第三話:ちず
晴れた空から降り注ぐ光。晴天の空。
今日も今日とて匁は縁側でひなたぼっこをして、いないかった。
普段であればしているのだが、今日は気持ち良い日光を背に、真剣な表情で鉛筆を手に、ちゃぶ台に向かい、唇を尖らせ凄く集中している。
視線の先には紙が一枚。そこに手にした鉛筆を走らせる。という程の速さでかいている様子では無いが、一生懸命に何かをかいていた。
それは何かの絵の様だが、大きく描かれた楕円だと思われるものの周りに色んな物がくっついているといった感じの絵。
その絵の上には平仮名で【ごじゆうがいむら】と書かれている。
―――出来た!
と、完成したみたいで匁は満足げに書いていた紙を手に取り掲げる。
ふと、そんな匁の耳に縁側の方からコトンという音が聞こえる。
振り返る匁の視界には日の光に当たりキラキラとまるで銀世界を思わせる様な輝きの髪と、いつも着ていたみすぼらしい服では無く、綺麗な白の着物を着ている紅白の姿。
紅白は縁側に置いた大桶の中から洗ったのであろう衣類を取り出し、縁側の外れへと向かっていく。
そこには物干し竿があるというのを知っている匁はお洗濯だと気付き、一緒にやろうと立ち上がる。が、ふとある事を思い出す。
それは一昨日と昨日の事。匁がいつものようにご飯を作ろうとしたりしていると自分がやるのでと紅白がやって来たり、だったらとお風呂を湧かしていたらそれもやると言ってきた事を。
それを思い出し、匁は紅白は家事が好きなのかな? と結論に至る。
じゃあ好きならやらせてあげようと思う匁だが、そうすると今、自分がやる事が無いと悶々とする。
うーんうーんと考える匁。と、ふと頭に名案が浮かぶ。
それは、縁側から物干し竿までの間を手渡ししてお手伝いをするという案。
そうと決まれば早速と匁は縁側から降り、洗濯物を一つ手に持つと小走りで紅白の方へとやって来る。
紅白は洗濯物のシワを伸ばして干しており、匁はその終わりを待つ。
そうして紅白が干し終えて視線を洗濯物から外した際に匁は「はい」と洗濯物を前に。
すると紅白は無意識で「はい」と洗濯物を受け取り物干しに掛けていく。
そのやりとりが今ままでになかったため、もう一回、もう一回と、少し楽しくなってきた匁はもっとやりたいと小走りで往復する。
繰り返しの流れ作業だが、匁は楽しんでいた。
そうして最後の一枚を手に紅白の元へ。
「はい、これで終わり!」
「はい」
匁の言葉に紅白がそう返すのを聞いて、匁はすっきりした様な表情で縁側へと戻っていく。
だが、紅白は今までとは違う言葉にふと手が止まっていたが、匁はそんな事は気にせずに大桶を両手で持ち、元々あった風呂場へと持って行き壁へと掛ける。
紅白のお手伝い楽しかったなぁと思う匁。と、ある事を思い出す。
「そういえばアレ急いで渡さなきゃ!」
そう言うとトンッと跳ねるように床を蹴る。
すると匁の姿が光の粒子のようになって消える。と思いきや、屋敷の廊下に光と共に現れ、また跳ねては消え、また別の場所に現れてを繰り返し、ちゃぶ台の上から先程何かをかいていた紙を取ると、同様に跳ね、紅白の傍へと現れる。
紅白は丁度最後の洗濯物を干してシワを伸ばしていて匁には気付いていなかった。
その様子を見ながらこれ喜んでくれるかなと少しわくわくしながら終わるのを待つ。
と、干し終わった様子で体ごとこちらを向いた紅白と目が合い、紅白はビクリと体を強ばらせる。が、匁は渡したい気持ちが強く、振り向いた紅白に対して先程持ってきた紙を渡すために「はいこれ」と勢いよく紙を前に出す。
それにまたもビクッと反応する紅白。しかし、受け取れという意味だろうと考えた紅白はその紙を受け取る。
それを見てゾクッとする。
描かれているモノは何かの生き物か、もしくは何か強力な呪術式かと思う紅白。
私に渡すとしたら後者かと理解した瞬間、紅白は少しでも信頼していた自分が馬鹿だと思い悲しくなるのと同時に、急にこれを渡すなんて私は何かしたかと思い、ゾッとし、匁の方を―――
