12. 目を逸らした代償
レヴハルト少尉に連れられた先は、基地の地下だった。
ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。
薄暗い電光の陰に、ゴキブリが走っていた。
「どこへ向かうんですか?」
「…………」
少尉は答えない。
黙々と進む。
ユーリと顔を見合わせると、彼もまた首を横に振った。
俺たちはわけがわからないまま、少尉について行く。
何回か通路を曲がると、扉の前で少尉の足が止まった。
扉の上にはこう書かれている。
――『死体安置所』
「え……」
レヴハルト少尉は扉を開け放つ。
微かにかおる血の匂いと、軍人たちがすすり泣く音。
少尉は迷いなく安置所に入るが、俺の足は進行を拒絶していた。
ユーリも同じだ。
だって、俺たちがここに来る意味なんて。
ひとつしかないだろう。
「入れ」
一声。少尉は振り返らず告げた。
命令だ。入らなきゃいけない。
震える足を叱咤して、室内へ足を踏み入れた。
一面に広がる人の形をしたモノ。
もはやそれは生命ではなく、ただの有機物の塊。
白い布を顔に被せられた人型。
皇帝軍の制服を着た人たちが、仲間の死を悼むように泣いている。
ぐるりと周囲を見渡す中で──ふと目に留まった。
銀髪の少女が、俺たちを見つめて立っていた。
「リラ……!」
「イージャ。そう、無事だったのね……」
リラは視線を合わせず。
落ち着かない様子で彼方を見ていた。
俺は怖かった。
その質問を投げかけるのが。
でも、聞かなきゃ。
「何があった?」
「……ダイトとベスリーよ」
リラは傍にある二つの人型を指し示した。
……そうか。
死んだのか。
恐る恐る布をめくってみる。
ダイトの顔が見えた。もうひとつ、ベスリーの顔も。
二人は口を半開きにして死んでいた。
「う……ぁぁあああっ……!」
慟哭を上げたのは俺ではない。
背後で様子を怯えながら見ていたユーリだ。
彼は二人の顔を確認すると同時、頭を抱えてうずくまった。
「あ、あ、ぁぁっ……ベスリー……! ダイト!!」
「ユーリ……」
かけてやれる言葉がない。
俺はもう『死』を経験していたから、彼ほどの衝撃はない。
二人よりも親しいトワコを殺されていたから。
でも、この絶望の味に慣れることはないだろう。
「施設にアバドンの襲撃があって……ごめんなさい、守れなかった」
リラは負い目を感じているのだろう。
小さい声で謝罪して俯いた。
リラに守れなかったのなら、俺でも無理だ。
今回は原罪人も来ていた。
相当なアバドンの戦力投入があったとみて間違いない。
仕方ない。俺がリラを労おうとすると、ユーリがうめいた。
「俺の、せいだ……」
頭を抱えたまま、彼は額を地面にこすりつける。
「俺が、あのとき離れなかったら……独断でイージャを追わなかったら……アバドンの襲撃に気づけたかもしれない。二人を守れたかもしれない……」
石畳に暗い色のシミが出来る。
ユーリの目からこぼれる涙が、暗い色を作っていく。
ここは……俺が言葉をかけてやらないといけないんだろう。
だから無理にでも言葉を紡いだ。
「お前がいても二人が助かった保証はない。俺はむしろ……お前が来てくれて、一人でも多くの命が助かったと思いたいよ」
「そんなの……そんなの、結果論だ!
ベスリーが、ダイトが死ぬくらいなら俺も死ねばよかったんだ! 俺のせいだ! 俺のせいで……こう、なったんだろうが……!」
――違う。
ユーリ、お前のせいじゃないよ。
俺のせいでも、リラのせいでもない。
アバドンのせいなんだ。
争いを生む奴らがいるから死人が出る。
だけど、俺はその事実をユーリに伝えられなかった。
ベスリーはユーリにとっての幼なじみ。
二人とあまり絡んでいない俺の傷はマシな方だ。
「──死ねばよかった、か」
ずっと様子を見ていたレヴハルト少尉が口を開く。
少尉は歩み寄り、うずくまるユーリを見下ろした。
「その二人は、君に死んでほしいと願っていたのか?」
「…………いいえ」
「たしかに、君のせいかもしれない。
だけど自分まで死んだほうがよかったなんて……言っちゃいけないだろ。その二人だってもっと生きたかった。果たしたい願いがあったはずだ。
死者の前で、生者が『死ねばよかった』――それだけは言ってはならない」
ユーリの嗚咽は止まらない。
滔々と流れる涙が、やがてベスリーの眠る寝台の下に届いた。
少尉は懐から徽章を取り出した。
銅色の一つ星の徽章が、二つ。
「二人の死体を発見したのは俺だ。彼らはとても悲しそうな顔をして死んでいた。
背後から心臓を一突き、どちらも同じ死に方だ。傷口から推測するに刃物ではなく、素手で貫かれている。
……俺が提供できる情報はこのくらいだ」
徽章をユーリの傍に置き、レヴハルト少尉は去って行く。
俺は礼をして彼を見送った。
ユーリはそれからしばらく泣き続けた。
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深夜。
俺は眠れずにいた。
ユーリは泣き疲れたのか、すっかり眠ってしまったようだ。
「……」
明日には皇城へ帰還する。
俺は隊の指揮官として、ダイトとベスリーの死亡を報告する義務がある。
報告書を前に、筆を進められずにいた。
この紙に二人の死を書いてしまった瞬間。
二度と彼らは生者として認識されなくなる気がして。
「さっさと書いたら? その方が楽になるでしょう。
なんならぼくが書くけど」
悩む俺を覗き込み、リラが急かした。
広いロビーには俺とリラしかいない。
戦いで疲れて、みんな寝ている時間だ。
「……わかってるよ。俺が書く」
強引に手を動かした。
一度決心してしまえば、サラサラと筆は進む。
ダイトとベスリー。
これから仲良くなるつもりだったのに、もう死んでしまった。
同期は治安維持軍に二人しかいない。
みんな……死ぬのが早すぎるだろ。
まだしていないこと、たくさんあるだろう。
「なあ、リラ。二人を殺したアバドンってどんな奴だった?
