1. 岐路
事実説明から帰還後、俺はホルスト元帥の執務室へ向かった。
例の件について話したい。
俺は治安維持軍の通信の杜撰さと、どうしてそんな手違いが起こるのかについて尋ねた。
間違いの通信がなければもっと早く治安維持軍が到達し、助かった犠牲者がいたかもしれない。
……そう、ダイトやベスリーも。
「君の指摘はもっともだ。
……実はイージャが入隊する前から、今回のようなことがあった。通信の体制を万全に整え、何重にも情報をチェックし、迅速に伝えるようにと対策を講じた。しかし意味はなかった。
緊急時には何度も伝達ミスが起こってしまう」
「それは……単純に焦りからくるものなのでしょうか?」
「いや。焦りだけでは説明できないな。
最初、私は内通者が潜んでいるのではないかと疑った。密偵を使い徹底的に調べ、上層部を査問にかけた。しかし、内通者はいないと半ば確定したんだ。
原因は依然として明らかになっていない」
原因を明らかにしなければ、いつまでも犠牲が出るじゃないか。
そう言いたかった。
でも、俺が考えるほど単純な問題ではないのだろう。
「……すまないな。君の気持ちはわかる。
犠牲になったダイト、ベスリー。彼らには私も期待していた」
「いえ……悪いのはアバドンですから。
そもそも奴らがあんな事件を起こさなければ……」
「そうだな。アバドンが基地へ攻撃を仕掛けるのは、今回が初めてのことだ。
これを受けて陛下がどのような判断をなされるのか……これより元帥会議で決められる。今まで犠牲となった兵士たちの期待に応えられるよう、私も陛下に意見してくる」
「はい。お願いします」
俺としては、本格的にアバドンを潰すように動いてほしい。
軍の拠点まで攻撃されれば、さすがに黙っていられないだろう。
複雑な思いでホルスト元帥を見送った。
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ザガリスは医官として必要な知識を学んでいた。
治癒の魔導を授かったことから、彼は医官が主に務める司雅元帥の軍に入った。
だが、憂慮は多い。
彼の入隊時の決意。それはイージャと共にアバドンと戦うことだった。
現状は魔導にも目覚めず、医療知識を学んでいるだけ。
自分の将来に憂いを覚えつつ、彼は日々を過ごしている。
ペンを転がしてため息をついた。
「お疲れさま。調子はどうかな?」
「……! 司雅元帥、お疲れさまです!」
咄嗟に立ち上がって敬礼する。
悩みゆえか、司雅が来ていることにも気がつかなかった。
「はい、これ。ザガリスはいつも自習室にいるよね。
毎日自習室の前を通るから、顔を覚えてしまったよ」
「あ、ありがとうございます……!」
司雅はザガリスに缶コーヒーを手渡した。
相変わらず人柄がいい。
最も慕われる元帥なだけはある。
「勉強熱心なのには何か理由があるのかな?」
「いえ……ただ俺は魔導が使えないので。先日も友人が命がけでアバドンと交戦してきたことを知り、このままではいけないと……」
イージャの様子は危なっかしい。
いつ命を落としてもおかしくないほどだ。
友がそこまでの覚悟を決めているのに、どうして自分がのうのうと生きていられようか。
「なるほどね。まあ、魔導を使えなくても勉強しない人はたくさんいるけど。
うーん……ザガリスの様子を見ているとさ、君はすごく優秀な人材だと思うんだ」
「優秀、ですか?」
「うん。君は統率力がある。研修でも他の新兵を抜いて、とりわけ的確な行動を取っている。
簡単に言うと……集団を見る目に長けているのかな」
集団を見る目は、軍隊において重要な素質だ。
魔導の有無にかかわらず『目』を持つ者は昇格に近い。
「治癒の魔導は『誰かを助けたい』という意志を持つ者に授けられることが多い。もしかしたら君が助けたいのは……個人じゃなくて全体なんじゃないかな。
たしかに友人や家族を助けたい、という意志もあるのだろう。しかしそれ以上に、不特定多数の人々を救いたい意志があるのかもしれない。僕と同じようにね」
「人々を助けたい……か」
イージャやハピは、もちろん助けたい対象だ。
では、顔も名前も知らぬ人々はどうなのか。
正直に言えば、助けたい。
『人が傷つく』という事象そのものをザガリスは嫌っている。
今までは身近な人を助けようと躍起になっていた。
だが、それは魔導を目覚めさせる鍵ではないのかもしれない。
「あくまで僕の個人的な意見だ。僕と君は違う人間だから。
参考程度に留めといてくれ。
じゃ、僕は会議があるから失礼」
「はい。ありがとうございます」
司雅は頷き、元帥会議へと向かった。
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「うーん……? 難しいなー」
ハピは書類を前にうなった。
彼女の仕事は事務。
数学が得意なので、主に経理の仕事を任せられている。
しかし、あまり順調に仕事が進んでいるとは言えない。
ちなみに授けられた魔導は『毒操』
まったく事務仕事とは関係なく、魔導を発現させてもいない。
「わかんないからミラさんに聞きに行こうっと!」
彼女は誰とも距離感が近い。
元帥であるミラにも遠慮なく話しかけていくタイプだ。
すぐ傍にいる上司に聞こうと思ったのだが、いつも『忙しいから他の人に聞いてくれ』と言われる。