「どう? どう? 紅白がね、分かるように、この村の地図書いたの! そうした方が良いって河兵衛に言われたし」
「えっ」
予想した事と全く違った言葉に紅白は一瞬固まるが、再度、匁曰く地図という物へ目を向ける。
どこがどこでどうなっているのかよく分からないその地図。
真ん中が迷家なのか、それとも別の場所なのか。
全く分からないが、そう言われて右上に描かれている文字は謎の言語では無く【ごじゅうがりむら】と書かれているのだと理解はする。
「それでね、今日どこ行きたい?」
と、地図を見ている紅白に匁が目を輝かせて問いかける。
それはもう、案内するよと気合いを入れているのが分かるくらいの表情で。
「えっと、その、ここ、ですか、ね?」
気合い十分な主の表情に今いるところがどこなのか聞けず、紅白は恐る恐ると指す。
そこは楕円形から左の方へ飛び出してる棒の先に付いている円。近くにはカニのはさみかギリギリ猫とも見て取れるような物が書かれている。
凄くドキドキしている紅白。と、紅白の指した場所を見た匁は「おー」と感心する。
「そこね、行くの久々!」
「そ、そうなのですか?」
「うん!」
匁は元気に頷く。その様子を見て紅白は指した場所はこの前行ったところや、迷家で無かった事に良かったと安堵する。
すると安堵した紅白の手が握られ、その方へ視線を向けると。
「じゃあ、行こ!」
やる気満々な匁が笑みを浮かべ、紅白が何かを言う前に出発する。
その力は匁の見た目からはとても想像できない程の力で、走る速さも早く、紅白は手を引かれながら、飛んでいないのにも関わらず地に足が付かない程であり、不安定な浮遊感を感じ、実家で今まで受けていた罰以上の恐怖を感じ目に涙を浮かべつつ、迷家を後にした。
それから数十分後。
「うう、ごめんね」
「あ、あの、気になさらずに。私は大丈夫ですから」
紅白と手を繋ぎながらではあるが、出発の時とは様子が違い、どんよりと項垂れながら道をとぼとぼ歩く匁と、その匁をなだめながら匁の歩幅に合わせ歩く紅白の姿がそこにはあった。
何故匁がこんな事になったのかと言えば、目的地に行くために一旦村の中腹まで行く必要があり、そこまで行った際に、丁度村で獲った魚を売っていた河兵衛に止められ、半泣きで白い顔が更に血の気が引いて青くなっていた紅白の様子を見せられながら説教されたが故に。
悪いのは匁なのだが、何か居心地が悪いと、このままではいけないと紅白は口を開く。
「家主様が私のために頑張ろうとしてくれたのは伝わりましたし」
「そう?」
「はい」
返答し、匁の方を向いた紅白。それは咄嗟にだったが自然とした動作。
だが、紅白の目に映るのはキョトンとしたような表情で自身を見ている匁。
それに対して紅白は何かやってしまったかと思うが、何も心当たりがない。
「紅白、笑った」
「え?」
予想外の言葉。
―――笑った……? 私が……?
予想外の答えに呆然としつつ顔に手を当てる紅白だが、ハッとし徐々に青ざめる。
主に対して笑みを浮かべるなど、今までであれば叩かれていた事だ。
「ねえねえ、もう一回笑ってみてー!」
だが、謝罪をしようとした紅白の耳に聞こえたのは、無邪気な、それでいてどこか興奮しているような匁の声。
期待に目を輝かせた匁が紅白を見ていた。
「あの、その」
だが、そんな事を言われた事も、そんな眼差しで見られた事も無い紅白はどうして良いのか、どう返答すれば良いのか分からず言葉が詰まる。
とりあえず、
「こ、こうでしょうか?」
そう言ってぎこちなく口角を上げる。
だが、明らかに違くらしく
「えっとね、もっとこうね、んふーって感じ!」
と匁がお手本とばかりに、にこーっとするがそれも少し違う感じではある。
それを見様見真似で紅白も表情を変えるが、いつも意図的に表情を変えない事はあるが、変える事は無いため、ぎこちなくなり、それに匁もこうだよと徐々に表情を変えていく。
「む? そこにいるのは、家主殿か?」
そんな事をしている二人の後ろから声が聞こえ二人が振り返ると、そこには凜とした表情の女性が一人。荷物を手に立っているが、その者の頭には立派な角が生えている。
