第十三話:けんこうしんだん
晴天続きだった昨日までと違い、今日は灰色の空から降り注ぐ水が大地を濡らしていた。
その降る音を聞きながら座りぼんやりとしている紅白の視線は、ちゃぶ台へと視線へ向けている匁と銭に向けられている。
ちゃぶ台には一枚の紙が置かれており、それを二人は真剣な表情で、ゆっくりと声に出しながら読んでいく。
そこには、大きく印字された定期健康診断のお知らせという文字と、案内の文章。そして最後に、明らかな手書きで『新人も連れてこい』と書かれている。
読み終えた匁は銭の方へ視線を向け、口を開いた。
「健康診断だってー」
「健康診断でしゅもん」
書いてある事を復唱する匁と、意味も分からぬまま匁の言葉をただ復唱する銭。
「銭、どうするー?」
「呼ばれてるなら行ってみるでしゅもん!」
「そっかー」
銭の言葉を頷き受け止める匁。
そして二人は、正座し、やりとりを見ていた紅白の方を見やる。
「「紅白!」」
「はい」
「病院に行くよー!」
「行くでしゅもん!」
フンスとやる気満々に発言する二人。
対し、紅白は普段通りのあまり感情のないような声色で「承知致しました」と返答する。
思い立ったが吉日と言わんばかりに病院に行くために準備を済ませた三人。と、言っても特に用意する物はないのだが。
匁は見ていた紙を持ち、三人は玄関へと向かう。
玄関を開けた三人の視線には、強くもなく弱くもない、長引きそうな雨が降っているのが映る。
バサッ。
ふと、後ろから聞こえた音に匁とその横で浮いている銭が振り返るとそこでは紅白が赤い唐傘を広げていた。
紅白はその広げた傘の中に二人も入るように数歩ほど歩む。
「それでは参りましょう。家主様、銭様」
「うん! 行こー!」
「りょー!」
勢いよく返事する匁と銭。
そうして三人は出発する。
雨の音を地面で、傘で、降る様子を水溜まりに出来る無数の波紋から感じつつ、楽しそうに雨の歌を歌いながら上機嫌で進む匁と銭。そんな二人が濡れないように注意しながら従する紅白。
しばらく歩き三人は村にある病院。風切医院へと辿り着く。
そこは周りが江戸や大正の頃の様な昔風の建物が多い中、まるで現代から持ってきたような病院という風貌でその医院は目立っている。
ガラス張りのドアを開け中に入った三人は病院特有の薬品の香りを感じる。
と、そんな三人の元に一つの影が近付いてくる。
それは頭は無く、太っているようにも、全身が水ぶくれを起こしているようにも見える桃色の体躯に、パツパツになっているナース服を着ている。
ナース服には名札がついており『百桃』と書かれている。
と、その妖怪は紙を三人の方へと差し出した。
『本日はどの様なご用事ですか?』
そう書かれた紙を。
「今日ね、これで来たの!」
対して匁は百桃という名前らしいその妖怪に持ってきた健康診断のお知らせの紙を見せる。
それを見た百桃は、紙を変え、『ついて来てください』と書かれた紙を見せて三人を案内する。
三人が通されたのは、診察室。
ファイルの入った棚等が置かれ、部屋にある机の上には少し古いパソコンが置かれている。
この部屋で病院の長であるマイがカルテを見ており、その前には匁達より先に健康診断を終わらせた様子の先客三人が目に映る。
「んで、先生ぇよ。おいらの体っこ、どうだべが?」
「んー、そうだな。今のところは問題はないが、体に疲れが蓄積されている様子が見られるな。今後、少し仕事を減らして貰って体力回復を図った方が良いかもな」
「んだのが。分がっだ」
「それで、私はどうだ?」
「東雲は血圧が高いな。聞いた感じだと少し食生活を見直した方が良い」
「む、そうか」
「二人ともー、しっかりしないとダメだよー? ま、私は別に異常はないだろうけど」
「確かにお前は健康面では問題は見られないな、ただ頭が悪いな」
「でしょー? ほーら、お姉様も勤蔵丸も私を見習って―――、あれ? マイ先生今なんて?」
「とりあえずこれが診断結果だ。あとで、イチから詳しい資料でも貰うなりして生活面改善するんだな。千苑は無理だけど」
「先生? あの―――」
「それじゃあ次の診断する奴も来てるからまたな」
「先生ぇ、ありがとだ」
「それじゃあ、迷惑になる前に行くぞ。勤蔵丸、そこで騒いでる千苑を担いでくれ」
「了解だー」
