第10話:お帰り
「お菊様、本家からその様なモノを奪うなど、お気持ちは変わらぬのですか?」
「変わりません。この方を知る者なればこそ、―――なんと言われようともこの桐箱は、処分などさせてはいけません」
「ですが、盗みをしてしまえばお菊様は一生本家から狙われるのですよ? そんなものの為―――」
「それは承知の上です。それに、守って下さいますよね」
無邪気な笑顔を見せ走りながらそう話す、紅い簪を付けた女性。
その手には大事そうに抱えられた大きな桐箱があり、そこには一枚の御札が貼付けられている。
そんな女性の言葉に少し頭を抱える側近だが、変わらない主人の意思に折れ、仰せのままにと言うと辺りを警戒しながら少し前を走る。
そうして屋敷の門を抜け出した二人。その後ろからは次第に騒がしい声が聞こえてくる。
そんな騒ぎの音を背で聞きながら二人は止まる事なく、土を蹴り、松明の灯も無い暗闇へと去って行った。
暗く暗い視界の中。
何も無い空間に私は一人。見渡す限り何も無い。これは夢だと直感する。
だけれど、覚める事は無くて、ずっと暗いまま。
と、何もいなかった空間だったのに視界の先に、ぼうっと何かが現れた。
それは次第に形が分かる様になっていく。
人だ。着物を着た女の人。
その人はどこかで見た事がある様な人だけど、思い出せない。ただ特徴的な紅い簪が目につく。
と、その人は真面目な表情で私を見てくる。
何を言うでも無くただ私を見てくる。
一体何だろうと思うけれど、この人は何も言わずにずっと私を見てくる。
と、ふとこの人の手が右に伸びているのに気付く。
まるで何かと手を繋いでいる様に。
けど、その手の先が見えない。
どんなに頑張って見ようとしても見えない。
すると、真剣な表情で私を見ているこの人の顔に視線が強制的に向けられた。
彼女の口が動く。
―――――、――――、――――。
今、なんて―――……。
その瞬間だった。
急にその人が吹き飛んで闇の中に消えた。
何事かと思った私の目の前に二つの鋭い爪と白く毛皮。そして馬の足の様なモノが映った。
直感が、この化け物がやったのだと理解する。
見上げるほど大きな怪物。
ぼやけて全体がしっかりと見えてるわけじゃないけど、はっきりと見えているのはさっき見えたところだけだけど。
突然、怪物が叫ぶ。なんとも言えない、怖くも可哀想にも思える叫び声に身を強ばらせる。
怪物はそんな動けずにいる私に向かって鋭い爪を振り下ろして―――
ハッとして目を覚ました。
夢。
夢だ。
ああ、夢だぁ……。
いや、最初から夢だって分かってたはずだったけど。
額の汗を拭う。
……はあ、なんか嫌な夢見ちゃった。
体を起こして溜息をついた私の視線の先に映るのは友人から借りたホラー映画。
といってもB級もB級。いや、B級というのもおこがましい様な内容のホラー映画だ。
友人はこれが怖いらしいけど、馬の頭の化け物がにんじんを囓りながら夜な夜な歩きながら道行く人を驚かすって内容で、出演陣皆ほぼ棒読みだし、馬の妖怪もただ馬の被り物した人だったし。
あまつさえ監督映り込んじゃってたし。
これが怖いって、ある意味怖いの方かと思ったけど、見た後友人に話したらがちで怖かったらしいし。
これが怖いのによくオカルト研究部なんて立ち上げたとは思う。
この映画のせいであんな夢を見たのかな? いや、夢に出て来た化け物の方が何倍も怖い。
……思い出しただけで寒気が。
でも、子供じゃ無いんだから夢の事なんて忘れて今日も学校に行く準備しよ。
私はベッドから降りていつも通りに支度をして、部屋を出て、階段を降りる。
ふと目につくリビング。そこには私の分だろうと分かる朝食がラップされて置いてある。
それはいつもの事。今の時間。学校に行く私以外の音がしないのもいつもの事。
お母さんが死んでから、お父さんも仕事が忙しくなったみたいで姿なんてかれこれちゃんと見た事が無い。最後に見た時なんてかなりやつれた姿だ。
溜息が出る。
今に始まった事じゃないけど、なんで特に贅沢もしている訳じゃ無いのにうちは貧しいんだろう。
そんな事を考えてしまう。
いや、そんな事よりも朝食食べて学校に行こう。
「いただきます」
小さくそう言って私は朝食を口に運ぶ。
美味しいかどうかなんて分からないけど、美味しいんだと思う。
いや、美味しいんだ。美味しいに決まってる。
そう、美味しいんだよ。
箸が止まる。
お母さんがいた頃も貧しくはあったけど、もっと楽しかったと思う。
辛いよ。なんでどうして……。
溢れそうになる。けど、泣いてたって仕方無い。
というか今日はおかしい。今日は変だ。
あんな夢を見たからかもしれない。
今まで何も考えて無かったのに。考えない様にしていたのに。
初めて私は朝食を残した。
そのまま鞄を持って誰に言うわけでも無いけど、私は玄関を開けて行ってきますと家の中へ向かって言い、家を出る。
出れば何か変わると思ったから。
だけど、この突っかかりは消えなかった。
「おはよー! 彩希」
暗い気持ちを持ったまま歩いていたら友人が声をかけてきた。
「あ、おはよ。綾」
「あれ? 彩希元気ないね? あ! もしかして昨日オススメした映画思い出して怖くなった?」
「え? あ、いや。あー、うん。そうだね」
「やっぱりね。分かる分かる」
うんうんって頷く綾。
本当は違うけど、綾に話したら暴走しそうだしやめといた方が良いよね。
でも、綾と話してたら少し軽くなったかも。
「それよりさ、彩希」
「何?」
「今日部活の一環で行きたいところあるんだけど良い?」
訪ねてくる綾。でも、部活の一環って言ってるから普通に断っても連れてかれるんだろうな。
「ま、予定無いし良いよ」
「本当!? じゃあ、部活の時に詳細話すね!」
「うん。期待しとくね」
綾は期待しててと答えてくる。
それからは他愛も無い話をしながら通学路を進む。
何気ない日常。
そうしていつもと何も変わらない何気ない学校生活を送り、夕方。
私は綾と一緒にオカ研と書かれた紙が貼られているだけの部室に入る。
と、先客がいた。
「あれ? 琴音ちゃん。先に来てるの珍しいね」
「はい。ちょっと家の仕事が入ってしまって。部長さんにその事を言ったら帰るつもりでしたので」
「えぇー! 今日活動一緒に出来ないの!?」
「すみません部長さん」
「うう、残念。だけど、琴音ちゃんの家の用事じゃ仕方無いね。分かった。また今度ね」
「はい。では、失礼します。あ、それと、危険な場所に行っちゃダメですよ」
「うん。分かってるよ。現役巫女さんの言葉。肝に銘じておくね!」
綾の言葉に苦笑いをしつつ「それじゃあ失礼します」と言って琴音さんは部室から出て行った。
その背中を見つつ綾は残念そうにしてるけども。
「はあ、琴音ちゃんいてくれれば百人力なんだけどなぁ。現役の巫女さんだし。でも、お家の用事じゃ仕方無いかぁ」
「だね。それより今日行くところの詳細は?」
「よくぞ聞いてくれました!」
凄い気の変わり様。
でも、まあ、綾ってそういう感じだし。
「まず詳細を話す前に、これ見て欲しいの」
そう言って綾はタブレットを取り出した。
それを操作してる綾の横から覗いてみると、ホラーを集めた様な動画サイトが映る。
と、そのうちの一つを綾はタップする。
始まる動画。それは友人と笑いながら会話しているのをスマホでなんとなく撮っている様な映像。だけどその場所が見覚えのある駅。
というか、動画から見える駅名から近くの駅だ。
だけど、
「見たけど特に何も無いけど」
そう、見た感じおかしい所なんて特にない。
「えー。がっつり映ってるよ」
そう言って綾は動画のシークバーを動かす。
丁度、動画の半分くらいの所。
「この人達の後ろのここ」
綾の指した場所を見てみる。
そこには白い服を着て、いつの時代とも思える様な長い金髪をカールさせた、お嬢様みたいな髪型をしている女の子が撮影者の後ろを歩いている姿。
……うん。
「えっと、分かんないんだけど」
「いや、よく考えて。おかしいでしょ。こんなに目立つのに撮ってる人、反応してないんだよ?」
いや、え?