「あ! 東雲だ! こんにちはー!」
そんな女性に匁が手を上げて挨拶をすると、「ああ、こんにちは」と女性、東雲が返す。
「それで、そちらは?」
東雲が紅白の方へと向く。
その眼光に少しビクリとするが、一呼吸し、
「申し遅れました。お初にお目にかかります。家主様の元で使用人をさせて頂いております。紅白と申します」
「ほう、貴殿が噂の家主殿の使用人か。私は東雲という。この先にある城にて主の侍女をしている。紅白殿、以後、よろしく頼む」
雰囲気的に固い挨拶が終わり、東雲の視線は匁の方へ。
「それで、家主殿達はここで何をしているんだ?」
「笑顔の練習!」
「……笑顔の練習?」
「うん!」
どういう事だというな表情をする東雲に元気に首を縦に振る匁。だが、ふと当初の目的を思い出し違う事に気がつき「あ! 違うや!」と訂正。
「あのね、今ね、紅白に村の事教えてて、それで今からお城に行こうと思ってたの!」
「ほう、そうなのか」
「うん!」
「そうだな。邪魔で無ければ私も一緒に向かっても良いか? 丁度戻る所だからな」
「いいよ~!」
あっさりと承諾を得て東雲は匁達と共に行く事に。
そうして歩き始めて数分。
「家主殿、少し聞きたい事があるのだが」
「なーに?」
返答した匁が向くと、東雲は姿勢を下げて耳打ちする。
「紅白殿が手にしている紙は一体なんだ?」
「う?」
そう言われ匁が向くと、確かに匁と繋いでいない方の手には紙が。
ただ単に渡されてすぐに出発したために家に置いてくる暇も無くどうしようかと紅白が持っているだけなのだが、匁はそれを見て何か気に入ってくれたのかと嬉しくなり、元気に東雲に報告する。
「あれね、僕が描いた地図だよ!」
「ほう、家主殿自らが?」
「うん! 紅白のために描いたの!」
「それは凄いな。良かったな紅白殿」
「え? あ、はい」
この地図の初見が呪物だと思い、一瞬でも主を勝手に裏切り者だと思った紅白だったため、歯切れの悪い返答をしてしまう。まあ、不意に話題を振られたというのもあるが。
と、その返答を聞き、東雲は首を傾げ、ふと口を開く。
「紅白殿、その地図を見せて頂いても良いか?」
「えっ」
「ああ、すまない。家主殿から渡された大事な物であるというのに家主を通さずという訳にはいかんな。という事で、家主殿見ても良いか?」
「うん! 良いよ!」
匁の返事を聞き、「では」と手を伸ばす東雲。
それに紅白はどうぞと地図を手渡すと、東雲は受け取り目を通す。
その絵の迫力に魅入られて数秒。
「や、家主殿。元からいる者であれば分かるとは思うが、初めての者でも見て分かるように描かなければちょっとこの地図は難しいと思うぞ。よ、良く、描けてはいると思うが」
最後褒めるとき、若干目が泳いだ東雲。
と、そんな東雲に匁は首を傾げて「ちゃんと分かるように描いたよ」と東雲から紙を取る。
「ここがね、鬼さん達がいるお城だから鬼さん描いてね、ここがねカンカンカーンって電車が通るところでね、ここはね霧がいっぱいあって見えなくてね、ここはね白面のところでね、ここはねお魚さん獲ってる河兵衛がいるから河兵衛のお家でね、ここはお米いっぱい取れるからお米描いたから田んぼでね、僕のお家にはちゃんと分かるように僕のお家って書いたよ!」
指を当て説明する匁。
どうやらカニのはさみのような猫のようなあの絵は鬼の事であったらしい。そして匁が説明していない楕円の三分の二はなんとなく村の中央だと理解し、紅白はとりあえずこの地図の見方が分かった。
「はい」
と、匁が紅白へ紙を渡す。
それを受け取る紅白。だが、しまうところが無いため手に持つしか無いが。
「まあ、説明されれば分かるな。まあ、良いか」
とりあえず納得した東雲。
そうして、再び三人は歩き出す。
数分して皆の視界に天守閣が見えてくる。
「あ! あそこだよ!」
見えてきた天守閣を指し示し匁が紅白に言うと、「立派ですね」と天守閣を見上げ紅白は返す。
それに対して匁は「でしょー」と胸を張る。
