400話 出立
400話でも特別のエピソードにならないのが、本作品。
それが、柳庵クオリティ!諦めてください!
ども、坊丸です。
いや〜、お市の方の婚礼姿、とてもお綺麗でした。
岐阜城下、表御殿からのご出立を奇妙丸様の小姓衆と連枝衆の間の微妙な立ち位置でお見送りしました。
まぁ、良くわからないけど、結婚する!とか言ってくれるほど懐いてくれていた五徳姫様の時ほどの感慨深さがないのは仕方ないっすよね。それこそ、今回は琵琶湖くらい。前回の五徳姫様は東京大渓谷くらいの違いです。
え?よく分からないって?
そうですよね。では、具体的に言うと琵琶湖の最大水深は104メートル、東京湾の最深部、東京大渓谷の最大水深は約700メートルです。え?七分の一かよって?他に深さを知ってる湖とか池って、不忍池の90センチと霞ヶ浦の7メートルだからなぁ。不忍池と霞ヶ浦で比較するのも変でしょ?
一緒に長らく暮らした奇妙丸様や茶筅丸様、それこそ共に育った信長伯父さん、信包叔父さんもね。
自分は何度か会ったことのある親戚の綺麗なお姉さんくらいの感覚だからなぁ…。
あ、柴田の親父殿や未婚の織田家家臣の皆様は滂沱の涙でした。あんたら、そんなにお市の方様のファンやったんか!とか思うけど、つっこんだら負け、な気がします。
え?婚礼調度はどうなったかって?
そりゃあもう、完璧に仕上げましたよ。織田家の金と権威とコネを使って。
あ、一応、どんな感じだったか説明しときます?
聞きたいですか?聞きたいですよね!いや、聞いて!自分が説明したいから!
最初に、お市の方様、帰蝶様の奥向の方々と信長伯父さんから『織田家と浅井家の婚礼に際して、婚礼調度の一部の調達を坊丸に任せる。ついては、協力は惜しまぬ様に。また、支払いは織田家にて受け持つ』と一筆いただきましたしね。
この書状のおかげで、柴田の親父殿も文荷斎さんも加藤さんも気合い入りまくりでしたよ。投扇興、坊丸歌留多、源平挟み碁を二組ですが、今まで作った記録を文荷斎さんがメモ書きを残してくれていてたり、加藤さんが下絵を残してくれていたりしましたから、仕事が早い早い。
それに、現在は木下秀吉殿の一門衆扱いの福島正信さんにも連絡しました。木下秀吉殿は、譜代のご家来衆が居ないから、親族衆の福島さんは桶職人、木工職人から武士にクラスチェンジして秀吉殿を支えることになりました。なので、現在、福島さんはチーム坊丸からははずれております。
加藤さんにも声がかかったみたいなんですが、信長様に「坊丸様の考えたものを作ることで尾張を支える」的なことを言った事があるのと、「命の恩人のもとから転仕することなどできない」ってんで、断ってくれたみたいです。
ありがとう!加藤さん!さすが、未来の筆頭家老だよ!