「普通じゃない?」
「普通じゃない!」
えぇ……。
「という事で今日はこの駅に行って、この金髪の子を探して話を聞こうかなって」
「話を聞くって、普通の人だったら迷惑じゃ無い?」
「いやさ、この投稿者さん撮った後に動画見て気付いたって言ってるんだ。友人と話してる時新しいカメラ機能試したいって起動してたけど普通に話してる時は画面から視線を外してて、その時は誰も通ってなかったって言ってたし」
「それを先に言って? でもそうなら幽霊かもって話でしょ? どうやって聞くの?」
「ふっふっふ。この霊と会話が出来る装置を使うの」
そう言って綾はトランシーバーみたいな物を取り出す。
あー、なんか心霊系の動画で見た事あるやつだ。
「というわけで、早速出発しよう!」
「え、まあ、うん」
そうして私と綾は学校を後にする。
「あ、そうだ。ついでに駅に行く前に駅のそばにある神社で今回の調査が実になる様にお参りしてこ」
そういうお願い神様は叶えてくれるのかは知らないけど、というか普通は何も起きない様にお願いする物だと思うけど……。
でもまあ、いっか。
そうして何気ない会話をしながら進んでいくと、駅が見えてくる。
その駅が目前に迫るくらいまで来たところで、まるで隠されているかの様な小さな鳥居も視界の端に見えてくる。
その鳥居の先には綺麗な石で出来た通路が延びて、色々と飾られている祠が。
ただ、そこは小さいせいか狛犬的なのは飾ってないけれども。
普段はおじいちゃんとかおばあちゃんみたいな人が一人二人拝んでるのを見るくらいだけど、今日は誰もいない。
まあそういう日もあるよね。
「それじゃあ、今日の活動祈願を込めて!」
そう宣言し綾は一万円を賽銭箱に入れると鈴緒を握り鳴らす。
……というか、賽銭に一万円入れるって。
でも、まあ、それくらい気合い入ってるんだろうけど。
綾が終わって、私もなけなしの五円玉を入れて、鈴を鳴らした。
そして手を叩いて頭を下げ、目を閉じる。
瞬間、あの爪が、夢で見た二本の爪がいるっ!
怖くて、逃げたいのに、目が開かない! 体が動かない!
開いて欲しいと願うのに、自分の意思で開けれな―――
何でどうしてッ―――!?
ゆっくりと。だけど、確実に迫ってくる一対の爪と馬の足。
それが私の目の前に来た。
誰か助け―――。
不意に肩を突き飛ばされた感覚と、お尻に感じた衝撃で目が開いた。
視界に映るのはお金を入れた神社の祠。と、
「彩希、大丈夫!?」
心配そうに私を覗き込んだ綾の顔。
何が起きたんだろう。それよりも、怖い。怖いよ。
「えっと、まあ、大丈夫だよ。それよりも、早く行こ」
とりあえず早くここから離れたい、逃げたい一心で綾に話しかけると、「まあ大丈夫ならいっか」と綾も動いてくれた。
そして綾と一緒に今日の目的地である駅へと急ぐ。
ここまで来れば―――
「彩希、急にキャラ変して。こんなに積極的になって。私は嬉しい限りだよ」
綾は目を輝かせてそんな事を言う。
けど、本当は逃げたかったからなんだけども。
「それより、早く調査して帰ろうよ」
「そうだね。調査にどれくらい掛かるか分からないしね」
そうしてその動画が撮られたであろう場所を推測して向かう。
辿りついたのは普段、誰もあまりいない休憩室の横。
通路では無いけど人一人なら余裕では通れるくらいのスペース。だけど二人になると厳しい様な場所だ。
「多分ここだね。あの映像」
「そうだね。それでこの角度だね」
タブレットを見ながら私は綾と一緒に位置を確認する。
……って、あれ? なんかおかしい。本当に休憩室の真横でそこは壁になってるし、出入り口は別の場所。
「ねえ、綾」
「ん? 何?」
「この女の子さ」
「うん」
「どこから来たんだろうね?」
「……へ?」
私の言葉になんかよく分かってない様な表情をする綾。
「だから、この子後ろを横切ってるけど、この角度だと、この子が歩いてきた方向この壁があるじゃない? それに向かった先もこの壁だよね?」
「ほ、本当だ!」
私の解説を聞いた綾はヒィッて震えてる。
なんでホラー苦手なのにオカルト研究部立ち上げたんだろう綾。
でも、震えながらでもあのトランシーバーみたいなの取り出して進めようとするのは凄いと思う。
だけど、特に何も反応は無い。
ただザザッ、ザザッっていう様な音が時々聞こえるくらいで。
時々綾が震えながらも何か質問してるけど特に何も返事みたいなのは聞こえない。
そうしてしばらく立っても何の変化も無い。
「もういないんじゃない?」
「んー、そうかも」
「じゃあ、そろそろ帰ろうよ。綾のお父さんとお母さん心配するだろうし」
「そうだね」
そう言って、綾は雑音を出してるだけのトランシーバーみたいなのを下ろした。
『…ネガ…、…ヤク』
「え?」
本当に小さくだけど、なんかそのトランシーバーみたいなのから聞こえた様な?
……気のせいだよね。
「ん? どうかした? 彩希」
「あ、いや。なんでもないよ」
「そう?」
「うん」
私が頷くと綾は「まあ、じゃあ今日はここで解散にしよう」と言う。
けど、駅から途中までは帰り道一緒だけど。
そうして帰っている途中、ずっと綾は今日の釣果がない事に落ち込んでる内容の話題だけだ。
まあ、現場に行って何も無いと毎回こうなんだけどね。
というかほぼ毎回だけども。
「それじゃあ彩希またねー」
「うん。また」
いつも通りに手を振る綾の姿に手を振り返して、家路を歩く。
誰もいない。家路に向かって。
そう思った時、あの夢と神社で見た、爪と足はなんなんだろうという考えが浮かんだ。
よくよく考えてみれば、なんでアレが怖いと思ったんだろう。
だけど、思い出すだけでも怖いのは事実。
いや、あれは今日気にしすぎたから見ちゃった幻覚だ。
きっとそう。
そう自分に言い聞かせるけど、やっぱり怖さが拭えない。
早く家に帰ろう。そう思って、突然、背中を突き飛ばされた感覚がして少しよろけた。
なんとか踏みとどまったけど、誰がやったのかと後ろを見たけど誰もいない。
それどころか、濃い霧が出てて周りも見えない。
いつの間にか周りに濃い霧がかかっていた。
数メートル先でさえも見えないくらい濃い霧。
確か、今日は日中との寒暖差が激しくて冷え込みが凄く濃霧の恐れがあるってスマホの天気予報に書いてたっけ。
だけど、これじゃあ何かしら事故とか起きる様な気がする。気を付けて進もう。
そう考えゆっくりとだけど歩みを進める。
と、薄らと灯りが見えてくる。
点滅したり、してる灯りが。
この先にこんな光を出すようなのあったっけ?
そう思うも進まなきゃと歩く。
そして点滅している灯りの正体が分かった。
お店の名前がついた駐車場の入り口を示す看板を照らしているライトの光だ。
そうして横を見れば先月辺りに閉業が決まったカラオケ店が目に映る。
このお城みたいなカラオケ店には幽霊の噂があるって話になって閉業前に綾と琴音ちゃんと一緒に行ったなぁ。
結局何も出なかったけど。楽しかった。
だけど、このカラオケ店取り壊ししてたと思うけど、工事の車とかないし、看板もない。今日濃霧だから中止してるのかな?
そんな事を考えていたけど、それよりも早く帰ろうと歩みを進める。
だけれど、進んでも進んでも霧が濃くて本当に進んでるのかが分からない。
というか、誰にも会わないのが不思議。
車さえも通ってない。
濃霧がかかるっていっても外出してる人もいると思うけど、急にこんなに濃い霧が掛かる事なんて無いんだし。
なのに不思議と誰にも会わない。
時間的には町を夕日が照らしてる様な時間なのにだ。
とそんな私の耳に音が聞こえる。音は遠くだけど後ろから、聞こえる。
踏切の音が。
いくら踏切の音が大きいからって、ここのカラオケ店まで聞こえた事なんて一度も無い。
そう考えた瞬間、私は走り出していた。
早く家に帰らなきゃ。そういう考えだけで何も考えずに走っていた。
もう安全とかそんな事言ってられない!
怖い怖い怖い怖い!!
霧の中をひたすら、ただひたすら走って。
私は霧の中から抜け出した。
「……え?」
霧の外。そこは、土の地面に、時代劇とかで見る様な建物が多く建っていた。
だけどこんな場所に思い当たるところは無い。
どこなんだろうここは……?
「あれ?」
頭が追いつかずに呆然としていたら、そんな声が聞こえて私は声の方へと視線を向ける。
そこには綺麗な着物を着た女の人が立っていた。
「あんた、外から来たのかい?」
外?
「あー、もしかして迷い込んじゃったのかい。はあ、秋穂のやつ何してるのかね全く」
私が呆然としていたら、その女の人はそう言って頭を掻いた。
けど、その手は人じゃ無くてまるで鳥みたいな―――
「待ちな! 戻るんじゃ無いよ!」
咄嗟に慌てて霧の方へ戻ろうとしたら、この女の人に、鳥の足みたいになってる手に腕を掴まれた!
