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信孝なんかに『本能寺の変』のとばっちりで殺されていられません~信澄公転生記~   作者: 柳庵


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488話 南伊勢攻略戦 永禄十二年九月九日

永禄十二年九月八日、丹羽長秀、池田恒興らが大河内城を攻めていた頃、滝川一益の部隊は阪内川沿いを進み、峠を越えて、櫛田川とその支流の仁柿川を進む。

もちろん、櫛田川沿岸の村々を焼いていく。そして、滝川一益は配下の甲賀衆を使い、焼き出された人々を大河内城に逃げるように誘導した。


九月九日早朝、仁柿峠にある関所を打ち壊し、峠を越えた滝川隊は立川沿いの伊勢本街道を一気に下る。そして多気盆地にでると、八手俣川沿い、盆地の中央に北畠御所が見えてくる。


「あれに見えるが、北畠の多気御所ぞ!焼け!焼き尽くせ!周りにある家々も焼け!焼き払えぃ!」


北畠氏の本拠地とした北畠御所は、地名をとって多気御所とも多芸御所とも言われた。

現在は江戸時代の宿場町としての名残を残す山間ののどかな場所であるが、この時は北畠氏歴代が暮らしたもともとの本拠地にして、現在は新たな本拠地の大河内城の後詰としての役割を持つ土地であった。


北畠家当主たる北畠具教、具房父子が大河内城にその坐を移し、十年弱の時が経った。

少なくない年月が経ち、最盛期の賑わいは失われつつあった。しかしながら、それでも北畠御所の周りにある家々の数は三千戸を数え、大河内城に籠城する為この地を離れている家臣を除いても多芸御所と霧山城を合わせればまだ四、五百人の家臣とその家族がそこで生活していた。


そこに襲いかかる滝川一益率いる一千の軍勢。

が、既に名の知られた侍大将や若武者達は大河内城に籠っている為、この地に残るのは奉行衆、文官衆や有力家臣の先代当主等の隠居衆が多かった。


多少の抵抗はあるものの、織田筒を多数配備する滝川隊の敵ではなかった。刃向かってくる北畠勢を撃ち倒すと、その勢いのまま、滝川隊は家々や御所周辺の建屋に火付けして回る。

北畠御所、霧山城を任されていた北畠政成は残る手勢をまとめると御所防衛を諦め、近くの山の上に築かれた霧山城に籠った。


組織的な抵抗と周りの家々が無くなれば、後は北畠御所を焼き払うのみである。ここに、南朝勢力の雄、北畠氏の本拠地として栄華を誇った北畠御所は、あっけなく焼け落ち灰燼に帰した。

その後、霧山城に向けて火矢、鉄砲を撃ちかけ、更に火攻めにした滝川隊は、戦果を確認すると早々に大河内城の包囲に戻っていった。


そして、ここでも滝川一益はこの火攻めで焼け出された人々に向けて乱破素破を使い、『大河内城に逃げ込めば、御所様がどうにか守ってくださるらしい』と言う噂話を広めていくのだった。


滝川一益はあえて行きに来た伊勢本街道ではなく別の道を選んで大河内城に向かった。つまり、八手俣川沿いを下り、現在の三重県県道29号こと松阪青山線と同じルート、清水峠や細野峠を越えて阪内川沿いに大河内城に向かったのだ。

当然、滝川隊に焼き出された人々は、滝川隊との遭遇を避けるため、伊勢本街道を選んで大河内城に向かうこととなった。


九月十一日、大河内城包囲網に戻った滝川一益は信長本陣に報告に向かう。

滝川一益が本陣近くに到着した時、信長本陣は八日の攻撃失敗を踏まえ、いまだピリついた雰囲気が残っていた。小姓衆の動きから、本陣がピリピリした雰囲気である事を感じ取った滝川一益ではあったが、あえて気が付かないふりをすることを決めたのだった。


「殿、滝川一益殿、参られました」


「で、あるか。一益。入れ」


「ハッ」


信長は床几に座り、扇子を手に打ちつけながら目の前に広げられた地図を見ていたのだが、滝川一益が陣幕をくぐって現れたのを確認すると、一つ、ため息をついた後、滝川一益に着座を促した。


「一益。まぁ、座れ。で、北畠御所はどうであった。しかと、灰燼と化してきたか?」


「ハッ。殿のご命令どおり、全てを焼き払ってまいりました。御所城後詰めの城である霧山城の麓も焼き払っておきました」


「霧山城は落とした訳ではないのか?」


「ハッ。残念ながら、その通りにございます。

霧山城の逃げ込む連中に紛れて城に入った我が手のものによると、霧山城兵糧はそれほどの量では無いとのことでした。

御所とその周りの家々、更には周囲の集落の田畑も焼き払いましたので、霧山城に長く籠もる事は出来ないと思われまする。また、彼の地から大河内城に兵糧を運び込むことも叶いますまい」


「で、あるか」


滝川一益の報告を聞き、信長の口角が上がる。


「一益。ご苦労。で、だ。大河内城に人を追い立てられそうか?」


「はっ。村々を焼き払った後に大河内城に向かえば救われるという噂をばらまいてきました。焼け出された人々は大河内城に逃げ込むものと思われまする」


「ならば、良し。南の陣、西の陣を率いる信包、秀吉に焼け出された民が城に逃げ込むのはあえて見逃すように命じておこう。必要あらば、追い立てて城が受け入れざるを得ぬようにするのも良いかのぉ」


「はっ。さすれば、その者共が大河内城の兵糧を食い潰してくれましょう。もし、城に入れぬとあらば、城の目の前でその者共を討ち、北畠は伊勢の民を見殺しにしたと、喧伝できる」


「クックック。城の兵糧が減るか、北畠の名を自ら傷つけるか。いずれに転んでも悪くない。悪くないな」


信長から数日前の城攻めの失敗に苛ついていた雰囲気はなくなった。そして、信長の哄笑が本陣に響くのだった。

本文中にも書きましたが、多気御所、多芸御所、北畠御所は全部同じところの別名です。現在は北畠神社とかつての北畠御所の庭園が北畠氏館跡庭園があるそうです。


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