2. 支部交戦
リリスフィス支部。
建物は一見してただのビルに見える。
俺たちは黒い車をビルの陰に停めて降りた。
ルチアノさんと一緒に隠れ、作戦を話す。
「私が目標の書類を盗んできます。イージャ、影を介して視覚や聴覚を拡張できますね? あのビルまで魔導の範囲は届きますか?」
「はい。今探ってみたんですが……中にほとんど人はいないようです」
ビル内はほとんどの部屋が消灯中。
人の数もまばらで、警備員がいるくらいだ。
電気が点いてないなら俺の魔導も使いやすい。
内部の構造は手に取るようにわかる。
「軍用の通信機を使い、私に道筋を示してください。人が迫っていればその警告もお願いします。何かあったら私を呼ぶように」
「了解です。成功を祈ります」
ルチアノさんは裏口に回り、ビルの中へ侵入して行った。
俺は瞳を閉じた。暗闇を介して周囲を監視する。
闇に沿ってぐるぐると物体の凹凸を把握し、音の波を闇で受け止める。
これが拡張感覚。
人体の感覚とはまるで違うが、扱いには習得した瞬間から慣れている。
魔導は体の一部みたいなもんだからな。
「そこを右です」
『はい』
目的地は支部内の『支部長室』
マップは事前にルチアノさんに教えてもらっている。
あとは周囲を警戒しつつ、道案内するだけだ。
「その階段を上がって右折です。左手三番目に支部長室があります」
『了解……っと。イージャ、この階層以降では、無線通信がジャミングされているようです。いったん通信が切れます』
「わかりました。ここで待機しています」
『気をつけてくださいね』
そう言うと、通信が遮断された。
俺は再び周囲を警戒。
大丈夫だ、人の気配はない。
たしかにこれくらいの任務なら、ルチアノさん一人でも問題なさそう。
外敵の対策だけじゃなくて、こういう任務も行っているんだな。
「…………」
瞳を開ける。
のっぺりとした闇が広がっていた。
そして、闇の中で――何かが揺らいだ気がした。
「っ……リリスフィスか」
敵だ。
俺は確信する。
闇の感覚拡張は万能ではない。
像を把握できない場合、あるいは音の波を感知できない場合。
俺の闇を介した索敵をすり抜けられる。
転移系の魔導や、変形系の魔導がそれに該当する。
「こーれはこれは……冷静ですねぇ。もっと狼狽えるかと思っていましたが」
闇からぬるりと姿を現した男。
夜でも目立つ、道化師のような衣装。
顔には丸縁のメガネをかけていた。
彼はニヤリと笑って一礼する。
「リリスフィスの構成員、メランクと申します。
以後お見知りおきを……」
「皇帝軍、キルシャ上等兵だ」
別に驚きはしない。
こんなことで動揺してたら死んでしまう。
ルチアノさんは……まだ作業中か。
メランクとかいう男は俺が惹き付けておかないと。
ルチアノさんがビルに入る前、この男の存在は察知していなかった。
つまり、俺が一人になった後にメランクは潜伏したのだろう。
「皇帝軍の方が何用ですかねぇ?」
……適当に理由をつけて時間を稼ぐか。
俺もルチアノさんが盗む書類が何なのか把握してないし。
「共謀罪の嫌疑がかかっている。心当たりは?」
言いつつ、影の靄を展開準備する。
いつでも攻撃されていいように。
相手もおそらく魔導持ち。
俺の索敵が効かなかったから。
「んー……リリスフィスは皇帝軍様に盾突くほどの度胸はありませんよお。盗みとか密輸とかはしてますけどぉ……アバドンのように騒ぎを起こすなんてことは」
「そうか。ではビル内を探っても問題ないな?」
「いえ、それはちょっと……上司に聞いてみないと。私だけじゃ許可は出せませんねえ。本部ならまだしも、支部に皇帝軍が欲するような情報は……」
ルチアノさんはまだか?
意外とセキュリティ解除に時間がかかっているのかな。
「ま、いいです。処分します、か」
――殺気。
メランクが少し悩んだ後、それを発した。
奴の姿が消えると同時に戦闘姿勢に入る。
背中に気配。
「お……っと!?」
「やはり転移魔導か。想定済みだ」
奴のナイフが俺の背中に突き刺さっていた。
だがダメージはない。
服の内側に仕込んでおいた影の鎧。
強度を上げた影が刃を阻んでいた。
奇襲への対策は十分に練ってある。
「ふう……銅色の徽章だから舐めてましたよお。嫌ですねぇ」
再びメランクは転移して距離を取る。
転移系の魔導は厄介だ。
急に背後を取られるし、攻撃も当たらない。
だけど回答は用意してある。
皇帝軍以外にも魔導の使い手はいる。
制圧手段は用意しておくべきだ。
アバドンにも魔導使いがいるらしいしな。
「暗闇――闇壁」
「む」
俺の意志と共に、周囲の闇が凝縮される。
二人を囲むようにして立ち昇った闇の壁。
「転移魔導の仕組みは、点と点を結ぶこと。
指定した座標を目視してマーキングできなければ転移はできない。このフィールド内では、常に空間が流動している。お前は転移するための座標を打てない」
水が流れるように、闇もまた流れる。
ここは流れる闇のプールみたいなものだ。
特定の座標というものが存在しない。
「ふ……ふふふっ! はははっはっ!