怖くて手を振って外そうとするけど、全然びくともしない。
怖い!
「落ち着きな。別にとって食うわけじゃ無いんだから」
抵抗してたら女の人が呆れた様に言ってくる。
その声に少し抵抗するのはやめた。
けど、よくよく見れば着物の中に鳥の羽みたいなのが見えるこの人。
「ポポ? ポポポポポ?」
不意に聞こえた声。
その声に振り向くと、白いワンピースに白い帽子を被った大きな女の人が立っていた。
「ああ、八千代。すまねいけど、呉服屋の皆に私少し遅れるって言ってもらって良いかい? ちょっとこの子を匁ちゃんのところに連れて行くから」
「ポ! ポポポポポポポポ!」
「いや、遊びに行くんじゃ無いよ」
「ポポー? ポポポポー」
「嘘じゃ無いよ! 全く、そんな事言ったら今月の給料引くよ!」
「ポポポ!」
「酷いじゃないよ! ほら、分かったら早く皆に伝えて来て」
「ポポポポポ、ポポポポポポポポポ?」
「ああ、皆が良いって言えばだけどね」
「ポポー!」
なんか喜んだ様子で八千代って名前らしい女の人は走って行った。
「それじゃあ、アンタ。ついて来な」
「あ、はい」
そう言われて私はこの人の後ろをついていく事に。
逆らったら何されるか分からないし……。
そうして進んでいくと、ここが人間の住む様な場所じゃ無いのが分かる。
首が長い人がいたり、明らかに人じゃ無いのがいたり、まるで妖怪の町みたい。いや、みたいじゃなくて妖怪の町だ。
だけど、なんだろう。最初は驚いたけどなんか、怖くない。
出会う妖怪達、みんなが先頭を歩く梅さんって名前らしいこの人に話しかけてきて、私が外から来たって説明すると「明日には帰れるから今日は我慢して」とか「頑張れ」とかなんか励ましてくれるし。
時には「ここは五十刈村だ」とか勝手に教えてくれたけど、全然どこなのかも分からない。
……この状況、綾がいたら卒倒しそうだけど。
そうしてついていくと、村の端から伸びる道に辿り着いた。
「この先が匁ちゃんのところ。迷家があるところだからもうひと頑張りさね」
そんな事を梅さんは話してくれたけど、迷家ってなんだろう?
いや、確か綾が何か話してた気がするけど……。
「ほら、早く来なー」
「あ、ごめんなさい」
そうして着いて行く。
夕日に照らされた道を涼しい風が吹いて道の脇に生えてる草を揺らす音が心地良い。
と、進んでいた道の先に生け垣と昔ながらの草の屋根が見えた。
それ以外の建物はここ以外に見えないから、あそこが迷家なんだろう。
「あー、そうそう。そういや迷家について話してなかったね。あそこは私達の主が住む場所だから失礼のない様にね」
「え?」
到着前にそんな事を言われてしまった。
もうちょっと早く教えて欲しかったんですがって言いたいけど。
というか、妖怪達の主って、鬼とかそういうやつかな?
ふとイメージした主の顔にぶるっと体が震えた。
あれ? でも、梅さん匁ちゃんって言ってたけど。
「匁ちゃん、いるかい?」
そう考えていたら梅さんが家の戸を開けて、中に向かってそう言った。
けど、返答はない。
「うーん、今の時間だから夕飯の支度でもしてるのかね。ちょっとあんた、そこで待ってなね」
「あ、はい」
私が返事をすると梅さんは玄関先で下駄を脱いで、中へ入っていく。
そうして静かになる。
ただこうして待ってるけど、一向に梅さんが帰ってこない。
いや、待ってると時間長く感じるからそれでかもしれないけど。
「だーれ? 何してるのー?」
不意にかけられた声に驚いた。
見たら青い着物を着た子供が、私の方を不思議そうに見上げている。
どこからどう見ても人間の子供に見えるけど、ここにいるって事は何かの化け物、なのかな?
だけど、言動や行動がそのまま子供のそれだし……。
とりあえず、悩んでても仕方ないし、ただ待つのも嫌だしで、しゃがんでこの子とコミュニケーションをとってみる事にした。
「私、外から来ちゃった人なんだ。それでここの主様に会わなきゃいけないみたいで」
「あ! じゃあ、お客さんだー!」
その子は目を輝かせてそんな事を言うと、こっち来てと私の手を引っ張って玄関の横。
垣根の切れ目から庭の方へと連れて来た。
断る間もなく。
この事で家の主に怒られたらどうしようと思うけど、この子はそんな私の心配を余所にここに座ってと縁側に座布団を敷く始末。
だけど、そんな心とは裏腹に体は勝手に「ありがとう」ってこの子に言って座布団に座った。
何でかは分からないけど、ああ、もう。こうなったら自棄だ。
とりあえず何か言い訳を考えよう。
そう思っていたら、この子は私に待っててと言って縁側から上がり、迷家の中へと入っていった。
また待たされるの―――
「お待たせー!」
今度は早かった。
というかさっきそこの障子閉めたばかりだったと思うけど……。
そんな早技を見せてくれた子の手にはお盆があって、お茶と茶菓子が乗せられていた。
なんとなくおままごとをしている様にも見えるけど、というか、
両手が塞がってるのに、この子どうやって障子開けたの?
「はい、どーぞ」
「え? あ、ありがとう」
そんな事を思っていたら横にそのお盆が置かれ、その子もお盆を挟んで縁側に座った。
「ねえねえ、お外から来たんだよね。お外のどこから来たの?」
「え?」
どこから? どこからって……。
「外ってこの外だけど」
「う?」
私がそう答えたら首を傾げられた。
でもさ、この子に住所言ったところで分からないだろうし。そもそもここがどこなのか分からないし。
いや、私の住んでる地域だとは思うけど……。
「こちらにおられましたか」
ふと聞こえた声に顔を向けると、人が立っていた。
肌も髪も翼も、着物も白く、目だけ綺麗な赤色の人が。
いや、翼がある時点で人ではないんだろうけど。だけど、凄く綺麗な人で。
もしかしてこの人が家主の匁様なのかな?
確かに無表情で威圧感あるけど、
……そうだとしたら、この状況、ヤバくない!?
「お初にお目に掛かります。人間様。私、ここで家主様の使用人をしております。紅白と申します」
「ど、どうもご丁寧にありがとうございます」
凄く固い挨拶に緊張しながら返答する。
だけど、違うという事に少しホッとした。
……あ、待って。全然安心出来ないかもしれないこれは。
この子が勝手にお茶とか茶菓子持って来ちゃってるし。
「申し訳御座いませんが只今、家主様は出掛けておりまして、申し訳御座いませんが戻ってくるまでおくつろぎお待ち下さい」
「は、はい。ありがとうございます」
ヤバいヤバい。冷や汗がヤバい!
別の意味で怖いよぉ~。
「え? 僕いるよー?」
固まってたら私の横からこの子が顔を出した。
いや、君は今出ない方が―――
「家主様、いつお戻りになられたのですか?」
「さっきー!」
「そうですか」
「うん!」
……え? 待って待って。
追いつかない。なんでこの子が家主様って言葉に反応してるの?
え? え?
「家主様、御夕飯の準備が出来たのですが、どう致しましょう?」
「食べるー!」
「分かりました。今、お持ち致しますので上がって下さい」
「うん!」
「人間様も是非」
「は、はいぃ……」
そう言われて縁側から畳の部屋に来たけど、ど、どどどどうすれば良いの?
こんな経験した事ないし。
綾なら社長令嬢だから経験あるだろうけど。
いや、囲むのテーブルじゃなくてちゃぶ台だから経験ないかな?
いや、そうじゃなくて、
緊張しながら座っていたらふと目が合った。
にこにこして目を輝かせてる家主様と。
「ねえねえ」
しかも話しかけてきた!
「あ、えっと、なんでしょうか?」
「お名前、なんて言うのー?」
「さ、彩希って言います。黒野目彩希」
「そうなんだ! あ! 僕ね匁って言うの!」
「そ、そうなんですね。よろしくお願いします」
「うん!」
えへへと笑う匁様。
さっきまでただの子供だと思って接してたから可愛く思えたけど、今見れば「どうした? さっきまで無礼な態度をとってたじゃないか」って心の中で言われてる様で怖いぃ。
あ、そ、そういえば梅さんはどこに?
