435話 南近江、差配 弐ノ段
ども、坊丸です。
なんか、予定より早く柴田の親父殿が南近江は長光寺城に配置されました。
「信長公記」の知識だと金ヶ崎の退き口の後に南近江に織田家の重臣が配置されるわけです。
まぁ、本国寺の変の前に「岐阜から京都までの交通路確保するのに譜代の家臣配置したら?」って信長伯父さんにやんわり提言しましたが。
どうせ、数年後には配置するんだろうし、と思ってね。
その時は、こいつ何言ってるんだ?って顔をして、静かに却下されたようでしたがね。
その後に本国寺の変を経験したおかげで、南近江の交通確保の重要性をご理解いただいたんではないでしょうか、信長伯父さん。ウムウム。部下の提言をきちんと覚えていただいて、必要な時にはこれを採用するその姿勢、グッドですね。
おっと、そうなると、南近江には他の諸将も配置されたはず。確認しておかねば。あと、長光寺城って何処だ?
「親父殿、不勉強にて申し訳ございません。親父殿の任じられた長光寺城と蒲生郡はどのあたりなのでしょうか?蒲生郡というからには蒲生殿の本拠地があるんですかね」
「うむ。蒲生郡は日野が蒲生殿の本拠地よな。観音寺城の南西あたりが蒲生郡というらしい。そうそう、蒲生殿の子息が信長様の小姓になったとか?会ったか?確か鶴千代といったか」
蒲生郡に土着した国人領主さんが、その地域の名前をそのまま姓にしたわけですね。理解しました。
あ、そして蒲生さんところのご子息、信長伯父さんの小姓衆なったんですね。人質という名の小姓扱いですかね。
「蒲生殿のご子息、伯父上の小姓衆になっているんですな。残念ながら、まだ会ったことはありませぬ。いずれ、御殿にて顔を会わせることはあるかと思いまする、親父殿」
「それがしは奇妙丸様の小姓として日が浅く、伯父上の小姓衆と共に働く機会がまだございませぬ。なので、兄上と同じく会ったこともございませぬ。すいませぬ」
「ん。まぁ、致し方なし。たぶん蒲生殿は寄騎となるであろう。故に、だ。坊丸、竹丸。蒲生殿のご子息と御殿にて会うことがあったら縁を結んでおいてくれ。そちらから話を通してもらうこともあるかも知れぬしのぉ」
「「承りました」」
そう言って二人で頭を下げるわけです。一番下の弟、千代丸は、自分に関係ないと思ってるらしく、沢彦漬をポリポリ食べてますが。
「そういえば、親父殿以外にも南近江には誰ぞ、任じられたのでしょうか?」
ふと思いついたていで、親父殿に質問しておきます。
たぶん、金ヶ崎の退き口の後、姉川の戦い前に配置されたのと同じだとは思いますが…。一応、ね。
「ん?南近江か?滋賀郡には森殿、野洲郡には佐久間殿が配された。栗太郡と蒲生郡から北は殿の直轄であるな。まぁ、栗太郡は山岡景隆殿が、栗太郡の旗頭となったがな。
山岡殿は、和田惟政殿の娘婿でもあるし、義昭公の兄、義輝公に出仕したこともある家柄らしい。なので、信長様は、直轄として山岡殿を旗頭にすることで、山岡殿の所領安堵と周辺の国人衆の取りまとめをさせようとしておるのだろうよ。それに和田惟政殿が二条御所の造営の際に山岡殿を連れて来ておったな。山岡殿は、その後、造営に色々と骨を折ってくれたので、助かったわ」
ふむふむ。六角家の有力家臣、蒲生氏は人質を出させて所領安堵、山岡氏は瀬田川にかける橋や二条御所造営の手伝いをさせた上で所領安堵、と。
元六角家の有力家臣でもキチンと従属する姿勢を見せれば、所領安堵するぞ!だから六角じゃなくて織田に従いなさい!ってアピールして南近江の国人衆をしっかり取り込むつもりなんですね、信長伯父さん。
って、あれ?『信長公記』の知識だと、安土に中川重政殿が配置されたはずなんですが、この時間線だと名前がでてこないんですけど…。どうした。何かあったのか?まぁ、いいけど。
