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384話 稲葉山城攻め 弐の段

わずかばかり時は遡り、八月四日夕刻、稲葉山城内。


美濃斎藤家当主龍興の大叔父にして実質的には当主の代行者たる長井道利のもとに配下の透破から火急の報告がもたらされた。


「ふむ、『墨俣の城に村井貞勝と島田秀満が入った』か。信長め、何を企んでおる」


そう言うと、透破からの報告書を自らの家臣数名に回覧させたあと、部屋の隅に控える竹中重治にも読むように投げてよこす長井道利。


竹中重治は小さく一礼しその書状に目を通した。


「村井貞勝、島田秀満といえば、信長の信厚い奉行衆として知られた両名だ。それを二人とも派遣するような事態が何やらある、ということになる。半兵衛、どう見る?」


「はっ。恐れながら。考えうるは三つにございまする。一つは西美濃三人衆と密約でも結ぶ動きでもあるのか。二つ目は近江に対する工作。浅井と盟を結ぶか。三つ目は、越前におられる足利義秋公に向けて交渉事を持ちかけるか。

我々にとって脅威となるは西美濃三人衆との交渉や密約にござりまする。奉行衆を二人も派遣するのであれば、三人衆の誰か一名ではなく複数名との話やもしれませぬ。

近江への工作であればすぐには脅威にはなりませぬが、二名も奉行衆を派遣しているのであれば、浅井だけではなく六角家にも働きかけて浅井六角の和議を持ちかけるのやもしれませぬな。

そして義秋公への工作依頼であれば、二名もの奉行衆を派遣するは異なことではありませぬ。だがその場合は何を願うか、でしょうな。我が斎藤家への討伐命令を出してもらい、大義名分を得て昨年の河野島での恨みを晴らすのか。

奉行衆が大垣付近で足を止めるのか、関ヶ原を超えて小谷や観音寺に向かうか。大垣から揖斐川に沿って北上し越前に向かうか。いずれに向かうか、確認する必要があるかと」


「確かにな。織田の奉行衆をよく見張らねばならんな。それと尾張に動きがないか、今一度確認だな」


「道利様のおっしゃる通りかと。織田の内政外交の要の二人にございますれば、尾張国内でも何らかの動きが出てまいりましょう。それをみれば何のために二人が遣わされたか、逆に分かるかもしれませぬ。村井、島田両名の動きを掴むよう弟に一筆したため、長井様のお役に立つよう促しまする」


そう言うと、竹中重治は長井道利の家臣の方に書状を返し、力なく微笑む。


「今回は許す。竹中家の忠義を示してみせよ」


「御意」


長井道利には言わなかったが、越前の足利義秋のもとに信長が二人を派遣した可能性は低いと竹中重治は考えていたのだった。


越前に向かうのであれば、美濃太田宿から加治田・関を抜け、長良川沿いを北上、郡上八幡を経て油坂峠を越えて越前大野、一乗谷に向かう道もあるからだ。

そして、その道のほうが織田領内を通る距離が長く、郡上八幡を支配する遠藤氏の領内だけを警戒すれば安全に越前朝倉の支配領域に入れるのだ。

織田が大垣から揖斐川に沿って北上し、冠ヶ峠を越えて南から一乗谷に入る道を使う利点は少ないと思われた。


と、なると西美濃三人衆への調略、同盟に関する使者か浅井への同盟の使者ということになる。それはつまり、西美濃から稲葉山城に戦火が及ぶ事態がが遠くない未来にやってくることを示している。


浅井と織田の同盟が成れば、浅井に関ヶ原、大垣を牽制させて西美濃三人衆の戦力がそちらに注力せざるを得ない状態を作り、織田は稲葉山城を攻めるだろう。


そうでない場合は、西美濃三人衆の誰かへの調略が成功し、その軍勢と連動して他の西美濃の国人を攻めるか、稲葉山城を攻めるであろうことは想像に難くない。

そして、一番調略の相手になるであろう人物は、自分の岳父安藤守就にほかならない。次点で領土的野心の強い稲葉良通。あるいはその両名か。

再び岳父安藤守就が西美濃に戦乱をもたらす原因となる未来を思うと暗澹たる気持ちになる半兵衛であった。


「さて、重矩に文を書くか」


今回は許可の出た実家への文には、織田の奉行衆を見張ること、西美濃三人衆もまた見張ることをしたためた。そして最後に、八月になり南や西からの台風大雨に気をつけて領地領民を守るようにと、記した。


「さて、台風大雨を心配する文章に託して織田浅井の脅威と家を守るよう書いてみたが、弟は気がついてくれるか…」


そして、長井道利は自分の家臣たちと別れた後、透破として使う手の者に、織田の二名の奉行衆のいきさきを探ることと尾張国内の動きを見張るように指示を出す。


既に夕刻ではあったが、透破衆数名は依頼を果たすべく急ぎ散っていく。


そして、尾張に向かった透破衆が翌日八月五日の午前に見たものは、既に木曽川を越え始めている織田の軍勢であった。


大急ぎで稲葉山城の長井道利のもとに戻った透破衆は、こう報告する。


「織田軍、襲来。敵軍勢は既に木曽川を越え、昼過ぎには新加納に集合の見通し。尾張からの兵八千。中美濃からも加治田、猿啄の兵が向かっている模様。その数千から二千」


その報告を聞いた長井道利は織田軍の速度に驚愕することになる。


「な、なんと!くっ。では、奉行衆の動きは囮か!囮なのか!いや、こうしてはおられん。殿に報告に向かう。日根野兄弟にも連絡を取れ。急ぎ稲葉山城の護りを固めよと伝えよ!西美濃三人衆とその周辺の領主どもにも早馬を出せ!織田を返り討ちするから将兵を寄こせとな!」


が、この時点で斎藤家の対織田戦の基本方針である「織田軍の動きを早めに察知し、自軍に有利な地点での迎撃戦を行う」という戦術が既に崩壊しつつあることを、未だ稲葉山城内の将兵はわかっていなかった。

そう、本来の時間線では「今孔明」と言われることになる竹中半兵衛重治を除いては。

大垣から揖斐川町を経て福井県に入るルートは現在は冠山峠、冠山トンネルを有する冠山峠道路がありますが、以前はそれより東側に冠ヶ峠もしくは江戸時代に作られた西側の檜尾峠のルートだったようです。

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