2. 責任の所在
今日もパトロールに向かうために寮を出ると、奇妙な人と遭遇した。
前を歩いていたリラが急停止する。
無地の仮面を被った女性だ。
夜闇の中で、虹をまぶしたような白髪が輝く。
仮面の隙間から見える翡翠の瞳孔がこちらを覗いていた。
軍服は着ていない。
灰色のローブを着ているが、徽章はつけていた。
徽章の色は……赤!?
元帥だ!
「お、お疲れ様です!」
俺は急いで端に避けて道を開ける。
リラも慌てて横に避けた。
しかし、その元帥は動かない。
じっと俺たちの方を見つめて沈黙していた。
気まずい静寂に、リラが口を開く。
「ブランカ元帥。なにかご用ですか?」
この人がブランカ元帥か。
ホルスト元帥と共に治安維持軍を管轄する人だ。
「……」
ブランカ元帥は俺の前に立つ。
頭のてっぺんから、つま先まで何度も観察されている。
……なんだ?
この人は何がしたいんだ?
やがて元帥は親指を立てて寮の外へ向ける。
そしてただ一言、言い放った。
「表に出ろ」
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俺は強引に連れて行かれた。
理由を聞いてもブランカ元帥は答えない。
治安維持軍の区画を出て、中央の城へ。
リラも困惑した様子でついて来ている。
この後パトロールがあるんだけど、どうしよう。
皇帝陛下が住まう中央の城は、滅多に立ち入る機会がない。
訓練兵たちはここで訓練しているが城の中まで入ることはできない。
通行許可証を持っていないが、ブランカ元帥と同伴ということで通してもらえた。
到着したのは「談話室」と書かれた部屋。
皇帝軍の人たちが楽しそうに雑談していた。
ほとんどの人が金色の徽章……准尉以上の階級だ。
彼らはブランカ元帥に引っ張られる俺を見て、ぎょっとしていた。
「座れ」
首根っこを掴まれ、ソファに転がされる。
座るというか横転させられた。
「な、なにするんですか……そろそろ目的を教えてもらっても?」
首がいてえ。
痛みに悶えながら身を起こした。
ブランカ元帥は棚の上に置かれた板を持ってくる。
これは……ボードゲームか?
たぶん談話室で暇つぶしに使われるやつだろう。
『チェス』と呼ばれるボードゲームだったはず。
学校に通ってたころ、友達と何回か遊んだ。
「始めようか」
「……はい?」
「先手は譲ろう。リラ、彼が不正しないか監視を」
「は、はい? ……はい!」
唐突な展開に理解が追いつかない。
リラも同じように困惑していたが、とりあえず元帥の命令に従うらしい。
それなら俺も……ええと、チェスの相手になればいいのか?
別に不正なんてしないけど……忖度して負けた方がいいんだろうか。
それにしても、本当に意味がわからない。
この人は何がしたいんだろう。
「で、ではお言葉に甘えて。先攻でいきます」
頭を疑問符で満たしながら、俺は駒を動かした。
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結果は惨敗だった。
忖度とかそういう次元じゃない。
本気でやって手も足も出なかった。
「ふっ……ただの雑魚か」
ブランカ元帥は満足したようだ。
カルマチェスなんて数回しかやったことないし、元帥が熟練者なら負けるのも当然だ。
さて、そろそろ俺をチェスに誘った理由を聞かせてもらおう。
「ブランカ元帥。どうして俺に勝負を挑んだのですか?」
「…………」
彼女は腕を組んで黙り込んだ。
隣のリラに目をやるが、ぶんぶんと首を横に振られた。
「この区画は許可証のない者は立ち入り禁止だ。速やかに立ち去るがいい」
「……え」
またしても元帥は理由を答えない。
それどころかさっさと帰るように促した。
強引に俺を連れて来ておいて、それはちょっと……理不尽というものでは?
パトロールの仕事もサボった形になる。
「いや、あの……せめて理由をですね」
「立ち去れ」
「…………」
なんだこいつ。
いくら偉いからって限度があるんじゃないか?
俺の怒りを感じたのか、リラが手を引く。
「イージャ、いいのよ。ブランカ元帥はこういう人なのでしょう。
早く任務に行くわよ」
「あ、ああ……そうだな。
……ったく、よくこんな人が元帥になれるよな」
「!? ちょ、ちょっと失礼でしょ!?」
去り際、本音を呟いた。
ブランカ元帥に聞こえただろうか。
別に聞こえててもいいけど。
説明義務すら部下に果たさないのは、上司として問題がある。
……というか遊びたかっただけなんじゃないか?
