10. 魔壁
異様な状況を前にしてザガリスは息を呑んだ。
一言で形容するならば、透明な壁。
「これは……」
アバドン本拠地に透明なベールが張られ、何人たりとも近づくことができない。
内部との通信状況も取れずにいた。
魔導による妨害だろうか?
突入した治安維持軍はどうなっている?
友人のイージャを心配しつつも、ザガリスは指令を待っていた。
彼の所属は魔導医療軍。
負傷者を治すことが本来の役目だ。
しかし、こうして戦場との道が隔てられては負傷者も出てこられない。
『司雅より通達だ。魔導医療軍の皆は持ち場で待機。
ルチアノ元帥と話し合い、対応を決める。以上だ』
通信が入り、待機を命じられる。
困惑したようにザガリスの部隊長が愚痴を漏らす。
「困ったな……これじゃあ俺たちの存在意義がない。この透明な壁は何だ? 力技では壊せないのか?」
ザガリスは再び本拠地に接近してみる。
だが、温度も質量も伴わぬ何かに阻害されてしまう。
(妙な感覚だ……同じく結界系の魔導に触れたことがあるが、ここまで透明ではなかったし、たしかに質量も感じた。別系統の魔導なのか?)
そこで一つ、思い当たる。
外敵戦の日だ。
あの日、外敵を皇城の外へ逃がさないために結界が張られた。
城内にも外敵の侵入を阻むために張られたが……内部との通信は可能だった。
だが、この壁はどうか。
通信すらできないのだ。
「……隊長」
「うん、どうしたザガリス二等兵」
「結界系の魔導は電波を遮断できますか?」
引っかかったことがある。
魔導の書物に書かれた、断片的な知識を。
物理を防ぐ結界系の魔導。
干渉を防ぐジャミング・歪曲系の魔導。
その二つは反発し合い、共存させることは難しいと。
「いや、できない。それが弱点なんだ。結界系の魔導と、通信ジャミングの魔導は別系統。その二つは反発し合い、両立させるのが難しい。軍事機密を話すときはジャミング魔導を使うが、同時に侵入者を防ぐ結界を張れないというもどかしさがあるんだよな……」
「……でも、この壁は両立してますよね?」
「たしかにな。一応、司雅元帥に報告しとくか」
そう言うと部隊長は元帥に通信を入れた。
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全体を俯瞰し、司雅はため息を吐いた。
先程、部隊長からあった連絡は目から鱗だった。
この障壁、魔導ではない可能性がある。
結界系とジャミング系を両立させる魔導があるならば、それは画期的な進歩と言えよう。
新種の魔導の可能性もある。
だが、現実的に考えれば他の技術である可能性の方が高い。
この事実を真っ先に発見したのはザガリスだという。
やはり彼は物事の観察に長けている。
「どうしようか」
しかし、事態が進展したわけではない。
相も変わらず内部の状況は不明。
夜闇の中、停滞が続いていた。
「どうするもこうするも、待つしかないでしょうね」
隣にルチアノが降り立つ。
彼女も対処に困っているようだった。
「全体を回ってみましたが、綻びはありません。さながらボウルをひっくり返したかのように……どの箇所からも侵入不可能なようです。今の私たちにできるのは、治安維持軍の健闘を祈ることだけ」
「そうか。ちなみに、あの壁は魔導による代物ではなさそうだ」
「……なぜそう思うのです?」
司雅は根拠を説明する。
結界とジャミングの両立は難しいこと。
これほど大規模な範囲を覆うのなら、さらに難度は上がること。
アバドンにそれほど卓越した魔導使いがいるとは思えない。
説明を聞いたルチアノは納得したように頷いた。
「そう言われるとたしかにです。では、アバドンは何の技術をもってして侵入を阻んでいるのか?」
魔導の研究家であるルチアノですら、該当する術は思いつかない。
「……原罪人の権能か」
「…………」
司雅の言葉にルチアノは反応しなかった。
深い思考に沈んでいると思われる。
「ホルスト、そしてブランカの健闘を祈る。僕たちにできることはそれだけだね。ただし……壁が解除された瞬間、僕たちの戦いが始まることは明白だ」
「同意です。それでは、私は各所の指揮に戻ります。包囲の維持はお任せを」
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アバドン本拠地、最深部。
レナスは椅子に座り瞑目していた。
ここが死に場所になるかもしれない。
