第十七話:ちょうちょ
星が見え始めた頃。
皆を乗せた車はホテルへと辿り着き停車する。
その振動を感じてか、はたまた偶然か。
途中から居眠りをしていた匁は目を覚ます。
のだが、目を開けているのに視界は真っ暗。そんな匁の耳には寝息が聞こえる。
どうやらまたもや銭が匁の顔に貼り付いて寝ているようだ。
「さあ、着きましたのでそろそろ起きて―――」
そんな匁の耳に優丸の普段通りの声が聞こえたのだが、そこまで言って止まる優丸の声。
すると慌てた様子の声が聞こえたかと思うと頭が前に引っ張られる感覚を感じる。
どうやら銭を匁の顔から引き剥がそうとしているようだ。だが、銭は顔を顰め匁にしがみつく力を強めるだけで起きる様子も離れる様子もない。
「銭、ホテル、着いたって」
と、匁がしがみついてる銭にそう発すると銭は少し唸った後、つかまる力を緩めて目を擦り、
「りょー……? 着いたー、でしゅもん……?」
ぽけーっとしてそう発する。
「うん。着いたって」
「りょー、着いたでしゅもん……。着いたでしゅもん!?」
そう言い銭はしがみついたまま辺りをキョロキョロと見渡すと、匁から離れて車の窓に貼り付く。
だが、
「りょ? ホテル無いでしゅもん」
銭の目に映るのは、新しく綺麗な街灯が照らす広めの駐車場と、薄暗い中薄らと白波が見える浜辺。
それしか見えないため、そう呟いた銭だが、そんな彼女に匁はポンポンと肩を叩く。
「銭、ホテルあっちだよ」
「りょ?」
振り向いた銭の目。そこには明るい玄関と大きくそびえる建物が。
それを反対側の窓まで行き見上げる銭。
そのホテルの大きさに目を輝かせる銭と、その隣に行って一緒に見上げる匁。
「大きいね!」
「大きいでしゅもん!」
「匁様、銭さん、行きますよー」
と、見上げてると優丸が二人に声をかけてくる。
「はーい」
「行くでしゅもん」
声を発した二人は優丸に続き降り立つ。
そんな匁と銭は目の前に広がるホテルの大きさを見上げて再度目を輝かる。その隣では匁達同様に目を輝かせて優丸に凄い凄いと言っている明理の姿。
優丸はそんな明理にそうですねと返答している。
「あれ? そういえばえんりはー?」
ふと、えんりがいない事に気がつき匁が優丸に問いかける。
「えんりはミアさんと何か仕事があるようで、マネージャーさんと一緒に先にホテルに行きましたよ」
「そーなの?」
「はい」
「えんり、忙しいんだね」
「でしゅもんね」
「そりゃあ、アイドル蛇虎えんりと縁吹ミアって言ったらデビューした時から急激に人気を集めて、更に人気が衰えていない有名アイドルですからね」
自慢気にそう話に割り込んできた明理の言葉に、えんり達そんなに凄いんだと感心した表情になる匁。
「ただ、今行った仕事は移動中に急遽入った仕事みたいですけど」
付け加えるように話す優丸。
匁はそれに「そうなんだ」と相づちを打つ。
と、彼の横を不意に一匹の、あまり綺麗とは思えない色の羽根をした目玉模様が特徴的な蝶が羽ばたき通り過ぎて行くのに気付き、目で追うと蝶はそのまま閉まっている自動ドアを通り過ぎホテルの中へ。
「匁様?」
その蝶の動向を見ていた匁だが、声をかけられた事でハッとして声の方を見る。
そこでは優丸が急にどうかしたのだろうかという表情で見ていた。
「匁様、どうかしましたか? 何か―――」
「あのね、蝶々がホテルに入ってったよ!」
「でしゅもん! 蝶々入っていったでしゅもん!」
心配して何かあったのかと問いかけようとした優丸に先程見たことを報告する匁。
それに続きどうやら銭も見ていたようで同じ様に報告する。
「蝶がですか」
「うん」
「でしゅもん」
「蝶ですか」
匁と銭の言葉に優丸がふむと考え始める。
その蝶に気付かなかった優丸なのだが、自動ドアが全く反応していない事、なのに蝶が中へと入っていったこと―――。