そうしてたらい回しにされて、最終的に元帥のもとへ行き着くのだ。
それなら最初から元帥に聞いた方が早い。
彼女も徐々に学習し始めていた。
「ミラさーん! これ教えてください」
「……また貴女ですか」
ミラはうんざりとした表情を浮かべた。
今は仕事の合間の休憩時間。
優雅に紅茶を飲むミラは、いつもハピに邪魔をされる。
ハピもミラの休憩時間を把握し、その時間に来るようになっていた。
「難しいですよね、経理のお仕事。
私も数学は得意でしたけれど、全然使う頭が違います」
「いい加減に貴女を別の部隊に配属させるべきでしょうか。治安維持軍とか興味ありませんか?」
「えー? でも私、魔導使えませんよ」
「おや、嫌味が通じない。わたくしが一番苦手なタイプです」
だがしかし、ミラはハピのことを気に入っていた。
ミラの軍は表立っては事務を管轄している。
だが、裏では諜報や工作を行っている。
人の悪意によく触れるミラ。
彼女にとって、ハピの純粋さは一種の癒しでもあった。
「ここはこうしてこのように、これがこうです」
「なるほど、これがこうですね! ありがとうございます!」
適当に説明すれば、大体ハピは理解する。
時間を奪われるように見えて、そこまで奪われない。
「ところで貴女、いつも言われるがまま事務仕事してますけれど。何か仕事をする中で目標などはありますか?」
「目標?」
「ええ。皇帝軍に属する以上、肝要なのは『意志』
明確にこうしたい、といった意志はありますか?」
「あります。私の趣味が物理学の研究って話、しましたっけ?」
「物理学……ですか? 初耳です」
とてもじゃないがハピは研究などできそうにもない。
普段の様子を見る限りは。
経理の仕事は慣れてきて効率も上がっているが、いまだにミスをすることも多く……
「小さいころ、よく両親に勉強させられていたんです。読ませてもらえるのは学問の本だけで、絵本とか物語とか……ほとんど読ませてもらったことがありませんでした。特に施された教育に関して感謝はしていませんけど。小さいころから本を読みふけっていて、気づいたことが何個かあるのです。
たとえば……」
ハピはまっすぐに掛け時計を指さした。
「今から二百年前の書物と比較すると、現代は時間の流れが1億分の2秒くらい速いのです。ということは、時の流れによって秒数が加速しているのか? それはちょっとあり得ないと思います。時間が歪むとすれば、それは力場における曲率が変化することに他ならない。
私には世界の根底に歪みがある気がしてなりません。その歪みを詳らかにし、世界の真実を暴くこと。それが私の意志だと思います」
「……ふむ。言っていることはよくわかりませんね。どのような意志を抱こうが、それは人の自由です。意志があるのならば結構。がんばってくださいね」
「そういえば私の目標に関してお話するの、ミラ元帥が初めてかもしれないです! イージャくんにもザガリスくんにも話したことがないので。
……ああ、もうこんな時間! お仕事に戻らないと!
ありがとうございました!」
ハピは深々と礼をして去って行く。
彼女を見送ってミラは時計を見た。
そろそろ会議の時間だ。
「歪み……ですか。ええ、彼女の言う意味合いとは異なりますが、たしかに世界は歪んでいるのでしょう。ハピさん、普段はアホらしいのに興味のある分野を語る瞬間だけ、ひどく徹底して見えましたわ。意志を醸成するには、別の環境に移す必要がありそうです。
――レヴハルト」
「ここに」
名を呼ぶと、白髪の少年が影から姿を現す。
「元帥会議に行きます。いつもどおり頼みます」
「了解。件の人物は見張っておきます」
「頼みます。
……そういえば、記憶は戻りそうですか?」
「いえ、まだ」
「そうですか。どうか焦らぬよう」
レヴハルトには記憶がない。
記憶を失って倒れているところを、ミラに拾われた。
唯一覚えているのは、自分が殺し屋だったこと。
頭の中に引っ掛かった何かが、ずっと彼を駆り立てる。
「では、行って参ります」
「お気をつけて」
レヴハルトはミラを見送り、気配を消した。
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玉座にて少女が瞑目していた。
彼女の名はアビスソレイユ。
世界を治める皇帝である。
輝く槍を片手に持ち、深く深く集中している。
やがてひとつ息を吐き、目を開けた。
「まもなく元帥会議か。ケレス、欠席者は?」
「いません。さすがに今回は欠席するわけにはいかないでしょう」
傍に控えていたケレス元帥が答える。
今回はアバドンへの対処を決定する会議。
重要度も高く、欠席する元帥はいないようだ。
「どうすべきか。おそらくホルストや八部はアバドンを潰そうと提案するだろう。
だが、私としては……現状維持が望ましい」
「そこはブランカが折衷案を出してくれるでしょう。陛下が憂う必要はないかと」
「……ああ。私は玉座に座ることだけが役目。
成り行きに任せるのが吉か。
国を、世界を守ることなど……私には荷が重すぎる」
落ち着いた声で皇帝は呟いた。
深く玉座に腰を沈める。
「世界は――今日も平和か」
「はい、平和です。陛下の治世に瑕疵はなく。
僕も……ええ。このまま平穏が永遠に続けばいいと思います。
このまま、ずっと。みなが笑顔の世界を」
「そうだな……」
皇帝は再び瞳を閉じ、夢の泡沫に微睡んだ。




