第二話:ごふくや
少女はいつものように薄暗い部屋の隅で膝を抱え、壁に寄り添っている。
呼ばれた時にすぐに動けるように、少女はうつらうつらしながらも起きている。
うつろに開かれた目で見るのは自身の、他の者達とは違う白く透き通るような肌の、痣や傷がある膝。そして、膝を抱えている痣の付いた腕。
そんな彼女の頭を言葉が過ぎる。
「生きておれば、いずれ―――」
その言葉が少女の頭の中を、気持ちを掻き乱す。
だが、今までの扱いに癇癪を起こす気は起きず、だが、それでも少女の心は何度も傷つけられる。
今はここにいない者の言葉に傷つく少女。
ぐちゃぐちゃな感情が渦巻く頭がとても苦しくて、少女は助けを求める。薄暗い部屋に聞こえるか、聞こえないかの声でポツリと。
「……お母さん」
少女がそう呟いた時、部屋に一筋の光が現れた。
普段であれば部屋に入り込む光に少女は怯えていたが、今日は違った。
その光はいつも見ていた冷たい日差し、ではなく障子を介し、入り込む暖かい朝日の様にただ部屋に入ってきているだけという感じだ。
そんな光は少女には眩しく見え、どこから入ってきているのかと、出所を探る。
だが、頭では分かっている。光が入るとするなら場所は一つだ。今まで背を向けていた襖。
だがそこではない方が良いと思った少女だが結局はそこしか無かったため、少女は恐怖心もあるが好奇心が勝り、恐る恐る振り向く。
キラキラと光る暖かい光が、屋敷の奥に幽閉された自分が今まで見たことも無い光が、まるで少女を呼ぶかのように輝き、動く。それはとても綺麗と表現できる。
だが、今までの経験上、漏れている光が動くというのは彼女にとっては恐怖でしか無かった。故に彼女は光の動きに体を強ばらせるが、ふと、ある事に気がつく。
音が無い。
いつもなら光の動きに合わせて、徐々に大きくなる音も聞こえてくるのだが、今は全くそんな事は無くその光はただ輝き、動き、少女を待っているという感じである。
そんな不思議な光。少女は不思議なその光がなんなのか気になり、いつもは誰かが強引に、嫌だと思っても強制的に開けられる襖に近づき、手を―――
ハッと紅白は目を開ける。
視界に入るは明るい天井と、その彼女の視界の半分を覆う程に覗き込む可愛らしい顔。匁の顔である。
「あっ! 起きた! 良かったー!」
安堵の声を漏らす匁だが、紅白は見慣れていない匁と見知らぬ天井に一瞬思考が止まる。
自身に何が起こったのか。記憶を巡らす紅白は、色々昨日の事を思い出す。
そうして―――
「紅白、ご飯食べに行こー!」
表情には出ていないが内心慌て、上体を起こした紅白。
と、そんな彼女の右手を両手で掴み、匁はニコニコと提案する。
咄嗟の出来事に、目にしたことも無い目の前の現象に理解が追いつかず再度すぐに反応できなかった紅白だが、新たな主の案を無下にする訳にもいかず、分かりましたと答える。
ただ、紅白は覚悟していた。食事の支度もせず眠っていた自分には罰があるのだと。今までの経験からそう考えていた。
そんな彼女の考えとは裏腹に、匁は一緒にご飯を食べるという事しか頭には無いのだが。
そういう事で早く早くと興奮しながら急かす主に彼女は無表情で分かりましたと答え立ち上がると、匁は楽しそうな様子でパタパタと部屋の襖まで駆けて行く。
匁は「こっちこっち」と襖を開け、元気に手を振り紅白を招く。
何故彼はこんなに楽しそうなのか理解できず少し怖いとも思ってしまう紅白だが、動かない訳にはいかず匁の元へと歩み寄る。
そうして紅白が辿り着く。
匁はそんな彼女をくりくりとした目で見上げながら上機嫌に一緒に行こうと廊下を歩き出し、そんな主の後ろを彼女はついていく。
「あ! そーだ。昨日、急にばたーんって倒れちゃったけど痛くないー?」
「えっ」