と、考えていた優丸だったが、自動ドアが開く音に視線をそちらに向けると。
「神様、早く行きましょうよ」
「優丸、行こー」
「でしゅもん」
自動ドアの前で早く早くと優丸を見やる明理と匁、銭の姿。
優丸はいつの間にそこに行ったのかと思うものの、呼んでくる三人を見て、とりあえず考えるのは後にしようと、明理達の方へと向かう。
四人が揃ってホテルに入ると優丸は三人に待つように言いフロントへ。
そこで慣れた様子でフロントの受付の人と話す優丸。
その後ろ姿を三人は、ロビーに設置された椅子に座って待ちながら見ている。
と、匁がふとある事に気がついて銭の方へと視線を向けた。
「そーいえば、銭のお友達どこ行ったの?」
匁の視線の先にいる銭。だが、そこには車に乗る時に周りを回っていた光がおらず普段通りの様子の銭しかいなかった。
「りょ、合体したでしゅもん」
「合体?」
「でしゅもん。銭と合体して銭になったでしゅもん」
「ふーん、そうなんだー。なんか強そう!」
「そうでしゅもん。今の銭は強くなって、力いっぱいでしゅもん」
自慢気に腰に手を当てる銭に匁は「おー!」と目を輝かせる。
と、そんなやり取りをしていたら不意に横から肩をトントンと突かれ、匁はそちらの方へと視線を向ける。
そこには少し期待したような表情で匁を見やる明理の姿。
「匁様一つ良いでしょうか?」
「なーに?」
「さっき車の中で、神様が住んでるところの凄い人だってえんりさんが言ってましたけどまさか、最高神様とかですか!?」
目を輝かせ問いかける明理。
「ん? 違うよー」
「でしゅもん。匁は神様じゃ無いでしゅもん。家主でしゅもん」
「家主?」
銭が答えた事に首を傾げる明理。
だが、ふと何か思いついた様子で再度問いかける。
「あ! もしかして、お家が凄い大きなお屋敷の主様とかですか?」
「ううん。普通の大きさだよー」
「でしゅもん。普通の大きさでしゅもん」
そう答える二人の言葉にじゃあ何だろうと先程よりも困惑する明理。
「受付も済ませましたし部屋に行きましょうか」
そんなやり取りをしている三人の元に受付から戻ってきた優丸が声をかける。
対して各々が返事をすると、
「おい、えんりとミアがあっちで撮影してるらしいぞ」
そんな声が聞こえて四人がその方を見ると、噂を聞きつけた者達が同じ方へと向かう姿が見られる。
「優丸、あっちにえんり達居るみたいだよ!」
「でしゅもん!」
行きたいようで目を輝かせてそう話す匁と銭。
その隣では同じ様に期待の眼差しで優丸を見やる明理。
「それじゃあ、少しだけ見に行きますか」
「うん!」
「はい!」
「行くでしゅもん!」
そうして人々が向かう方へと同じく進む四人。
着いた先では既に人だかりが出来ており、わいわいしている。
そんな人混みの後ろからぴょんぴょん跳ねて見ようとする匁だが、群がっている人の背丈を一瞬超えた時に少し様子が見えるくらいでしっかりと見えていない。
と、匁に声がかかる。
「匁様、僕が持ち上げましょうか?」
「良いの!?」
「はい」
優丸の返答に目を輝かせお願いする匁。
そうして、失礼しますと匁を両手で持ち上げる優丸。
持ち上げられた匁は早速視線をえんり達の方へと向けると、そこでは既に浴衣姿に着替えた二人が椅子に座ったり、二人でなんかしたりと、カメラマンからの指示で色々なポーズを決めている姿があり、凄く生き生きしているのが伝わってくる。
それを見て目を輝かせている匁と、その隣に浮いて同じく目を輝かせる銭。
しばらくその様子を見ている四人。
と、銭が視界の端で何かが動いたためにその方向へ視線を向ける。
それは匁の方。匁の頭の上。
そこには先程玄関で見たのと同じ蝶が匁の頭に止まり羽根をゆっくりと開閉している所だった。
