1. 予兆
――"将来の夢はなんですか"
漠然とした問いだ。
ついでに世界一くだらない問いでもある。
未来のことなんてわからないだろう。
「…………」
進路調査票を前に、俺はペンを転がした。
進学か、就職か、ニートか。
なんだっていいさ。
どうせいつか死ぬんだから。
空欄のまま時間が過ぎ去っていく。
この教室の中に、進路を明確に定めた者がどれほどいるのだろう。
たとえ進路が決まっていたとして。
断固たる意志のもとに道を決めてる奴なんていないはずだ。
高校生になって、何もかも忘れてしまった。
子どものころの夢はなんだっけ。
「……」
窓の外を眺める。
ガラスには黒髪、黒瞳の少年が映っていた。
相変わらず冴えない顔してんな、俺は。
ふと、目の端にちらりと何かが止まった。
……クモの巣。
クモの巣に、ハエが引っ掛かっている。
ハエはじたばたと暴れているが逃れられず。
クモは糸に伝う振動によって獲物を感知した。
「……」
ああ、ほら。
がんばって逃げろよ。
うるさいハエとは言っても、こんな死に際は可哀そうだと思う。
逃がしてやりたいけど窓の外にある光景だ。
手を伸ばしてもガラスの壁に阻まれてしまう。
俺は観測することしかできない。
――モワモワ。
「っ……?」
急に視界がくらんだ。
身体に奇妙な浮遊感を覚えて、視界に一瞬もやがかかる。
数秒耐えると収まったけど。
なんだったんだ?
まさか若年性の脳梗塞じゃないよな。
たまにあるんだよな、これ。
「おい、イージャ? 聞こえてる?」
「ん?」
ぽん。
肩を叩かれた。
イージャ……自分の名前を呼ばれて、俺は振り向いた。
「調査票、前に回して」
「あ、もう時間か」
ぼんやりしていたら、いつの間にか刻限が迫っていた。
もうみんな進路調査票を書き終えて、前に回しているらしい。
俺は白紙のまま。
適当に進学に丸をつけて、理由を問う項目は空欄で。
紙を前の席に回した。
「それじゃ、今日は終わりだ。土日もサボらず勉強しろよー」
担任がアンケートをまとめて帰る。
クラスのみんなも席を立ち、教室にはざわめきが広がった。
やっと長い一日が終わったんだ。
この後は……友達と遊ぶ予定が入ってたな。
待ちに待った休日。
こうして平日と休日とを繰り返して、未来のことはわからずに。
ただ無為に生涯を終えるのだろう。
---
まもなく夕方になる。
約束の時間には少し遅れてしまいそうだ。
学校の外に出ると、涼やかな風が吹き抜けた。
待ち合わせ場所は近くのデパート。
みんな時間には厳しくないから、そこまで遅刻しても怒らないと思うけど。
走って行くか。
明日と明後日は休日だし、夜遅くまで遊ぼうかな。
息を切らして走ること五分。
ようやくデパートの入り口に到着した。
「おーい! イージャくん、こっち!」
少女が俺を呼ぶ。
肩のあたりまで伸ばしたブラウンの髪。アメジストのような瞳。
幼馴染のハピだ。
「悪いみんな。遅くなった」
「イージャが遅いなんて珍しいな。何かあったのか?」
「私よりも遅いなんて……すごい……」
ハピの後ろに二人、また友人がいる。
一人は金髪の少年。
切れ長の瞳に、整った顔立ち。
まあ俗に言うイケメンってやつ。
彼の名はザガリス。
こいつも幼馴染で、毎日のように学校でも馬鹿騒ぎしてる悪友。
イケメンのくせに性格がいい。
もう一人は緑髪の少女で、よく日焼けした健康的な少女。
名前はトワコ。
俺、ザガリス、ハピの三人でよく遊んでいたのだが、中学の時に仲よくなった。
かなりマイペースな性格で、神出鬼没。
こうして俺の方が遅刻するなんて、かなり珍しいことだ。
こうして男女二人ずつ、四人でいつもつるんでいる。
ちなみに恋愛感情はみんな持っていない。
「工事で回り道しなきゃいけなくて。遅れて悪い」
「そっか。まあ仕方ないよ。とりあえず買い物してくぞ。ハピが買い物したいってうるさいからさ」
ザガリスはそう言って、俺の遅刻を当然のように許してくれた。
この優男め。
「ああ。遅れたのも悪いし、ジュースくらいならみんなに奢るよ」
「え、ほんと!? イージャくんナイスー!」
「嬉しい……」
そんな他愛もない会話をしながら、俺たちはデパートの中に入って行った。
---
一時間後。
もう外は真っ暗だ。
都市の電光が眩しい。
俺は終わらない買い物に付き合わされていた。
前には楽しそうにショッピングするハピとトワコ。
男組はいつも後方で雑談しながら過ごしている。
あいつらの長い買い物には慣れたもので、そこまで苦痛は感じていない。
それにしても、あれだけ買う金はどこから来てるんだろうか。
そんなことを考えていると、ザガリスはひそめた声で耳打ちしてきた。
俺の返答も当然小声になる。
「イージャさ、アレ用意してる?」
「アレって……ああ、トワコの誕プレ? それが悩んでてさ、今度お前と一緒に買いに行きたい」
「オーケー。できればハピも連れていきたいけど……ハピはすぐに口を滑らせるからなあ」
もうすぐトワコの誕生日だ。
彼女は普段あまりしゃべらないし、欲しい物とかも言わない。
だからこそ何を贈るべきか悩んでいるのだ。
去年は何を贈ったんだっけ。
「俺は何を贈るか決めてるんだけど、どうせイージャはまだ決めてないだろうと思って、それで……」
ザガリスの声が聞こえなくなった。
いや、違う。上書きされた。
彼のパクパクと動く口とは裏腹に、声がまったく鼓膜に届かない。
代わりに届いたのは……爆音。
――ドォオオオッ!!
