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祖母の死

作者: 晴樹

父と母が昼食の準備をしている。普段と変わらない光景のはずなのに、二人の間に会話もなく伏し目がちで、室内には野菜が炒められている音だけが響いている。


夫婦喧嘩という雰囲気ではない。何か二人が共犯者として隠し事をしているような、けれど子供が迂闊に問い質してはいけないような、そんな雰囲気だ。


「ばあちゃんを呼んできなさい」


出来上がった焼きそばを食卓に並べながら父が言う。


祖母がいつもいる茶の間に行くが、ここには居いない。さて、どこに居るのかと、いくつかの部屋を巡ってみると、仏間がいつもと違うことに気付く。普段の仏間の様子をつぶさに覚えているわけではないが、いつもより片付いている印象を受ける。


なぜかは分からない不安が全身を犯し、その場に立ちすくんでいると突然「片付いたでしょ」という声が横から掛けられる。いつの間にか祖母は隣に立っていた。その顔は仏のように穏やかに澄んでいた。


父も母も祖母も、いつもと違う。それがどう違うのか、説明できないけれども、それらは言葉にしてはならない予感を増大させた。


「今になってどうして?」


不安に耐え切れず、答えを求めてしまった。言ってから言葉を戻してしまいたい衝動に駆られるが、かと言ってその場からも動けない。


祖母は何とでもないように、


「虹になるんだよ」


と言った。その一言ですべてを理解した。漠然と予感していたものが現実のものとなった恐怖と衝撃で、言葉が詰まる。それでも体は考えることなく、祖母に抱きついていた。なぜか視界が滲む。


祖母は何も言わず、そこにいた。父と母の態度も納得がいった。祖母は今日、天に召されるのだ。


「いなくならないで」


祖母は何も答えない。体温だけが生を感じさせる。しばらくそうしてから


「さあ、お昼を食べよう」


とだけ言って、リビングに向かう。その背中が、どんどん遠くなっても追いかけることはできなかった。


**


朝の陽ざしが、カーテン越しに室内を照らす。


「夢か」


今、ベットに横たわる自分は、就職を期に上京し1Kのアパートに一人暮らしの身だ。就職してから十年以上経つが、今でも宿題を忘れた、単位が足りない、という夢を見る。この夢も、多分随分若い設定だろう。それでも、家族のことになると前にいつ見たかも思い出せないほど登場回数は少ない。実家には、両親、そして祖母も健在で、縁起でもない夢だと思いつつ、ツッコミ所が多い夢だったと振り返る(夢なんて大抵そういうものだが)。


まず、夢の中の祖母は、随分理想化された祖母だった。現実の祖母は、別に性悪婆さんというわけではないけれど、好々爺というわけでもない、至って普通の老婆だ。現実で同じ状況を与えられたとしても、泣かない程には思い入れがない。「いなくならないで」なんて言葉も、多分出ないだろう。


そもそも、死を虹で表現する感性もよく分からない。それはもちろん、夢の演出家である自分へのツッコミであるが、多分現実の祖母ならそんな詩的なセリフは言わないだろう。そして、今日明日にでも旅立つことが分かっている程の病状なら、家で平然と過ごしているというのも現実感がない。


そう、夢に一々文句を付けてもしょうがない。今日もいつもと変わらない、退屈な仕事が待っているのだ。気持ちを切り替えよう。そう自分に言い聞かせて、出社の準備を始める。


いつもと変わらない朝飯、いつもと変わらない街並み、いつもと変わらない満員電車――。妻も子もなく、これからできる予定もない、単調な毎日。


そんなことを考えていると、今朝の夢にまた別の解釈を思いつく。つまり、自分は変わることを恐れているのではないか。いずれ年をとり死ぬというのは自然の摂理なのだが、多分、順番として祖母が死に、父と母が死んで、自分は独りぼっちで死んでいく。そういう不安が、あの夢であり、「いなくならないで」と願ったのは、祖母というより、永遠不変の「今」なのではないか。


こんなことを考えるのはもう止めよう。本当に心を病んでしまう。だから、会社のデスクに座った瞬間に、心を仕事に切り替えて、そういうことは考えないようにした。


祖母が亡くなったと、父から連絡があったのは、その日の昼だった。


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