「お待たせ致しました」
そう考えた時、障子が開いて床に両手を添えた紅白さんがそう言葉を発する。
そして横から色々な料理を取り出しテーブルに並べていく。
丁寧な手つきだけど出てくるのは、一般的な家庭料理。
鮭の切り身を焼いたのとか、味噌汁とか、ご飯。
あと、小さな器に入ったよく分からないお惣菜系。
「お召し上がり下さいませ」
並べ終えた様子で紅白さんが頭を下げる。
「紅白も食べよー」
そんな紅白さんに匁様が声をかける。
と、紅白さんは頭を上げた。
「いつもであれば御一緒致しますけれど、本日はお客様がいらっしゃっているので私は控えさせて頂きます」
「えー、なんでー?」
ぶーぶーと我が儘を言う匁様。それに困った様子の紅白さん。
「紅白も一緒に食べようよー」
「……御一緒させて頂きます」
紅白さんが折れちゃった。なんとなく可哀想。
だけど、匁様一緒に食べたいんだね。
その様子に、ふと重なる昔の自分。
お父さんとかお母さんの誕生日の日、お父さんが仕事で帰りが遅かったけど一緒にお祝いしたくて遅くまで起きてたな。
そんな昔の自分と重なる匁様は子供なんだなと思う。
時々紅白さんに口の周り拭いて貰ってるし、でも、ありがとうって言えるの偉いな。
ただ逆に拭いてあげようとするのはどうかと思うけど……。
「あれ? 彩希食べないのー?」
「え?」
不意に私の方を見た匁様にそう言われた。
そういえばずっと見てたから食べてなかった。
「お口に合いませんでしたか?」
「あ、いえ。ちょっと。……頂きます」
慌てて、とりあえず一口。
おかずの焼き魚を口に運ぶ。
―――美味しい。
まあ、味付けは普通って感じなんだけど、暖かいし美味しい。
「どうでしょうか?」
「あ、えっと、美味しいです」
「それは良かったです」
私の言葉にふっと柔らかい笑みを浮かべる紅白さん。
それがなんだか温かくて、自然と箸が進む。
「ご馳走様ー!」
「お粗末様でした」
と、私が食べ終わるのと同時に元気に挨拶する匁様。と、それにお辞儀をする紅白さん。
「では、今、お皿を―――」
「お片付けしてくるー!」
「家主様、私がやりますので家主様はゆっくりなさって下さい」
「えー! 僕もお片付けするの!」
「ですけど、お客様もいらっしゃってますし、あ、家主様」
うん。紅白さん、凄い苦労人の様な感じがする。
でも、流石にご馳走になった私は片付けた方が―――
「彩希様はお客様ですからゆっくりなさって下さい」
「は、はい」
す、凄い剣幕だった……。
表情は変わってないけど、なんていうかオーラが……。
そんなこんなで夕食が終わって匁様がパタパタとこのお家のどこかへ。
紅白さんと二人きり。
あ、そうだ。そういえば、
「あの、紅白さん」
「はい。なんでしょうか?」
「私をここまで連れて来てくれた梅さんはどこに行ったんでしょうか?」
「梅様ですか? 家主様がいない事をお話致しましたら彩希様の事を任せると話されお帰りになられましたけど」
あ、帰ったんだ。
「そ、そうなんですか」
「はい」
紅白さんが淡々と言う。
何だろう。なんか捨てられたみたいでモヤモヤする。
「紅白の嬢ちゃんいるかー?」
なんとも言えない感情を抱いていると、この家の玄関の開く音がして、そんな声が。
「すみません彩希様、一度失礼致します」
紅白さんがそう言って居間を出て行った。
しばらくして、廊下から話し声が聞こえてくる。
私は誰が、どんな化け物が来たのかとふと思い、好奇心で部屋から顔を出して声のする方を覗く。
そこには紅白さんに連れられて、三人の人影が。
人影っていっても明らかに人間ではない姿。
皆が思う様な河童と天狗、そして一瞬普通の人に見えたけど、頭に獣の耳があって、後ろには猫みたいな尻尾が揺れている同い年くらいの男の子だ。
あの男の子、ちょっとイケメンな感じがする。
「ほっほっほ。先客殿は彼の者かの?」
と、そんな事を天狗が言って皆が私の方を見た。
「ああ、あの子がそうっすか?」
「へえ、嬢ちゃんが迷い―――」
和やかな表情から一変。
河童の顔が強ばって、目が見開かれた。まるで敵と言わんばかりの視線で。
いや、明らかに敵意剥き出しの表情をしているのが分かるし、直感がそう告げる。
瞬間、河童が凄い速さで迫ってきた。
その姿に、あの爪が重なる。
咄嗟に身を屈めて目を瞑る。
―――乾いた音が耳に届いた。
……だけど、特に何も感じない。
恐る恐る、目を開くと
そこにはさっきまでいなかったはずの匁様の背中。
そして匁様が河童の拳を明らかに受け止めるには足りなく思うほどの小さな手で、更に平然っていう感じで片手で受け止めていた。
そしたら河童は、完全に敵意剥き出しな様子で私の事をチラリと見て、―――匁様に口を開いた。
「匁、その手を―――」
「ダメだよ。河兵衛」
ここに来てから、出会ってからの雰囲気とは一変。あの様子からは想像も出来ないような、そんな真面目で冷たい雰囲気の声で匁様が河童にそう言った。
対して河童は目つきを更に鋭くして、目を見開いて―――拳を解いた。
そして、息をつく。その途端、河童の表情が先程とは違う、優しいモノになった。
「すまねぇ匁」
「良いよ~」
これがいつも通りという感じの声色で河童が謝ると、匁様がずっと私と接していた様な和やかな雰囲気で河童に返す。
瞬間、一瞬にして張り詰めていた空気が、解けた感じがする。
「いや、悪いな人間の嬢ちゃん。怖がらせちまって」
と、河童はさっき私に向けていた様な表情じゃなく和やかな表情で謝罪してきた。
けど、さっきの怖さと解けた瞬間のこの温度差で上手く返す言葉が思いつかない。
「あ、いえ」
私は咄嗟に出た言葉を口にする。
「び、ビックリしたっすよ。河兵衛の旦那! 急にどうしたんすか!」
「ほっほっほ。久々の人間に興奮でもしたかの?」
と、河童にそう声をかける二人。
それに対して河童は言葉を濁しつつ、少しバツが悪そうな顔をしている。
「ところで河兵衛達は何しに来たのー?」
「ああ、そりゃ、村の方で人間が迷い込んだって聞いたから怖がってるかもしれないと思ってな励ますためによ」
「ほっほっほ。それで相手方を怖がらせておっては本末転倒じゃのぉ」
「う。ま、まあ、それは、そう、だけど、いや、そうだな」
河兵衛って名前らしい河童は、穏やかに笑っている天狗の言葉に頭を掻く。
そして今度も私に謝ってきた。今度はしっかりと頭を下げて。
それに少し困ったけど。
それからまあ、三人がお土産で色々持ってきてくれたのを紅白さんが綺麗にお皿に並べて河兵衛さんと天狗はお酒飲んで、私含めた他はお茶とかジュースを飲んでいる。
さっきの雰囲気とは全く違う、凄く賑やかな宴。
だけど酔って色々話しかけてくるのは少し面倒だったけど、
そうして河兵衛さん達が帰ったあと、私はここのお風呂に入らせてもらった。
温泉みたいに、というか温泉が引かれているみたいでお湯がずっと出ている。
檜風呂に浸かりながら、なんか旅行みたいで良いなって思う。
……旅行、行ったのいつぶりだろう。多分お母さんが死んでから行ってない気がする。
それより、今日私がいなくてお父さん心配してると思うな。というか、帰ったらなんて言おう。怒られるかな。やっぱり。
……いや、どうだろう?
いつも私が寝るよりも遅く帰って来て、私が起きる前に出て行くから気付く事あるんだろうか?
お父さんに「お帰り」なんて言った事無いし、言われた事も無いな。
―――なんで今日帰る事が出来ないんだろう?
明日じゃなきゃいけない理由が何かあるのかな?
……考えても、理由がわからない。
「上がろう」
考えても仕方無いから、私は意識を別に向けるためにお風呂から上がる。
体を拭いて、ここはドライヤーはないから自然乾燥しか出来ないけど、とりあえず借りたタオルで髪を挟んで水気を取る。
そうしてお風呂場を出ると、蝋燭の明かりが点いてるだけの廊下が広がっている。
多分、普通なら怖く思える感じだろうけど、なんか不思議と怖くない。
私は薄暗い廊下を歩いて、居間に来た。
本当は借りた部屋に行って休んだ方が良いんだろうけど、なんとなく。
薄暗い居間は静かで障子が開けられ縁側の方から入ってくる月明かりが当たってる場所だけが見える。と、その月明かりの中に人影があり、縁側に誰かがいるのに気付く。
視線を向けると、そこには縁側に座り月を眺めている人が。
月明かりに照らされて白い髪と白い翼が輝いている。まるで天使がいるならこんな感じなんだろうと思うくらい。
と、私に気付いた様で振り向き、紅白さんは立ち上がった。
「彩希様、お休みにならないのですか?」
「えっと、ちょっとこのお家の中お散歩したいなーなんて」
「そうですか。であれば暗いので足下にお気を付けて下さいませ」
紅白さんはそう言って頭を下げる。
この人、私とそんなに歳が違う感じしないのに凄く落ち着いてるし、ここで使用人を務めて、働いてるなんて凄いと思う。
私もバイトとか出来るとは思うけど、校則上出来ないし……。
というか、紅白さんのお父さんお母さんっているのかな?
