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55話 中村の加藤さん、中村さんと会う

ども、坊丸です。発酵肥料を作る前あわやおからを納豆化したものを作りかけた坊丸です。


おからはもうすこし乾燥しっかりしてもらってから俵に詰めるか、乾燥しっかりしないなら木桶で運んでもらう方がいいかもしれません。主に臭い的な面で。


石田村の皆さんには、肥料は10日に一度程度、上下を逆にしたり、混ぜ合わせたりするする作業、いわゆる切り返しをお願いしました。


本当は半年くらい寝かせてから使いたいけど、代掻きの最後の段階では混ぜ込みたいから、40-50日分しか寝かす時間がないでしょうね…。


あとは、サルノコシカケや森からとった適当なキノコたちがどれだけ植物を分解してくれるかですが…。


間違って、たい肥化している途中で食用のキノコわんさか生えてきてくれたりしないかなぁ!

ま、サルノコシカケメインでしょうから無理でしょうが。


塩水選の実演と肥料の説明は、仁左衛門さんと文荷斎さんにしてもらいました。


肥料では、干鰯は発酵する時間がないので、すぐ施せるんですが、畑に魚を撒くなんて!って否定的な意見もあり、半数弱の田んぼや畑でしか撒いてもらえない様子。


文荷斎さんは、石高増加の方策に協力するから年貢を優遇してもらっているのにけしからんとすこしご立腹の様子でしたが、謎の肥料を押し付けられても困惑するのは仕方がないと言っておきました。


仁左衛門さんは、もうすこし説得をつづけるから、少し時間をくれって言ってくれたし、対照実験で干鰯をいれたところと入れてないところで収量の差を見るのにいいんじゃないかとも思うので、これくらいはしかたないでしょう。

全部、拒否とか言われなかっただけ、良しとしましょう。


正直、しばらく、発酵たい肥は寝かせる状態だから時々見に行けばいいだけで、やることがありません。

でもね、農業改革がらみのことをしていないと、お勉強の時間と乗馬訓練の時間がマシマシになるので、農機具改良もやりたいと、文荷斎さんに説明して、納得いただきました。


「農機具の改良は、以前に見せてもらったものですね。このような新しい形を試すのであれば、協力してくれる鍛冶師が必要と思います」


「たしか、文荷斎殿は鍛冶師の人に知り合いがいるとか」


「そうですね。愛知郡は中村の加藤というものです。

もともとは、武士でしたが、長良川の戦いで斎藤道三側につき、怪我をしたとか。

その後、妻の実家、津島の鍛冶師のもとで鍛冶を学び、今は生家の中村で鍛治をしているはずです」


「今日いきなり行っても大丈夫ですかね」


「まぁ、家で何か作っているかと思いますゆえ、一度行ってみましょう。

都合が悪かったなら、家族に話して、後日日を改めて訪れればいいかと」


「何度か行くことになるかもしれませんね。そうなるとまるで三顧の礼ですね」


「三顧の礼などと大げさになることは無いと思いますよ。とりあえず、中村ですから行ってみましょう」


そんな感じで、文荷斎さんに二人乗りの騎馬で向かうことになりました。


「加藤の家は確かあそこなんですが…」


確かに、鍛冶の槌の音が聞こえてきました。文荷斎さんも聞こえたらしく、そちらの方に向かって馬を向けます。


馬の足音に気が付いたのでしょう、女性の方が出てきました。


「何か御用でしょうか?」


「加藤正左衛門殿はご在宅か?昔なじみの中村与兵衛が来たと伝えてくだされ」


「主人は在宅です。今鍛冶を行っておりますので、ご訪問の件、伝えてきますが、ご用件は?」


「鍛冶の仕事をいくつか頼みたくて参ったと伝えてくだされ」


「では、伝えてまいります。そこでお待ちいただくのもなんですから、どうぞ、こちらへ。あそこの座敷にてお待ちください」


座敷で少し待っていると、鍛冶場のほうからやややせ型で年のころは30から40歳ぐらい男性がやや左足を引きずるようにして向かってきました。


「おお、正左衛門、息災か」

文荷斎さんがいつもより少し気やすい感じの声で加藤さんを呼びます。


「与兵衛、しばらくぶりだな。今日はどうした」


文荷斎さんは、加藤さんのことを古なじみと言ってましたが、加藤さんのほうも、友人に会う時のような感じの口調です。


「おいおい、奥方から聞いてなかったのか?今日は客としてきたんだぞ。いい話を持ってきた」


「いい話?本当か?」

と言いながら、文荷斎さんの正面に正左衛門とよばれた人が座りました。


この人が、文荷斎さんの知り合いの鍛冶職人、加藤さんで間違いないようです。加藤さんは、やはり左足が悪いのか、左足を少し投げ出すような感じの胡坐で座りました。


文荷斎さんは、それをとがめる様子もないので、左足が悪くてきれいな胡坐ができないのを知っているのだろうと思います。


「正左衛門、今日は、古馴染みの与兵衛ではなく、織田家の家臣、中村文荷斎宗教として参った。

こちらにいるのは、我が仕える織田弾忠家当主、織田信長様の甥御にあたる、津田坊丸様じゃ」


「ん?お主、今は、信長様に仕えておるのか?儂が怪我をして尾張に戻ってきたころに会った時の話だと、たしか、信長様の弟君の信行様の右筆になったと言っておったと思うが」


「うむ、その通りだ。その後、信行様が信長様に対し、謀反を起こしたのは知っておるか?」


「ああ、何となく聞いている。その少し前に末森の衆と林佐渡・美作兄弟が信長様の軍と稲生のあたりで戦ったと聞いておったので、お主が無事か心配した覚えがある」


「その、稲生の戦いの後に、信行様が美濃の斎藤義龍や岩倉の織田信安と結んで再度謀反を図ったのだ。

その際に、今の上役である柴田勝家様に信行様に謀反の動きあることを伝えたことを信長様に評価され、信行様づきの右筆から末森城の城番の一人に取り立てられたのよ」


その話を聞いて、加藤さんの顔に少し驚きの色が広がるのが見てとれます。

まぁ、右筆として入った文官系の人がそんな経緯で偉くなると思わないもんね。


「ほぉ、儂が中村で鍛冶職人として働いている間にそのようなことがあったのか!

まぁ、この中村出身のお主が出世しているのであれば、めでたいことだ。

だが、末森の城番のお主がなぜ儂に鍛冶仕事を頼んでくる?

知ってると思うが、長良川での戦いのときに受けた傷のせいもあって、儂は刀や大物は作れんのだぞ」


やや自嘲気味に、加藤さんは答えます。さてさて、この後、諸々、説明していきますか。

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