ちょっと私の方を向いて、聞いて、とマイに喚き続けていた千苑は担がれ暴れているものの勤蔵丸の腕からは逃れられないようで、三人は診察室を後にする。
すれ違う際、会釈する二人に同じく会釈をする紅白と、ばいばいと手を振る匁と銭。
そうして、入れ替わるように匁達はマイの前に来ると、置かれている椅子に座るように指示を受け、腰をかける。
「いつもならギリギリか来ないのに、今回は早いな。雨でも降るかもな」
「もう降ってるよ?」
「でしゅもん。降ってるでしゅもん」
小首を傾げる二人と、皮肉が通じていない事になんともいえないといった表情をするマイ。
だが、まあいいかとマイは続ける。
「そんじゃ診断を始めるから、部屋の前にいる百桃について行け」
「はーい!」
「はいでしゅもん!」
元気に返事をして診察室を出る匁達。
と、目の前にはマイが言ったとおり百桃が立っている。
それに「お願いします」と頭を下げる匁に続いて頭を下げる銭。と、丁寧に続く紅白。
百桃は二人が頭を上げると『ご案内します』と書かれた紙を見せ、向きを変えて他の部屋へと進む。
その後をついて行く三人。
通された部屋は、診察室と変わらない広さの部屋。
だが、診察室とは違い、身長計や体重計等の測定器がある。
そこではナースが二人、測定のために立っているのだが、顔には口以外がなく、その口の中の歯は全て黒い。もう一人に至っては口さえもない、のっぺらぼう。
と、目がないのにも関わらず二人は匁達に気付いたようで三人にこちらへどうぞと歯の黒い妖怪が声をかけてくる。
その指示に従い、匁と銭、紅白は測定器の前へ。
三人が来ると歯の黒いナースが乗るように言うと、言われるままに身長計と体重計に乗る匁と、浮いてる状態から降り立ち、言われるまま匁と同じ様に乗る銭。失礼しますと一礼してのる紅白。
のっぺらぼうのナースは歯の黒いナースから聞いた数値をパソコンに入力している。
そうして皆の測定が終わると、三人は次の部屋へと百桃に案内される。
今度の部屋にはテーブルが置かれ、その上には人数分のヘッドホンと押しボタン。そして人の頭程ある石が一つ置いてある。
匁達はその石があるテーブルを囲むように置かれた椅子に座るように指示を受け座ると、百桃は部屋を出ていく。
残された匁達。
紅白は目の前に置かれているヘッドホンをどう使うのか分からずにいると、
「匁ー、これなんでしゅもん?」
銭が早速、興味津々に目の前に置かれたヘッドホンについて匁に問いかける。
と、匁はヘッドホンを手に取り、
「これね、こうやるんだよ!」
実際に付けて実演してみせると銭は感心したように「りょー」と声を出す。
「こうでしゅもん?」
「うん」
そんなやり取りをしてヘッドホンを耳に当てる匁と銭。
紅白もそれにあわせて見様見真似でヘッドホンを耳に当てる。
「皆さん取り付けましたね?」
紅白が取り付けた瞬間、不意に聞こえた小さな、囁くような声にビクッとする銭と紅白。
誰かいるのかと辺りを見る二人だが、誰もいない。
対して匁は驚いている様子もなく元気に「うん」と返事をする。
「それではボタンを手に持ってください」
再度小さな声が三人に聞こえてくる。
銭と紅白は誰かいるのかと気にしてしまうが普段通りの様子で声に従う匁の動きを見て、同様にボタンを手に持つ。
「では、これから聴力検査を始めます。音が聞こえたらボタンを一回ポンと押してくださいね。それと、検査の際は静かにお願いしますね」
どこからともなく聞こえる消え入りそうな声に頷く三人。
そうして、一瞬の沈黙の後。
小さな鼻歌のような音が聞こえてくる。
それに合せてボタンを押す三人。
するとまたもや一瞬音が消え、再度、今度は違う感じの鼻歌のような音が聞こえてくる。
この音にもボタンを押す三人。
しばらくこのやり取りを繰り返し、
「お疲れ様でした。以上です。次の検査に向かってください」
この声が聞こえ、ヘッドホンを外す匁。それを見て外して良いんだと紅白もヘッドホンを外した。
―――のだが、真剣な様子でヘッドホンを外さずにボタンを押す銭。
そして次の音を待つ。いつでも来いという覇気を放ちながら。
「銭、終わったよー?」
「……? りょ?」
不意に聞こえた匁の声に銭が顔を向けると、その目にはヘッドホンを外した匁の姿が映る。
