436話 南近江、差配 参ノ段
ども、坊丸です。
柴田の親父殿の任地と近江の状況を確認しただけなのに、余計な仕事が増えた気がする坊丸です。
「親父殿。南近江は蒲生郡を領するわけですが、道の整備は如何いたしまするか?」
「あ?あぁ。京から南近江、関ヶ原に抜ける道はより一層整備せねばなるまい。岐阜から京都までの道程を確保する、整備するのも我らの役割だからな。山岡殿などは瀬田川を渡る橋をかけるようにご下命を受けたそうだ。難儀なことよ」
「と言っても、観音寺城から北、関ヶ原までの間は浅井殿の領地なんですよね。その間の整備はどういたすのでございましょうか?」
「う〜む。それは殿から浅井殿に依頼して、浅井殿が整備を行うかどうか、だな。まぁ、もともと交通の要衝であるから、ある程度は街道も整備されてはおるしな」
まぁ、そうっすよね。一応婚姻同盟してるとはいえ、他領ですからね。勝手に整備したりできないですよね。
それに、金ヶ崎の戦いの後は敵になるしねぇ。まぁ、現段階では誰も知らない情報ですからね。証拠も無いのに数年の内に浅井長政が敵になるから警戒しとけ!とか言い出したら単なるヤバい奴か痛い人なわけで。
うん、この情報は金ヶ崎の戦い直前まで黙っとこ。いや、完全に黙っておいて、撤退後の対策だけしておいたほうが、無難か…。
と、なると…。
「兄上?」
「坊丸、いかがしました?黙り込んで」
「母上、竹丸。そんなに気にするな。坊丸は何か考え込むと、虚空を見つめたり、黙り込む癖があるだけだ。そういった後は良い知恵がでるからな、そっとしておけ」
はっ!なにか、今、痛い子扱いされた気がする!
竹丸から心配そうな視線を受けてるし。
「すいませぬ。浅井殿に街道を整備していただく良い知恵が無いか考えてしまいました」
「で、なんぞ。知恵は出たか?」
「いいえ、全く。やはり伯父上か公方様から依頼する以外には良い策は無いかと」
そう言って頭を振って見せます。
「だろうのぉ。まぁ、公方様からのご下命にするという手はあるなぁ。だが、京極家は近江において守護不入の権益を持っているし、それを名目に浅井以下の国人衆が集まって京極家を支えておるという形だからのぉ。言うことを聞くかどうか」
柴田の親父殿も、茶碗をおいて腕組みして頭を振っております。
「と、なると、浅井の一存で道を封鎖したりもできるわけですな」
「いや、お市の方様が嫁いでいるのだから、相当のことがあって事を構えねばそういうことはないだろうよ」
おい、親父殿、箸でこちらを指さない!
返事の内容はわかるけども!
「権六、行儀が悪い!権六!坊丸!食事の時の会話の域を超えております!早く食べて、書院で二人で話しなさい!」
「「はっ」」
ほぉら、婆上様に怒られちゃったじゃないですかぁ。自分も巻き込まれて、全くいい迷惑ですよ。
弟たちよ、なんだその生暖かい目は!兄は悪くない!悪くないぞ!ええっと、きっと、たぶんだけど。
はい、そんなわけで、現代人の感覚からすれば早すぎる夕餉をいただきまして、自分は親父殿の書院をご訪問。
「親父殿。今、よろしゅうございますか?」
「ん?坊丸か。待っておった。先ほどはお互いやりすぎたな」
「はっ。申しわけございません。夕餉の席で政の話をしすぎました。婆上様に怒られるのももっともかと」
「で、道の話であったな」
「はい。先程のお話だと、浅井殿が道を如何ほど整備するかは浅井殿のお気持ち次第、となるわけですな」
「守護不入権を持つのだからな。公方様からのご下命ならば、あるいは、といったところよ」
「で、あれば、親父殿の領地あたりから北伊勢の滝川殿など織田勢のところにつなぐ道も必要ではありませぬか?」
「ん?だが、それは鈴鹿の山々を抜ける難所ぞ」
まぁ、本当は金ヶ崎の戦いの後、南近江から北伊勢へ信長伯父さんが撤退する時のルートの選定と整備が目的なんだけどね。
『信長公記』の知識だと、日野の蒲生殿、布施ってところの布施殿、甲津畑ってところの菅殿が協力して千草街道って場所を通って伊勢方面に抜けたご様子。
ただ、そこで待ち伏せされて杉谷善住坊って人に狙撃されたらしいんだよね…。
で、弾丸が信長伯父さんの体をかすったらしい。
そして、二つ玉も使ってるらしい。戦国スナイパーっすね。
まぁ、二つ玉を使ったってことはスナイプに普通の火縄銃、つまり滑腔砲ってことになるんだよね。
滑腔砲だから精密射撃はできないと思うのよ。なんちゃってライフリング前装銃の織田筒&鉄砲の名手なら戦国時代でもスナイプできるかもしれないけどねぇ。
まぁ、二つ玉のテクニック知ってるくらいだからそれなりに鉄砲の名手なんだろうなぁ、杉谷善住坊って人は。
それはさておき、南近江から北伊勢への街道でした。
「鈴鹿の山を抜ける道を整備するのは、大変かと存じますが、後々必要になるかと存じまする。新年の儀で、伯父上が今年は伊勢の北畠を攻めると仰っておりました。
そのおりには、岐阜から伊勢に向かうかと存じまするが、伊勢と任地の南近江に伝令を走らせる程度でも整備しておけば、伊勢攻めで役に立つかと存じます」
「うむ、そんなこともあるかもしれんな。明日、次兵衛の義兄上に会って南近江の事を相談するので、あわせて聞いておこう」
「宜しくお願い致しまする」
いや、ほんと、宜しくお願い致しますよ。後々の信長伯父さんの安全がかかってますからね。言えないけど。
甲津畑の領主が新人物文庫版の『信長公記』だと菅氏になっていますが、滋賀県の各種データを確認するに甲津畑の城主は速水氏の様子。角川文庫版『信長公記』には菅六左衛門で人物注索引に秀政の諱を載せています。
速水勘六左衛門あるいは速水菅六左衛門だったのが太田牛一が誤記した可能性が高いと思います。
が、坊丸くんが持っているのは『信長公記』の知識だけなので、甲津畑の領主は菅 六左衛門 秀政 だとそのまま認識しているとして、あえて菅氏のままにしてあります。
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