なんの脈絡も無く、不意にそう言葉を掛けられた紅白。
何の事かと一瞬悩むが主の質問に答えないといけないという気持ちがあり、特に痛いところは無い旨を話すと匁は「なら良かったー」と再度元気に廊下を歩き先導する。
と、そんな匁を見つつ、紅白はここに来てから匁が新たな主になったという記憶から先が曖昧になっている事に気付く。
日中にやって来た記憶はあるが、部屋の説明の途中以降、夜の記憶や布団に入った記憶が無かった。
というより、自身が布団に入っていたという事実に足が止まる。
前の所では、布団など使わせて貰えず、仕事以外の時間は何も無い薄暗い部屋でただ置物の様に過ごしていたが故に。
それなのにそんな自分が起きた時には、布団で寝ていたのだ。
しかも特上、とまでは行かないが普通の柔らかな布団で。
汚いと、気持ち悪いと、同族から蔑まれる対象である自分が。
「紅白、どーしたの?」
その言葉に体がビクリと反応し、紅白の視線は小首を傾げこちらを見やる匁の方へ自然と向いた。
「申し訳ありません。何でもありませんので。……今、行きます」
そうして再び歩き出す二人。
しかし、先程思い出した嫌な思い出に彼女の足の運びは重い。いつも連れて行かれるように歩く彼女の耳には周りの大小様々な影口が聞こえていたが故に。
当たり前だが、ここには匁以外誰もいない。だが、紅白の耳には長年聞いてきた幻聴が聞こえてる気がしてならない。
早くのたれ死ねば良いのに。見ているだけで不幸になる。なんであんなのそのままにしておくんだろうね。お前がいるせいで俺は怪我をした―――、そんな声が聞こえてる気がしていた。
「ほにゃ!」
「―――え?」
突然聞こえた声と何かが当たる感触に紅白は我に返る。
何に当たった? 嫌な予感が頭を過ぎるが、それしか考えられなかった。だが、わずかな希望にすがりたかった。しかし、案の定、視線の先では、ぶつかった者がよろけている姿。匁はよろけてはいるが転ばないようにと数歩歩いて、止まる。
「も、申し訳御座いません。家主様」
自身が犯した重大な出来事に、咄嗟に謝罪する紅白だが匁は笑い「大丈夫だよ」と返す。
「ですが、転んでどこか怪我でもしたら―――」
「転んでも痛いの我慢するから大丈夫だもん」
慌てる紅白を余所に匁は腰に手を当てえっへんと自慢げに答える。
まるで凄いでしょとでも言わんばかりに。
「それより、ご飯もう出来てるから食べよ食べよ」
と、匁は紅白の傍に戻ってくるなり手を引き、近くの襖を開けた。
そこは昨日、匁が初めて紅白と出会った縁側と庭が見える居間。
部屋の真ん中に置かれたちゃぶ台の上には、二人分の暖かなご飯と味噌汁、だし巻き卵と漬物といった朝食が置かれている。
座って座ってと促されるまま食事の置かれた所に紅白は座る。
紅白が座ると匁は目を輝かせ
「食べてみて! 食べてみて!」
凄く期待しているといった様子だ。
主より先に物を食べるなど言語道断と教育されていた紅白だが、主の指示であるため少し迷ったが、一口だけ食べれば良いと結論にいたり、いただきますと一口、口へと運んだ。
凄く美味しい。と言う程では無いが、ふんわりと炊かれたご飯は甘みがあり、いつも冷めた飯を食べていた紅白からしたら温かいご飯は凄く美味しく感じる。
幸せな気分を感じながら、気付いたら紅白は他のおかずや味噌汁まで口を付けていることに気付き慌てて匁の方へ向き、楽しそうに、優しく見ている匁と目が合った。
今まで経験したこと無い、いや小さい頃にだけ見た事があるそんな表情を、匁を見て感じ、言葉が出ない。
「美味しー?」
ふと、匁から問いかけられる。
「美味しい、です」
匁の表情に何も言葉が出なかった紅白だったが、ふと返答が出た。
よく分からない感情に、唖然としたまま。
「やったー!」
