65話 浮野の戦い 第六段
長谷川橋介に肩を借りた橋本一巴は、主君である信長が、自分のほうに歩いてい来るのを見ていた。
「一巴、よくやった。岩倉城一の弓の使い手、林弥七郎との一騎打ち、見事である」
周囲に林弥七郎討伐の手柄の第一が橋本一巴であることを知らしめるように大声で信長はそう言った。
「信長様、お褒めいただき、恐悦至極。なれど、それがしも深傷をおいました。長くは持ちますまい。最期と思い、殿にお願いがございます」
信長のそばに来た橋本一巴は、信長の前に座り込み絞り出すように言った。
「許す。申せ、一巴」
信長も橋本一巴の脇腹の矢傷をみて、厳しいことを感じ取り、答える。
「まずは、手持ちのこの鉄砲を含め、それがしが所蔵する鉄砲を殿にお預けいたします。願わくは、これからも鉄砲を活用していただきたく存じます。そして、尾張を統一していただきたく。もう、尾張の民どうしで殺し合うのは仕舞いにしていただきたく存じます」
手元にある愛用の火縄銃を両手で信長にささげるようにして頭を下げる。
「うむ、相分かった。鉄砲のこと、尾張のこと。儂に任せよ。それと、もう、しゃべるな、一巴」
そう答えながら、橋本一巴が自分の方にささげ持つ火縄銃を受け取る。
「では最期に一つだけ。殿、それがしが居なくなっても、鉄砲の修練、さぼってはなりませぬぞ」
苦痛に耐えながらも無理に微笑んで、信長に最後の諫言をする一巴。だがその口調はどこまでも優しい。
「最期にまで、小言か、一巴。まるで平手の爺のようだな。休め、一巴、もう、休め」
言葉の内容は、怒っているようだが、信長の顔は泣き笑いのようだった。
「橋介、良之、戸板を持ってこい。一巴を乗せる。一巴は戸板に乗せて運び、先に清州に戻す、良いな」
一度大きく息を吸った信長は、一拍置いたのち、周囲に何事もないかのように指示を出す。
「「はっ」」
その命をうけ、橋本一巴を運ぶための戸板を探しに行く二人。
橋本一巴のそばに仁王立ちする信長、岩室重休や山口飛騨などほかの小姓は一巴に声をかけ続ける。
しかし、佐脇良之、長谷川橋介が戸板を持って戻ったとき、橋本一巴の手はすでに冷たくなってしまっていたのだった。
「殿、ご下命により戸板を持ってまいりましたが、一巴殿は既に…」
自分の所為ではないのであるが、小姓たちのリーダー格である佐脇良之は口ごもりながら、信長に橋本一巴が既に他界したことを告げる。
小姓たちの様子を見て、うすうす気づいていた信長は、一度天を仰ぎ、目をつぶりながら答える。
「で、あるか。息絶えたとはいえ吾の鉄砲の師匠である。礼は尽くさねばならん。清州に連れて行ってさしあげろ」
「「「「はっ」」」」
「殿の命じゃ、誰かある。橋本一巴殿、先に清洲にご帰還いただく」
近くの兵たちが集まり、橋本一巴の遺体を乗せた戸板が清州に向かって出立していく。
それを毅然とした様子で見送る、織田信長。
鉄砲の師匠と弟子という師弟、主従としてだけではなく、鉄砲という新兵器に強い興味を持った点で共感できる部分もあった橋本一巴を失った信長の心中いかばかりであろうか。
その僅かばかり後、逃げる岩倉勢の掃討戦を切り上げ、陣を敷いている信長陣営のもとに、織田信清、広良兄弟と前野宗康が、訪れた。
「信清義兄ぃ、此度の助力感謝する。お陰で、大勝利じゃ。ざっとの数で1000近くを打ち取ったと聞いている」
と、床几から立ち上がって感謝の言葉を述べる信長。
「おう、我らが合力すれば、守護代、何するものぞ。で、このまま、岩倉城を攻めるか?信長殿?」
勝利に浮かれる信清は一気に岩倉城を攻めることを提案してくる。だが、信長の答えは、否、だった。
「このまま、攻めたいのはやまやまなれど、我が軍にも負傷者が多い。残念ながら、此度はここまでにいたしたい」
素直に戦力が厳しいという信長の言葉を聞き、信清は、自分たちの軍勢がもうすこし早く戦場に到着していればという非難の色がにおわされているのに気づいた。
「信長殿の軍が動かぬのであれば、我らだけで岩倉城を攻めるのは厳しゅうございりますぞ、兄上」
単独で岩倉城を攻めるのは無理であると、兄に進言する織田広良。その言葉を聞いて、織田信清もこれ以上、強攻策は提案できないことを悟った。
「信長殿が岩倉城を攻めぬとあれば、今回は、ここまでといたそう。以前にもめた領地の件、書状の通り、よしなに頼むぞ。あとは、岩倉の支配地の犬山側のところは、切り取り勝手とさせてもらうぞ」
「是非もなし。切り取りについては信清殿の才覚次第で了解いたす」
「ならば、我らは引き上げだ。帰り道に幾つかの村を制圧するぞ」
「御意にござります、兄上」
「ではな、さらばじゃ、信長」「失礼いたす信長殿」
二人が陣幕から出ていった後、前野宗康は居残り、信長と向かい合う。
「此度の犬山勢の渡し賃、支払いのほど、宜しくお願いします。戦にて人死にがそこそこありましたゆえに、そこに追加を僅かばかりいただきたく」
と、頭を下げる前野宗康。
「あいわかった。今後も当家に助力いたせば割り増しいたすぞ」
カラカラと笑って、了承しつつ、冗談めかしながら前野宗康ら川並衆を傘下に取り込みを提案する信長。
「それはまたの機会に。今後の信長様の活躍を見せていただきながらも決めさせていただきたく」
しれっと、拒否しつつ、含みを残す前野宗康。さすがの老練さである。
「で、あるか。此度は助勢、感謝いたす。今後については、また、な」
「では、それがしはここで」そういうと、陣幕を後にする前野宗康であった。