「本当にな。妖怪が城を作るというのも聞いた事は無いが、ましてやそれを主となる妖が住まう物にせずに外から来た者にあげるなど。全く、家主殿達からの鬼達への贈り物だと妹から聞いたときは目だけでは無く、耳も疑ったものだ」
少し苦笑い交じりに言う東雲に、反射的に「そうなんですか」と返答する紅白。
だが、匁達が作ったという言葉がスッと抜けずに引っかかり「え?」と立ち止まり東雲の方を見たが、既に彼女は数歩先を歩いている。
「あれ? 紅白、どーしたの?」
「あ。いえ、何もありません」
そうして進んでいくと、見えてきたのは道の左側に長く続く塀と本丸の屋根。そして城の反対側。道を挟んで向かい側には瓦屋根の家々が並ぶ、まるで江戸の時代劇の町を思わせる場所。
そこでは何やら世間話をしている者や商売をしている者など様々な者がいる。
だが、そこに暮らしているであろう者達はほぼ全員頭には角が生えており人間では無い。鬼だ。
三人が塀に沿うように続く道を歩いて行くと、お城の門に辿り着く。
「おお! 東雲様、お帰りだべ」
そこには普通に鬼と言われてイメージするような筋骨隆々な巨漢がおり、肩に荷物を担ぎ、匁達に向かい訛り口調で頭を垂れる。
と、その者に対して東雲はズイと近寄った。
「勤蔵丸? 何をしている?」
「へぇ、千苑様がお菓子が食べてぇって言ったがらよ、今から作ろうかと思って材料を運んでんだ」
「お前は今日、休みのはずだ。妹の世話など他の者に頼め」
「でも、東雲様よ。千苑様はよ、おいら以外に頼むの嫌だって言うがらよ。それにおいらが休んでるのによ、他のもん働いてるのさ頼むのもなんか悪ぃ気がしてよぉ」
「お前もその性格直せと言っているだろう。ここは昔いたところとは違うんだ。周りの奴等の事なんか気にするな」
「うぅーん、分がった。今度がらそうする。ところで、東雲様、今日は家主様達連れてどうしたんだ? 何か予定あったべが?」
「いや、そういった予定は今日は無いぞ。ただ、家主殿が使用人となった紅白殿に村の案内をしているらしくてな、丁度ここに来る途中で会ったから一緒に来ただけだ」
「んだのが。せば、もてなしさねばいけねぇな。おいら先さ戻って用意するがら、東雲様、二人んどご連れて千苑様のとこさ行って待っててけれ」
「あ、おい!」
東雲が止める間もなく、勤蔵丸は荷物を抱えたままドスドスと本丸へと入っていく。
それに対して「全くあいつは」と東雲は頭を抱える。
だが、まあ客人のもてなしが先かと東雲は紅白達の方を向く。
「二人とも私について来てくれ」
「はーい!」
「分かりました」
そうして二人は東雲の後をついて門をくぐり、本丸の方へと入っていく。
中は板張りの床。進んでいく度にこの城に勤めているのであろう者達が東雲に挨拶をしてくる。それに対して東雲は凜とした表情で返答する。完全に上下関係が存在する場だというのが分かる。
その後に続く匁の元気な挨拶によって堅苦しい雰囲気は台無しではあるが。
そうして廊下が続くように奥に進んでいくと、とある一室の前に辿り着く。
立派な襖で閉じられているそこは、明らかに主がいる部屋という雰囲気だ。
東雲はその襖に手を掛ける。
「失礼するぞ。千苑」
バッと開けられた部屋。そこでは立派に鎮座する者の姿。ではなく、うつ伏せの体勢で目を閉じ、肘置きに顎をのせている者の姿が。
その頭には勤蔵丸や東雲同様に角が二本。
「んー、んぅ? あー、勤蔵丸ぅ? さっき頼んだお菓子出来たー―――……?」
凄くのんびりしたような口調で、ゆっくり目を擦りながら開かれた襖の方へ視線を向けるその者。
だが、視界に入ったのは筋骨隆々な体躯ではなく、別の三人。
その光景に一瞬、理解出来ずにその者。千苑は一旦、視線を外し、再度見やり―――
「ね、姉様!? 何でここに!? というかなんで匁さんと、……誰?」
跳び起きて一気に言う千苑だが、見た事のない紅白に首を傾げる。
「家主殿に使用人が出来た話、滝壺殿と、あら……、や、山風殿が知らせてくれただろう?」
