第十四話:きもの
晴れ渡る空。
不安定に降り続いた雨が止み、気持ちいい程に晴れ渡る空の下。
紅白は家の裏へとやって来ていた。
そこは木陰となっている涼しい場所。そして、彼女の母が眠る場所。
匁と共に埋葬し、簡易的ではあるが目印として大きな石を置いた、そんなお墓の前に来た紅白は目の前でしゃがむと、地面に一枚の紙を敷きその上に小さく丸めたご飯を置き、水を入れた湯飲みをその横に。
そして線香を灯し、石の前に置かれた小さな線香立てに立てる。
のだが、ふとその線香立てに火の消えている短い線香が置いてあるのに気付く。
誰か先に来たのだろうかと思う紅白だが、ここに埋葬しているのを知っているのは匁くらいなため家主がこっそり来て立てたのだろうと考える。
「紅白何してるでしゅもん?」
かけられたその声に振り返ると、空中に浮きながら不思議そうな顔でこちらを見やる者。
銭の姿がある。
「お墓参りに来たのですが、銭様はどうしてこちらに?」
「飛んでたら紅白が見えたから来たでしゅもん」
言い、ふよふよと近付いてくる銭。
そうして紅白の横まで来ると銭は石が置かれただけの簡易なその墓に小首を傾げる。
「これ誰のお墓でしゅもん?」
「私の母のお墓です」
「りょー、そうなんでしゅもんね。紅白のお母さんも匁に仕えてたんでしゅもん?」
「いえ、母は……―――別の方に仕えておりました」
「りょ? そうなんでしゅもん?」
「はい」
平常心を装い答えながら少し胸が苦しく感じる紅白。
それを感じ取ってか、それともただその先に興味が無いのか、はたまた別の理由か、銭はそれ以上紅白に母親について言及する事は無く、じゃあ銭も拝むと地面に降り立ち手を合わせた。
それに少し遅れて本命でもある紅白も手を合わせる。
「あ、銭。ここにいたんだー」
拝み終えた時、暢気な声が二人の耳に届く。
そこには二人を見つけ嬉しそうな表情で見やる匁の姿。
「匁、準備終わったでしゅもん?」
「うん。終わったよー」
元気に返答する匁。
それに小首を傾げる紅白。
「家主様、本日何かご予定御座いましたでしょうか?」
問いかけられた言葉に質問者同様に小首を傾げる匁。
そして、数秒考えた後―――、
「あ、紅白に言うの忘れてたー!」
伝え忘れていたのを思いだした様子で声を出す匁。
「あのね、今日ね、梅のお店に銭の着物取りに行こーって、さっきお話ししてたの!」
「そうなのですね」
「うん」
すっきりしたような様子で元気に頷く匁。
そんな匁に、では行きましょうと声をかける紅白。
「あ、その前に僕も紅白のお母さんになむなむするー!」
匁はそう言って紅白の隣に立ち、お線香あるかと問いかけてきて紅白は線香を一本手渡すと、匁は線香を灯し線香立てに立てると、石の前でしゃがみ拝み始める。
と、そこでふと紅白は首を傾げる。
匁は先程ここに来て線香を立てたのでは無いかと。
「それじゃあ、行こー!」
「りょー! 行くでしゅもん!」
だが、そんな疑問も元気に出発の合図を奏でる二人にかき消され紅白は二人と共に村の中心へと出発する。
今日も今日とて活気のある声が村から、していなかった。
晴れており、いつもであれば村の者が色々と生活を繰り広げているのに今日は全く外に出ている者がいない。
まるで一日でもぬけの空になってしまったような静けさ、いつもと違う雰囲気に何が起きたのかと思う紅白。と、
「りょー、匁、今日誰もいないでしゅもん」
辺りを見てそう声をかける銭。
それに本当だーと声を漏らす匁だが、何かを思い出したのか思いついたのかのように「あ!」と声を出す。
「もしかして」
匁はそのまま近くの家に近付くと、その戸口をコンコンと叩く。
すると少しして戸口が開き、妖怪が顔を見せる。
「あれ? 家主様どうしたんですか?」
「あのね聞きたい事あるんだけど、もしかして今日って通るの?」
「え? 家主様の所に知らせ来てないですか?」
「うん。来てなーい」
「そうなんですか。今日の今の時間に通るって聞いてますよ」
「そうなんだ。ありがとー」
