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信孝なんかに『本能寺の変』のとばっちりで殺されていられません~信澄公転生記~   作者: 柳庵


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486話 南伊勢攻略戦 信長、仕掛ける

「城を囲んで数日だが、敵の士気は高いままか…。後詰も期待できぬと言うのに敵方はよく持っているな」


信長は本陣にて尺限廻番衆達からの報告を受けた後、そうつぶやいた。


大軍に囲まれた上に後詰の無い状態の籠城戦などどう考えても勝ち目が無いのだから、すぐに士気が低下し、降伏してくると考えていた信長にとって現状は少しばかり予想外であった。


信長とて北畠氏が南伊勢を拠点に南朝勢力として活躍したこと、鎌倉幕府滅亡後から現在までの二百三十年近く伊勢国司や守護職として南伊勢随一の名家であることは理解しているが、村上源氏久我家中院家の流れをくむ名門としてのプライドからぽっと出の織田家に安易に降らないし降れないという感情については、共感性の低さと時代に合わない突き抜けた合理主義を持つ信長には今ひとつ分からないことなのだった。


それ以外にも、北伊勢を攻める織田の動きを見た北畠氏宿老の鳥屋尾満栄が、信長がいずれ南伊勢にも食指を動かしてくると見て、大河内城に大量の兵糧を集めていたことも北畠方が高い士気を維持できている要因の一つではあった。


そこで信長は大手門の対面に陣取る柴田勝家、森可成らに北畠方を挑発するよう命じる。打って出てきた兵を大兵力で討ち取るのも良いし、その裏で他の方面から攻めても良い。事態が動けば、兵力差で押しきれると考えたのだ。


大河内城対面の只越山の柴田勝家、森可成は、大声自慢を集め、北畠方の兵を臆病者と嘲り笑う様に命じた。さらには、北畠具房が肥満で太鼓腹であることを周辺の住民から聞きつけると北畠具房の罵詈雑言を大河内城に向かって浴びせ続ける。


「大腹御所の餅喰らい!」


「大腹御所が居ると城内の兵糧なんぞペロリと平らげるぞ!」


「大腹御所が兵達の喰う分の兵糧まで喰い尽くすぞ!」


「どんなに大量の兵糧があろうが、大腹御所がいたら七日、いや五日で兵糧がなくなるぞ!」


「自分の食べる分を持って逃げたほうがいいぞ!敵の足軽の方々!」


大河内城正面の山々から北畠具房を馬鹿にして囃し立てる織田の兵達。

北畠具房は、伊勢きっての名門でもあり敬されることには慣れているが、馬鹿にされたことなどなく、煽り耐性があまりにもなかった。この程度の罵詈雑言でも怒り狂い、ついには将兵を率いて打って出ると言い出す始末である。


鳥屋尾満栄らが宥め、父である北畠具教が言い含めてることで、打って出ることは諦めさせられたが、それでも北畠具房の怒りはなかなかは収まらなかった。

ついには、あの罵詈雑言を言う兵を射殺せと言い出す始末であったが、老臣達からの言葉を受け入れて籠城した兵のうち弓自慢達を並べて対面の山から自身をからかう様な声がしたら弓を射掛けるだけに留めたのであった。


挑発による事態の変化を狙った信長であったが、思ったほどの動きはなく、敵の士気は依然として高いままであった。

敵の士気の高さが大量の兵糧の両方とプライドの両輪でなっていることに思い至らない信長は、軍議を招集し、次の手を打つ。


「なかなか士気が下がらないのは、兵糧がこちらの予想より多いのであろう。それと、霧山城と多芸御所が後ろにあることでを頼みの綱としているのかも知れん。誰ぞ、多芸御所を焼いて参れ。そこで焼き出された者どもを大河内城に追い立てろ。頼みの綱のもう一つの本拠地は無くなり、城には兵糧を食い潰す口が増える。一石二鳥よな。誰ぞ、やれるか?」


「ならば、それがしが」


伊勢方面を長らく担当してきた矜持からであろうか?滝川一益が自ら志願した。


「一益、そちに任す。多芸御所、霧山城の両方を焼け。尽くを灰にしてこい」


多芸御所、霧山城は現在の住所では三重県津市美杉町上多気、下多気にあたる。

当時は大和国と伊勢国を結ぶ伊勢本街道沿いの交通の要地であり、南朝の本拠地たる吉野までは山道を南西に十六里、伊勢神宮には南東に十二里と北畠氏にとっては非常に都合の良い土地ではあった。


が、南朝勢力なんぞ二百年も前の過去の話としか思えない信長にとってはさほどの価値は無い。

さらに港や京都から美濃尾張までの交通を重視する信長にとって吉野ほそれほどの価値は無い。

つまり吉野を重視しなければ多芸御所は交通の要地とも言えないのだ。

ゆえに、信長は命じた。『躊躇なく焼き尽くせ』と。


「承りました。この一益、しかと殿のご下命を果たす所存。そして、恐れながら、お願い申し上げたき儀がございまする。多芸御所を攻めるに軍を動かす際、城から攻められては元も子もございませぬ。願わくば、我らの動きが悟られぬ様、一工夫いたしていただきたくお願い申し上げまする」


「ふむ。そなたの軍を狙って城から出てまいるのならば、それを討つのも良いのだが…。あいわかった。同時に大河内城を力攻めするように見せかける。丹羽長秀、池田恒興、稲葉良通。以上三名、城に一当て致せ。もし、そのまま、攻め落とせるなら、落として構わん」


「「「ハハッ」」」


指名を受けた三名は頭を下げて応える。

大河内城攻めは、こうして次のフェーズに入っていくのだった。

北畠具房が「大腹御所」と言われて馬鹿にされたのは「勢州軍記」に書いてある話。宇陀の秋山直家配下の諸木野弥三郎が織田本陣の罵詈雑言を言っていた兵を射殺したと言われますが、どう考えても本陣は無理なので、大手門対面で柴田勝家・森可成の居る東陣地からの罵詈雑言に変更の上、一名だけ射殺しても仕方ないので、複数名で牽制したように話を変更しました。



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