「え? あー、はい。確かに、言ってたね?」
それでというようにいまいちピンときていない様子の千苑。
その様子に呆れ気味に少し溜息をこぼす東雲は再度口を開く。
「その使用人様だ」
「へぇー、そうなんだ」
「うん! そうだよー!」
千苑の言葉に匁が元気に頷く。と、その横にいた紅白が頭を下げる。
「申し遅れました。私、家主様の元で使用人をさせて頂いております紅白と申します」
「え? あ、うん。よろしく……。ねえ、ちょっと、匁さん」
少し面食らった様子で紅白に返答した千苑はちょいちょいと匁を呼ぶ。
「どーしたの?」
「な、なんか思ってたのと雰囲気違うんだけど。ど、どうしたら良いかな? 失礼な事言ったりしたら暗器がシュッとかない?」
近寄ってきた匁に耳打ちをする千苑。
それに対して匁は首を傾げ、
「あんきがしゅ? んー、よく分からないけど、大丈夫だよ」
「そ、そう? なら良いんだけど……」
「そういう心配があるなら、普段からしっかりとしたらどうだ? 千苑様」
急に聞こえたもう一つの声。
その方へと二人が向くと、真面目な表情を浮かべた東雲の姿。
「いやぁ、姉様。ほら、私は勤蔵丸が来たと思ってた訳で、急に来たから私も準備が出来なかっただけで、準備が出来てればしっかり出来た訳で。そうつまり、姉様と匁さんが悪っ―――」
「アホか!」
「痛いッ!」
ポカンっという軽い音を立てて頭を叩かれる千苑。
「すまない家主殿。妹へは後でキツく言っておくので」
「別に良いよ~。僕も行くよ~って言ってないから」
謝罪を述べる東雲に返答する匁。
その言葉に「うんうん」と力強く頷く千苑。
見逃さなかった東雲にギロリと睨まれ、慌てて姿勢を正す千苑。
その姿に呆れつつ匁の方へと東雲は視線を戻す。
「家主殿、寛大な言葉感謝する」
頭を下げる東雲に「別に良いよ~」と頭を上げるように言う匁。
それに応えて東雲はしぶしぶと頭を上げる。
と、何かを思い出したように東雲は振り返る。
「千苑様、紅白殿はしっかりと自身の紹介をしたが、千苑様はしていないぞ?」
「え?」
東雲の言葉にまあ確かにと思いつつ、今更するの? とも思った千苑だが東雲の眼力に分かったよとアイコンタクトする。
「えーと、紅白さんだったよね。改めて私も自己紹介を、千苑って言いますよろし―――」
不意に東雲に脇腹を肘で小突かれ「うっ」と声を漏らしその部位を押さえる千苑。
そんな千苑に東雲は耳打ちをする。
「もっと、しっかり全部言え」
「えぇ……」
「えぇじゃない! お前はもうここの主なんだ。自覚を持ってしっかりやれ」
「……はい」
そう言われ一呼吸置き、気持ちを入れ替え千苑は再度口を開く。
「失礼。私の名前は千苑。ここ、五十がりゃりゃにゃの里の――――……なんだっけ?」
「千苑―! せめて噛むのは仕方がないが文言を忘れるな! そこは『五十刈村、鬼の里、現里長』だ!」
「あ、そうだ。ありがとう姉様」
「はぁ、今度はしっかりやれ」
「分かってるよ。さっきはど忘れしただけだから。―――という事で、私は五十刈の里長」
「違う!」
「あだ!」
そんなやり取りをする事数分。
「我が名は―――!」
「何だその言い方はー!?」
どんどん変になっていく自己紹介。本人達はいたって真面目なのだが小気味よく繰り広げられるそのやり取りを匁は笑いながら見ている。
紅白はどうして良いのか分からず匁の傍でおろおろとしている。
と、紅白達の後ろの襖が動く音でその空気が変わる。
「お待たせだべ~」
襖を開けて現れたのは、お盆に手作りのお菓子を乗せ持ってきた勤蔵丸の姿。
その姿に何が変わった訳でも終わった訳でもないが千苑はホッとする。
と、暢気に入ってきた勤蔵丸はこの場の雰囲気にキョトンとする。
「何かしてたんだが?」
「千苑のね、自己紹介してたの」
「おお、んだのが。せば、千苑様頑張ったんだべな。疲れたべから、おいらのお菓子でも食ってけれな」
そんな勤蔵丸の言葉に「いや、まだ全然出来てない」と東雲は返答しようとしたが、
「私頑張ったよ勤蔵丸ぅ! 早くお菓子! お菓子!」