「匁、あの蝶々、頭に止まってるでしゅもん」
「んー?」
銭に教えられ、匁が手で頭を触ろうとする。
だが、匁の手が触れる前に蝶は羽ばたき飛び立ってしまう。
それを目で追う銭と匁。
「あの蝶々だねー」
「でしゅもん」
更に優丸と明理も二人のやり取りで気付いた様子で同じ様に視線で蝶を追う。
その蝶は羽ばたき匁達が来た方向。
エントランスの方へと飛んで行った。
「あれが匁様達が見つけた蝶ですか?」
「うん」
「でしゅもん」
「なんか、気持ち悪い感じの蝶々でしたね神様」
「確かに。ですけど、何か少し不思議な感じのする蝶でしたね」
優丸はそう発すると少し考え、
「匁様、僕、ちょっと見てきますね」
そう匁を降ろしつつ声をかける優丸。
だが、
「僕も行くー!」
「銭も行くでしゅもん!」
「私も行きます」
優丸に三人がそう答えてくる。
対してえんり達の仕事見てても良いんですよと声をかける優丸だったが、匁達がそれでも行くと言うので、分かりましたと一緒に蝶が飛び去ったロビーの方へと向かう。
「それにしても、あの蝶々の模様。羽根に目玉がいっぱいありましたよね。なんか思い出しただけでぞわぞわってします」
「そうなの?」
「そうなんでしゅもん?」
「まあ、その模様には何かしらの意味があるんでしょう。ただ、それよりも先程の蝶なんですけど、一瞬だけ何か別のモノに思えたのが不思議なんですよね」
「別のモノに、ですか?」
「ええ」
丁寧に答える優丸。
それに対して「別のモノに思える蝶々」と小さく呟く明理。
そんな二人とは違って、ロビーに足早に来た匁と銭は蝶々どこだろうと色々探す。
だが匁と銭、途中で探すのに加わった優丸の探索虚しく先程の蝶は発見することが出来なかった。
それよりも不可解なことに捜し物をしていればエントランスにいる誰かや、ホテルマンがやって来て訪ねそうなものだが、何故か三人に声をかける者は一人もおらず、それどころか気にするそぶりも無かった。
「蝶々いないね」
「でしゅもん。居ないでしゅもん」
「そうですね。ですけど、まあ、一旦部屋に荷物を置いてから僕は引き続き探してみますね」
見つからなかった事に落胆する二人と再度探すことを宣言する優丸。
と、三人の傍に近付く影が一つ。
それは皆に加わらず、ロビーに備え付けられているソファーに座りスマホを操作をしていた明理。
「神様神様」
「明理さん? どうかしましたか?」
「蝶に関する怪物とか幽霊とか調べてみたんですけど、これとかでしょうかね?」
そう言い手にしたスマホの画面を三人に見せてくる。
書かれていたのは、『蝶化身』という見だし。
「元々人だった者が死後、蝶になって現世に現れる。ですか」
スマホを見せられた優丸は文章を読み、ふむと考える。
その横で匁と銭は
「あ、明理と優丸だー」
「でしゅもん。明理と優丸でしゅもん」
「そうですよ。私と神様のツーショットです。宝物の待ち受けですよ」
ホーム画面に戻した明理のスマホを見てそんな話をしていた。
「とりあえず、皆さん。一旦部屋に行きましょうか」
「はーい」
「でしゅもん」
「そうですね」
優丸の言葉に返事をする三人。
四人はエントランスの横にあるエレベーターへ。
エレベーターは展望用エレベーターとなっており登りながら外を楽しめる感じになっている。
そこから見える外の夜景を見ている三人とその様子をチラッと見ながらエレベーターの上に表示されている階層表示を見ている優丸。
すると匁が振り向き優丸へ声をかけようとした。
その時、彼の目にふとエレベーターの扉の先。扉に付いてる窓から、他の御客と言うにはボロボロで汚れた服を身につけた少女が背を向けてどこかに向かう様子が見えた。
少女の横に、先程の蝶がいるのも。
―――あ、さっきの蝶々!