デパート全体が揺れ、パラパラと石礫が舞い落ちる。
それが爆発だと知覚できたのは、数秒後のことだった。
「なんだ……!?」
「ハピ、トワコ! こっち!」
俺が狼狽えている間に。ザガリスは二人を引き寄せる。
周囲の人も状況を把握し始めたようで、どよめきが大きくなっていく。
冷や汗が滲む。
何かの事故で爆発が起きたのならば、まだいい。
だが、もっと最悪な事態を想定しなければならない。
デパートの上階……ひとつ上の階層から悲鳴が上がる。
響いた銃声。ああ、最悪だ。
「ハイハイ、聞こえますかァーッ!?
このデパートは『アバドン』が占拠したァ! 全員動くなぁ!
動いた奴からぶっ殺していきまァァす!!」
拡声。怒号。
吹き抜けの向こうに立つ不審者たち。
ざっと数えて四人は見える。
全身を真っ黒な装束で包み、顔には無個性のフルマスク。
まるで映画に出てくる悪役そのもの。
しかし、彼らは本物の『悪』だ。
――反政府組織『アバドン』
要するにテロリストだ。
「どうする」
俺は背後の三人に目配りする。
ハピは怯えていて、まともな意見が出せなさそうだ。
ザガリスは深く考え込んでいる。
一番以外なのは、トワコが口を開いたこと。
「このままじっとして、皇帝軍の到着を待つ。それまでに危機的状況に陥ったら、なんとかして逃げよう」
世界を統治する皇帝軍が来れば、俺たちの安全は約束されたようなものだ。
しかし、それまでが長い。
アバドンの奴らが何をする気なのか、まったく不明だ。
それに皇帝軍が到着するまでの時間もわからない。
耐久できる自信はあるのか?
ただここで待つだけで、救われるのか?
考えている間にも、アバドンは俺らを誘導して一箇所にまとめていく。
小柄な男がこちらにも向かってきた。
「おいお前ら、こっちに来い。一か所に民間人を集める」
俺たちは頷き、黙って彼らについて行った。
今は従うしかない。
四人のアバドンに包囲されている現状。
抵抗できないことは火を見るよりも明らかだ。
俺たちは中央の広場で座らされ、ひと通り民間人は集め終わったようだ。
最初に拡声した男……リーダーと思わしき奴が、俺たちに告げる。
「いいかァ、これは陽動だ! アバドンの本隊が、別の街でドンパチやる。その間、俺たちはここで小さい騒ぎを起こして、皇帝軍を少しでも惹きつけようって魂胆だァ! つまり、何が言いてェかっつーと……お前ら、大人しくしてろぉ? そしたら命だけは助かるからよぉ!」
……助かった。
このまま大人しくしていれば、命までは奪わないらしい。
最悪な事態に巻き込まれたが、それでも希望は見えた。
まったく……本当に迷惑な奴らだ。
よくニュースで『アバドンがテロ事件を起こした』なんてテロップが流れるが、まさか俺の身に災いするとはな。
どうして無駄な争いを起こすのか、まったく理解できない。
普通に暮らしていれば、普通に幸せな日常が遅れるのに。
安堵したのも束の間、男が叫ぶ。
「……あぁ! でもなァ、見せしめに一人くらいは殺してやってもいいなァ。
俺たちは本気だってことを、皇帝軍の奴らに示すためにもな。
だーれに、しようかなぁ……っと。おい、立て」
――立て。
そう言って指名されたのは、俺だった。