「お菓子! お菓子!」
いつの間に行ったのか、勤蔵丸を囲む二人の様子に大きく項垂れる東雲。
当の勤蔵丸と言えば二人に「分がった分がった。せば、座って待っててけれな」と促す。
そうして自己紹介はうやむやになったままお茶会が始まる。
匁と千苑は勤蔵丸手作りのどら焼きをご機嫌に頬張り舌鼓をうつ。
そんな様子を勤蔵丸は気分良く見ている。そして二人の従者である紅白と東雲はそんな主達を見つつ、片やご機嫌だと思いながら、片や呆れながら見ている。
と、紅白は呆れている東雲に声を掛ける。
「あの、東雲様」
「ん? どうかしたか? 紅白殿」
「いえ、その、姉であるのに侍女というのはどうしてなのかと思いまして」
「ああ、その事か。まあ、そうだな。ただ単に千苑がここの最初の里長になったからってだけだ」
「そう、なのですか?」
「ああ、あの子は一族に捨てられ、この村に拾われ里長になったんだ」
「捨てられた? あれ程の妖力があって、ですか? もしかして、私みたいに何か」
「紅白殿の様かは知らないが、あの子は妖力はあるが、妖術が全く使えなかったんだ。それで落ちこぼれと言われて全く開花しないあの子に痺れを切らした私達の父、当時の私達一族の住んでいた場所の族長に追い出されたんだ。勤蔵丸はその時、千苑の付き人だった。まあ、勤蔵丸は出て行く必要が無かったんだが、一人は危ないだろうって一緒に出て行って、ここに辿り着いたって訳だ。まあ、妹や勤蔵丸の話を元に話してるだけだから真実は知らんがな」
「そうですか。そんな事が。それで、東雲様も?」
「いや、私は―――。いや、この話はいい話では無いからやめよう。聞きたいというのであれば話すが」
東雲はそう言って紅白を見やる。
紅白は聞きたいという気持ちもあるが、何か聞いたら後悔しそうな気もして「いえ、ありがとうございました」と会話を打ち切る。
「そうか。まあ、紅白殿の主殿は私の、いや、この里、皆の命の恩人だとは伝えておこう」
「そうなのですか?」
「ああ」
「何のお話ししてるの?」
先程まで千苑とどら焼きを食らい、最後のどら焼きを巡ってジャンケンをして一発で勝利を収め、納得出来ない千苑との三回戦も全て勝利した匁がどら焼きを手に二人の前に立っていた。
その後ろでは「幸運な妖なのに運勝負とか卑怯!」と千苑が怒っており、勤蔵丸がまあまあと宥めている。
「いや、なに。家主殿の方がうちの主様より風格があっていいなという話をしていたんだ」
「えぇ!? 匁さんより私の方が風格あるでしょ!」
東雲の言葉に反応したのは千苑だったが、そんな千苑に東雲は呆れた様子で口を開く。
「だったら、さっきの言葉を噛まずにすらすら言えるようになれ」
「うっ、じゅ、準備出来ればできるもん」
「普通はいつでも言えるようにするもんだ。全く」
「うぅ……」
「まあまあ、東雲様。千苑様も頑張ってんだがらよ」
「勤蔵丸、お前は千苑を甘やかせすぎだ。全く」
「だども」
「あ?」
「……ごめんだ」
一人で二人を沈める東雲。だが、その二人を見て東雲もまた溜息をつく。
その様子を見て紅白は東雲は凄い方だけど大変そうだなと思う。
そうして匁と紅白はそろそろ帰ろうとしてお城の入り口まで来た時、見送りに来た勤蔵丸からお土産を貰った。
それは、勤蔵丸お手製のどら焼き。
「勤蔵丸ありがとー!」
「ありがとうございます」
「なんもだー。また来てけれなー」
そうして二人は勤蔵丸に頭を下げて城を後にする。
そんな二人の姿が見えなくなるまで見送る振る勤蔵丸。
と、そんな勤蔵丸に急にしがみつく者が一人。
「助けて勤蔵丸!」
「千苑、待て! これからみっちりあの文言を暗記して貰う!」
「き、来たー! 勤蔵丸! 行って、行ってー!」
「分がったべ!」
そうして体をよじ登ってきた千苑が落ちないように押さえつつ、逃げ切れるように入り組んでいる鬼達が暮らす町の方へと走り出す勤蔵丸。
「なっ! 待て二人ともー!」
そんな二人を追いかける東雲の声は半日ほど町に反響していたという。