思った匁だがエレベーターは一瞬でその視界から少女と蝶を消し去り、匁達が宿泊する階に到着する。
「皆さん、行きましょう」
匁は蝶がいた事を話そうとするも先に声を発した優丸の言葉に反応して返事をしてしまい、話す間もなく移動する事に。
その事に後で話せば良いかと皆と共に優丸の後をついて行く。
そうして四人は宿泊する部屋へと辿り着く。
「では、明理さん。お部屋の鍵渡しますね」
「え? あ、はい」
そう言われ優丸から鍵を受け取る明理。
「それじゃあ、僕達はこちらですので」
明理にそう声をかけて部屋に入ろうとする三人。
すると、
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
明理のその言葉に立ち止まり明理を見やる三人。
「明理さん、どうしました?」
「どうしたでしゅもん?」
「どーしたの?」
「おかしくないですか!?」
明理の言葉に首を傾げる三人。
「えっと、何がですか?」
「部屋割りですよ! なんで私だけ別室なんですか! せめて神様こっちに来て下さいよ!」
吠える明理。
それに対して優丸は、少し悩みながら答える。
「一人の方が気楽に過ごせると思ったんですけど。それに、僕はここで少しやる事があるので、それで明理さんが折角神社から離れてゆっくりして遊べるチャンスを逃させてしまうのもあれだと思ってなんですが」
「あれ? 私、ボランティアスタッフとしてって聞いたんですけど。というか、神様、やる事ってなんですか? ボランティアスタッフ以外に何かすることが?」
質問してくる明理。
それに少ししまったというような表情をする優丸。
と、その横にいる匁が口を開いた。
「なんかね、ここで不思議なことが起こるからそれをどうにかするんだって!」
「でしゅもん。銭達もその為に来たでしゅもん」
止める間もなく全てを話す匁と銭に言っちゃったというような表情をする優丸。
そんな優丸の様子は気にせずに明理はふんふんと頷くと、
「なるほど。つまり、いつも通り行って事ですね神様」
元気よく優丸の方へと向く明理。
「あの、ですね。明理さんはいつもお世話になってるのでゆっくりして頂きたいと思ってますので、この件に関しては―――」
「何言ってるんですか神様! 私もいつも通りお供しますよ! 神社の巫女として! 神様の使いとして!」
優丸へズバリと答える明理。
「明理、かっこいいー!」
「でしゅもん! 凄いでしゅもん!」
やる気を見せる明理に対して凄い凄いと目を輝かせる二人。
その言葉に先程の車でのやり取りの様に照れる明理。
「そういう事ですから、神様。早く作戦会議しに行きましょう!」
「あの、ちょっと!」
張り切って押してくる彼女により優丸は部屋へと押し込まれ、その後を追って匁と銭も入って行く事に。
中は結構広く二部屋あり、畳が敷かれた和様式の作りとなっている。一見すればホテルと言うよりは旅館と感じる。
「新しい畳だー」
「でしゅもん」
「神様、凄い広いですね!」
三者三様。そんな感想を言う三人。
だが、興奮しているのも数秒。明理は「というわけで」と気持ちを切り替える。
「さ、神様。匁様、銭ちゃん。これから作戦会議を始めますよ!」
「はーい」
「分かったでしゅもん!」
匁と銭が返事をして四人は部屋の中心にあるテーブルに座る。
「……」
「……」
「……」
席に着いたままの状況で何も話さず互いに見合う四人。
そうして、
「神様、どうすれば良いですか?」
優丸の方へと話題を振る明理。その様子に優丸は少し苦笑いを浮かべ、言葉を発する。
「とりあえずえんりから聞いた話をまとめますか」