ああ、なるほど。おもしろい。さすがは天下の皇帝軍。転移の魔導もお見通しです、か。
ですがね……私は普通に戦っても強いのですよ?」
メランクは不敵に笑って刃物を構える。
憎たらしい顔だ。
「ほうら」
懐から取り出された複数のナイフ。
鋭利な刃先が投擲される。
前方に靄を展開してナイフを阻む。
メランクは素早く動き、側方へ跳んでいた。
華麗なステップを踏んで距離を詰めてくる。
「!」
撃ち込まれた回し蹴り。
加速して回避。
足元はすべて影。
自由自在に速度補正をかけられる。
体術もやはり得意なようだ。
だが、魔導を使えない状況では俺の方が有利――
「氷牙」
ふと、メランクが意味不明な文字列を囁いた。
肌が痛い。
全身が寒気に粟立つ。
これは……なんだ!?
急に明るくなった上方。
「……は、氷!?」
巨大な氷塊が浮かんでいた。
転移魔導じゃない!?
まさか複数の魔導を保持しているのか!?
「ふふっ……」
降ってくる氷に対して、俺は反射的に影を展開した。
こんなデカい氷を受け止めきれるかわからないが、とりあえず靄で防ぐ。
前方のメランクへの警戒も忘れない。
圧倒的な質量。
だが、靄ならば受け止めきれるはずだ……!
「う、おおおおおっ!」
全力で展開。
靄が氷塊を受け止めている間に、俺は氷の下から逃れる。
……待て。
メランクはどこに行った?
靄を解除し、氷塊を地面に落とす。
凄まじい衝撃と共に氷の破片が散った。
相手の居場所がわからない以上、衝撃を起こして攪乱した方がいい。
「座標がないなら、作ればいいのです。たとえば氷とか」
落下した氷の真上に、メランクは佇んでいた。
……そうか。
わずかな氷の破片でも、固定された座標になり得る。
あの破片の間を奴は転移できるようになったのか。
「魔導を二個も持っているのか?」
「いえ? 転移は魔導ですが、氷は魔術ですよぉ」
「まじゅつ……?」
聞いたことのない言葉だ。
リリスフィスに伝わる秘特技術か?
警戒しながらメランクを見据えていると、急に奴の表情から余裕が消えた。
「キルシャ上等兵、でしたか。あなたとの時間は楽しかったですよお?
でもぉ……ここまでのようです」
闇が割れる。
周囲に巡らせた闇に罅が入り、姿を現した女性。
「ルチアノさん……!」
「すみません、遅くなりました。実を言うと自販機でジュースを買って休んでいたんですが。
……一応メを残しておいて正解でしたか」
そう言うとルチアノさんは白い小石のような物を拾い上げた。
「元帥ですか。ずいぶんと大物が来ましたねえ?」
「なるほど。相対的に言えば、あなたは小物ということですか。
ふっ雑魚め。ざーこざーこ」
「ええ、仰る通り。ここまでの大物が来るほど、支部に大切な情報はないはずですが」
「そんなことはありません。実に有益な情報が掴めました」
メランクは驚いたように目を丸くした。
驚愕の表情が道化の衣装によく似合っている。
「へえ……まあ、いいです。私は逃げますので、どうか追ってこないでくださいね? 盗んだ情報とやらは差し上げますので」
額に冷や汗をにじませつつ、メランクは転移した。
遠くの高架橋に奴の姿が小さく見える。
「追いますか?」
「いえ、結構です。私たちの目的は書類の奪取。
目的は達成しましたので、素直に引き上げましょう。残業は嫌です」
「わかりました」
ルチアノさんの手にはファイルのようなものが。
これが目的の書類か。
「しかし、よくやりましたね。私の休憩が終わるまで耐えるとは中々」
「危うく死にかけましたが。あ、そうだ。
ルチアノさんは魔術ってご存知ですか?」
「……どこでその名を?」
「さっきリリスフィスの男が氷を作って、これは魔術だとか言ってたんです。転移系の魔導ではないですよね」
まだ足元には氷の破片が散っている。
ルチアノさんは破片を拾い上げて眺めた。
きらりと闇の中に光る氷。
「魔術はリリスフィスが扱う禁術です。戒律の『魔導に敬意を払うこと』に反する、邪なる禁忌。あの男が戒律違反しているのであれば、やはり追って捕まえればよかったですね」
もうメランクは捕捉できないところまで逃げている。
今から追っても無駄だろう。
禁術か……たしかに一般人が使えたら危なそうだな。
「……いいでしょう。次に遭遇した場合は捕まえます。
任務も終わりましたし、帰りましょうか」
「はい。お疲れさまでした」
「ああ、帰る前に寄りたい場所があるんです。構いませんか?」
「大丈夫です。どこに行くんですか?」
「来ればわかります」
ルチアノさんは車に乗り込んだ。
俺も助手席に乗り込む。
この人、ちょっと運転が荒いんだよな……




