395話 そして岐阜になる 壱の段
ども、坊丸です。
そんなわけで、数日の間、小姓業務をしては一休み。一休みしたので、今度は政秀寺に勉学に向かいます。
まぁ、虎哉禅師という人は、すこぉしばかり変わり者と言うか、偏屈と言うか、へそ曲がりと言うかでして、普通に漢文読んで内容の解説やありがたい経典をもとにした仏法の教えなんぞは稀に、極稀に行う程度なわけです。
どちらかと言うと、時事解説からの虎哉禅師との雑談、降って湧いた様に出される変な公案、はたまた、虎哉植物園のお手入れを一緒にしながら漢詩や高僧の逸話を急にしはじめたりと普通の学僧、高僧に教えを乞うてるのとは一味も二味も違う感じです。とは言っても、普通の高僧から教えを受けたこととかないですが。
まぁ、そんな虎哉禅師のやり方、自分、嫌いじゃ無いんですけどねぇ。
まぁ、そんなこんなで今日は何をするのかなぁ、と思いながら政秀寺到着。
いつもは虎哉禅師の草庵に顔パスで案内されるのに、本日はちと勝手が違うようで。
まず、山門を越えたあたりでお出迎えがありました。いつもと違う、ちょっと厳つい感じの方々から。
普段は根本中堂近くまで行ってやっと宗尋さんや寺男の方々から「あ、坊丸様、いらしていたんですか?」的な声がかかる程度なんですよねぇ〜。
「しばし待たれよ。すまんが、そなた、何者か?そしてこの寺に何用か?」
うん、ちょっと穏やかでない誰何ですな。
「当方は、織田家家臣にして織田家嫡男奇妙丸様が小姓衆、津田坊丸と申すもの。政秀寺には沢彦禅師並びに虎哉禅師に所用があって参った」
はい、流石に戦国時代の時間線にも慣れてきたので、これくらいの受け答えはできるようになりました。
ポイントは身分のところで信行パパのことはおくびにも出さないことと、柴田家預かりとは言わないことですよ。
そして、あたかも奇妙丸様からのご用事で沢彦禅師や虎哉禅師に会いに来ました!と誤解させる様な言い方をすることですね。
「はっ。これは失礼つかまつった。坊丸殿には、あちらの建屋には近づかぬことをお願い致す。西美濃三人衆の縁者がおる、と言えば仔細は話さずとも分かられるとは思うが」
「承りました。此度は両禅師にお会いするが我が務め。無用な動きはせぬ様に致しまする」
はっはぁ〜ん。西美濃三人衆からの人質がいるから、警戒なさっている方々なんですね。で、指さした建屋に人質がおられると。
って、そんなに分かりやすく人質の居場所を推察できる情報を部外者に教えちゃダメなんじゃね?まぁ、自分とは直接関係ないからいいけどさ。
で、ちょっと迂闊な警備のお侍さんに一礼して、根本中堂の方へ、っと。あ、宗尋さん、お疲れ様です。虎哉禅師います?あ、はい、沢彦禅師の方丈に居られると。じゃ、行ってみますね〜。
「沢彦禅師、虎哉禅師。津田坊丸、参りました」
沢彦禅師の私室ですからね、その襖の前で座して声をかけます。一応、二人とも一応偉くて凄い禅師だからね、失礼じゃない様にしないとね。
「ん?本日は坊丸が来る日か…。どうします、沢彦様」
「良いのではないか。良い知恵が出るやも知れん」
ん?襖の向こうで何か不穏な会話をしてますよ?このまま、何事もなかった様に回れ右して、帰宅していいですかね?だめですよね…。
「坊丸。入るがよい」
「失礼いたします」
入るように促されちゃったし。致し方なし。
膝行して沢彦禅師のお部屋に入ると、数枚の紙の前で難しい顔をした沢彦禅師に虎哉禅師。うん、なんか面倒事の香りがプンプンしますよ。
「坊丸。ちょうど良いところに参った。そなたも、ちと、知恵を出せ」
「何事にござりましょうや?」
「先日、信長殿に呼ばれてな。稲葉山城下に引っ越すとのことだ。存じているか?」
「はっ。それについては、柴田の親父殿から伝え聞いております」
「ならば、重畳。信長殿は稲葉山城と井の口の名が好かんと申された。少し伊勢まで散歩してくるから、その間、次に小牧山城にて会うまでの間に稲葉山城と井の口の改名について、良い案がないか考えて欲しいと言われてのぉ」
へぇ~、そうなんすね。
ちなみに、伯父上は伊勢までちょっと散歩とか軽い感じで言ってますが、絶対いつもの『青田刈りして敵の領地に嫌がらせして、さらにプレッシャーをかけるやつ』ですよね、きっと。
稲葉山城を落とした直後に伊勢に圧をかける信長伯父さんのその姿。まさに三面六臂の働きですよね。あ、お寺に居るので仏教に引っ掛けて形容してみました。
で、二人の禅師の前にある紙がその案なんですね。どれどれ、ちょっと見せていただいて。
『美府』
『濃府』
『岐山』
『岐陽』
『岐府』
『岐陵』
あれ?岐阜がないんですけど…。どうした、二人とも。岐阜って案はどこ行った?