そうして優丸はえんりから聞いた話を語る。
といっても匁と銭はもう既に聞いてる話だが。
「つまり、この近くの海とこのホテルで何かしているのがいるって事ですか」
「そういう事ですね」
「その原因を見つけるのが他にやる仕事って事ですかぁ」
「はい。それで、匁様達が気にしていた先程の蝶が何かヒントになるのではと思いまして」
「ふんふん。成る程。それじゃあ、最初はあの蝶々を見つけるのが重要って事ですね」
「そうですね」
「じゃあ、早速蝶々を見つけに行きましょう」
「ですね。と、その前にホテルの食堂で夕飯を食べてからにしましょう」
「賛成です! それじゃあ―――、って、あれ? 神様、匁様と銭ちゃんは?」
「え? そこに座って―――」
明理の言葉に優丸が匁と銭が居た場所を見やるもそこには誰も居らず、数秒の沈黙のあと、慌てて部屋中を探す優丸。
だが、どこにも二人の姿は無かった。
その頃、匁と銭はというと。
「待ってー!」
「待つでしゅもん」
ホテルの廊下を飛ぶ蝶を追いかけていた。
というのも優丸が説明をしている時にこの蝶が部屋に入ってきたために捕まえようと飛び立った銭とその後を追って匁も追いかけたのだ。
夢中で蝶を追いかける二人だが廊下ですれ違う他の御客達に銭は見えておらず、匁だけが蝶を追いかけている様に見える。
それを見て微笑ましいと思う者や元気だなと思う者、特に気にしていない者と様々だが、匁の姿を見て走って危ないなと思う者や騒がしいと思う者はいなかった。
そうして蝶はついに行き止まりまで来てしまい逃げ場を失った様子で、後方から迫る銭に捕ってしまい、捕まえた銭は嬉しそうに匁に報告する。
「匁! 捕まえたでしゅもん!」
「凄ーい! 見せて見せてー!」
匁の言葉に銭はふよふよと匁の傍までやってくる。
「これでしゅもん!」
「おー!」
銭に体を掴まれて必死に羽ばたくも飛べない蝶を二人は満足気に見ている。と、
「ごめんね。その子、離してもらっても良いかな?」
ふとそんな声が聞こえて二人が視線を向けると、行き止まりになっていて誰も居なかったはずの場所。
そこにいつの間にか、ボロボロの服を着た、明らかにこのホテルにいるには似合わない雰囲気の虚ろな雰囲気の裸足の十代前半と思われる少女が一人立っており、彼女の周りには様々な蝶が飛び回ったり、彼女の肩などに止まり羽を休めたりしているのが映る。
突然現れたそんな少女にキョトンとする二人だが、匁は先程エレベーターから見た少女だと気付く。
「あー! さっきいた人だー!」
「さっきでしゅもん?」
「うん! エレベーター乗ってる時にね、外に見えた人!」
「りょー、そうなんでしゅもん」
説明を聞いた銭は再度少女を見やる。
「とりあえず、その子離してくれないかな?」
少女はそんな銭に未だに捕まったままの蝶を離すように言うと、銭は「分かったでしゅもん」と、蝶から手を離す。
すると蝶はひらひらと飛び少女の差し出す指の上に止まり、先程まで激しく羽ばたかせていた羽根を休ませる。
「離してくれてありがとう」
少女はそう言うと、二人に背を向けてペタペタと薄暗い壁の方。そこに取り付けられたガラス張りの、この先庭園と書かれた扉に向かって歩いて行く。
と、少女の背中から徐々に先程指先に止まった蝶と同じ柄の羽根が出てくる。
綺麗では無い目玉模様のある羽が。
それを見るや、目を輝かせて興味津々に成り行きを見る匁と銭。
少女はそのまま羽を伸ばしながら、蝶を引き連れ行き止まりの横にあるこの先庭園と書かれたプレートが貼られた扉を開け外へと出る。
そうして、庭園へと出た少女の目に映るのは、月夜に照らされた花壇と大きなプランター。