「もう終わったんでしゅもん?」
「うん。だから早く次に行こー」
「分かったでしゅもん」
もう終わりかと少し残念に思う銭だが、匁の言うとおりに三人で次へと向かう。
部屋の外で待っていた百桃に連れられ、次に三人が来たのは机の置かれている部屋。
その上には血圧計が置かれ―――
「あ、これはこれは迷家の旦那と紅白さんと銭さん、こんにちはッス」
白衣を着た雷造の姿が。
「あれ? 雷造何してるのー?」
「何してるでしゅもん?」
「何って決まってるじゃないっすか。マイハニーの手伝いッスよ。今日のうちに健康診断を三周したら、暇なら手伝って欲しいって言われたッスからね。フッ、マイハニーの頼みなら断る理由は無いッス」
小首を傾げる匁と銭に何故か決め顔で言う雷造。
それを聞いた二人は「そうなんだ」と感心した様に返事をする。
「それで、俺は血圧の測定を任されたっすから、旦那方、席に座ってくれっす」
「はーい」
「分かったでしゅもん」
返事をして用意された席に座る匁達。
「それじゃあ始めるっすよー」
雷造は皆の腕に腕帯を取り付け、それぞれの機械を作動させていく。
そうして滞りなく測定は終わり、三人は百桃に連れられて診察室へ。
「マイ、終わったよー!」
「でしゅもん!」
入るなり中にいるマイに声をかける二人。
それに対してマイはただそうかとカルテを見ながら一言。
「それでどうだったー?」
「どうでしゅもん?」
軽く流された事など気にせずに問いかける二人。
対してマイは眼鏡の奥の鋭い視線でカルテを見つつ、真面目な様子で口を開く。
「匁と紅白は変わりなし。至って普通だ。銭、あんたは初診だからなんともいえないが、ま、概ね問題なしだろう」
「ふーん」
「りょー」
「そうなのですね」
「匁ちゃん、身長も変わらないのかい?」
「ああ」
「それは大変じゃないか! 匁ちゃん、やっぱりうちの子になりな! あと、銭ちゃんも」
「ぽぽぽぽ!」
「やだー」
「嫌でしゅもん」
「そんなっ!」
崩れ落ちる梅。
そんな梅の方へと視線を向けるマイ。
「というか、いつからいたんだ梅と八千代」
「え? ついさっきだよ。ねぇ?」
「ぽぽ」
あたかも当然と言うように顔を見合わせる梅と八千代。
それに呆れたように自身の額を突くマイ。
「まあ良い。あんたらも健康診断受けに来たんだろ?」
「え? いや、私達は匁ちゃん達が病院に行ったって聞いたからさ、何かあるんじゃ無いかと思ってね。とんできただけだよ」
「ぽぽぽぽ」
梅の言葉に頷く八千代。
それを見てこめかみに筋を浮かべるマイ。
「あ、そうそう。匁ちゃん、銭ちゃん。服出来たからいつでも取りに来て良いからね。これから来ても良いし」
「ぽぽ!」
「うん! 分かったー!」
「でしゅもん!」
「それじゃあ、またねー」
「ぽぽぽ!」
そう言って診察室から出て行く二人にじゃあねと手を振る匁と銭。
それを見て上機嫌になった二人は手を更にぶんぶんさせ、部外者が来たと通報を受けたイチに「何やってるんですか」と二人は押される形で病院の外へ。
「はあ、今日はなんなんだ。まあ良い。三人の結果はこの通りだ。帰り気を付けて帰れよ」
「はーい」
「分かったでしゅもん」
「本日はありがとうございました」
「ああ」
元気よく返事をする二人と、頭を下げる紅白へ溜息交じりに短く答えマイは診察室から出て行く三人を見送る。
そうして静かになった診察室にて溜息をつき、天を仰ぐ。
「あー、なんで今日の健康診断こんなに疲れるんだー? はあ、それもこれも―――」
「なーに疲れた顔してんスか。マイハニー」
かけられた声にギロリと睨みを効かせるマイ。
そこには輝く犬歯を見せ立つ雷造の姿。
―――そもそも雷造が何度も何度も来るからだよな。
「どうしたんスかマイハニー。俺の顔を見て。何か付いてるッスか?」
「なんでもない」
「そうっすか? まあ、困り事があったら、なんでも言うっすよ?」
優しく微笑む雷造。
それを見て、ふんとそっぽを向くマイ。
その顔は先程出て行った匁達の傘の色が窓から入り込み映ったのであろう。紅色に染まっていた。
そんな二人の様子を診察室のドアの隙間から見るナースの三人とイチはやれやれと言った様子で顔を見合わせる。
外で降る雨はそろそろ止みそうな程に弱くなり、雲間からは少し日が差していた