388話 稲葉山城攻め 陸の段
永禄十年八月六日。
一晩中、井の口を焼いた炎は明け方に降った雨でその勢いを急速に衰えさせて行った。いわゆる火災積雲が起こったのだ。
更に燃焼の三要素「可燃物」「酸素」「熱」のうち、既に可燃物である家屋が軒並み焼失したことをあわせて、六日寅の刻から卯の刻にかけて火災積雲がもたらした雨が「熱」の要素も削り取った。結果、稲葉山城下の大火は一晩であっけなく終演を迎えたのだった。
そして、火の手が収まった井の口の町に、信長軍が一気に侵入する。
井の口の南西部からは柴田勝家、丹羽長秀隊が。瑞龍寺山の山裾、井の口の南東部から河尻秀隆、斎藤利治隊がわずかに煙を上げる町に向かう。
稲葉山城の麓、城主の居館たる千畳敷下、槻谷を放置するように稲荷山から長良川の間に進んだ各隊はそこに陣を敷く。
上加納山の佐久間盛次隊は上加納山から瑞龍寺山を抑え、岩戸山から鷹巣山には佐久間信盛隊が布陣した。両佐久間隊の陣は共同して金華山から山峰を伝って下ってくる敵兵を牽制するように陣が築かれているのだった。
稲葉山城の山頂の櫓や城郭そして山裾の城主舘を包囲を完成させた信長軍は、信長本隊が瑞龍寺山を下り、焼けた井の口の町中に本陣が敷かれた。
そして、佐久間盛次隊は山々で木材の伐採を開始。その木材は井の口の町に布陣する諸将に配られ、鹿垣が築かれていくのだった。
籠城戦において、勝利するためには基本的に後詰があることが条件になる。
が、永禄十年の稲葉山城の攻防において、斎藤方には後詰を期待できる勢力が無かった。
美濃、斎藤家の現状は、南に織田、東に遠山党と信濃の武田勢、北は越前朝倉、西は北近江の浅井と南近江の六角。このうち、斎藤家が友好関係にあるのは遠山党と武田、六角になる。
だが、東美濃の遠山党、信濃の武田家との距離は遠く、峻険な山々を越えてこなければならない上に、美濃兼山、加治田、関などの中美濃地方は織田に抑えられて容易には連絡も取れない。
同じ足利義栄を主と仰ぐ六角も美濃との玄関口、関ヶ原近辺を浅井が抑え、そこを越えても西美濃三人衆が立ちふさがる。
足利義昭に味方する勢力の浅井、朝倉からみれば斎藤家は義栄側に寝返った不忠者であり、援軍要請に答える可能性は極めて低い。
そう、斎藤龍興と長井道利は籠城戦を選択せざるを得ない状況に追い込まれた時点で、既に詰んでいたのだ。
ただ、この時点で斎藤龍興や長井道利はいまだに西美濃三人衆が織田に鞍替えしたことを知らずにいる。彼らの一縷の望みは西美濃三人衆が後詰としてくること。そして彼らが織田軍を牽制しているところに、城から撃って出て、織田軍を挟撃するという作戦なのだ。
が、読者諸賢は既に知っている通り西美濃三人衆は織田方に鞍替えしている。つまり、彼らは存在すらしない味方勢力を希望として籠城戦を敢行しているのだ。
そして、織田軍は日々、粛々と鹿垣を組み上げ、稲葉山城の包囲を完成させていく。
斎藤家に後詰めが存在しないことを知っている織田軍は焦る必要などはない。今回の戦において、時間は織田軍の味方なのだ。
一般のイメージでは織田信長がおこなう戦は、「桶狭間の戦い」による奇襲や「比叡山焼き討ち」の火攻めなど苛烈なものの印象があるが、実際に桶狭間の戦いの戦いの前哨戦での大高城や浅井殲滅戦である小谷城の戦いで見られる「付城戦術」、長篠の戦いにおける「野戦築城」など、敵勢力を削るような戦いや自軍が有利になるような戦場の構築こそが織田信長が得意とする戦争形態であるのだ。
そして、稲葉山城攻めでは、軍を発する前に敵勢力を切り崩していること、敵勢力が迎撃体制を整える前に敵本拠地近くの高所要所を押さえたこと、敵勢力の防衛施設である城下町を焼き尽くしたこと、そして、それらを行ったうえで得意の「付城戦術」と「野戦築城」の簡易版である「鹿垣を組んでの包囲陣」を形成したのだ。
粛々と鹿垣が組み上がっていくこと数日。
八月十日。
大垣、曽根、北方の城を発した西美濃三人衆の軍、総勢三千と数百が織田軍に合流すべく墨俣城の北方に集合した。
氏家直元は墨俣城の木下秀吉に使いを出す。
織田方に寝返り人質も出したとはいえ、どこまで信じてもらえているかは未知数である。
墨俣城の木下秀吉に取次と可能であれば織田本陣までの同道を願い出たのだ。
数日前に村井貞勝、島田秀満が人質を受け取って尾張に戻る際、墨俣城に寄ったこともあり、その際に西美濃三人衆の様子を聞いていた木下秀吉は、今回の織田家への鞍替えが策略でなく本当のことだと確信していた。
それ以前に、秀吉は、あの河野島の戦いの後、補償の相談の為に氏家直元に面会し、その人となりを熟知していた。さらに言えば、今回の織田家への鞍替えの下地を作ったのは自分の弁舌であると言う自負もある。
木下秀吉は西美濃三人衆の主君信長への取次と本陣までの同行をすぐに了承。
西美濃三人衆を案内するように木曽川を越え、信長の本陣に向かった。
木下秀吉の兵を加えるとその数四千弱。
稲葉山城を包囲する織田の軍勢は一万を超える大兵力となり、まさに稲葉山城を蟻一匹も通さない包囲陣が完成しようとしていていた。
火災積雲は火災後の上昇気流でできる積雲のことです。大火災だと起こることがあるとされています。今回稲葉山城の城下町を焼いた炎は「火災旋風」を引き起こるほどであるという設定なので、火災積雲も起こるだろうと推察しました。
燃焼の三要素は小学校高学年の理科で習う内容なので割愛。
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