あ、すこし話が逸れました。
まぁ、木下秀吉殿も『いきなり「殿からの書状」があるから一門衆を貸して!』って言ってもいい顔しないと思ったので、福島さん本人には焼酎を、奥さんにはきな粉棒的な飴菓子をコソッと差し入れして根回し。加藤さんの奥様である伊都さん経由で秀吉殿のお母さんと奥さんの寧々さんにも同じ飴菓子で根回し。
木下秀吉殿に福島正信殿をしばらく貸してくださいって直談判する際には全て外堀が埋まっているって寸法ですよ。クックック。
ほら、確か秀吉さんて豊臣秀吉で関白太閤になってもお母さんや寧々さんには頭上がらなかったんでしょ?俗説かもしれないけど。
そんなわけで、一時的にチーム坊丸再結成できたわけです。
このメンツがいれば、投扇興も坊丸歌留多も紅白挟み碁も問題なく作り上げられます。そして、作り上げられました。
一組は蒔絵をしっかりするってことですから、婆上様のお持ちの逸品や亡き親父殿の奥様の形見の品、さらには帰蝶様の婚礼道具まで見せてもらって蒔絵の下絵を作りました。主に文荷斎さんと加藤さん、そして何故かハイテンションで協力してくれたお妙さんが。
自分の出番は、下絵を蒔絵職人のところに持って行ってどんな目的で作るかどんな作品にしたいかを説明するだけ。だって坊丸、絵心ないんだもん。
蒔絵を施す方は、織田家出入りの漆職人、蒔絵細工師、螺鈿職人に下絵を渡して後は、丸投げ。お支払いは織田家勘定方に、丸投げ。
しばらく制作に時間かかるそうなんで、輿入れの出立の翌日現在まだ出来上がってないですな。
致し方なし。職人に納得のいく良い品を作ってもらいましょう。
で、輿入れ前に仕上げる方は投扇興と坊丸歌留多は二重の箱で。外箱は真っ黒に染めて、内箱は桐箱で木目を楽しんでもらう感じ。
織田木瓜を入れろというクライアントのオーダーがありましたんでね。工夫しましたよ。ええ。
外箱の黒いところを数か所、織田木瓜を浅く彫り込んでもらって、そこに銀朱を混ぜて朱く発色させた木屎で埋めてもらいました。
陶芸の技法で言うところの象嵌に近いことを木屎こと木パテでやった感じです。
まぁ、福島さんや織田家出入りの木工細工職人さん達は、坊丸の拙い「木パテ」の説明でも、すぐに「坊丸様の言ってるのは、木屎のことかぁ」「木屎を朱く染めて、わざと削ったところを埋めるとは!」などと理解してくれましたよ。
源平挟み碁の石を入れる碁笥の外箱には同じように細工してもらったんですがね、流石に碁盤は無理かと諦めてました。
一応、碁盤を作ってくれる碁盤師のところに坊丸歌留多の外箱を持って行きました。こういう風にしたいんだという見本として。
木屎で象嵌ぽいところを触った碁盤師の方は、「せっかくの榧の碁盤の側面を傷つけて木屎で埋めるなんぞできるか!」と怒られました。
が、数日後に行ってみたら、碁盤に織田木瓜が見えました。なんと、少し削ったところに他の碁盤を作った時にでたすこし色味の違う榧の端材を加工してはめ込んでいるんだとか。なんでも、木象嵌という技術だそうです。凄いね、匠の技。
まぁ、そんな感じで輿入れの出立前になんとか間に合わせました。実働は各種職人さん達なので、自分は進捗状況の確認や進行管理をしてただけですけどね。
あ、そうそう、色々職人さんたちのところを飛び回っていたら、加納宿に「楽市」の制札が出てました。
これが、後の世で習う織田信長の「楽市楽座」のスタートかぁ…と感慨深さを感じたものですが、お仕事の途中でしたので一瞥&一読で終了。
まぁ、木の板に楽市に関するアレヤコレヤの命令や注意書きが書いてあるだけですからね。
あ、そういえば、楽市楽座の提案もしたなぁ、その昔。だが、今じゃない!って感じであしらわれたけど。
と、こんな感じのことをしていた永禄十年十月、お市の方様は自分の作った遊具達を婚礼調度として携えて北近江は浅井長政のもとに輿入れしていきましたとさ。
歴史に大きな改変が加わらなければ…、五徳姫様と同じように悲しい未来が待っているのですが…。今は、そう、これからの結婚生活、幸せにね、お市の方様。
木屎はデンプン糊や膠と細かい木粉を混ぜて作ったもの。現代の感覚では「木パテ」になります。飛鳥時代から仏像や木製品の補修に使われております。
木象嵌も飛鳥時代には伝来している技法。正倉院には「木画紫壇槽琵琶」などの木象嵌作品が伝わっています。
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