その上で夜風を受けて揺れる花々と、目を輝かせた匁と不思議そうに辺りをキョロキョロと見渡している銭の姿。
先程まで明らかに自分の後ろにいた彼等が居ることに驚いた表情をする少女だが、匁が構わずに近寄ってくる。
「ねえねえ、それ飛べるの? 飛べるの?」
ワクワクした様子で少女を質問攻めにする匁。
だが、二人が目の前に居ることに何が起こったのかと理解が追いつかず、更に匁の勢いに引きながら言葉に詰まる少女。
その様子に首を傾げる匁。
「ここに居ましたか」
するとそんな声が聞こえ庭園にいた皆がそちらへ視線を向けると、月を背に夜の空に翼をはためかせて飛んでいる優丸の姿が。
彼は飛ぶ高さを落としながら近づき匁の傍へと降り立つ。
「匁様、急に居なくなるから心配しましたよ」
そう言われ匁は少しキョトンとする。
だが、そういえばと優丸が明理に事の経緯を話してる時に蝶々が部屋に入ってきて銭と共に何も言わずに部屋を飛び出してしまった事を思い出し、ハッとした表情を見せる。
「ごめんなさーい」
そう謝る匁。しかし、匁は優丸に目をキラキラさせて報告を始める。
「でもね、蝶々がお部屋に入ってきたからね。追いかけたらねこの人見つけたよ」
匁が少女の方を指し示すと、優丸もその方へと視線を向ける。
そこには羽を震わせ、怯えた様子で動けずにただこちらの動向を見ている少女の姿が。
優丸はそんな少女へ言葉をかける。
「そんなに警戒しなくて大丈夫ですよ。僕達は貴女に危害を加えるために来たわけではありませんから」
優丸はゆっくりと優しい声色でそう語り、少女へと問いかける。
「ところで、貴女は、いえ、あなた方はここに住んでる方達でしょうか?」
「な、何を、言ってるんでしょうか? ここには私しかいませんよ」
少女は震える声で、優丸へと答える。
だが、明らかに、目は泳いでいるのだが。
「だから、安心して下さい。別にあなた方へ何かしようというわけではありませんから。逆に何かお手伝いが出来れば良いなと思ってきたんです」
優丸は真面目な表情で少女へと語りかける。
それに合せて匁もそうだよと声を出し、その横に来た銭も同じ様に頷く。
三人の様子に少女は迷うものの、ふと口を開いた。
「私達はここの近くに住んでたんです。ですけど大きな地震が来て、海が迫ってきて、そのあと、気付いたらこの姿になってて右往左往していたらここにホテルが建ってたので、最初は雨風がしのげればと思ってここに来たんです。ですけど、なんというか皆さんには気付かれなくて居心地が良くて居着いてしまっていました。すみません」
少女はそう答え、頭を下げる。
それに優丸はそうなんですかと答える。と、
「それで、あなた方は居心地が良くて、このホテルを奪おうとしているとかですかね?」
「へ? いえ、そんなつもりはありませんけど?」
優丸の言葉に首を傾げる少女。
それに対し優丸は
「そうなんですね。てっきりここで変な事が起きてることの話を聞いて、怪奇現象を起こしてこの場所を得ようとしてるのかと思ったのですけど」
「変な事、ですか?」
「ええ、なんでもここでは、ビデオカメラが勝手に動いたり、消えたり、誰もいないはずなのに足音や物音が聞こえて、その際に何者かが走り去る足を見たとかという話がありまして」
優丸がそう説明すると少女は徐々に表情が変わり、心当たりがある様で、凄くバツが悪そうな顔になっていく。
そんな少女の様子に気付いた優丸。
「どうかしましたか?」
「え!? あっ、あの、いえ、それは、あの、そのー、ごめんなさい。ここに来る人達が楽しそうで混ざりたいなって思ったりして、でも私達の事は見えないですし、あと見たことない珍しい物持ってきてたので、少し興味本位で触ったりしただけで、ごめんなさい!」
