第一話:しようにん
一軒家がある。
土が踏み固められただけの道の先にある低木の垣根により囲われているその一軒家は時代を感じさせる茅葺き屋根の古屋。
窓にはガラスでは無く障子が張られているその家の縁側で、青い着物姿の小さな子供が一人。お腹にバスタオル程の布をかけて寝っている。
すやすやと寝息をたてているその子だが、その音以外の音や声がこの家からする事は無い。
唯一聞こえる他の音と言えば、時々垣根を風が揺らす音のみである。
そんな中一つの音が加わった。
ヒタッヒタッという何かが地面に張り付き離れるような何かの音。最初は微かにだが、次第にその足音は大きくなり、徐々にこの家に近付いてきていた。
その音に気がついたのか、ただ偶然か、その子は薄らと目を開け少しそのままでボーッとしていたがその音を聞き、ハッとくりくりと可愛らしい目を見開き起き上がると、縁側に置いてある草履を履き、庭から玄関の方へと駆けていく。
そうして玄関と庭を区切るように植えてある垣根の隙間に辿り着いたその子は玄関の前で止まる異様な者を見やる。
それは緑の体に背には甲羅があり、藁で作られた腰巻きをし、鋭い目つきと嘴が特徴的な化け物。河童が一匹。戸口前に立っていた。
「あ! やっぱり河兵衛だー!」
河童が戸口に手をかけると同時。その子は目の前の河童に驚いたり臆するような事は無く無邪気な笑顔で、さも普段通りというような様子で話しかけると、河童は手を止め声がした方へと向く。
「おー、匁。そっちから来るって事は昼寝してたか?」
「うん。今日はお天気良いからね、お昼寝してたー」
「そうか。相変わらずのんびりしてたんだな」
「うん。だってする事無いもん」
「まあ、だろうな。でもよ、そりゃあ恵まれた奴等が多いって事だから良いんじゃないか?」
「んー、そーだけどねー」
匁という名前らしいこの子は少し残念そうな感じではあるが、「それが良いことだもんね」と笑顔で言うと、それを見た河兵衛も「だな」と同じ様に表情を変える。
「そういえば河兵衛、今日は何か用事できたの?」
「ん? ああ! そうだそうだ。良い魚が捕れたから焼いてたんだが、匁もどうかと思ってな」
「お魚!」
河兵衛の言葉に期待したように目を輝かせる匁。そんな様子を見た河兵衛はふっと笑う。
「ほら。これだ」
河兵衛が箱を開らき、香ばしい匂いが辺りに漏れる。
そんな箱の中には綺麗な焼き目が付いた魚の串焼きが笹に包まれ収められていた。
「わぁ! 凄ーい! 大きい! 美味しそう!」
「ああ、凄く美味いぞ。脂の乗りも良いし、今日、海の奴等が良い塩持ってきてくれてな」
「そーなのー!? わぁ! 早く食べたーい!」
「まあ、すぐにでも食わせてやりたいが玄関先でっていうのは―――」
「あ! じゃあ、こっち! こっち来てー!」
そう言うと匁は早く早くと元いた縁側の方へと駆けていく。
「んじゃ、玄関からじゃ無いが失礼するぞ」
その後を追い河兵衛も縁側の方へ行くと、座って待っててといつの間に用意したのか縁側にもう一つの座布団を置きポンポン叩き、匁は家の中へと入っていく。
そうして河兵衛が座布団に座り箱を横に置いて待つこと数分。
「お待たせー!」
元気よくお盆に急須と湯飲みを乗せ、匁は河兵衛の置いた箱の隣に敷かれている座布団に座る。
と、河兵衛は匁の持ってきたお盆の上にある茶筒を手に。
「匁、この茶見たこと無いやつだな?」
「あ、それね、お土産でね、白面が持ってきてくれたの。美味しいんだよ!」
「へぇ~、てことは外のやつか」
茶筒がお盆に戻され、匁はおままごとでもしているかのような感じではあるが手際は悪くなく小さな手でせっせと支度をすると、お茶を淹れる。
「そういやそろそろ田植え時期だな。匁は今年も田泥のじいさんの手伝いすんのか?」
と、河兵衛が匁に問いかける。それに匁は顔を上げ―――
「するー! 山之治と一緒に頑張る!」
「そうか。んじゃ、俺も何か差し入れに行くな」
「うん! ―――はい、お茶!」
「おお、ありがとな」
河兵衛が手渡されたお茶を貰うと、匁は「じゃあ、僕も、ありがとねー!」と脇にある箱から串焼きを取り出すと、「いただきまーす」と魚の背肉に齧り付く。
