます。
しかし、でございました。
お客様が優しく笑いました。
――ああ、孫がよく読んでいたわ。ふふ、ありえない話だと思っていたけど。
小さく笑って、少しだけ息を吐きます。
――じゃあ、私、死んだのね。
小雪は慌てて首を横に、手もぶんぶんと横に振るのです。
「それは、分かりませんお客様!もしかしたら転移かもしれませんし!」
けれどもお客様は首を横に振ります。
――いいのよ。だって、私の最後の記憶では病院にいたもの。闘病していたのよ。
なんて。そう言われてしまったら、小雪も何も言えません。
耳を下げて、申し訳なさそうに。
「すみませんお客様、お辛いことを思い出させてしまって」
これにはお客様が慌てました。
――そんな。あなたは悪くないわ。顔を上げてお嬢さん。
おずおずと顔を上げれば、優しそうな笑顔が見えます。
しわしわな手が伸びてきて、小雪の手にそっと触れるのです。
――それより、ここはもう異世界なの?
「は、はい。お客様から見れば、ここは異世界です」
――さっき言っていたわね。異世界に行く前にたどり着く、一休みのための宿屋だって。
「はい!この小雪が命一杯、お客様が満足いたしますよう、張り切る所存です!」
――じゃあ、私はお客様ってことね!
「はい!」
こちらの返答に小雪は、笑顔で大きくうなずきました。
その様子を見たお客様が、まるでいたずらっ子のように笑ったのは次の事。
――うれしいわ!私、もう一度だけ、こんな旅行したかったの!最高の思い出を作らせてね、小雪さん!
それに返す様に、小雪は握りしめられた手を、優しく握り返します。
「――はい!お客様!」
お客様が何かを思い出したように、口に手を置きました。
そして言うのです。
――あら、私の事は櫻子と呼んで頂戴な。
小雪は、お返しと言わんばかりに笑顔を一つ。
「はい――さくらこさま、櫻子さま。今の季節にぴったり素敵な名ですね!」
◇
雪原の中を、櫻子が走ります。
雪に足がとられ、もつれ、倒れ込んで空を見上げれば。
見えるのは、白い雪が絶えることなく降り散る、灰色の空。
「櫻子さま!」
慌てたように、上着を手に走ってくるのは小雪で。
しかしと、櫻子と同じように小雪も、雪に足をとられ転んでしまうのですが。
――あらあら、大丈夫?
櫻子が近づいてきて、手を差し伸べます。
暖かな手を取って、小雪はゆっくりと起き上がりました。
「ふへぇ。ありがとうございます櫻子さま」
手の暖かさにふにゃりと微笑み。じゃなかったと、手を放します。
代わりにおずおずと差し出すのは、やはり桜色の上着。
「風邪を引いてしまいます!こちらを着てください」
――ふふ、ごめんなさいね。
櫻子は口元に手を当てて笑います。
その視線は小雪の手元のちゃんちゃんこへ。
――あらまぁ、可愛い色。こんなおばあちゃんに似合うかしら?
小雪はにこりと笑いました。
「ええ、もちろん!」
あまりに小雪が素直に、笑顔で言う物ですから。
櫻子だって微笑みます。
――ありがとう。じゃあ、お借りしようかしら。
そういって、上着に袖を通すのでした。
さて、と言わんばかりに、櫻子が再び走り出したのはすぐの事。
「櫻子さま!?」
――雪なんて久しぶりなの!昔みたいに遊びたいじゃない
櫻子は楽しそうに駆け回りながら言いました。
手元の雪を救って、小さな雪玉を作って。
子供のように、無邪気に走り回る櫻子を小雪が呆然と見ていると。
――えいっ
「きゃう!」
と、雪玉が小雪の顔にぽすり。櫻子はふふ、と笑いました。
こうなれば小雪も負けてはいられません。
「分かりました!そう来るなら私も負けてはいられません!」
同じように足元の雪を救って、柔らかくまとめた後に、櫻子に投げます。
しかし――。
――ざんねん
櫻子は、ひょいっと軽く避けてしまうのです。
代わりに彼女の手には別の雪玉。それが今度は小雪の頭にぽすり。
「もう!手加減しませんよ!」
ぷっくり。小雪は頬を膨らますのでございます。
その様子に櫻子は楽しそうに笑いました。
こうして、二人だけの雪合戦が始まったのでございます。
「えい!」
と、小雪が雪玉を投げれば櫻子がひらり。
――てい!
櫻子が雪玉を投げれば、小雪がこれをぎりぎりでひらり。
「とりゃ!」
小雪が投げれば、櫻子の胸元に雪の花。
――そりゃ!