「彩希様、大丈夫ですよ。家主様が絶対無事に帰すと言っていましたので安心して下さいませ」
ふと紅白さんがそんな事を。
もしかして私が不安で歩いてるのかと思ったのかな?
……それもあるけど、
「ねえ、紅白さん」
「どうかなさいましたか?」
「紅白さんの家族って、いるの?」
そんな言葉が口から出た。
言ってから普通に何言ってるんだと、慌てて口を塞ぐ。
「家族ですか。……―――血の繋がりというのであれば、おりますよ」
そんな私に返って来たのは、そんな言葉。
だけど何だろう。何か引っかかる。
けど、何か踏み込んじゃいけない気持ちが。
「それで、どうかなさいましたか?」
「あ、えっと、そのー」
「ねえねえ二人とも!」
そんな声で話が途切れた。
どうして良いか分からない雰囲気から救ってくれた救世主の声の方に視線を向けると、月に照らされた匁様が庭から縁側に手をついて身を乗り出しているのが映る。
「家主様、どうなさいました?」
「花火やろー!」
今の時期に花火?
そう思ったけれど、匁様の手にはお店で売られている様な手持ち花火セットが。
と、その後ろに笑みを浮かべ法被を着ている片足の人の体みたいな化け物と、浮いてる光る輪っかと背中から生えた羽が特徴的な天使の女の子が顔を覗かせる。
「花火……花火……」
「まだ季節的に早いけど。やろ」
後ろの二人もそう言い、そうして花火が始まった。
蝋燭に灯した火で手持ち花火に火を付ける。
匁様は手持ち花火を見ながら笑顔で綺麗だねとか紅白さんに言ったり、天使の子が得意気に花火を動かしてハートマークを書いたり、鼠花火に法被を着た化け物と一緒に追いかけられたりして笑っている。
そんな姿を見ながら、私は線香花火に火を付けた。
最初は小さな赤い部分が少しずつ大きくなってバチバチと火花を散らす。
その姿を見ながら、ふとお母さんとやった花火を思い出す。
お金が無かったからその時しか出来なかったけど、お母さんが線香花火を貰って一緒にやった。
小さな私は何回も失敗して、そんな様子にお母さんは優しく手を添えて揺れない様にしてくれたっけ。
……―――お母さん。
「大丈夫だよ」
ふとかけられた声に向くと、笑顔の匁様と目が合う。
その匁様の表情は可愛らしいのに、どこか頼れる様に感じた。
そして匁様は凄い大きいってしゃがんで私がしている線香花火を見てる。
目を輝かせて。
でも、それにも終わりがきちゃって、
「あ、落ちちゃった!」
地面に落ちた花火を目で追った匁様が残念そうにしているその様子に少し微笑ましく思った。
「大丈夫ですよ。線香花火まだありますし、またやれば」
「あ! 僕もやる!」
そう言って線香花火を手に取ると、匁様が元気に手を上げる。
なんだかこっちも元気になる様な声。
「それじゃあ、どっちが長く保たせられるか勝負しますか?」
「うん!」
私の提案に元気に匁様は頷いて、私は一本渡す。
そして二人で蝋燭の火から火を貰って、線香花火対決をする。
最初は小さな火が徐々に大きくなっていく。
線香花火は玉が大きくなって火花が散り始めた辺りからが勝負。
技術も要るけど、運も要る。
「あ。落ちちゃった!」
と、傍で敗北宣言が聞こえる。
どうやら最初のバチバチの振動で落ちちゃったみたい。
「私の勝ちですね」
「もう一回!」
匁様がそう言って、もう一回。
またもや同じ所で匁様が落としちゃって私の勝ち!
それでも諦めない匁様。
結果は私の全勝。
それに少し唇を尖らせてムーとしている様子の匁様。
だけど、もう線香花火も一本しかないから勝負は出来ない。
……あ。
「匁様、ちょっと良いですか?」
「う?」
私は匁様に声をかけて最後の線香花火を持たせると後ろから持つ手首を押さえて、更に手首が動かない様に人差し指を伸ばし匁様の手のひらまでを支える。
そのまま火を付けて、線香花火は徐々に大きくなり勢いよく火花を散らし始める。
「わあー!」
火花の出始めですぐに落としちゃってた匁様が勢いよく火花を散らすものの落ちない線香花火を見て嬉しそうに声を出し、私と花火を交互に見てくる。
その様子がなんかおかしくて、でもなんか暖かい気持ちになって。
ふふ、お母さんもこんな感じだったのかな。
そうしてしばらく二人で線香花火を見て、その最後の線香花火は落ちる事無く最後まで燃える。
落ちないとこう終わるんだと初めて見た物に少し感動を覚えてたら、匁様が私の方を向く。
「彩希、花火凄ーい!」
「それほどでも」
凄いキラキラした目で見てくる匁様に私は少し照れながらそう返した。
そうして花火もお開きになり、天使と法被の怪異が帰るのを匁様と紅白さんと一緒に見送って、それから私は借りた部屋に敷かれている布団に入った。
ずっと手に残ってる匁様の柔らかくて温かい手の感触に、何でかは分からないけど、なんだか安心して私は自然と目を閉じていた。
眠っていたのに気がついたのは、外で鳴く鳥の声を聞いて目を覚ましたからだ。
目を開けると、いつもの部屋。――ではなく、昨日借りた部屋。
なんか久々にすっきり起きれた気がするし、体が軽い感じがする。
「おはよー!」
元気な声と勢いの良い障子を開ける音でそちらを向くと匁様がいた。
「ご飯出来てるよー!」
「家主様、それは私の役目ですからゆっくりなさってて大丈夫ですから」
元気に告げた匁様の後ろから遅れて紅白さんが現れてそう告げる。
そんな紅白さんに匁様は「えー」とブーイングを。
この二人、見てるだけで飽きない。
「おはようございます」
そんな二人に私は挨拶をして布団から出る。
そうして匁様から今後の事について話される。
まあ、単に朝ご飯を食べたら帰してくれるって話だけど。
「あ、そうだ。これあげる!」
昨日の居間で紅白さんが朝食を持ってくるのを待ってたら匁様から何か箱を貰った。
綺麗に、とはなってないけど、綺麗な色々な紙を貼付けた両手に収まるほどの箱。
それは紐が結ばれて、紙が挟まっている。
そこには匁様の字だと思われる、上手いとは言えない、ギリギリ読めるという感じの平仮名で『おみやげ』と書かれていた。
「帰ったら開けてみてね!」
「分かりました」
私は匁様から貰ったその箱をとりあえず隣に置く。
と、丁度障子が開いて紅白さんが現れた。
そして綺麗に並べられる朝食と、一緒に食べる食べないのやりとり。
そんな朝食タイムが終わり、私は、「お呼びするまでお待ち下さい」と言われたから借りた部屋に戻って鞄に匁様から貰った箱を入れつつ忘れ物は無いかと鞄の中を探ったりしていた。
と、そんな私の所に匁様がやって来た。
「ねえねえ彩希ー」
「どうしました?」
「ちゃんと聞くの忘れてたけど、―――お家どこら辺なの?」
そう言って匁様が紙を広げる。
それは、ちょっと古い感じの紙に書かれた日本地図。
まさか日本地図を持ってくるとは思わなかったけど、というか、なんか私の知ってる県名じゃなく丹波とか越前とか見えるんだけど……。
「この辺りですかね?」
私は住んでいる県があると思う辺りを指さした。
「なるほどー!」
匁様は指したところを見て納得すると、またパタパタと部屋から出て行った。
それからしばらくして、紅白さんがやって来る。
「お待たせ致しました。彩希様、外まで案内をして下さる優丸様をお連れしました」
「よろしくお願いします」
紅白さんの隣には片目を前髪で隠した根暗そうな同い年くらいの少年が立っている。
……って、あれ? この人、どこかで見た事ある様な?
いや、それより。
「よろしくお願いします」
私は相手に頭を下げる。
そうして私はこの優丸って言う人の後ろを着いていくと、玄関まで匁様と紅白さんが見送りに来てくれた。
帰らなきゃいけないんだけど、この二人を見るとなんか、少し寂しいな。
そう思っていたら匁様が手を伸ばしてきた。
「これ持っててー」
言って匁様が手渡してきた。
それは、けん玉。
別に何の変わりも無い少し古く感じるただのけん玉。
「家主様、よろしいのですか?」
「う? あ、うん!」
と、紅白さんの言葉に元気に頷く匁様。
少し変な間があったけど、もしかして匁様、宝物をくれたのかな?