「はい。それでは」
答えた住人は匁が離れるとすぐに戸口を閉める。
その様子に何やら違和感と不安を覚える紅白。
と、匁は戻り来ると―――
「銭、紅白。あそこに座わろー」
そう言うと誰もいない茶屋の横にある席を指さす。
二人は匁に言われるままに、その茶屋の席へと座ると、匁が離れないでねと一言。
その言葉に不思議そうな顔をするものの分かったと答える二人。
すると、それとほぼ同じくらいのタイミングで、三人の耳に鈴の鳴る音とカランカランと板がぶつかるような音が一定の間隔で聞こえてくる。
その音がなんなのかと疑問に思う紅白と銭だが、辺りを見渡しても特に何も見えず、音だけが聞こえるのみ。その音は徐々に大きくなり近付いてくるのが分かる。そうして音が大きくなったなと思った瞬間、それは突如として病院のある方角の村の入り口に現れた。
最初に目に入ったのは村にある建物よりも遙かに大きな、大きな体。
そしてその上。そこには人の上半身と思われる形状であり、人の顔と思われる部位には巨大なおかめのお面を付け、誰もが思い浮かべるような天女という様相の者が。
その上半身の後ろでは、天女を思わせるような羽衣がたなびいている。
次第に近付き建物で遮られていた下が目に入る。そこには大く細く白い手と腕が見える、そこには細い縄が巻き付いており、縄の所々に鈴や板が取り付けられ、動く度に揺れてぶつかり音を鳴らす。
更に同じ様な腕が後方にもあり、計六つの白い手の指先だけを地に付き、それで体を支え村の中を通る。
その後ろでは、艶やかな白い尾が動いているのも見える。
と、近付いて来ると、その化物の背でたなびいている羽衣は、衣類の羽衣ではない事が分かる。
巨大な触手。日光を浴び光り、輝く白い羽衣に見えるだけの触手は先端がうねうねと動き、そう見えているだけである。
その化物はその巨体であるにも関わらず動く度にするのは鈴とお面と木の板がぶつかる音のみ。
化物はしばらく進むと、不意に止まり、横に顔を向ける。
そこは、匁達がいる茶屋の席。
化物は前の腕を曲げ姿勢を低くし、上半身を倒すとおかめの面を匁達の方へと向ける。
のだが、その両端に見える紙の先端も匁達の方を見やる。そう、見やるのだ。
髪のように見えるそれの先端には大きな目があり、それが匁達を捉える。
それにビクリとする銭と紅白だが、匁は至って平常心。
と、三人の頭に声が響く。
『迷家の家主、何故ここにいる』
それは化物からの言葉。
だが、知らない二人は戸惑うだけだが匁は普段通りに化物に答える。
「今日行くよーってお知らせ無かったから」
『ん? ……そうか。知らせを忘れていた。許せ』
「良いよー」
『では、急いでいる故失礼する』
化物は匁にそう告げると再度体を起こし、歩みを進める。
その行進を見やる三人。
化物はそのまま村を進み、山の神社の方へと向かう道へと行き、そうして突如としてフッと消えた。まるで最初から何もいなかったように。
消えた途端に緊張が解けたようで安堵する紅白と、慌てながら銭が匁へと問いかける。
「匁、あれなんでしゅもん!?」
「え? 神様だよ?」
「りょ? 神様ってあの大きいのが行った先にいる白面じゃ無いんでしゅもん?」
「白面はね山の神様でね、さっきのはねお池の神様なんだよ。『沼湖堤神』っていうお名前でね、河兵衛のお家の上にある大きいお池にいるんだよ」
「りょー、そうなんでしゅもん」
のほほんと答える匁に納得したように、感心したように答える銭。
と、何か疑問に感じたのか小首を傾げた銭が匁に問いかける。
「その神様はなんであっちに行ったんでしゅもん?」
「多分、お祭りのお話で白面の所に行ったんだと思うよー」
「りょー」
そうなんだというように銭が声を漏らすと、そろそろ行こうと匁が席を立ち三人は呉服屋に向けて出発する。
いつもと違い人通りの無い道を進み、匁達は目的の建物の前に着く。
着くのだが、その建物。呉服屋の前で頭を抱える梅としゃがんで何かをしている八千代の姿が目に止まる。
「あれ? 梅と八千代どうしたのー?」