櫻子が投げれば、再び小雪の顔に命中。
「ふふ、あはは!やりましたね!」
――ふふふ、あはは。
いつしか、楽しそうな笑い声が二つ。
どちらも子供のようにはしゃぎ合うのでございました。
◇
あれからずいぶんと時間が経ちました。
柔らかな雪のベッド、倒れ込むのは櫻子です。
――あははは、降参よ。降参。
その顔には疲れが浮かんでいますが、やはり笑顔が一つ。
小雪が走り寄ってきました。
「も、申し訳ございません、櫻子さま!私ったら、夢中になちゃって!」
空色の瞳に涙をためて、あわあわと頭を下げます。
もちろん櫻子に怒っている様子はありません。むしろ楽しそうです。
「あわわ!お身体がこんなに冷えて!」
小雪は倒れている櫻子の手を取って、慌てふためきます。
――そうね、ちょっと冷えちゃったかしら?汗もかいたわ。
今度は櫻子が小雪の手を借りる形で、起き上がります。
小雪が自信満々に胸をたたくなら今です。
とん!
「お任せください!お風呂ならご用意していますとも!」
――あら。
「そして今日は椿風呂!庭先でとれる赤い椿を浮かした、きれいなお風呂になっています!」
小雪の言葉に、櫻子は目を輝かせました。
――まぁ、すてき!楽しみだわ!
この言葉に小雪も笑います。
「では、さっそくご案内しますね!」
そして、掴んだままだった、冷えた櫻子の手に優しく力を籠めるのです。
◇
広いお屋敷の綺麗な露天風呂。
透明な温泉に、ぷかぷかと赤い椿が浮かぶ可愛らしいお風呂。
ここに櫻子は肩まで浸かりました。
思わずと大きな吐息。
先ほど動いたので尚更、温泉が染み渡るという物です。
それになんといっても温泉は貸し切りですから。
泳ぐ様に端まで言って、岩場に腕を乗せながら、櫻子は浮かぶ椿を指で突きました。
話に来ていた通り、とても愛らしい風景。
雪が降り積もり、水面でぷかぷかと椿が浮く情景は綺麗の何物でもないほどです。
――ああ、本当に素敵なところね。
櫻子は小さく微笑みました。
「櫻子様。お背中を流しに来ました!」
この風景に身を寄り添わせていると、ふと声がします。
それが小雪の物なのは、すぐに櫻子も気が付きます。
――あら、いいの?ありがとう。
声を返せば、小雪は扉を開けて入ってきます。
白い湯帷子を纏って、深々とお辞儀を一つ。
実は体は先に洗ったのですが、櫻子は微笑みを浮かべたまま、お湯から出て再び湯椅子に座るのでした。
「すみません。お湯に入っていたのですね」
――いいのよ。でも、背中まで流してもらえるとは思いもしてなかったわ。
「ふふ、昔からの伝統なんです!」
小雪は得意げに言います。
反対に櫻子は首をかしげました。ふと、気になったのです。
――昔……。貴女は女将何代目なの?
「初代です!」
――あら?じゃあ、この旅館も最近の物なのかしら?
「いいえ!小雪は――。小雪はこう見えて長生きなのです!きっと、櫻子様が産まれるずっと前からこの旅館に住んでいます」
一瞬、どう答えようか迷いましたが、素直に。
櫻子は目を大きくします。
――まぁ、すごい。異世界ではそんなに長く生きるのは普通なの?
「――いいえ!小雪がちょっと特別なんです!」
泡立てたタオルで、優しく洗いながら小雪は言い切ります。
ここで、櫻子は、はと何かに気が付いた様子でした。
――……もしかしてだけど。一人でこの旅館を切り盛りしているの?
「はい。ここに住むのは小雪だけですから!」
櫻子は驚いたように息を呑みました。
まさか、この旅館を、こんな女の子が一人切り盛りしているとは思わなかったのです。
少しだけ、間が開きます。
しばらくして、口を開くのは櫻子です。
――じゃあ、私を案内してくれた男の人は?
「あの方は光国さまといって。――……私の友人です。週に一回、必要なものを届けてくれるんです!」
――じゃあ、本当に今まで一人だったのね。
櫻子の、その声色は少しだけ寂しそうです。
小雪は少し考えて、首を横にふりんした。
「いいえ。本当に最初の頃は側にいてくれる人がいましたよ」
――あら。そうなの?
「はい。私に宿屋をやってみないかと誘ってくれた、ヒトでした」
櫻子の肩がわずかに跳ねます。
灰色の瞳が、ちらりと小雪を振り返って。
じーと見つめてきたかと思えば、くすり。微笑むのです。
――どんな男性かしら?
「優しい人です。笑うと、蒼天の空みたいにからっと、素敵に笑う人で」
――うんうん。
「こんな私と、なん十年も一緒にいてくれた人――」
再び、少しの間が空きます。
何かを思い出す様に櫻子は、静かに微笑んでいました。
――ええ、きっと素敵な方だったんでしょうね。……私にもいたのよ、そんなヒト。
櫻子が微笑んだまま振り向きました。
名の通り、桜の花のような優しい笑顔で。
楽しそうに言うのです。
――ねぇ、もっと話しましょう。恋の話を――。




