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421話 帰還予定あります

ども、坊丸です。


立政寺の面会と饗応の後、信長伯父さんと足利義昭様の奉公衆の皆さんが何度も協議しております。

奇妙丸様の小姓衆として時々御殿に顔を出しているわけですが、その折に遠くで細川殿や明智殿を見かけますので、きっとそんな感じなんだろうなぁ…ってところです。


そして、八月五日。

信長伯父さんの出立です。

奇妙丸様の護衛兼にぎやかしとして信長伯父さんを見送る奇妙丸様の斜め後ろ辺りから出立の様子を見ております。


ていうか、馬廻り衆、母衣衆しかいませんが、大丈夫なんでしょうか。信長伯父さんもガチガチの戦装束ではないですし。総数も二〜三百といったところですし。


これ、どういうこと?兵力こそパワー!で、戦いは数だよ!な感じで六角とか三好三人衆とかをぶっ飛ばして上洛するんじゃないんですか?たしか頭の中に刷り込まれた『信長公記』のデータをその昔に一回通読した時の記憶ではそんな感じだったはずなんですが…。


って、こういう時は、『信長公記』のデータを再確認だな。


あ、最近は体も脳も発達したのか、かなりスムーズにデータ参照できるようになってます。

前は、真顔で中空の一点を凝視する感じでもしないと参照できなかったから、色々確認していたり、長々データを参照したりしていると、周りの人々から何事があったのか心配されたりしたんですけどね。

理助の近くで『信長公記』を参照した時なんて、そんなに我慢しないで厠に行ってこいとか言われたし。便意我慢してるんちゃうつうねん!


あ、話が横道にそれましたね、


ええっと、確か、第一巻の最初の方のデータが上洛戦の内容だったはず。

あ、ありました。何々。


信長伯父さんは一回目、数百の供回りだけを連れて佐和山城下に陣取ったと。

そして、そこで、六角承禎・義治父子の居る観音寺城に協力要請の使者を出したと。

が、六角父子はこれを拒否。

なおも粘る信長伯父さんは、足利義昭様の作る幕府での要職就任を約束して再度交渉。またもや拒否。

侍所の当人たる所司、所司代への就任を確約しても、これを拒否。

七日間にわたる交渉でも、六角父子はついに足利義昭様への協力を拒否し続けた、と。

そして、信長伯父さんは六角家の討伐を決意して一度、岐阜にもどるんですな。そこで兵を集めて六角征伐からの上洛。そんでもって三好三人衆も阿波讃岐に追い払うと。


ふーん。とりあえず、一回帰ってくるんだね、岐阜に。しかも、数週間以内に。


みんなが出立に際して、活躍や奮闘することを期待して応援したり、しばらく会えないことを涙しているわけですが、なんか、ゴメン。数週間以内に帰ってくると思ったら、お見送りにかける思いが、一気にしぼんでしまいましたよ。

あ、でも、形だけはお見送りしっかりしてるフリしておこっと。


とりあえず、信長伯父さん。一回目、いってらぁ〜〜。


☆ ★ ☆ ★ ☆


「惟政。で、此度は、どういった次第だ。何か、前回と申し述べることは変わったか?」


足利義昭、織田信長の使者として訪問した和田惟政を観音寺城の大広間に迎えて、六角承禎が季節の挨拶もそこそこに本題を切り出す。

六角承禎父子と六角家宿老として三雲定持、蒲生父子も同席している。


「はっ。義昭様からは六角家には義昭様の上洛に織田家とともに供奉いただきたいとのお言葉におかわりはございません。六角家の供奉に大変期待しているとのことにございまする。また、六角家が合力いただければ、承禎様を侍所所司や管領代のいずれかに任じる用意があるということにございます。どうか、義昭様への供奉を宜しくお願い申し上げいたしまする」


「侍所所司もしくは管領代か…。管領代といえば、父定頼が任じられし役職。侍所所司は、本来は四職の家柄しか任じられない役職。すなわち、三管領四職と同等と六角家を認めると言うことであるな」


「はっ。信長殿は、『自分は幕府役職を求めず』として、承禎様に義昭様を…ひいては幕府を支えていただきたいとのことでございます。なにとぞ、義昭様の上洛に合力を」


「それがしに管領代という評価、ありがたし。だが、断る」


「なっ!なにとぞ!お考え直しを!」


「くどい!惟政。そなたが近江甲賀郡の出な上に義昭様に近侍するゆえ、何度も会ったが、これが最後じゃ。次は戦場(いくさば)にて相見えようぞ。疾く、往ね」


小者でも追い払うが如く扇子を払う様に動かす六角承禎。その様子を無礼として止めることもなく、子の義治、宿老の三雲定持と蒲生父子も見ている。


「分かり申した。承禎殿、おさらばにござる」


一つ小さく溜息をついた和田惟政は三度の交渉でも六角家を味方につけられなかったことに、忸怩たる思いと諦めの念の混じった感情を隠すことなく別れの挨拶をした。


「定持。定秀。これでよかったのだな。管領代はちと惜しい気もするが、織田の小僧と同列に近い扱いはどうにも認められんしな」


「殿。管領代といえども、それは勝てばの話にござりまする。今の時点では空手形でございましょう。今、征夷大将軍の任にあるは足利義栄様でございますれば。やはり、朝廷から認められた義栄様につくのが筋かと」