だが、ブランカ元帥は俺の悪態を聞いて笑っていた。
いや、笑っているように空目したのかも。
改めて確認すると無表情に戻っていた。
「イージャが失礼しました」
「……イージャか。そうか。
あの男はイージャというのか」
俺は苛立ちを抑えて談話室を後にする。
リラは恭しく元帥に頭を下げていた。
あいつ……ホルスト元帥には無愛想なのに、ブランカ元帥にはへりくだってるよな。
普通は逆だろう。
「おい、行くぞ」
ここは立ち入り禁止なんだろう?
ブランカ元帥のお望み通り、さっさと消えないとな。
「はあ……本当にきみは。沸点が低いわね」
「あんなことをされて怒らないのが不自然だろ」
一から百まで意味不明な時間だった。
今度ブランカ元帥を見かけたら逃げよう。
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数日後。
ホルスト元帥と話し合う機会があったので、ブランカ元帥について聞いてみた。
「なるほど。彼女はそういう人だ。個人的な感情は仮面の裏に隠し、何を考えているのか標榜しない。私も堅物などと揶揄されるが、彼女ほど感情の機微がないわけではない。
まあ……あまり気にしないように」
「わかりました。ただ、仕事に支障が出るのは困ります」
「そうだな。ブランカ元帥には私から注意しておこう。
さて……イージャ。仕事には慣れたか?」
皇帝軍に入ってから二週間ほど。
最初にアバドンと遭遇して以来、目立ったアクシデントはない。
力も確実につき、魔導の応用も広げられているように思う。
「はい、順調です。先輩たちも優しくて、すごくいい職場ですね」
「重畳だ。しばらく巡回を任務としているが、そろそろ別の任務も出したい。
ただし……今後の『迎撃戦』を生き延びたらの話だ」
「迎撃戦……そういえば準備が進んでいるそうですね。外敵を倒す戦いだとか」
「ああ。明日の学科で外敵に関する説明がある。
……イージャ。本音を言えば、私は君に死んでほしくない」
それは当然のことだろう。
部下に死んでほしいわけがない。
ただ、ホルスト元帥が言っているのはそういう意味じゃないだろう。
元帥は書類に滑らせていたペンを止め、ぼやくように語り出す。
「君がアバドンに襲われ、友を殺されたあの日。私は君の瞳に濁りをみた。
少しでも私が早く駆けつけていれば。イージャは今も幸福な一般人だったに違いない。
だから、生きてほしいと思うんだ」
「……ホルスト元帥のせいではありません」
「君は何度もそう言う。だが、それは君の意見だ。
客観的に見れば私の責任なのだよ。世間からの評価、軍としての評価……そして自分自身の意志によれば、私はあまりに愚鈍だった。助けることができなかった」
まったく関係のない事件……たとえば放火事件があったとしよう。
消火が遅れて、死人が出た。
それは消防の責任か?
違う。放火魔の責任だ。
けれど、世間では消防のせいだと言う人もいる。
俺は同じことだと思っている。
全面的に悪いのはアバドンだ。
だけどホルスト元帥を責める人もいる。
「今、ホワイトから訓練を受けているそうだな」
「はい。ホワイトさんだけじゃなくて、ジーラさんや、ソウルさんからも指導を受けています。リラは指導を受ける気はないみたいですけど」
リラの魔導は純粋な強化能力。
俺の魔導のように、応用を考えることは難しい。
だから訓練も不要だという結論に至ったそうだ。
「――私が訓練に付き合おう」
「……え?」
「明日の講義を受けてから、私が指導を行う。迎撃戦で生き残るために、あらゆる知恵と能力の伸長を試みる。
私は……君と共に任務を行い、生きたい。その未来を掴むために」
願ってもない展開だ。
ホルスト元帥が俺を鍛えてくれれば……さらに高みを目指せる。
魔導だってかなり使いこなせるようになるはず。
「ですが、元帥はお忙しいのでは?」
「時間は作る。それくらいの融通が利かないほど、皇帝軍はブラックな職場ではないからな」
「わかりました……! ぜひお受けしたいです!
よろしくお願いします!」
「ああ。よろしく頼む」
いつも動かないホルスト元帥の表情が、わずかに綻んだ。




