4. 聖女様の魔力は意外と特別じゃないらしい
リタは聖属性魔力の謎を解き明かすため、聖人――聖属性魔力を内包する人間のこと――ではない通常の人間の魔力や、魔石に蓄えられる魔力との性質の違いを調べることを当面の目標とした。
聖人に関わることの多くは教会によって秘匿されてきたため、聖属性の魔力についてわかっていることは少ない。基礎的なところから始めていくしかなかった。
調べ始めてすぐにわかったのが、聖属性魔力と言ってもまったくの未知の代物ではないということだった。
聖属性という大層な名に構えていた研究員も多かったが、従来の実験器具や手法などが通用する相手だと認識を改めることができたのは、滑り出しとしてこの上なく順調といったところだった。
種々の実験により、聖属性魔力は、人間の魔力よりも魔石の魔力に近いことが判明した。当面は魔石の特性を詳しく調べていくことに決まる。
とはいえ、聖属性魔力と異なり、魔石の魔力の特性に関しては、これまでもエンケル王国などの大国で様々な研究がなされてきたわけで、この短期間で新たな発見など期待できない。そこで、アレクサンダー王太子に頼み、エンケル王国の研究資料を提供してもらうこととなった。
資料が届いてからのここ数日は、チームの全員で資料を手分けして読み込み、聖属性魔力に繋がりそうな研究を探す作業を延々と続けている。
研究者たちの睡眠時間は削られていく一方だった。
魔石の生成には地理的な要素が必要不可欠であることがわかっている。
魔石は水晶花と呼ばれる花に生る。水晶花は生命活動を行う際に魔力を消費するが、余剰分の魔力が実として結晶化したものが魔石である。
水晶花の生育する土地は非常に限られていて、規模の大きい群生地となると、周辺ではここスティエン公国の聖都の他に見ない。
生育に必要な条件は土壌だと目されているが、それも定かではなかった。
今日、リタは研究員数人を引き連れ、水晶花の群生地にやってきている。
魔石の生成過程を詳しく観察するべく、水晶花や周辺の環境を研究室に持ち帰るのが目的だ。
「初めて目にしたが、圧巻の景色だ。いくつもの魔石が陽の光を反射する様は、サイキリアの海の水面を彷彿とさせる」
最後に到着した馬車から所長の後に続いて降りたったアレクサンダー王太子が、心底感心した様子で一面に咲く水晶花を見渡す。
「なぜアレクサンダー様が?」
研究員たちの疑問を代弁してリタが尋ねる。
「実験器具や資料を提供してすぐにさようならでは、些か味気ないだろう? 私も大使として仕事をしている格好をする必要がある。研究チームのフィールドワークに同行すれば、多少の面目は立つというものだ」
「はぁ、なるほど。それにしては観光気分が抜けていないようですが」
風景を楽しんでいるアレクサンダーにリタが胡乱な目を向けると、彼はバツが悪そうに苦笑いをした。
リタは一連のやりとりを黙って聞いていた研究員たちに向き直る。
「さて、昨日すでに説明した通り、本日の目的はサンプルの採取です。水晶花の生育には、この土地と可能な限り同じ環境を実験室で再現する必要があります。予定している採取項目に含まれないものも、各人が必要だと判断すれば積極的に持ち帰って構いません。それではみなさん、よろしくお願いします」
リタが言い終えると、研究員たちは散り散りに早速採取を始めた。
魔石は人間に害があることが一般的に知られており、長時間魔石の魔力にさらされ続けると、まず初めに体調が悪くなり、次に気分が落ち込み始める。
それらの健康被害は一時的なものだから気にしすぎるほどのことではないが、あえて長居したくはない場所だ。
サンプルの採取は急いで行わなければならない。
リタは隣のアレクサンダーを一瞥だけして、担当区域へと歩き出した。
すると、アレクサンダーが小走りでリタに追いつき、隣に並んだ。
「私が向かうところは群生地から少し離れるので、王太子様からすれば地味だと思いますよ」
「構わない」
「それなりに歩きますが」
「体力には自信がある」