唖然としていたが、急に聞こえた声に紅白は意識を戻される。
ハッとした視線が捉えるのは手を上げて喜ぶ匁の姿。その様子に紅白が先程まで感じていた懐かしい感覚は消えていた。
「じゃあ僕も食べようっと」
鼻歌でも歌い出しそうな感じの匁は嬉しそうに「いただきます」と言い、そして美味しそうにご飯を頬張る。
そんな様子を、箸を置き俯きながらもチラッと見やる紅白。
(なんでさっき、お母―――)
そう思った紅白の心を声が遮った。
「あ! そうだ! 紅白、ご飯食べたら、一緒に呉服屋に行くよ」
声の主は頬に米粒を付けた家主。
そんな家主の方を見つつ、着物の新調に行くのかと考え「分かりました」と返答する。
だが、ふと気になる事が。
「あの、ところで、私なんかが一緒に行っても良いのですか?」
「? 何が?」
紅白の言葉に首を傾げる匁。
それに対して、ああ、荷物持ちかと納得し「いえ、何でもないです」と返答する紅白だが私なんかに自分の荷物を持たせるなんてとも考える。
「ふーん、とりあえず早く食べて行こー。梅も八千代も準備して待ってるーって言ってたから」
「分かりました」
そうして勧められるがまま、自然な流れで再度食事を再開する紅白。
一口だけにしようと思っていたのを思い出したのは完食してからであった。
そんなこんなで、朝食を終えた二人は家を後にし、意気揚々と出発する匁を先頭に道を歩いていく。
家を出た際は全く他の家など、この先に村があるのかと思う程に迷家以外何も見えなかったが、次第に道の先にはぽつぽつと家が見えてくる。
だがどれも現代の様な屋根では無く瓦屋根といった感じのもの。
そんな建物群が近付いてくるにつれて賑やかな声が聞こえてくる。
声が近付くにつれ、紅白の手に力が入る。震えそうになる体を必死に動かさないとと匁についていく。
「あ! そうだ!」
不意に聞こえた大声にビクリと体を強ばらせる紅白。
そんな紅白の方へ匁はくるりと振り返る。
「初めて村に来たらね、迷うからお手々繋いだ方が良いって河兵衛が言ってたからお手々繋いで行こ」
そう言って匁はニコニコと手を差し伸べる。
その手を握るかどうか少し躊躇してしまう。だが、主人からの命令であると考えた紅白はそっと手を伸ばし、その手に乗せると、匁は手を握る。
「じゃあ行こー!」
振り返り、繋いでいない方の手を元気に振りつつ匁は紅白と共に賑やかな村の中に入っていく。
そこは道中で立ち話をする者、茣蓙を敷き何かを置き客引きをしている者、それを見ている者、荷物を持って駆けて行く者と様々な様相が見られ、そんな賑やかな村の中を手を繋ぎ歩いていると、傍を通った者達が匁へと語りかけてくる。
それは日常的な挨拶。それと、
「その子が家主さんとこに来たお手伝いさんかい?」
という言葉。その言葉に嬉しそうに頷く匁。
そんな家主とは対照的に、紅白は最低限の言葉しか返せない。
誰から何言われるか分からない、と。
だが、その様子を見て不快に思う者はおらず、私も来た頃は――、俺も――等と言って、自身が村に来たばかりの事を話している。だが、一部は村で初めから生活しているのに言う奴もいたが。
そうして進んでいくと、ふと見慣れない服装の怪異が茶屋で団子を食べていた。
片手を椅子につく形で自重を支え、もう片方の手に持つ団子を頬張ろうとしているその怪異は他が着物や腰巻きといった昔の日本の格好だというのに、セーラー服を着ている。
だが、着ているのはセーラー服の上着のみでそこから下には何も無い。そう文字通り、『何も無かった』。
そんな彼女の隣にはボストンバッグが置かれ、キーホルダーが付けられている。
「あれー? 珍しー。秋穂だー!」
と、そんな怪異を見つけた匁がそんな声を出すと怪異は食べようとしていた手を止め、匁の方を見やる。
