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426話 永禄のクリスマス休戦(思い出話)

ども、坊丸です。


信長伯父さん、奇妙丸様と松永久秀殿の面会の場に奇妙丸様の小姓役として座ってる坊丸です。


今の話の流れからすると本国寺の変って、信長伯父さんが岐阜にいるだけじゃなく、大和国の守護である松永久秀殿も岐阜にいたから起こったって事ね。

あ、一応、『信長公記』の知識で裏を取っておこっと。今なら、データ確認で虚空を半眼で見つめていても小姓役で緊張してるのかな、程度だろうし。視線を松永久秀殿の近くに置いておけば、きちんと仕事しているように見えるのではなかろうか。きっと、たぶん。


で、『信長公記』の脳内インターフェイスを起動して、っと。

ええっと、六条の戦いってなってたよな、確か…。この戦いで援軍に来たのは…。

三好義継殿、細川藤孝殿、池田勝正殿、池田清貧斉殿、荒木村重殿など、っと。

うん、松永久秀父子の名前は無いね。で、池田勝正殿の後にあるのは、たぶん、一門衆の清貧斉殿、確か摂津の偉い人になって後に信長伯父さんに仕えてしかもその後に謀反する荒木村重殿。

つまりは、大和の国からは軍勢動かずに、本国寺にいた兵力と山城南部、河内、摂津からの兵だけで三好三人衆が率いた兵を蹴散らしたってことね。


織田の本隊、大和の兵力が動かないと見れば、二、三日で本国寺、義昭様の近辺にいる兵力だけ倒せば永禄の変二回目完遂(コンプリート)って読みだったんでしょうか、三好三人衆の方々としては。まぁ、知らんけど。


でも、松永久秀父子に『貴様ら、挨拶済んだらとっとと帰らんかい〜!貴様らが年明けまで此処に居座っとると年始に三好三人衆が京都本国寺に攻めてくるんだからよぉお』とか言えないですよね〜。ハハハ。


そんな感じでデータ確認完了っと。そして、視界にピントが戻って来る感じ。よし、戻った。


お、そして、信長伯父さんと松永久秀父子の会話が意外と盛り上がっておりますな。


「しかし、将軍就任の祝の演能の際、義昭様が信長様に鼓を所望された時は、驚きました。あの折は義昭様はかなりのお喜びで酔っておられましたからな。あの様に信長様に酔って鼓を所望されるとは…。まぁ、あの有様では信長様がお断りになられるのも、道理かと思いました」


「まぁ、義昭様も酔っておいであったしの。致し方あるまいよ。儂の鼓なんぞ大蔵殿や観世の宗拶殿の前では小僧の手習いよ。尾張の田舎者と恥をかくだけなのだがな」


そう言うと苦笑する信長伯父さん。


「とは仰られますが、一度は信長様の鼓を聞きたいのも、また事実」


「父もこの様に申しておりまする。信長様主催のもう少し砕けた演能の場ででも、如何でしょうか?」


「そのうちな、そのうち」


満更でもなさそうに答えてますよ!信長伯父さん。この親子、信長伯父さんを気分よく乗せるの、上手いな。これが、三好長慶の重臣から義昭様陣営にいつの間にか立場を変えている人間の口の上手さ、なのか。勉強になる。


「そういえば、信長様は摂津や京では、バテレンや南蛮人にはお会いになられましたか?」


「いや、京にて遠目には見たが、近寄っては見ておらんな。南蛮人と話すほどの余裕は摂津京ではなかったからな。そなたや今井宗久らに会ったり、他には公卿どもの挨拶を受けたりと忙しくしておった」


「そうでございますか。まぁ、いずれ、お話になられこともありましょう。ただ、南蛮人の中のバテレンどもにはお気をつけください。ヤースだかヘースだかという者を信じる様に、言葉巧みに誘って来やがりますれば。そして、それを信じた者は、主君の言うことを聞かなくなり申す。まっこと、害悪でございます」