「私に構ってばかりだと他の方に怪しまれるかもしれませんよ?」
「研究協力の大使と研究チームのリーダー。一緒にいても不思議ではなかろう。……それとも、私と並んで歩くのは嫌か?」
アレクサンダーが急に声の調子を落としたから、リタは隣の彼の顔を見上げた。
邪険にしすぎただろうか。
「いえ、そうではありません。プロジェクトを成功させるために、できるだけ不安要素を排除したいのです。ですから、アレクサンダー様との関係を勘繰られるのは困るのです――しかし、少しばかり神経質になりすぎていたのかもしれません。失礼な物言いをしてしまい申し訳ございません」
「いや、謝るのは私の方だ。お互いの立場を思えば、私が無神経だった。それでは私はこのあたりで引き返すことにするよ」
アレクサンダーが足を止めた。
つられてリタの足も止まる。
「――おしゃべりではなく、研究協力という体でしたら、一緒に参りましょう」
思わず引き止める言葉が口から溢れでた。
さっきまでついてくる気でいた彼が急に引いたから、その落差に寂しさを覚えたのだろうか。
なんとなく駆け引きに負けたような気分になって、おもしろくない。
「それはよかった」
アレクサンダーが安心したように頬を緩めた。
その優しい眼差しに照れ臭くなって、リタは早歩きで目的地へと向かった。
しばらく步を進めると、水晶花は次第に疎らになっていき、その他の植物が混じり始める。
この辺りでいいだろう。
リタは膝丈くらいの草花が茂っている方へと躊躇わずに入っていくが、途中で後ろを振り返った。
アレクサンダーが大きな背嚢を背負っている。
リタのフィールドワーク用の荷物だが、彼が代わりに持つと言うから先ほど渡したのだった。
「お召し物が汚れてしまいますので、ここからは私ひとりで大丈夫です。荷物、ありがとうございました」
リタが背嚢を受け取りに少し引き返そうとしたところ、アレクサンダーが茂みに足を踏み入れた。
「……私はそれほどまでに温室育ちに見えるのだろうか」
アレクサンダーがリタの隣まで来て言った。
「きっと全身を綿に巻かれて箱の中で大切に育てられたのだろう、なんて思ってませんよ?」
「なるほど。あなたの私に対する認識は理解した」
調査、採取を行いつつ歩き回り、そろそろ引き返そうかという段になって、二人は開けた野原に出た。
隣から息を呑む音が聞こえてくる。
「すごいな、これは」
アレクサンダーが感嘆の声を上げた。
眼前には純白の花々が咲き誇っていた。
いっさい手入れをされていないにもかかわらず、いや、人の手が入っていないからこその美しさか。
そこへ踏み入るのを一瞬躊躇してしまうほどだ。
リタは花を踏まないように、慎重に歩く。
「祈願花がこんなに咲いている場所を私は他に知りません」
リタはしゃがみ込んで涙の形をした4つの花弁を持つその花を近くで見る。
人の幸せな感情に反応して花弁が発光する、不思議な花だ。
野でこの花を見つけたら明るい未来を願うという習慣がある。
リタは、茎に指で軽く触れ、目を閉じ、研究がうまくいった後のことを思い描いた。
目を開ける。
手のひらで太陽の光を遮ると、花びらが光っているのがわかった。
「この国ではそう呼ぶのかい? エンケル王国では、『幸せを運ぶ花』と呼ばれている」
リタの祈りが終わるのを待っていたようなタイミングでアレクサンダーが言った。
「幸せを運ぶ……」
「ああ。見つけたら幸せが訪れるという。私も見たのは初めてだ」
「初めて……ですか? 一面に咲いているのは初めて見ましたが、祈願花自体はたまに見かけますよ」
珍しくはあるが、アレクサンダーの認識と齟齬を感じる。
「ん? そうなのか? 私の国では滅多にお目にかかれないのだが」
「そう……ですか」
地域によって植生が異なるのは当然だから、この国で祈願花が多く見られることはその一例にすぎないのかもしれないが、祈願花と水晶花という二種類の特殊な植物の生育地がほど近い場所に位置しているのは、何か意味があることのように思える。