「んー、美味しー!」
足をぱたつかせ美味しさを表す匁に「だろ?」と得意気に言うと河兵衛はお茶を一口含み飲み込んだ。
「へぇ、いつものとは違うな」
「でしょー!」
「つっても、俺にゃ茶の旨さなんて分かんねーけどな!」
期待した言葉とは違う言葉に肩透かしを食らい「ええー!?」とリアクションする匁を見て河兵衛は冗談だといたずらに笑う。
そんな二人を日差しが優しく照らし―――、突然強めな一陣の風が吹き抜け、垣根が強く揺れた。
「邪魔しますぞ。家主殿」
いつの間に現れたのか、先程まで何もいなかった庭先に黒い翼から羽を数枚落とし、赤い顔には特徴的な長い鼻と立派な白髭を蓄えた山伏の格好をした大柄な天狗が杖を手に立っている。
だが、その表情は絵に描かれる天狗とは違い穏やかなお爺さんという感じである。
「珍しいな。山風の爺さんがここに来るなんて」
「山爺! 今日はどーしたの?」
と、そんな天狗、山風の翁に河兵衛は珍しそうに、匁は久しぶりに会う友人に喜んでいる様子で話しかける。
「いやなに、家主殿に話があってな」
「僕にお話?」
山風の翁の言葉に匁が小首を傾げると、山風の翁は頷き、口を開く。
「来なさい」
声に反応する様に先程よりは弱いが風が吹き、横を向いた翁の視線の先に白い光が現れた。―――と言えるような、銀世界を思わせる程に真っ白い少女が髪と同じ程に白く輝く翼をばさりと一回程羽ばたかせ山風の翁の隣に現れる。
だが、その輝く容姿とは違い、服装はボロく麻布生地で、顔も暗く俯きがち。
「お初にお目にかかります。家主様」
若干視線は下向き気味で挨拶する少女。
そんな彼女を匁は見慣れない人だーというような表情で見やるが、河兵衛はその少女を見るや少し眉間に皺を寄せ。
「おい、山風の。こりゃあ……」
「―――ワシの姪じゃ」
「姪って―――」
言葉を遮った翁に少し面食らった河兵衛だったが、その様子に何かを感じたのか「そうかい」と言及するようなことは無く、呟くように言うと視線を少女の方へと戻す。
そこでは好奇心旺盛な家主が少女の傍に近寄り見上げていた。
「山爺の姪っ子さん! 初めましてー! 僕はね、匁って言うの! 今日から山爺のところに住むのー?」
「えっ? あ、いえ、私は―――」
「ああ、家主殿。それに関してはワシから話をさせてもらっても良いかの?」
小首を傾げ問いかけていた匁は翁の方を向き「うん」と首を縦に振ると、翁は続ける。
その言葉を匁と河兵衛は静かに聞く。
内容的には匁の使用人として姪を連れてきたという話である。
「使用人」
「うむ、家主殿も迷家の主としていつまでも一人というのはアレだと思っての。それに、色々と世話になったからの」
ほっほっほと笑う翁の言葉に賛同する声がするが、それは匁では無く、河兵衛だ。
「その案、俺も賛成だな。他の奴等にゃ家来とかいるって言うのにいつまでも迷家の主が部下やお手伝い無しに一人暮らしって言うのは他の土地の奴等に笑われそうだしな。それに不在の時に外から来たら色々大変だからな。けどよ、――あんたはそれでも良いのか?」
「私は、言われたように動くだけですから」
河兵衛の言葉に俯き加減に答える少女。
その返答と様子に少し顔を顰める河兵衛だが何か言う訳でも無く匁へと視線を移す。
「匁はどうだ?」
「うーん? 僕は皆に自由に村で楽しくわはーってして欲しいから別に使用人いらないよー?」
匁のその発言にいつも通りだなと翁と河兵衛は苦笑いを浮かべるが、普段ならその先は言わない河兵衛の口が珍しく動く。
「匁からしたら格好はつけなくて良いだろうけどよ、俺等からしたらその方が自然に思えるしよ。それにな、使用人がいれば、いつでも話とか二人以上での遊びが出来るぞ?」
河兵衛の話の後半。長年一人暮らしをしていた匁には悪魔的な囁きに匹敵する甘美な言葉。
いつも一人では出来ないお話が、遊びが出来る。
言葉が、思考が、匁をピクリと反応させる。
その様子を見逃す河兵衛では無かった。
「それに使用人がいればいつでも一緒にご飯食えるし、一緒に家からお祭りまで行けたりするぞ?」