「お、匁っち。お久~」
お団子を持った方の手をそのまま上げ、気さくに声を掛けてくる秋穂。
彼女は声を掛けた後、匁の隣を見る。
「と、初めて見る人だけど、もしかして、今話題の紅白ちゃん?」
「そーだよ!」
秋穂の言葉に自信満々に答える匁。
対して紅白はぺこりと頭を下げる。
「初めまして」
「初めまして。私は秋穂。現役高校生! って言っても七年前に死んじゃってるからずっとそのままってだけなんだけど。それにしても、凄い真っ白で綺麗~。あ、この子もしかしてアルビノってやつ?」
「あるびの?」
秋穂の言葉に匁が首を傾げると、秋穂は続ける。
「肌が白くて目が赤くなる、なんかそんな感じの遺伝? みたいなの」
「へー」
秋穂の言葉に感心したような声を出す匁。
「そういえば二人でどっか行くの? あ、もしかして最近私の住んでるとこの近くに現れたあのカラオケ店?」
発言と共に村の先の霧がかかった先を団子を持ったまま指す秋穂。
対して匁は首を横に振る。
「ううん、呉服屋に行くの」
呉服屋に行く事を告げると、「ふぅん」と秋穂は手を下ろす。
「それじゃあ、梅と八千代が待ってると思うからまたね~」
「ほいほい、匁っち。またね。紅白ちゃん今度会ったらお話でもしようね~」
手を引きばいばいと出発する匁と、どう返答するか悩んでる間に繋いだ手を引かれ連れていかれる形で出発する事になった紅白。そんな二人に手を振る秋穂。
そうして秋穂と別れた二人は村の中を歩き、目的の呉服屋へと辿り着く。
そこは村の中では珍しい大きな建物で、看板には【姑獲鳥屋】と書かれている。
「ごめんくださー―――」
「はーい!」
「ぽぽぽぽ!」
匁が入り口で声を発するとほぼ同時と言ってもいいくらいの速さで戸口がスパーンと開かれ、着物を着た女性と、その女性よりも遙かに大きな白のワンピース姿の女性が立ち笑顔で匁の方を向いている。
と、不意に着物の女性が匁を両手で持ち上げる。のだが、着物の女性の手は人の手では無く、鳥の足のような形状で指は三本である。
女性は持ち上げた匁を見て、
「はぁ~、匁ちゃん今日も可愛いねぇ。うちの子にならないかい?」
「ぽぽ! ぽぽぽぽぽ!」
「えー、やだ」
「なっ!」
「ぽっ!」
匁のその言葉。
その言葉に着物の女性は崩れ落ち、大きな女性はその着物の女性を慰めるかのようにしゃがんだ。
「そんな、匁ちゃん。うちの子になれば、毎日美味しいご飯とお菓子とか食べさせてあげるのに―――……」
「ぽぽ、ぽぽぽぽぽぽ!」
「そうね。こんなんで簡単に匁ちゃんが子供になってくれたら、私、子沢山ね。確かに諦めるのは早いわね」
「ぽぽぽぽぽ!」
「ありがとう八千代。私、頑張ってみるわ」
まるでスポットライトが当たっているかのような名演技。
そこで二人はお互いに手を取って―――
「あのね、梅、昨日お話しした着物ー」
「ああ、今朝ようやく出来たばかりだよ。ついておいでー」
「ぽぽ」
先程の寸劇など無かったかのようにスッと立ち上がった二人は、匁と紅白を誘い入れる。
その態度の変化に紅白は反応が遅れたが、先についていった匁が呼ぶ声で店内へと入った。
店内に入ると、内装は立派な屋敷という感じだが、襖の開いた部屋ごとに扱っている物が分かれている様子が窺える。
布が巻かれて陳列されているところがあったり、普段着使いするような着物が棚の上に色別に畳まれて置かれていたり、立派な着物が着物掛けに下げられ置かれていたりとしている。
それ以外にも少数ではあるが部屋によって、通常見かけるような洋服やズボン、スカートといった物もあり、棚に綺麗にたたまれ置かれている。そんな服もマネキン、ではないが、案山子のような物に着せて飾っている部屋もある。
そんな部屋達を通り過ぎ、廊下を進む四人。