それに少し嬉しく思う。
「それじゃあ、ありがとうございました」
私が二人に頭を下げると、
「うん!」
「はい」
と、手を振ってくれた。
そんな二人の住む所を後にして私は優丸さんの後ろを歩く。
村を通ると、声をかけてくれた妖怪達がじゃあねと声をかけたりしてくれた。
村を過ぎて、私が村に来た時に出た霧の中に入る。
「ゆっくり歩くので、はぐれない様にして下さいね」
「はい」
そうして優丸さんの後をついて行く。
そんな私の耳に聞こえてくるのは踏切の音。
来た時に怖くて逃げる様に遠ざかろうとした踏切の音が歩く度に近付いてくる。
と、突然何かが私に引っ付いた。
見たら、どこの高校だろうか。セーラー服を着た見知らぬ女子高生の子が私の肩を思い切り掴んでいた。
「ごめんね。私が見つけてたらちゃんとその日のうちに帰れたのに!」
その人は慌てた様な、すまなさそうな色んな感情が混じる様子で謝ってきた。
突然の事に驚いていると、
「秋穂さん、この方、そろそろ帰らなきゃいけないですから離してあげて下さい」
優丸さんがこの子に話しかける。
「だけど―――」
「もう過ぎた事は仕方無いです。ですから今後気を付けましょう」
「うん。ありがとう」
秋穂さんっていう名前らしいこの子はそう言って私の肩から離れて霧の中に消える。
突然の事に驚いたけど、優丸さんの行きましょうという声に頷き道を進む。
そうして辿り着いたのは、少し古びた様な無人駅。
濃い霧に覆われたこの駅は怪しくも、どこか幻想的に見える。
私は優丸さんと一緒に駅に入り、一緒に改札を通る。
そうして停車している電車に乗り込んだ。
帰り、電車なんだ。
そんな事を考えていたら、なんか声が聞こえてくる。
声に釣られ、駅のホームを見やる。と、
匁様を先頭に魑魅魍魎がいた。
電車の中にいるのに皆の「嬢ちゃんじゃあな」とか「もう迷い込むんじゃないよ」とか色々聞こえる。
「彩希ー! ばいばい!」
「ばいばい」
元気に手を振る匁様に手を振り返すと同時に電車が発車した。
―――
――――――
―――――――――
……あれ?
はたと気がつく。
辺りを見渡せば、いつもの通学路。
というか、なんで私、ここに?
確か私は綾と部活の後に帰ってから、……あれ?
その先が思い出せない。
というか確か夕暮れだったはず。なんで明るいの?
そう思って鞄の中からスマホを取り出した。
表示された時刻は午前八時五十五分。
八時五十五分!?
「ヤバい! 遅刻する!」
私は急いで通学路を走る。
そんな私の耳には遠くから残酷にも始業のチャイムが聞こえてくる。
初めての遅刻。
ああ、もう、ついてない!
思いながらも私は走る。
そして門が見えて、先生が立っていた。
「すみません! 寝坊しましたー!」
「全く、今回だけだぞ。今度からは―――、え?」
「すみませんでしたー!」
私は先生に謝りつつ門を走り抜ける。
ああ、もう―――
そんな気持ちを抱いて、教室まで駆け上がる。
とりあえず謝る! それしか無い!
私は急いで授業が始まっているであろう教室の戸を開けた。
「すみません! 遅れました!」
息を切らしながら、頭を下げる。
凍り付く空気が伝わってくる。
うう、先生にどんなに怒られるか。
「く、黒野目さん……?」
だけど聞こえてきたのは、予想外のそんな声。
予想外の声に顔を上げると、皆が唖然とした様子で私の方を見ている。
え? ど、どうしたんだろう?
私も皆の様子にキョトンとしていたら、先生に肩を掴まれた。
え? なに何々!?
「黒野目さん! どこに行ってたんですか!? それよりも、貴女、学校に来てる場合じゃ無いですよ!」
「え? え?」
なんか凄い興奮した様子で先生が言う。
全く状況が飲み込めない。
そのまま固まっているうちに、とりあえずと先生に連れられて、校長室に行き、警察とお父さんが呼ばれた。
警察と一緒に来た、久々に見るやつれたお父さんの顔。そんなお父さんの目には涙が浮かんで、突然抱きしめられた。
本当に状況が飲み込めない。
すると、警察の方が色々聞いてきた。
と言っても、綾と帰った後の事を色々聞かれたけど、私もその先が思い出せない。
ただ気がついたら通学路にいたとしか。
それより何が起こってるのかを質問したら、私は二週間行方不明になっていたらしい。
二週間行方不明って言われても、実感が湧かない。
それから色々聞かれたけど、結局分からないため何か分かったらと警察の人が帰り、私はパトカーでお父さんと一緒に家に送って貰った。
と、私はパトカーの中で衝撃的な言葉を聞いた。
―――父さん、クビになってしまった。
その言葉に固まる私。
詳しく聞くと、私が行方不明になってからもお父さんは仕事をしながら、いつも通りに残業をしつつ仕事終わりに近所を探したりしていたらしい。
そんなある時、その残業を押しつけてくる上司に有給をくれるように進言したけれど、貰えないどころか、私の事を散々に言ったその言葉に怒り上司の人を殴ってしまったらしい。
その人は他の会社にも顔が利く人らしく、再就職もどうなるかという状況らしい。
なんとも言えないその情報に、そっかとしか返せなかった。
私も高校やめて働かないとかな。そう思って家のドアを開けて、私はふといつもの様に声を出す。
「ただいま」
「お帰り」
ふと聞こえた声に振り返ると、お父さんがハッとして口を押さえて恥ずかしそうにしていた。
その様子に、少し笑いそうになる。けど―――、
「うん。お父さんもお帰りなさい」
そう言った時、鞄が体に当たり、いつも触れるのと違う感触があるのを感じる。
何だろう?
そう思って鞄の中を探ると、古そうなけん玉と色々な千代紙が貼付けてある箱が出て来た。
……こんなのいつ鞄に入れたっけ?
と、千代紙の隙間に一枚の破れた古い紙を見つける。
そこには鉛筆で書かれたような文字がある。けど、多分鞄の中にあったから走った時に擦れて伸びてしまっていて読めない。
唯一読めるのは最後の『り』か『け』と思える様な文字くらい。
「彩希、なんだそれは?」
「……分かんない。鞄に入ってた」
お父さんにそう答えつつ、なんなんだろうと箱の紐を解き蓋を開けると、
「なに、これ?」
そこには少し煤けているものの、結構綺麗な状態の、昔のお金。
大判数枚と紙に包まれて小判、小銭が沢山入っていた。
「ここがあの子の匂いが強い家っす」
「ここか」
女子高生失踪事件解決から二日後。
行方不明になった女子高生が無事見つかったのだがその子に行方不明時の記憶はなく、攫った犯人が見つかっておらず不安の残る町の中、薄暗くなっている夕日を背に二つの影が会話をする。
一つは人の形をしているがその尻の辺りには細い獣の様な尻尾が見え、もう一つは人の形とは違い甲羅を背負った鋭い目つきの河童が、住宅街のとある一件家の前に立つ。
そこは普通の住宅街に溶け込んでいる普通の民家。
と、もう一つ。大きめな影が並ぶ。その影の後ろには立派な漆黒の羽根を持つ天狗。
「ふむ、見た感じ特にこの家には何も感じぬな」
「そうなんすよね。ここ何の気配も感じないんすよ」
「確かにな。だけどよ、ここら一帯に人除けの結界が張られてんのは退魔師共が警戒してか?」
「ほっほっほ。そうであろうなぁ」
「つー事は、俺等が来るのは分かってる感じか」
「うむ、そうであろう。それにこれを張りおった奴さんは倒すつもりなんじゃろう。妖を退ける術が張られておらぬ故、入り込んだ結界内での。人払いはその為じゃろうて」
「ご苦労なこって」
河兵衛は、呆れたように言うと指をドアに向ける。
すると、カチャリと中で音が鳴った。
「入るぞ」
「うむ」
そうして三人が中に入るのだが、雷造は頭を傾げる。
「旦那達、やっぱりなんの気配も―――」
「おかしいな。山風の」
「そうじゃのぉ」
「え? おかしいって何がっすか?」
「雷造、感じないか?」
「いや、全く感じないっすけど?」
「そうか」
「ほっほっほ。雷造、修行がたらんのう」
首を傾げる雷造に溜息交じり見つつも、行くぞと河兵衛は二人に声をかけ進む。
明らかに中に入った瞬間、気配を河兵衛は感じた。それはわざと見つかる様に出しているかの様な、来いとでも言う様な気配が。
それは山風の翁も感じていた。
そうして気配を頼りに進み辿り着いたのは、仏間の置かれた六畳ほどの部屋。