浮ついていた気持ちは消え失せ、アレクサンダーと会話の途中であったことも忘れて、リタは周りを真剣に観察し始めた。
一通りの採取が終わると、作業の間ずっと一国の王太子を助手のように扱っていたことに気づき、リタは慌てて謝罪をした。
集中すると他の大事なことに気が回らないのはリタの昔からの悪癖であった。
幸いアレクサンダーは気を悪くした様子はなく、そのことに安堵した。
二人は来た道を戻り、馬車が停車したところへと向かう。
「もう今更ではないか?」
「と言いますと?」
「お互いに畏まるような関係性はとうの昔に崩れ去ったと思っていたが」
「それはそうかもしれませんが、軽口を言い合うのと、荷物持ちをさせ、従者のように扱うのでは大きな違いがあります」
「荷物持ちは私が言い出したことだ。気にしなくてよい」
「ですが、『あれ取って』とか、『これ入れといて』などと雑に扱ってしまいましたし……」
実家にいるときのような振る舞いを無意識にしていたことが思い出され、リタは赤面する。
恥じ入るリタを見て、アレクサンダーが興味深げに笑う。
「あれはあれで良い経験になった。セオ――私の従者のことだが、彼の気持ちが少し理解できたよ」
「変わった方ですね、アレクサンダー様は」
「寛大と言ってくれた方が嬉しいのだが――リタっ!」
唐突にアレクサンダーが大声を出したかと思えば、リタは彼に引き寄せられ、直後、元いた場所を炎の塊が通過していった。
炎が来た方向――後ろ斜めを見ると、目元以外を黒い布で覆った、見るからに不審な人物――背の高さからして男だろうか――が少し距離を置いてこちらを睨みつけていた。
アレクサンダーがリタを庇うように前に出る。
「何者だ?」
それには答えず、男は右手を水平に掲げた。
アレクサンダーは腰に佩いた剣を抜き、重心を下げ、力強く地面を蹴った。
彼はリタが人生でこれまで目にしたことのないほどの加速を見せ、男に迫る。
男の右手から炎の塊が発射され、衝突する寸前、アレクサンダーは剣を一振り。
刃が塊に触れた直後、初めから何も存在しなかったかのように炎は一瞬にして消え去った。
男が目を見開く。
男はもう打つ手なしかと思われたが、二人の間の距離が無くなる直前に、第二の魔法が男の右手のひらから射出された。
近距離から放たれた炎をものともせず、アレクサンダーは再びそれを斬り消す。
ダメっ!
リタの位置からは、男が左手に短剣を隠し持っているのが見えた。
制止しようにもあまりの展開の速さに声も間に合わない。
アレクサンダーはもう最後の一歩を踏み込んで男に斬りかかっている。
ガキン、と硬質な音がして何かが太陽の光を反射しながら草むらの方へと飛んでいく。
アレクサンダー様の剣の刃?
いや、違う。
あれは男が持っていた短剣だ。
ということは。
リタは交錯する二人に視線を戻した。
ドサっと音を立てて、男が膝を落とす。
アレクサンダーが剣を引くと、男は力無く地面に倒れた。
「アレクサンダー様っ!」
リタはアレクサンダーのもとに駆け寄る。
彼は剣を振って血を落としながら、周囲を警戒していた。
倒れている男を見ると、両腕の肘から先が切断され、腹から血が流れていた。
リタは唾を飲み込み、喉を鳴らした。
隣を見れば、アレクサンダーが険しい表情をしている。
初めてみる彼の顔だ。
恐ろしいほどの速さだった。
男の持つ短剣を弾いたのも、両腕を切り落としたのも、リタは目に捉えることができなかった。
アレクサンダーは剣を鞘に収めると、男の被っている布を剥ぎ取った。
あらわになった男の顔を見て、リタは息を呑む。
「この男が誰か知っているのか?」
「え、ええ。この方はハリス主教です。第三教区を管轄されておられる、非常に熱心で、信者からの信頼の厚い方です。は、早く治療をしないと……」
リタは震える声で言った。
「教会か。厄介なことになりそうだな」
アレクサンダーは目を瞑り、なにやら考え込む。
少しして、彼は目を開けた。
「リタ、私にひとつ考えがある。協力してくれるか?」