辿り着いたのは、ずっと進んだ先にある大きな部屋。
そこでは、多くの機織り機や木製の裁縫道具、それとミシンなどが置かれている。だが、それよりも目を引くのは中心にある大きな止まり木の上。そこには大きな翼を畳み、姿勢を低くし、極限まで首を伸ばし笑顔で首を傾げこちらを見る巨大な人面鳥が一匹。太く立派な蜥蜴を思わせる様な四畳半程もある長さの尻尾の先を軽く畳に打ち付けている。
「ほれ、御客だよ。挨拶しな」
梅がそう言うと、その人面鳥は笑顔のまま頭を下げたり上げたりを繰り返す。
と、その後ろからひょこっと顔を出すモノが一人。
マスクをし、暖かくなってきているというのにコートを着込んだ女性。
彼女は匁を見やると、
「あー、なんか今日機嫌が良いと思ったらそういう事ね。どーも、家主さん」
「こんにちはー」
匁が返答すると、ふと彼女は何かに気付いた様子で首を傾げる。
「そっちの女の子、誰?」
「あれ? アンタとこに来てなかったかい? 昨日、河兵衛と山風のお翁さんが村中の奴等に教えに来てくれたけど」
「え? あー、そういえば、二日酔いで頭痛かった時に、河兵衛様を見たような……、そんな話聞いたような、聞いてないような……」
「アンタ、酒は程々にしときな。全く」
「いや、毎日晩酌してる訳じゃ無いし、それに、し、仕方無いじゃない。一昨日は明日休みだから気持ちよく飲んでただけだから」
呆れる梅に対して彼女は謎の言い訳を始めるだが、
「そ、それよりも、何よりも。この子、なんて名前なの」
「紅白ちゃんっていう名前だよ」
「へえ、紅白ちゃんねぇ~」
彼女はゆっくりと紅白の方へ向かってくる。と、彼女は近寄りつつ自身のマスクへと手を掛け、ゆっくりと下げ―――
「ねえ、紅白ちゃん」
「はい、何で―――」
「私って、綺麗?」
耳まで避ける程に裂けた口を見せつける彼女に、ふと梅が口を開く。
「ちょっと、咲子。歯に青のり付いてるけど」
「えっ!?」
咲子は慌てて、ポケットから鏡を取り出すと大きな口を指で広げ確認する。
そこには、白く輝く前歯にしっかりとくっついている一つの影。そう、青のりの姿がある。
その事実に、咲子の顔は紅くなり、
「―――っ!!」
猛ダッシュで匁達の横を通り過ぎ、梅が止めようと声を掛けるも顔を押さえながら部屋を後にした。
「全く、勝手に行くんじゃ無いよ。まあ、それよりもだ。匁ちゃん、今頼まれたの持ってくるから壱面とお話でもしててね」
「はーい!」
「ぽぽぽぽぽぽ!」
「いや、アンタは一緒に取りに行くんだよ!」
「ぽぽー!?」
そう言われ、梅より巨体なのにも関わらず八千代はワンピースの襟を掴まれ引っ張られて行った。
残された匁と紅白。と、人面鳥の壱面。
壱面はずっとニヤニヤとした笑みを浮かべながら首を動かしたり、頭を傾げながら匁の方を見やる。
そんな壱面に匁は
「壱面、今日ね。美味しい物持ってきたよ」
と袖の中をごそごそすると、何かを取り出す。
それは一枚の煎餅。
匁はそれを壱面の目の前に持って行くと、壱面はゆっくりとその煎餅を口で咥え、首を縮めると、鋭いかぎ爪のある大きな足でそれを器用に掴み食べ始める。
「美味しかった?」
食べ終わる頃、匁がそう訪ねると壱面はまたも首を伸ばしニヤニヤとした顔で匁を見やり首を縦に振る。
その反応に匁は嬉しそうに微笑む。
「また持ってくるねー」
「いつ? いつ?」
と、そんな匁に壱面は笑顔のまま首を傾げ問いかける。
その言葉に匁はまた今度と答えると、壱面は首を戻し、後ろを振り返る。
と、
「お待たせ匁ちゃん」
「ぽぽぽぽ!」
二人が畳まれた着物や服を持ちやって来る。
と、二人は目の前で服を下ろし、
「じゃあ、ちょっと紅白ちゃん」
「なんでしょうか?」
向き直った紅白に二人はそれぞれ持ってきた着物の中から一着、着物と服を取り、広げてみせる。