その中央に、紅い簪を頭に付け着物を着た半透明の老婆が正座をして河兵衛の方を向いているのが目に映る。
「あんたか。俺達を呼んだのは」
河兵衛鋭い目つきでそう老婆に言うと、老婆は河兵衛に向かい優しく微笑みゆっくりと頭を下げる。
そうしてゆっくりと頭を上げると、スッと立ち上がり仏壇の前へ座り先程自身が座っていたところに手を向ける。
まるで「どうぞ」と言っている様に。
河兵衛はその老婆が退けたところを見やると、ゆっくりとそこへ歩み寄る。
「ここを捲れってか?」
問いかけると老婆はゆっくりと頷く。
その様子にフンと鼻を鳴らし畳を持ち上げると、そこには当然床下がある。
だが、明らかに他の床下とは違い、畳を捲った丁度真ん中辺りには土が明らかに他と比べて少し盛り上がっているのが目に入る。
そこを掘ろうと手を向ける河兵衛。
と、河兵衛はハッとして慌てるように堀り、下に木の扉が出てくる。
それを河兵衛は急いで開ける。
そこから先には階段があり、風が吹いてくる。
河兵衛はそこへ急ぎ入っていく。
その様子に雷造は終始、河兵衛がいつも抑えている妖力を解放しながら掘る様子に驚いていたが、隣にいる山風の翁は笑い、
「ほっほっほ。当たりかのう」
そう言うと河兵衛の後を追う。
その後を待ってくれッスと雷造も追いかけた。
先行する河兵衛は薄暗い道を進む。
そうして辿り着いた先には、御札が大量に貼られた網目状に組まれている木の枠。
そして、その木の枠で出口を遮られた部屋の中央には、座ったままの状態で下を向いた河童が干からびた様に、まるでミイラのような常態でそこにいる。
河兵衛はそれを見て、目に涙を浮かべながらそれを拭い。
木の枠を掴むと、渾身の力で、まるで引き開ける様に腕を動かした。
普通であればそんな事をしても壊れない。いや、壊れる事はあり得ない。
だが、木の枠はメキメキという音を立てて、まるで引き裂かれる様に崩壊した。
そうしてすぐさま、河兵衛はその河童へと駆け寄る。
「すまねぇ! すまねぇ! 流香。父ちゃん遅くなっちまって!」
河兵衛はその河童を抱きしめ、謝罪の言葉をかける。
だが、河兵衛も分かっている。こんなに声をかけたところで声なんて帰ってくるはずが無いと。
それでも、河兵衛は謝り続ける。
その様子を後ろから眺める山風の翁と雷造。
「うう、か、河兵衛の旦那ー」
「見つかってよかったのぅ。……む?」
ふと山風の翁は変な感覚がし、そこへ視線を向ける。
そこは壁。
ずっとこの牢の所まで続いている壁。その一点を見やる。
翁は眉を顰めると、そこへ手を触れて力を込める。
すると、壁が崩れ、扉が出て来た。
翁はそれに手をかける。
そんな事をしている翁を気にする事は無く、ずっと流香の体を抱き河兵衛は涙を流す。
もう聞こえないと分かっているけれど、もう一度、もう一度だけ幻聴でも良いから聞きたいと願う。
そんな願いなど―――
「父……ちゃ……」
聞こえた声に河兵衛はハッとし流香を見る。
だが、顔には覇気はなく力なく目を閉じている顔に幻聴かと思う。
そうだよな―――。
視線を落とした河兵衛の目に、微かにではあるが弱くゆっくりと胸が動いているのが見えた。
―――生きてる。
その事に河兵衛は流香を抱え立ち上がると、急ぎ振り返る。
と、丁度扉から出て来た翁と目が合った。
「山風の爺さん、雷造、まだ生きてる!」
「本当ッスか!?」
「なんと!」
河兵衛の言葉に二人が驚く。と、河兵衛はふと山風の翁が持っている物に視線が向いた。
「爺さん、それは?」
翁の腕に収まっているのは、もうほぼミイラと化した人の亡骸。
だが、その背中には鳥の様な羽がまだ少し付いている干からびた翼が生えている。
「うむ、これはワシが探していたものじゃ」
山風の翁の言葉、そして持っているものに察した河兵衛はそうかと呟くと、来た道の先を睨み、そういう事かと何かを理解し問い詰めてやると心に決め先を急ぐぞと二人に言う。
そうして三人は出て来た場所へと急ぎ戻り、階段をあがり、畳を上げていた仏間へと出る。
そこには頭を下げた先程の老婆の姿。
「俺等を誘い込んだろ。俺等を討つ気だろ?」
その老婆に対して河兵衛は睨みを効かせて口調強めにそう言った。
だが、老婆は顔を上げ真面目な様子で首を振る。
「信じられるかよ」
だが、河兵衛は怒り、老婆に言うが老婆は
まるで「お帰り下さいませ」とでも言う様に。
だが、その様子を見てどんな罠を仕掛けてるんだと河兵衛は警戒し動かない。
山風の翁も雷造も同様に。
そんな三人であるのに、老婆はずっと頭を下げつつ玄関の方を指さす。
まるで慌てているかのように。
と、凄まじい声が家に響く。
それは悲鳴にも、雄叫びにも、泣き叫んでいるようにも聞こえる声。
その声に、感じる力に、これが罠かと河兵衛達は確信する。
そして視線を老婆の方へ向けると、ほくそ笑む老婆の姿。―――ではなく老婆は、真面目な様子で天井を見ている。
その顔は明らかに焦りもあるが敵に向ける様な視線。そして先程よりも強く河兵衛達に早く行けというように手で示す。
その様子に罠じゃないと理解した河兵衛はじゃあ何かが来ているのだと思うが、考えているうちにその気配は、消魂しくなる。
弱ってる娘を抱えてる状態で相対出来る者ではなく、これは逃げた方が良いと気付く河兵衛達だが、ソレは天井を突き破り落ちてきた。
大きな白い節の見える腹を馬の様な足で支え、乱れた長い白い髪を振り乱した六本手の化け物。
その手は二本の鋭利な爪があり、白い毛に覆われ、化け物の周りに浮きつ追従する。
頭には黒いボロボロの触覚が生え、背中からはボロボロな白い蛾の羽が生えている。
化け物は河兵衛達を見るや否やまたしても声をあげる。
威嚇のような、助けを求めるような、悲痛なその叫びに、その時に放たれる余波に後ずさる河兵衛達。
「河兵衛。なんとかして逃げるぞ! この者が家から出る事は無い!」
「逃げるつってもよ」
目の前にいる者の存在、気迫、力からどうやって逃げんだという気持ちで返答する。
ましてや弱っている娘を抱いている状態で満足には動けない。
「俺が隙を作るっす! そのうちに出口に向かって走って下さい!」
と、雷造が二人に提案するが、
「待て雷造!」
「お主にどうこう出来る相手ではない!」
二人に止められる。
その必死な様子に相手は生半可な存在ではないというのが理解出来る。
それでも―――、
雷造は雷となり化け物へと――――、一瞬だった。
吹き飛ばされた雷造は壁に叩きつけられる。
肉薄し全力を出した雷造の突撃はただの腕の一振り。払うように動いただけのそれにやられてしまった。
「チッ、こいつ―――」
「河兵衛。落ち着け。雷造は生きておる。それにまずは出るのが先じゃ。出てしまえば追ってくる事はない」
「でもよ」
「娘の微かな命と、こやつを手にかける時間。どちらが大事なんじゃ」
その言葉に河兵衛は奥歯を噛みしめ―――
「すまねえ山風の。間違うところだった」
「そうじゃ。ソレで良い。兎も角、雷造を回収し逃げるぞ」
「おうよ」
する事が決まった二人は再度化け物へと向く。
が、二人の視界には爪が迫っている姿。
しまった。そう考えたところでもう遅い。
逃げる隙もない強大な力の塊が二人へと迫る。
と、そんな河兵衛の視界に老婆が入り込む。
老婆の薄い体が爪に貫かれた。
それにより目前で停まる爪と、貫かれながらも必死に化け物の爪を手で押さえ、踏ん張る老婆。
「お前―――」
―――私が出来る最後はこれくらいです。流香様のお父様。家の者が、本当に、申し訳ありませんでした。
何でという前に頭に流れ込む思考。
その言葉に、その思いに、先程までの思考が間違いだと気付く。
そして、先程の言葉に答え、家から出ればこんな事にはならなかったのではという後悔が湧いてくる。
「恩に着るッ」
河兵衛はそう答え、老婆に言いながら出口に向かい走る。
その後を雷造とミイラを抱えた山風の翁がついていく。
そんな河兵衛達を化け物は討とうと暴れているが、動けないようで苦悶にも似た叫び声を上げる。
そして家を出る時、河兵衛の目に映ったのは、爪により八つ裂きにされ消える老婆の最後。
その様子に、奥歯を噛みしめた。
「しかし何故、かの神がこの地におる。ここでは無い地の神であろうに。それに逆神の呪いを受けておるとは。この家に、何が起きておるんじゃ」
家を出た山風の翁がそう呟く。