筋目、正論から、そう指摘するのは三雲定持である。


「三雲殿に同意致しまする。三好長慶以下出来者であった三好四兄弟亡き後とは言え、三好義継と三好三人衆、大和の松永、それに阿波讃岐の三好康長と篠原長房とそれなりに人は揃ってござる。

領国も山城、摂津、和泉、大和、阿波、讃岐、淡路の七国。河内も畠山高政の治める辺りを除く大半。かつての領国である丹波は波多野らが自立しているようですが…。

丹波衆や播磨衆も義栄様から命じられれば、麾下に馳せ参じましょう。と、なると、三好衆と丹波、播磨衆を合わせれば畿内近辺で十か国の兵が義栄様のもとに集まると言えましょう。

それに対して、義昭様を支えるは、尾張美濃の二カ国と伊勢の北側半国を領する織田、北近江の浅井の小倅、三河の徳川、河内と紀伊の一部を領する畠山、若狭武田。つまりは四カ国強から五カ国程度。

越前の朝倉は今までの様子から、義昭様の為には軍は動かすまい。むしろ、若狭武田を狙うような動きを見せているとか。朝倉が動かぬとなると、若狭武田は浮き駒の如き有様。松永久秀と三好三人衆がいがみ合っているからこそ河内畠山も生き延びているだけで、小勢な上に三好の勢力の間に浮かぶ小船のようなもの。織田勢と連係を取るのは難しいかと」


兵力、国力を分析して、旗頭をどちらにすべきかを解説するは蒲生定秀。この時は既に出家し快幹軒宗智と名乗っている。


宗智(そうち)の言う通り、現役将軍家の権威と三好一門の領有する国の多さを見れば、やはり義栄様と三好三人衆側につくのが正しいようだな」


「父、宗智の申し上げたことは、概ね正しいかと。ただ…」


「どうした、賢秀。言うてみい」


蒲生氏郷の父にして快幹軒宗智の子である蒲生賢秀も父、子に劣らぬ智将である。その蒲生賢秀が懸念を示した。


「先ほど、父の言葉に出たとおり、三好一党の中では、いまだに三好三人衆と三好義継、松永久秀主従の間で諍いがございます。それがしが見るにこのことが懸念でございまする」


その言葉を聞いて、三雲定持が穏やかに反論する。


「ふむ。確かに、賢秀殿の申される通りですな。

松永久秀は良く言えば知恵者、悪く言えば表裏比興の者にございまする。我が手の者共(こうがしゅう)の調べでは義昭様にも繋ぎを取っているとのことにございます。義昭様が一乗院覚慶と名乗っていた頃、幽閉先の興福寺から逃げられたのは、あ奴(まつながひさひで)があえて監視を緩くしたからだと言う噂もございましたなぁ。

なれど、久秀のことでございますから、な。情勢を見極め、より有利な方につく様に動くかと。

義栄様からのご下命にて、その麾下に大軍が集まり始めれば、すぐに三好家は一丸となるべきなどとほざいてすぐに義栄様方に転ぶでしょう」


「ならば、よし。やはり義栄様方について働くが良かろう。そのうち、義昭様の号令の下に織田の軍勢がやってくるだろうが、(まがり)の陣、延徳の乱の際に祖父高頼様の行ったようにしぶとく戦いぬけば必ずや、当家は勝つ。いや、負けぬ。義治、三雲、蒲生。義昭と信長如きなにするものぞ!戦の準備じゃ!」


「「「「ははっ!」」」」


六角承禎は知らない。

信長のもとで戦を繰り返した織田軍が、かつて信秀に率いられ尾張の弱兵と呼ばれていた頃と異なり、精強であることを。


六角承禎は知らない。

三好三人衆と松永久秀の相克はもはや関係の修復が不可能なほど根深くなっていることを。


六角承禎は知らない。

長享・延徳の乱の如く遠征軍をやり過ごせば、どうにかなるというものではないことを。


六角承禎は知らない。

六角家征伐の後、南近江を自国の領土に組み込もうとする信長の強い野心を。

よく六角承禎に何度も合力依頼の使者をだしたのは、先見性の高い領国運営をしていた六角承禎を織田信長がリスペクトしていたからだ、と言う論調を見ますが、本当でしょうか?

自分としては、『鈎の陣とかの歴史を振り返ると、六角相手には普通に戦で勝っても甲賀地方に逃げ込んでゲリラ戦してくるから、できれば戦いたく無いなぁ』とか、『六角家を味方に引き込んだ上で侍所所司の役職につけとけば、役職柄、義昭様と京都を守り続けるしかないから、自分の面倒減らせるなぁ。六角家の領有する南近江からならすぐに京都に兵を派遣できるだろうし。その隙に自分は南伊勢の北畠家を制圧しちゃおうかな』程度の感覚だったのでは無いかと推測。



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