頭を下げる少女。
それに対して僕に謝られてもと思いいつつ「謝らなくても大丈夫ですよ」と苦笑い交じりに優丸は答えつつ、そういう事かと納得し、話を続ける。
「それで、今ここには幽霊が出るといった噂が立ってるそうで、客足が減ってるそうなんですよ」
「そう、なんですか?」
気まずそうに問いかける少女に優丸はこくりと頷く。
それに対して、ちらっと先程銭達が追いかけ捕まえた蝶を見ると、俯く少女。
「ですが、貴女の様子からここを奪いたい訳じゃ無いのと、潰れて欲しくもないんですよね?」
優丸の言葉に少女は顔を上げる。
と、少女へ優丸は続ける。
「で、あれば、ここから離れた方が良いでしょう」
「離れる、ですか」
少女がそう呟いた瞬間、一匹の蝶が優丸へと迫る。
それは先程少女がチラッと見た蝶。
すると、それを皮切りに少女の周りにいた蝶が一斉に優丸へと飛来し、襲いかかる。
といっても、相手は蝶であり、優丸は最初身構えた物の、平気なのを感じ取り身構えたのを解いたが、この後、どうしたら良いかと周りで激しく、抗議するかのように飛ぶ蝶を見ている。
「皆、やめて!」
するとそんな少女の言葉が聞こえて、優丸の周りに群がっていた蝶は優丸に襲いかかるのをやめて、少女の元へと戻る。
そんな蝶達へ少女は首を横に振ると「ありがとう」と言い、優丸に視線を戻した。
「ごめんなさい。僕、何か気に障ることを言ってしまったみたいですね」
「いえ、良いんです。ですけど、ここを離れたら私はどこに行けば良いんでしょうか?」
「ええ、それならちゃんと考えてます。どうでしょうか? 僕達の住む村に来るというのは」
「村、ですか?」
「はい。妖怪だけが住む場所です。貴女の今の様子から村に来ても大丈夫だと思ったので、それに村に来さえすれば悪霊にならずに済みます。どうでしょうか?」
少女に優しく微笑む優丸。少女は俯いて、考え、そうして顔を上げる。
「やっぱり私は、ここから離れたくありません。ここにいちゃダメなんでしょうか?」
少女の言葉に優丸は
「ここから離れたくないんですね。しかし、現状で留まるのはあまりよろしくは無いです。他の方々はちゃんと妖怪となっていますが、貴女は妖怪化が途中で止まり、半分死霊という状態です。死霊であればいずれ行き着くのは悪霊という道。そうなってしまえば、自分にその意思がなくとも、この土地に悪い気をばらまいてしまうんです。そうなってしまえば、どうしようも無くなってしまいますから」
優丸が言ったその言葉に再度俯く少女。そして、
「神様どうかしてあげられないんですか!?」
不意に聞こえた声。それにビクッとする少女と、優丸。
声がした方を見ればいつの間にいたのか、明理が憂いを帯びた表情で少女の後ろに立っていた。
「あ、明理さん?」
「この人、誰かは知らないですけど、ホテルから離れたくない感じがひしひしと伝わってきたんです。どうにかしてあげられないんですか!?」
訴える明理。
優丸は一瞬考えるものの、頭を左右に振り、
「それは難しいです。他の方と同じ蝶化身となっているのであれば良いんですが、半分死霊となっている彼女では、いずれにせよ人の悪い感情や気を集めて溜めてしまい、悪霊と化し、彼女が望まない形の結果にしかなりませんから」
何か方法があるはずと思う明理も優丸のその真剣な様子の言葉に「そんな」としか言葉が出なかった。
「ねえねえ、優丸」
沈む雰囲気を壊して声が優丸へと向かう。
それは隣でやり取りを見ていた匁。
「匁様、なんでしょうか?」
「この人が、死霊じゃ無くなれば良いのー?」