「クックック。で、あるか。だが、松永霜台は、熱心な日蓮宗の信者にて、他派を虐めることがあると聞き及ぶが。故に華厳宗の東大寺を焼いたとか」


「信長様。世には、それがしが東大寺大仏殿を焼いたと流布されておりまするが、あれは戦による失火でございまする。それに大仏殿に陣取っておったのは三人衆の方でございます。

それがしが焼いたのは三人衆が砦としそうな塔頭を少しばかりにございまする。まぁ、信長様の言う通り、いくつか寺は焼きましたが、別宗派だから焼いたわけではございまぬ故、そこはご理解いただきたく」


「で、あるか。まぁ、儂も犬山近くの禅寺や稲葉山の瑞龍寺を焼いたからな。戦に失火はつきもの。仕方あるまい。ハッハッハ」


そう言うと、上機嫌に笑う信長伯父さん。

ごめんなさい、今のやり取りの何処に笑う要素があるかチョット分からないのですが、坊丸的には。

まぁ、信長伯父さんがご機嫌なら良し。ウンウン。


「そういえば、今日は十二月二十四日でございまするな。先ほどのバテレン絡みの話ですが、バテレンにかぶれると、十二月二十四日二十五日は戦を命じても聞かなくなるのでございます、信長様」


「おお、久通。そういえばそんなことがあったな」


「詳しくは話せ、久秀、久通」


「あれは二年程前のちょうど今日と同じ日付でございました。それがしらは、堺にて三好三人衆の軍勢と睨みあっておりました。恥ずかしながら、それがしの率いる軍にもそれなりの数、バテレンの話を聞いて、やつらの宗派に帰依したものがありまする。そして、それは三好三人衆が軍も同じ有様にバテレンに帰依したものがおった様子。

まぁ、恥ずかしながら、それがしの甥、今は内藤を名乗っております貞広なぞはバテレンからジョアンなる名を貰い、諱まで如安と変えておりまする。

その様に深くバテレンに帰依した者共が我軍と三好三人衆の軍両方におったもので、そ奴らが十二月二十四日二十五日の両日、その両日は神の御子の生誕日故に争わない等とぬかしくさりおったのでございまする」


「で、霜台殿は如何いたした」


「正直、その時は勝つ見込みがなくなっておりましたからな。その混乱に乗じて兵を引き申した」


「ハッハッハ。バテレンは嫌いだが、バテレンの信者の言葉と行動を利用し、撤兵したと。げに、面白し。さすがは松永久秀殿だ」


「しかし、神の御子、宗祖の誕生日とあらば、仏教では、灌仏会、花祭りにございまする。灌仏会で戦を止めるなど聞いたこともございませぬしなぁ。しっかし、バテレンどもは何とも不思議な考えをするものでございまする」

「まことに」


そう言って、不思議がる松永父子。そういえば、平成令和でも、国際紛争の時、クリスマス休戦を提案されることあったなぁ。だいたい失敗してた気がするけど。


「宗祖を重んじるが故の停戦、か。面白いことを聞いた。クックック。バテレンを信じる気は無いが、奴ら使えるかもしれんな」


うん、信長伯父さん。今、絶対悪いこと考えてますよね。だって、悪戯小僧と領主の暗黒面の混じった顔してはりますもん。

松永久秀父子絡みの小話。

本圀寺の変は信長、久秀ともに岐阜に居て京都が手薄になったから起こった説ご有力のご様子。

で、大仏殿焼き討ちのお話。松永久秀、大仏殿焼き討ちについては、実はそれほど悪くないらしいです。三好三人衆側の失火、延焼が原因らしいのに悪者にされる久秀さん。

霜台は、弾正台の唐名。ルイス・フロイスの「日本史」だと松永久秀を霜台と呼ぶことが多いらしいです。

クリスマス休戦は本当の話。ただし、両軍あわせて百人弱の規模で起こったことらしく、堺の町の教会でクリスマスに両軍のキリスト教徒が集まってパーティーして今日は戦しな〜い、ってなったならしい。内藤如安は実在の人物。松永久秀の弟長頼の奥さんが丹波守護代を務めた内藤家出身らしく、母の実家の名跡を継いだので内藤を名乗ったご様子。色々あって、キリシタン大名で有名な高山右近と行動をともにしたらしい。


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