「さ、袖通してみな」
「ぽぽ!」
「……え?」
突然の事にキョトンとする紅白だが、さあさあと迫る二人の言葉に分かりましたと了承する。が、恐る恐るといった様子で梅の持つ着物に袖を通す。
しかしそうしながらも何故、私に着物をと困惑する紅白だが、そんな紅白の着付けを梅が行い始める。
「着心地はどうだい?」
「えっと、こういうのは着た事が無いのでよく分からないですけど、良いと思います」
着付けられた紅白は戸惑いながらも着ている着物を見つつ答える。
「そうかい。それなら良さそうだね。まあ、後で着付けの方法教えるから、ちょっと脱いでもらうよ」
「はい」
そうして梅が紅白の着物を脱がしていき、着ていた麻布の服姿になると
「ぽぽ! ぽぽぽぽぽぽ!」
八千代が服を広げて見せる。
そんな八千代に紅白はわかりましたと麻の服の上から服に袖を通す。
今度は八千代が着ているような感じの白のワンピース。
「ぽぽ?」
「えっと、ゆったりしてて、動きやすいですね」
「ぽぽぽぽ」
紅白の言葉に腰に手を当て威張るような姿勢をする八千代。
「そんじゃ、そっちも良さそうだね」
いつの間にそこにいたのか、匁に懐から取り出した飴をあげつつ二人のやり取りを見ていた梅は立ち上がり、先程紅白が着ていた着物を手に持つと紅白を別室へと呼び、着付けについて説明し始める。
その間、匁は八千代と戻ってきた咲子とその場に残された着物を包んだりしつつ、壱面も輪に入れて話をしたりしていた。
「お待たせ致しました。家主様」
包む作業が終わった頃、匁の元に出会った時に着ていたボロボロの麻の服から、白い着物に着替えた紅白がやって来る。
「いやぁ、この子、初めてって言う割には物覚え早くて良いねぇ。是非うちに欲しいけど、匁ちゃんの使用人だしねぇ。仕方無いねぇ」
その後ろから梅はやって来ると、少し残念そうに溜息をつく。
だが、気を取り直してと匁の方を見やる。
「それじゃあ、匁ちゃん。お値段だけど、持ってきてるかなー?」
「大丈夫!」
「それじゃあ、発表するわね。今回の着物のお値段は―――」
紙と匁を交互に見ながら溜める梅。
その先を息を呑んで聞く匁。
「二万八千二百八十円、まあ、二万八千円で良いけど、そうだねぇ。紅白ちゃんの就職祝いって事でプレゼントしようじゃないか」
「ぽぽ!」
「ええ!? またそうやって、私達の働き分のお金を―――」
それは名案というように声を出す八千代に対し、抗議の声をあげる咲子。
「まあまあ、今日は私の奢りで寿司や連れてってあげるから文句言うんじゃ無いよ」
「え!? 本当ですか!?」
「いつ? いつ?」
「ぽぽ!!」
ぶつくさ言っていた咲子も簡単に手のひらを返し、歓声の声をあげて八千代とハイタッチ。
と、そんな歓喜の声とは別の声が梅の耳に入る。
「梅、良いの?」
それは匁。少し驚いた様子で恐る恐るといった様子で梅へと問いかけていた。
「良いのよ匁ちゃん。あ! それとも、うちの子に―――」
「ありがとう梅!」
梅が言葉を言い終わるか終わらないうちに匁は笑顔でそう返すと、少し残念そうではあるが梅は匁に視線を合わせ頭を撫でる。
「どういたしまして」
そうして匁と紅白は呉服屋の出口へと向かい、また振り返り見送りのためについて来た梅と八千代に向き直る。
「梅、本当にありがとね!」
「色々ありがとうございました」
手を振る匁と頭を下げる紅白。
それに対して八千代は「ぽぽ」と手を振り、梅は「また来なねー」と二人に言い二人の姿が見えなくなるまで見送り、見えなくなったところで横にいる八千代へと向き直る。
「さて、八千代」
「ぽぽ?」
「今日も匁ちゃん可愛くてやばかったわよね! ね!」
「ぽぽぽ! ぽぽぽぽぽぽ!」
「本当にアンタはよく分かってくれるわー!」