更なる追撃。揺れる匁。
河兵衛の言葉の出来事を考えて、良いな良いなとなってしまった匁は心のみならず体も揺れている。
だが、―――
「ああ、それとワシの所はワシが一人で住むくらいの広さしか無いからの。狭くて姪のことは入れてやれないんじゃ。じゃから住み込みでよろしく頼む家主殿」
―――翁の方を向くとそう言われる。
知らない場所での生活は翁と一緒の方が良いよねと思った思いはその言葉により完全に欲望に呑まれた。
「うん! 分かった! それじゃあ、よろしくね!」
そう言い翁の姪に微笑みを浮かべる匁。と、ふと匁は聞くことを忘れていたことを思い出す。
「ところで、お名前なんて言うの?」
「名前は……、名前は、ありません」
「へ?」
俯き加減で聞こえた予想外の言葉に目を丸くしじゃあなんて呼べば良いのとなる匁だが、河兵衛と翁は驚いた様子は無い。
まるで名前が無いのを知っているかのように。
「匁が名前決めたらどうだ? 使用人になるんだしよ」
おろおろしている匁にそう進言する河兵衛に「おお、それは良い案じゃな」と翁は賛成の意を述べる。
その案を聞いた匁は目をぱちくりする。
「僕が決めるの?」
「ああ、良い名前決めてやれ。その子が楽しくここで生活できるように、な」
河兵衛の言葉に少女に向き直る匁。良い名前良い名前と呟きながら少女を見やる匁の目には少女の紅い瞳と色白な肌が映る。
「紅白! 紅白にする!」
それはそこから咄嗟に出た名前。
だが、そう言った匁の言葉に河兵衛は匁がただ咄嗟に考えた名前なのは匁の様子から感じたが、感心したように「へぇ」と呟く。
「ほっほっほ。良かったな姪よ。家主殿から頂いたありがたき名前に恥じぬ様に頑張るんじゃぞ」
「はい」
翁は名付けを聞き嬉しそうに紅白の方を向くが紅白は相変わらずな様子でいる。
「そんじゃ匁、名前も決まったんだし紅白に部屋とか教えた方が良いんじゃないか?」
「あ! そうだね。紅白、こっちー!」
上機嫌で紅白の手を取り、家の中に案内しようとした匁だが紅白はビクリとしただけで動かなかい。予想と違う事に「どうしたの?」と首を傾げ匁は振り返る
そこには明らかに口に力が入っている紅白の顔が。
と、紅白はハッとして
「も、申し訳御座いません。い、今―――」
「匁、張り切りすぎてるぞー。全く。そんな急に引っ張ったら紅白が転んで危ないだろ?」
明らかに先程とは違い震えた声で言う紅白の言葉を遮り河兵衛が匁へ注意を促す。
それを聞き、ハッとなった匁は「ごめんね」と紅白に謝るが匁の謝罪に対して彼女はキョトンとしてしまう。
「それじゃあ、転ばないように、ゆっくり行くからついて来てね」
「え? あ、はい。分かりました」
そうして二人は縁側から室内へ入っていく。
匁は色々な部屋を開けて紅白にどういう部屋かを説明する。
そんな二人の声と足音が聞こえなくなった縁側で河兵衛は静かに口を開く。
「忌み子か」
「……うむ」
「姪ってこたぁあんたの兄の子か」
「ああ、今はもう病に倒れおらぬ世話役の女との間に出来た子じゃ」
「そうかい。……あの様子からするに凄ぇ扱い受けてきたんだろうな」
「そう、じゃな。―――ワシが情に駆られ余計なことを言わなければ姪も、いや、紅白も長く苦しむことも無く母と同じ場所に行けたじゃろう。今思えばじゃが……」
「だから罪滅ぼしに連れてきたんだろ? わざわざ歓迎されない土地にまで戻ってよ」
「う、うむ。じゃが、結局、ワシは―――」
踏ん切りのつかない山風の翁の言葉を遮り河兵衛は立ち上がる。
「ま、後は匁に任せようぜ。下手に何かするより、俺等がするのは、新しい住人が増えたって事を村の連中に知らせる事ぐらいだ。迷家に使用人が来たってな。まあ、だが、一人二人うるさい奴もいるだろうから説得協力してくれよな」
「―――そうじゃな。あい、分かった。この山風の翁も参加するぞい」
「へっ、そう来なくっちゃな」
こうして匁の家を後にする二人。
そうして村では、新たな住人の情報と使用人の話が瞬く間に広がっていった。
それと河兵衛が予想したとおり、うるさいのが暴れたのは言うまでも無い。