「森殿、佐久間殿、そして親父殿。つまりは有力な家老衆を配置したのですね、伯父上は」
「うむ。そうなるな」
有力な家老衆という言葉を聞いて、機嫌がさらに良くなったように見えますよ、親父殿。
「最近活躍している丹羽殿や木下殿は配置されておりませんね」
「あ、あぁ。あの両名は、明智殿と中川重政と組んで京都の政や治安の維持、公家衆や内裏と折衝などをしておる。
あの四名の前に同じ様な仕事をしたが、本当に難儀なことであったわ。しかも、森可成殿と坂井政尚がことあるごとに喧嘩しおる。儂と蜂屋で宥めたり賺したり、怒ったり脅したりしてどうにかこうにかやっておったわ。
後に佐久間殿が助けに入ってくれねば、危うく立ち行かなくなるところであったぞ」
ふむふむ。現在の京都の行政官、代官は丹羽長秀殿、木下秀吉殿、明智光秀殿、中川重政殿と。
丹羽、木下、明智の御三方はめちゃくちゃ歴史に詳しいわけでない自分でも知ってる織田の名将、柱石ですよね。
中川重政殿は、少し前まで母衣衆だったけど、行政官として仕事できるのか?
検分使、監察官みたいな役割なのかな。あるいはこれから育てるのに有能な三名に見取り稽古させた、とか。
その成果が出たから、金ヶ崎の戦いの後では南近江に配置されたのかも。きっとそんな感じなんだろうな。
で、今の四名の前は森可成、柴田勝家、坂井政尚、蜂屋頼隆の四名で仕事始めさせたけど、森殿と坂井殿が対立しまくって上手く回らなかったと。仕方がないので、佐久間信盛殿を追加招集して行政に当たらせたわけですな。
あ、佐久間としか言ってないから信盛殿か盛次殿か分かんねぇや。
「今、名前が出た、佐久間殿は信盛殿なのですか?盛次殿なのですか?」
『信長公記』の記載通りなら、たぶん、佐久間信盛殿の方だろうけど。一応、確認ね。
「坊丸。久右衛門は犬山にて療養中です!忘れたのですか!」
あ、婆上様様に怒られちゃった。
そうだった。盛次殿は箕作城攻めで怪我して療養中でした。行政官としては信盛殿よりも盛次殿の方が有能なイメージだったから間違えちゃったよ。
あ、久右衛門ってのは佐久間盛次殿の通称ね。佐久間久右衛門盛次が正式名称な感じ?確か、柴田家の法要の時にその通称を聞いた気がする…。多分だけど。
「久右衛門は大事無いかのぉ。怪我が良くなったと聞かぬのだが…」
「そのうち、次兵衛にでも見舞いに行かせましょう。良いですね、権六」
「そうですな、母上。そのおりには、坊丸と虎哉禅師にも同行してもらいましょう。確か、加藤殿も虎哉禅師と坊丸の骨折りで元気になっていったからな」
あ、これ、余計な仕事増えるやつやぁ…
でも断るわけには行かないよね。盛次殿はよく知ってるし、理助のパパだもんね。
「う、承りました。見舞いのおりには早めにお知らせください。師父殿にも後日話を通しておきますれば」
はぁぁぁぁぁ。よし、その時は、頑張りますか。
中川重政が配置されていないのは、この時間線のこの時期では、まだそれほど南近江の支配を焦って無いから。それに、金ヶ崎の戦いの前なので、対浅井長政の重要性が低いのと、国境に有力家臣を配置して浅井長政をいたずらに刺激しない配慮です。
佐久間 盛次 の通称は本作の創作。父の名前が佐久間 久六 盛重なので、通称を久右衛門としました。
本文にある通り、一応、柴田家の法要でその名前を出しております。
ちなみに桶狭間にて討死した佐久間 大学 盛重と盛次パパは別人。佐久間大学盛重、久六盛重で識別されるようです。
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