そう思うと、勝気な彼女でさえ若干の恐怖がある。
だが、同胞たちを守るために死ねるのなら本望だ。
「失礼する」
ドアが開かれる。
彼女は咄嗟の事態に目を見開き、緊急防御の構えを取った。
――最深部への到達が早すぎる。
何重にも電子ロックをかけ、各地点にアバドンの手下を配置した。
だが、皇帝軍の服を着た男がやってきてしまったのだ。
「お早い到着ろんね。誰?」
「皇帝軍、ホルスト元帥だ。
悪いがアバドンの人々は道中で屠った。捕縛が無駄なことを嫌というほど知っているのでね」
たった一人。
たった一人で、ホルストはここまでやってきたのだ。
他の部下は置き去りにして迅速に。
基地が外部と遮断されたことを知り、彼は方針を転換。
アバドンを指揮するレナスへの到達を最優先事項とした。
「あー元帥ね。いちばん偉い人だっけ?」
「皇帝軍で最も権力を持つ方は、皇帝陛下ただおひとり。そこを間違ってもらっては困るな。
君は仮にも、陛下の治める世界の人間なのだから」
ホルストの様子を盗み見るレナス。
まったく隙が見当たらない。
腰の剣柄に手をかけ、今にもレナスに斬りかかりそうな気迫だ。
レナスは杖を支えにして立ち上がる。
彼女が動いてもホルストは攻撃を仕掛けなかった。
「ひとつ、尋ねる。この基地を覆う移動阻害、及び通信妨害は君の権能によるものか?」
「ろん。原罪人はそれぞれ権能を持っていることを知ってるろんね?
魔導とも魔術とも異なる、世界の根幹に触れる力。ろんの権能は空間の遮断。および古代術の行使」
「なるほど。では、君を殺せば壁は解除されるのか?
それとも生け捕りにして解除させる必要があるのか?」
「それ、答えると思う?」
レナスを殺してしまうと、二度と外界とつながらない可能性がある。
要するにレナスを殺すことはできない。
それがホルストの弱みだった。
だが、充分だ。
レナスが元凶だと知ることができたのならば。
「結構。では、そろそろ武力を行使させてもらう。尋常に」
「馬鹿みたいに礼儀正しい奴ろん」
戦意が爆ぜる。
ホルストとレナスは視線を交差させた。
瞬間、ホルストの姿が消えた。
奔る黄金の線。
「うおっ……!?」
眼前の机ごと斬り裂いた斬撃。
レナスは事前に展開していた魔壁で斬撃を防ぐ。
次いで衝撃。
再び黄金の風が舞う。
背後から迫った斬撃もまた、壁に防がれた。
「……ふむ。基地を覆う壁と同質のものか」
一拍置いてホルストの姿が現れる。
彼は静止して攻撃の手を止めていた。
レナスは自身に身体強化を施し、彼の動きが追えるように調整。
はたして強化を全開にしてもホルストを捕捉できるかどうか。
「おっけー、わかった? ろんに攻撃は通用しない。だから諦めて帰った方が身のためだよ」
「いや、すでに本質は捉えた。その壁、魔術とは異なる権能と語っていたが……魔力を消費していることに変わりはないだろう」
「!? どうして魔力の存在を……知ってる?」
「仮にも元帥だ。国家機密くらいは知っているさ。魔術が戒律で禁じられている理由など、少し類推すればわかるものだ」
魔力。
それは一般人が知らない未知なる力。
そして禁じられた魔術を発動するための力でもある。
見えず、触れず。
しかし確かに存在する気体。
対して魔導は魔力を必要としない。
なぜ魔術が禁術とされ、魔力が秘匿されているのか?
真相は不明である。
「……で? まさかろんの魔力をすべて削ごうと? ろんの魔力が底をついて壁を展開できなくなるまで、攻撃し続ける?」
「その必要はない」
レナスは違和を感じ、周囲を見渡す。
杖を介して集気していた魔力が……急速に減少している。
「ろん?」
黄金の風が吹く。
二人を取り巻く黄金の糸は、魔力を遠方に遠ざけているようだった。
ホルストの魔導――【金襴】
あらゆる事象を分断、遮断する系統の魔導だ。
「これで防護壁は展開できまい」
最終的にレナスの魔力は全体の一割ほどに落とされた。
これでは魔力を莫大に消費する壁は作れない。
だが、かろうじて吸引はできている。
「ふ、ふーん……ま、これでようやくフェアってとこ? 別に……壁なんてなくとも余裕ろん」
白色の炎がレナスの周囲に渦巻く。
圧倒的な熱気に対し、ホルストは自分の周りに金襴を展開。
熱気を退けた。
レナス・バロンという女。
単純に権能だけで幹部まで成り上がったのではない。
その実力が今、遺憾なく発揮される。