お前でも対処できないなら、原罪人の可能性もあるよな」
原罪人は全部で五人いるらしい。
今まで全く正体不明だった連中だが、今回の事件で二名の顔は知れた。
アバドンの活動も大きくなってきているのか。
「そうね……二人を殺したのも恐らく原罪人だと思うわ。
顔はよくわからないけど、腕は確かだった。一切喋らずに二人を殺していたから、名前も声の特徴もわからない」
「そっか。アバドンって……何がしたいんだろうな」
今回の目的は『陛下の反応をたしかめること』だとユタは言っていた。
確かに、今まで基地が襲撃されたことはない。
この騒動を受けて陛下がどう動くか、それは気になる。
だけど、その果てに何を望む?
陛下がアバドンを潰そうと動いても、見逃しても、正直俺にとってはどうでもいい。
アバドンの最終的な狙いは何なんだ?
「連中は『負け組』なのよ」
「負け組」
「そう。人間の社会では、必ず格差が生じるわ。
生まれ持って悪辣な環境に置かれた者は、もちろん世界を疎む。憎む。蔑む。ただ目的なんてなく、アバドンの負け組たちは世界を壊したいのでしょう。
だから世界を統べる象徴である皇帝に反旗を翻した。それだけよ」
「迷惑もいいところじゃねえか……」
でも、もしも俺がアバドンと同じ立場だったら。
恵まれた環境に生まれず、心が歪んでいたら。
俺は奴らを糾弾できるだろうか。
それでも俺には誓いがある。
世界から争いをなくし、秩序に満ちた世を。
たとえアバドンにどんな背景があろうとも、俺は突き進む。
「ねえ、イージャ。二人が死んだのは、誰のせいだと思う?
ぼくはユーリの手前言えなかったけれど、本音があるわ」
「俺はアバドンのせいだと思う。断言するよ。
争いを生み出す元凶が一番悪いに決まってる」
「ぼくはダイトとベスリー自身のせいでもあると思うわ」
――思わず耳を疑った。
二人が死んだのは二人のせいだって?
「どういう意味だよ……!」
それは聞き捨てならない。
レヴハルト少尉も言っていた。
二人はもっと生きたかったはずだって。
そんな二人に、泥をかけるような真似は……リラであろうとも。
許してはいけないだろう。
「もしも二人が原罪人に抗えるほど強かったら、死なななった。イージャだって原罪人と交戦して生き延びたのでしょう?
自分の身は自分で守る。それが戦いだと思うの。もちろん、全面的に二人が悪いわけじゃない。
争いを起こしたアバドンが一番悪いのでしょうし、ぼくにも責任はある」
「二人は何も悪いことをしていない!!」
思わず頭の血管が切れそうになった。
机を叩きつけて立ち上がる。
リラは相も変わらず、冷めた目をしていた。
最初に会った時からずっとこうだ。
冷たいんだ。こいつの視線は。
「その論法が成り立つのは、平和な世界だけよ。自然界では悪さをしていなくても、獲物は仕留められて殺されるでしょう?
つまり、この世界はそれだけ歪なのよ。
悪人ではない人も『生きていることを罪』として断罪されてしまう」
「けど、でも……! この世界は平和なはずなんだ!」
表層だけだ、平和なのは。
わかってるよ。
ずっと目を逸らしていただけだ。
みんな現実から目を逸らして、自分に混沌が降りかからないことを祈っている。
だって、完璧な世界なんて実現できないから。
「たしかに死者は責任を取れない。だからと言って、生者に責任を押しつけていい理由にはならないわ。二人が死んだのにも、二人に責任があると考えるべきでしょう」
それは、そうだ。
ああ、そうなんだろうさ。
殺される方が悪いってのも一種の考え方だ。
殺す奴が悪というのは、人間の『社会』でしか通用しない。
生物は他の生物を殺さなければならないから。
でも、
「でも、それは。
正論すぎて、気持ち悪いよ……」
「…………」
リラの考え方は間違ってない。
レヴハルト少尉の考え方も、俺の考え方も。
みんな正解で、不正解だ。
リラはそれきり黙り、何も言わなかった。
俺もまた何も言えなかった。