「そうですけど」
「そうなんだ! じゃあ、任せてー!」
匁はそう言うと元気に少女の元へと駆け寄る。その後ろを何をするのかと銭が後を追ってやってくる。
匁は少女の元へ辿り着くと、言葉を発した。
「ねえねえ、お手々出してー!」
「え? あ、はい」
匁の言葉に少女は何をする気なんだろうかと恐る恐るといった感じで手を差し出す。
それを掴む匁。
「りょー、匁、これから何するんでしゅもん?」
そばに来た銭がそう問いかけると、匁はニコニコと銭へ耳打ちをする。
「これからね。僕の力分けてあげるの」
「りょー。分けるとどうなるんでしゅもん?」
「大丈夫になるんだよ」
「りょー! なら、銭も力分けてあげるでしゅもん!」
すると銭も気合い十分と言った様子で少女の手に自身の小さな手を置く。
と、少し離れたところにいた優丸が銭の大きな声で察したのか慌て、駆け出した。
だが、時既に遅し。匁と銭は妖力を少女へと注ぎ、
急に眩い輝きで匁と銭を除いた、その場にいた全員が目を瞑った。
そうして、光が収まった感覚がして皆が目を開けると、満足げな表情の二人の姿と、
「な、なんですか、これ!?」
先程までボロボロだった姿から一変。綺麗な黄色の着物を着た少女の姿があり、背中には目玉模様の羽ではなく白い蝶の羽に変わっていた。
その羽には目玉模様の名残か一つ黒い点と、下の翅に白い丸の紋がある。
「これでもう大丈夫だよー」
困惑する少女に微笑む匁。
その後ろでは、やっちゃったと言うような表情をする優丸と何が起こったのかよく分からないが、何かが一件落着したのを感じ安堵の表情をした明理の姿。
「えっと、あのー」
しかし、何が起こったのか一番理解していない少女が優丸に助けを求めるように声を出すと優丸はその雰囲気を感じ取り口を開く。
「これで、貴女はここから離れなくて良くなりましたよ。もう貴女は悪霊ではなくなりました」
優丸の言葉にキョトンとする少女だが、離れなくて良いという言葉を聞き嬉しそうな表情へと変わる。
「良いんですか!?」
「ええ」
優丸の返答に嬉しそうにしている少女。だが、優丸は悩んでいる様子。
それに気付き、明理は問いかける。
「どうかしたんですか神様?」
「これ絶対、村の皆から怒られますし、どれだけ渡したんですか匁様」
チラッと少女を見る優丸。その目に映るのは先程の少女が発していた微弱な妖力では無く、強大な妖怪が宿している程の力。
「いっぱい頑張った!」
「でしゅもん! 銭も頑張ったでしゅもん!」
そんな優丸に元気に報告する二人。それは完全に褒めて欲しい子供のような様子で。
優丸は報告する二人に、呆れつつ、しかし、匁はこういう方だと言う事を思い出していた。
「それじゃあ、これで解決したからこれからいっぱい遊べるね!」
「でしゅもん。いっぱい遊べるでしゅもん!」
「そうですね。いっぱい遊べますね! ほら、神様ももっと喜びましょうよ!」
そんな暢気な事を言う三人に呆れつつも、優丸はふと他の三人に聞こえないように小声で少女へと問いかける。
「ところで、一つ聞きたいことがあるのですが貴女は海の方で何か事件を起こしたりはしましたか?」
「いえ、そんな事件になるようなことはしてないと思います。ただ時々変な灯りが見えたりはしてますけど」
「成る程」
「じゃあ次は海だね!」
「でしゅもん! 次は海に行くでしゅもん!」
「今日は立て続けですね! 頑張りましょう神様!」
「……」
話を全て聞かれた優丸は、眉間の皺を指で押しながら三人へと言葉を発する。
「行く前に夕飯でも食べに行きましょう。匁様達もお腹空きましたでしょう?」




