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456話 南伊勢、蠢動 後段

先代木造家当主木造具康の娘を嫁に迎えた柘植保重と木造具康の遺児源浄院主玄こと後の滝川雄利は義兄弟になる。


もともと姉と弟の関係は悪くなく、源浄院が木造家の菩提寺でもあることから、折にふれて行き来のあった柘植保重と源浄院主玄は、互いに滝川一益から連絡があったことを確認すると、謀議を静かに進めていく。


織田家の圧力を受けている木造家家臣には、日の出の勢いの織田家に付かんとするものも少なからずいた。

もともと、木造家は北畠家の庶家筆頭という地位にあるが、南北朝の頃には北朝方について幕府から厚遇をうけたり、応仁の乱では宗家北畠氏と刃を交えたこともあるといった半独立の家風があった。


が、当代の木造具政は国司大名にして剣客、北畠家を中興した北畠具教の弟である。

木造具政が木造家の養子となり、当主として立ち働き始めてから既に二十数年経つが兄弟の関係は悪くはなかった。


このため、源浄院主玄と柘植保重が静かに家中に工作をかけても、織田方に付くという意見はなかなか広まらず主流派にはならなかった。


そんなおりである。多気郡は丹生にて春の大祭が行われた。例年と異なり、周年節目の大祭であることから過去の事例に倣って北畠家とその庶家が集まる事となった。北畠氏の庶家は、木造、大河内、星合、田丸、藤方、坂内、岩内などの各家がある。


武家としての領地も一志郡に全土に及び、公家としても北畠宗家に並ぶほどの官位を誇り、さらには先代北畠当主の弟である木造具政である。木造具政からすれば、当然、兄北畠具教、甥北畠具房の直後の席次が用意されると思っていたのだ。

が、その席次は北畠三御所と言われる大河内、坂内、田丸の三家の後というものであった。


木造具政は兄に席次の変更を要求するが、多気郡の祭であることを理由にこれを拒否されたのであった。

北畠具教と具房から見れば、多気郡の祭であるのだから一志郡に本貫地を持つ木造家は幾ら北畠氏の最有力庶家であろうとも他所者である、という感覚であったのだ。

だがしかし、最有力庶家であり、血縁的にも当代当主の叔父という近さを誇る木造具政からすれば、家中第四位として扱われることに全くもって納得できようはずがない。

終始不満顔のまま家中第四位の席次に座る木造具政を抱えているものの、丹生の大祭はつつがなく終りを迎えた。

北畠具教も弟のそんな様子を見ていたので、大祭の後の酒宴にて弟によく話をして納得してもらおうと考えてはいた。いたのだが、その思惑は水泡に帰すこととなる。


なんと木造具政は大祭の後の酒宴への参加を断り、さっさと木造城まで引き上げてしまったのだ。

木造具政からすれば、酒宴でも第四位として扱われるものと考えてしまったのだ。酒宴においてもそんな屈辱的な扱いを受けるわけにはいかないと思ってしまった木造具政の思い込みを、面子を重んじる公家衆であれば誰が彼を笑うことができようか。


そして、驚いたのは、木造城に詰める家臣たちである。丹生の大祭に向かった具政がまさか大祭当日に馬を飛ばして帰城したのだ。

何事かと驚く家臣たちに丹生の大祭で屈辱的な扱いをされたことを激しい怒気を持って語る木造具政。


この一事が、木造家中の風向きを変える。


木造具政と北畠具教の関係を鑑みて、北畠氏に対する不満を押し殺していた家臣達が、木造具政が北畠宗家に対しては不満を持ったことが示された事で、その不満を表に出し始めたのだ。


曰く、北畠宗家は長野家の軍事行動に対して我々ばかり対応させ自身は汗をかかない。


曰く、長野家の軍事行動は、大河内城の軍議の場で起こっているのではない!現場で起こっているのだ!


曰く、長野家は木造城から一里ほど北の小森上野城を攻めているのを軽く見ている。五里以上南で山の中の大河内城に居る連中は何も分かっていない。


曰く、大河内城の連中は何かあったら霧山城に引きこもれば良いと思ってるに違いない。


曰く、戦場から遠のくと、楽観論が現実に取って代わる。最高意思決定の段階では、しばしば現実は存在していない。戦に負けている時は特にそうだ。今の大河内城の軍議の場がまさにそれだ。


木造家の中にあった北畠宗家への不満の火を柘植保重と源浄院主玄の二人は滝川一益の支援を受けて煽りに煽った。

煽られた不満の小さな火は、次第に家中全体の炎となり、さらには木造具政もその炎に乗った事で大火となった。無論、北畠宗家に対する木造家の半独立傾向があったからこその火の回りの速さであったのだろう。

その状態で木造具政に接した柘植保重と源浄院主玄は滝川一益を通じての織田方への転身を促す。

「今、織田方につけば木造具政様は、北畠宗家に取って代わる事ができるだろう」と。

木造具政は不満と野心から、兄を裏切ることを決めた。そう、彼からすれば「兄上。それがしは故あるが為、裏切るのだ」となったのだ。


永禄十二年五月。木造家は織田方に転んだ。


さらに滝川一益は、北畠具教に敗れて志摩を落ち延び、織田家を頼ってきた九鬼嘉隆の一党を使って山田三方や二見郷にても騒擾を起こす。


北畠家に裏切りと混乱が巻き起こった永禄十二年の春からの夏、滝川一益の報告を受け信長は機が熟したと感じた。

永禄十二年八月、木造家救援を名目に信長は北畠家討伐を開始するのであった。

曰くの場所には、「踊る大捜査線」の有名なあのセリフと「機動警察パトレイバー theMOVIE 2」の後藤隊長のセリフを無理矢理埋め込みました。違和感があるかとは思いますが、作者のこだわりなのであきらめてほしいところ。


「故あるが為に裏切るのだ」はシーマ・ガラハウさんの「私は、故あれば寝返るのさ!」から改変。


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