「ぽぽぽ!」
「ん? ああ、匁ちゃん。いらっしゃい。ちょっとね、咲子の奴、今日に限って寝坊して慌てて来たせいで丁度通りかかった堤神様の霊気にあてられちゃってねぇ」
言って梅が避けると、そこには倒れて泡を吹き、痙攣している咲子の姿。
その様子に匁はあちゃーといった様子で見やる。対して傍にいる紅白は何故かは分からないがヒッと引いてしまう。
と、ここでふと匁が問いかける。
「ねえねえ梅、咲子の所にもお知らせ来なかったの?」
「ん? んー、それは無いと思うけどねぇ。けど、昨日帰る時にも言っておいたんだよ。今日は堤神様が通るから遅刻しないか、通り過ぎるまで来ないようにってさ。なのに咲子は、全く」
やれやれというように溜息をつくと再度頬に手を当て咲子を見やる梅。
「りょー、梅ー。病院とかに連れてかなくて良いんでしゅもん?」
「ん? ああ、こういう時は病院行ってもダメなんだよねぇ。病院で治せる異常が出てるわけじゃ無いからね。それにしばらくそっとしとけば大丈夫だから。ただ、店の前だからさ、いつまでもこのままにしておけないんだけど、当てられてる間に触れると触ったこっちも当てられる可能性があるから下手に触れないんだよねぇ」
「りょー」
理解したように声を漏らす銭。
その傍ではどうしたもんかと悩む梅。
「じゃあ、咲子の事、僕がお家の中に運ぶ?」
「え? 良いのかい?」
「うん!」
「それじゃあ匁ちゃんにお願いしようかねぇ」
「はーい」
元気に名乗りを上げた匁は咲子の隣にしゃがむと、よいしょとお姫様抱っこをする。
つもりで持ち上げたのだが、なんというか背中だけを持っているために手と足がだらんと地面につきなんともいえない体制に。
それに気付き匁は、手足が地面に擦らないようにと咲子を頭上まで高らかに持ち上げる。
まるで天に向け生け贄を差し出しているようにも見える状態だが、そんな事は気にせず皆はうっかり咲子に触れないように梅に先導されて店の中へ。
向かうのは店の奥。
辿り着くとそこにはいつも通りに壱面が止まり木に止まっている。のだが、いつもであれば首を伸ばし来客を見やる壱面が、今日は皆が部屋に入った瞬間にニヤニヤした顔を引きつらせて真っ直ぐに姿勢を伸ばし、首は引いて一点を見やる。
そう、匁の掲げる咲子を。
梅は匁に待っててと言うと、部屋の奥の開いているスペースに布団を敷く。
「そんじゃあ、匁ちゃん。咲子はここに寝かせて」
「はーい」
梅に言われる場所に掲げた咲子を運ぶ匁。
横を通る際、部屋の真ん中に設置された止まり木の真ん中に陣取るようにいる壱面は、匁が通った方と反対側に寄り動向を見る。
そんな壱面に見守られながら匁は咲子を布団へと降ろし、梅がその咲子の上に布団を掛ける。
「これでとりあえず様子見だね。ありがとね匁ちゃん」
「どういたしましてー」
「それで今日は、着物取りに来たのかい?」
「うん!」
頷く匁にそれじゃあ取ってくるから待っててと梅は着物を取りに行く。
残ろうとした八千代を引きずって。
その間、寝かされている咲子の方をチラチラと気にする紅白とジッと見やる壱面。
と、ここでふと紅白の頭に疑問が浮かぶ。
何故、私達は大丈夫なのかと。更には、何故匁は大丈夫なのだろうと。
「お待たせ匁ちゃん」
と、疑問を頭に浮かべた辺りで戻り来る梅と八千代。
その手には着物を包んでいるであろう風呂敷を抱え。
「これが銭ちゃんの着物だよ。最初から作ったもんだからさ、時間が掛かっちゃってごめんねぇ」
「ぽぽ!」
「ううん。ありがとう梅と八千代」
「ありがとうでしゅもん」
二人にお礼を言う匁と銭。
それを受けて嬉しそうに、いつも通りにうちの子にならないかと声をかけ拒否される梅。
「はい。梅これー」
そうして匁は梅にお金を手渡すと、梅はありがとうとお金を受け取る。
「それじゃあ、僕達は帰るねー」
「ああ、気を付けて帰るんだよー」
「はーい」
見送る梅にそう返答し、匁達は呉服屋を後にする。
そうして呉服屋を出た三人の目には普段通りに活気が戻っている村の姿があった。