「裏切り者を消すため、だろうな」
そんな言葉に河兵衛は呟く。
脳裏に流れてきた老婆の言葉。それ以外にもあった。映ったのは老婆の若い頃の記憶。
本家を裏切り、処分対象となった流香を桐箱に隠しひっそりと持ち出した。その記憶。
「ここから先には通しません!」
ふと、聞こえた声に視線を向けると、そこには人が一人立っていた。
村に来た彩希と同じ制服を着た少女が。
その少女の手には御札が握られている。
だが、感じる彼女の力は自身達に危害を加えられるほどの力は有していない。
だから力尽くで退ける事も河兵衛には可能だが、
「悪いけどよ。人間の嬢ちゃん。俺等は戦う気はねぇんだ。そこを退いてくれ」
「私にはあります! どんな理由があれ、私の友人を攫った事は許しません!」
「いや、俺達は―――」
攫ったわけじゃないと弁明しようとした河兵衛は、背後に感じる。
アレの気配を。
消魂しい足音を立てて迫る者の気配を。
そうして気配だけじゃなく姿が見える。
化け物のその姿が。
「おいおい、山風の爺さん。家からは出れないんじゃなかったのかよ」
「本来であればそのはずじゃ」
予想外の存在の出現に、家からは出れないはずの存在の登場に慌てる二人。
そんな二人の後ろでは、少女が目を見開いて冷や汗を流している。
そして口からは恐怖で震える「何あれ」という呟きが。
そんな三人に向かい、化け物は速度を緩める事はせず走りながら鋭い爪を構え迫る。
多分巻く事は出来る。そうして早く娘を病院にと河兵衛は考える。が、
―――俺等が逃げれたとしても、この嬢ちゃんがやられる可能性がある。
その考えが頭を過ぎる。
「山風の爺さん、頼みが」
「それは聞けんな」
「なっ」
予想外の言葉に驚く河兵衛。
そんな河兵衛に山風の翁は続ける。
「ワシがやる」
そう言い、山風の翁は
「けどよ、爺さん!」
「相手は呪われておるが神。ワシ等どちらかが相手したとて一か八かじゃ。なのであれば、若造よりも老が相手をした方が良かろうて」
そして河兵衛に持っている者達を任せ、対峙するために立つ山上の翁。
鬼気迫る化け物。それに臆する事なく、山風の翁は―――
翁の視界に怪物へ向かい飛び込んできた影。
それは化け物にぶつかり、化け物は吹っ飛ばされ道の横を流れる川へと落ちる。
突然の事に何事かと思った河兵衛達の目に映ったのは、本来外にいるはずのない者。
青い着物を着た小さな子供の姿。
「も、匁―――」
「ねえ、何してるの?」
河兵衛が何か言う前に匁が口を開く。
それはなんでいるのかは分かっている者が、放つ言葉。
匁の言葉に河兵衛と山風の翁はバツが悪そうな表情をすると、匁はふと息を漏らし、
「早く行って」
「すまねぇ匁」
「恩に着る家主殿」
匁の言葉に抱え直し二人はこの場を去って行く。
それを止めたかったが、少女は目の前にいる妖から目が離せなかった。
理由は簡単。友人に最も強く付いていたのと同じ感じがこの子からするからだ。
けれど、目の前の子供からは恐ろしいとも怖いとも感じない。むしろ、安心感が湧いてくる。
―――けど、この子が主犯……。
少女がそう確信した時、川の方から叫び声と共にあの化け物が姿を現す。
化け物は先程と同じ様に爪を構えて走り来る。
そうして匁の目前で化け物は爪を振るった。
しかし、爪は空を切る。
爪が当たるギリギリで姿勢を低くし匁は爪を除け、化け物の馬の足を掴んだ。
「白面、行くよー!」
「うむ、来い!」
帰って来た返答に匁はその怪物を声のした方。上空へと投げた。
それに釣られ少女が見上げた先。
いつの間にいたのか、強大な力を有した者の存在とそれを頭に乗せこちらを見やる大百足の姿が。
それ以外にも大百足の上には強大な妖力を宿した化け物が二体ほど見受けられる。
匁が放り投げた化け物は大百足の足でしっかりと掴まれ、手は大百足に乗っている化け物の一体。刻郎の従える黒い狼達に噛みつかれ押さえられている。
「匁も、早く帰ってくるんじゃぞ~」
「はーい」
元気な返事を聞いた白面が行くぞと言うと、空に光る輪っかが現れ、大百足をそのまま飲み込むほどの大きさになると、そこへ大百足は入っていき消え、輪っかも消えた。
同時に、先程まで感じていた恐ろしさが嘘のように消える。
「じゃあ、僕も帰ろーっと」
「ま、待ちなさい」
「う?」
声の方を見る匁。
そこには真面目な表情で匁に手に持った御札を向けている少女の姿。
その姿に首を傾げている匁だが、着ている服が彩希のと同じだと感じて問いかける。
「お姉ちゃん、彩希のお友達?」
その言葉にやはりと少女は緊張を強める。
「そうですけど」
「そうなんだ。じゃあねじゃあね、彩希に伝えてー。もう大丈夫だよーって―――」
「え?」
途端に子供の無邪気な笑い声が聞こえ、少女ははたと気付く。
―――あれ? 私、なんでここに?
いや、確か結界内で強い妖力を感じて部活を抜けて来たんだった。
けど、―――結界を超えた後の記憶がない。
今来たばかりではないと、手に握った御札が物語る。
対峙でもしない限り握らないようにしているが故に。
それに結界に入る前に確認した時刻と今の時間が違っていた。時間が進んでいる。
という事は、だ。対峙していた妖に記憶を消されたらしい。
けど、体に異常はない。じゃあ、何のために?
「あれ? 琴音さん? こんな所でどうしたの? 家のお仕事は良いの?」
そう考えていた少女だが、不意にかけられた声に振り返ると、そこには彩希が立っていた。
「あ、彩希さん」
「ん? 何?」
「もう、大丈夫ですよ」
☆☆☆
「ただいまー!」
迷家に響く元気な声。
そこ声に釣られ、玄関に紅白がやって来る。
「お帰りなさいませ家主様」
いつものように紅白が頭を下げると、「うん!」と元気に答え、匁は履き物を脱ぎ、中へパタパタと走って行く。
いつもの光景。
変わらぬ光景。
それに紅白はいつものように付いて行―――
「紅白や」
―――こうとして、足を止めた。
聞こえたのは叔父の声。
「申し訳御座いません。ご来訪に気がつかず」
振り向いた紅白は山風の翁に頭を下げる。
「良いんじゃ。それよりも―――」
差し出される翁の腕。
腕の中には布があり何かが包まれていた。
それを見て最初キョトンとした様子の紅白だったが、次第に表情が変わっていく。
「翁様、それは」
「うむ、―――じゃ」
翁の言葉。
それを聞き、ゆっくりと歩み寄る紅白。
そうして目に映るのは、布に包まれた、ミイラと化してはいるものの面影の残る顔。
紅白の母の顔が、体がそこにあった。
その骸を受け取り、紅白は抱きしめ床に座り込む。
そして、色々な感情が溢れるように、涙が溢れる。
その様子を山風の翁は寂しそうに見つめている。
翌日。
匁と紅白は迷家の裏手。丁度木陰になるそこに穴を掘っていた。
結構大きな穴が出来、するとそこへ人一人が入るには十分な大きさの樽を二人は入れ、その穴を埋めた。
その上に匁は明らかに子供には持てないであろう程の大きな石を置く。
「ありがとうございます。家主様」
「良いよ~」
そうして二人は石の前に線香を置き手を合わせる。
と、丁度手を合わせ終わった二人の耳に慌ただしい足音がやって来るのが聞こえた。
「迷家の旦那! 紅白さん! 大変っす! 大変っすー!」
雷造である。まだ頭に包帯をして、入院着を着ているのだが。
「河兵衛の旦那の娘が、―――目を覚ましたんすよ!」
「本当!?」
「ああ、だから来てく――」
「何、勝手に病院抜け出してんだー!」
急に海老反りになる雷造。その後ろには怒りの形相で雷造を締め上げているマイの姿。
「ぬおあー! マイハニー、今、そんなふざけてる場合じゃないっすってー!」
「誰がマイハニーだ! 誰が!」
締め上げを強めるマイ。
そんなマイを宥めつつ、先に二人を病院に帰してから、匁と紅白はお見舞いを兼ねて行く事に。
そうしてお墓を離れ、
ふと振り返る匁。
そこには薄い人影が立っている。それは、どこか紅白に似た黒髪黒翼の女の天狗。
それは振り向いた匁へゆっくりと頭を下げた。
そんな天狗に匁は笑顔で頷く。
と、そんな匁に声が掛かる。
「家主様?」
急に立ち止まって母のお墓を見る匁を不思議がって紅白が声をかけたのだ。
「行こ! 紅白!」
匁は紅白に特に何か答えるわけではなく、その紅白の手を引いて出発する。
そんな二人の後ろ姿を、微笑みながら見ていた。