420話 頂き物
ども、坊丸です。
いやぁ~、足利義昭様と信長伯父さんの立政寺での面談はつつがなく終わった模様です。そして、饗応膳も。
自分はその後、特に呼び出しとか無かったので、普段通りに奇妙丸様の小姓衆を務めております。
饗応膳でのお手伝いなんですがね、実は信長伯父さん経由の正式のお仕事ではなかったようで、特に何の褒賞もないと言う有様。井上さんが些少の砂糖を気持ちとしてくれただけという。
むしろ、驚いたのは、細川藤孝殿からの頂き物。抹茶塩を作るのに、少し抹茶が欲しいというのを光秀さん経由で頼んだところ、包丁方に抹茶が届きました。文琳茶入に満たんに。
抹茶塩を作る為に井上さんと塩と抹茶のバランスを何通りも作って確認し、饗応膳には「鯛の天ぷら抹茶塩を添えて」をお届けできたわけです。
当然、文琳茶入は細川殿にお返しするものだと思い、そのような手配を井上さんに頼んでおいたわけですがね。
なんと後日、同じものが柴田の屋敷に届きました。
細川藤孝殿からの書状もついていて、「饗応膳での手配の礼として津田殿にこの文琳茶入をお贈り致します。立政寺での饗応膳は越前での饗応と趣が異なり伊勢の海のもの美濃や尾張の山のものがあり、大樹様も殊の外お喜びであったとのことでした。饗応膳に関わった明智、井上両名に話を聞いたところ津田坊丸殿のご尽力あったことがわかったので、この先日抹茶を送ったときの文琳茶入を納めて欲しい。瀬戸で作られたもので唐物の写しなのでそれほどの価値はないので気にせず使って欲しい」とのことでしたよ。
って、元服前の小僧に和物とは言え文琳茶入を贈ってくるなんて、凄えな、細川藤孝殿。こういう気配りしながら織田から豊臣をへて徳川の世まで戦国の荒波を泳ぎきったんだろうなぁというのが分かるってもんです。
まぁ、この茶入だけあっても仕方ないので、饗応膳の報酬として家宝扱いで取っておきますがね。
って、大樹様って誰だ?こういう時は次兵衛さんか文荷斎さんだな。
あ、いたいた。吉田次兵衛さん。
「吉田殿、折入ってお話があります。宜しいでしょうか?」
「坊丸殿。いかがしました。今、この書状を仕上げますので、少しお待ちを。あ、書状の数とこちらの書状の数が同じかを確認しておいていただけるとありがたいのですが」
くっ。最近、小姓衆仕事でこういう計算業務から逃げられていたんですが、ここは手伝うしかないっすね。
「お、お手伝いありがとうございました。で、いかなる要件で」
「先日の足利様の饗応膳、包丁方の井上左膳殿のお手伝いをした際の報酬として義昭様の奉公衆の細川藤孝殿からこちらを頂きまして、一応、ご報告です。それと、この書状、大樹様とあるのですが、これは足利義昭公の事でよろしいので?」
「ふむ。細川藤孝殿は気が早いご様子ですな。坊丸殿の言う通り、大樹は征夷大将軍の別称ですな。近衛大将のことも大樹と呼ぶことがございます。後漢にて光武帝を支えた有徳の将、馮異将軍の故事から来ております。しかし、まだ征夷大将軍の宣下も無いのに大樹様と呼ぶとは…。信長様の力があれば将軍宣下は間違いないと思っておられるのか…。ただ、気が早いだけなのか…。それに、現在は足利義栄様が征夷大将軍に任じられておりまするから、本来は間違いと言わざるをえないのてすが…。少し、危うさを感じますな」
イヤイヤイヤ、『信長公記』の知識では、永禄十一年の内には京都を制圧してますから、信長伯父さんは。大丈夫ですって。
「大樹様とは、征夷大将軍の別名なのですね。覚えておきまする。しかし、伯父上が義昭様を奉じて軍をすすめれば、必ずや京の都まで道は開かれると思いまする。なんと言っても、伯父上は天下人になるお方ですから」
「ハッハッハ。久しぶりに聞きましたな、それ。坊丸殿は昔から『伯父上は天下をとりまする!』と言っておりましたからな。しかし、坊丸殿を当家に迎えた頃は何を夢物語を、と思っておりましたが…。織田家が濃尾と北伊勢を領して、将軍候補をお迎えするような事になるとは…。坊丸殿は、こうなる未来が見えておったのですかな?」
うん、本当は前世の知識で知ってた。いえないけどね。
「知っていた、と言いたいところですが、さすがにそれは無いですよ。父上が謀反をおこしてしまいましたから、生き残るための方便ですよ。その方便を聞いて、そのうえでそれを本当にしてしまった伯父上が凄いのだと思いまする」
「そうですな。足利義昭様を奉じて上洛するには、まずは南近江の六角。そして、京から摂津、河内、和泉の辺りを支配する三好三人衆。場合によっては、足利義栄様が征夷大将軍として御教書を以て兵を集められた場合は…。応仁の乱とおなじようなことにならねば良いのですが…」
吉田次兵衛さんの言う通り、足利義栄様が征夷大将軍として兵を集めたら、足利義昭様とその配下の軍勢は賊軍扱いになるのかな?
まぁ、『信長公記』のデータを参照する限り、サクッと京の都を制圧して、三好三人衆を四国に追い払ってる感じだし、応仁の乱みたいな睨み合いにはならないはずなんだよね…。うん、きっと大丈夫。『信長公記』のとおりになるよ、きっと、たぶん。根拠はないけどね!
現代の人は、信長がサクッと軍事力で上洛したのを知ってますし、一部の歴史どマニアな方は足利義栄が永禄十一年九月に病を発して十月頃亡くなったのを知ってると思いますが、当然、当時の方々はそんなことを知らないわけで。
現役将軍たる足利義栄+三好三人衆や讃岐阿波の軍勢の西軍と将軍候補の足利義昭+信長とその同盟者達の東軍に分かれて、応仁の乱レベルの戦が起こるのでは…と恐れていたのでは無いかと予想して書いてみました。
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