382話 氏家直元の詐術
しばらく坊丸は出てきません。あしからず。
永禄十年初夏。酒をたしなみながら氏家直元は、一人迷っていた。
一刻ほどまえ、大垣にフラリと訪れた木下秀吉は氏家直元に面会を求めた。
「氏家殿、急な訪問に応じていただいて申し訳ない。無花果なんぞが手に入ったので、お持ちさせていただいたのでな」
「これはこれはかたじけない。無花果でございますか。文月は旬ですな」
「三河徳川殿から五徳様と松平信康殿の婚儀が恙無くなったことのご報告と共に使者の方がお持ちになったものでございます。殿より下賜いただきましたが、半分は氏家殿に届けよと言いつかっておりましたので、傷む前にと、取り急ぎ献上に参りました」
そう言うと、にっかりと笑いながら頭をかく秀吉。
その姿はひょうげた風を含み、氏家直元の緊張を柔らかく溶いてく。
「伝え聞いてはおりましたが、三河と尾張は深い繋がりがあるのですな」
「ハァ。それがしは良く知りませぬが、我が殿がまだうつけと嘲られておった頃、竹千代と幼名であった徳川殿が城下にて知り合い友誼を結んだ頃からのよしみとか。いやはや、これで五徳姫様と徳川の若に世継ぎでもできれば、織田と徳川の交わりは盤石にござりますよ」
めでたいめでたいと笑顔を振りまきながら、織田は東に脅威は無いと暗に伝える秀吉。それを察せないほど暗愚ではない氏家直元は硬い笑顔を浮かべるのみである。
「さてさて、これで所用は済みました。斎藤と織田の将が会うとお互いに痛くない腹も探られまする。これでそれがしは退散いたします。あ、そうそう、我が主は、敵の領地の青田刈りにて嫌がらせをすることが殊の外お好きでしてな、稲葉山は瑞龍寺のあたりに火手が上がっても気にしないでいただけるとありがたい」
立ち去り際にあたかもついでの話題と言う様に織田の侵攻計画を漏らす秀吉。今までと違い張り付いた様な秀吉の笑顔は氏家直元にいいしれぬ圧をかけるのだった。
「今の話は聞かなかったことにいたしますぞ。斎藤への忠義も大切ですが、それ以上に大垣の領民の安寧がそれがしにとっては大事でござる。今はこれ以上は申せませぬ」
硬い表情で秀吉の言葉に応える信元。それを聞いた秀吉はすっと雰囲気を変え、人好きする笑顔を浮かべると、続けて言葉を紡ぐ。
「今はそれだけで十分にございまするよ。それに信長様が必ず青田刈りをするとは限りませぬ故。願わくば、氏家殿と同じ戦場に立つ時は矛を交えるのではなく、轡を並べたいものでございまするよ」
カッカッカと咲いながら、後ろ手に手を振る秀吉。その傍らには蜂須賀正勝がいつの間にか立っていた。
しばし二人を見送った氏家直元は独り言た。
「木下殿と轡を並べる、か。稲葉山城攻めでは動くなと、釘を差したかと思ったら斎藤を降したあとは、織田に下れ、と。いやはや、笑顔のままにひどいことをのたまう御仁よのぉ」
その後、自室に下がり人払いさせた氏家直元は、独り酒を呑んだ。酔と酒精が自身の身の振り方の選択肢と未来を数多示す。
思考はに千千に乱れて纏まる様を見せない。手元の酒が無い事に気がついた氏家直元は、手を叩いて離れたところにいる小姓を呼ぶと、追加の酒持ってくるよう命じた。
厨に走った小姓は酒を持ってこずに戻ったのを見て、叱責した。
「酒はどうした」
「殿、大変申し訳ございませぬ。普段使いの濁り酒は尽きたとのこと。客人に出す澄酒ならばあるとのことでございました。如何いたしましょうか?」
「構わん、澄酒を持て」
小姓は秀吉が持ち込んだ無花果を切ったものと澄酒を持ってきた。その酒を手酌で盃に注ぐと、しげしげと盃を覗き込む。
「目の前にあるは織田からもたらされたものばかり、か。風は織田に吹いているのか」
盃をぐっとあけると、無花果を口に入れ、稲葉山城のある方向を見た。酒の酸の後に口に含んだ無花果の甘さと種の食感が自身に決心を促しているように、氏家直元は感じていた。
数日後、織田につくと決めた氏家直元は、戦国に生きる大名小名らしい詐術を展開する。
安藤守就には『自身と稲葉良通がかたらって織田につくので、安藤も合力されたし。もし、斎藤に忠義を貫くなら先に安藤を攻める。一度は稲葉山城を占拠した安藤に斎藤が助力すると思うのか?』という書状を送った。
稲葉良通には、『自身と安藤守就は織田方につくのを決めた。安藤守就はあの事件があるとはいえ、女婿を人質に取られその心は斎藤を離れた。自身も足利義昭公と義栄公の間で蝙蝠の様に立場を変える斎藤龍興に美濃守護代の資格はないと思っている。合力してくれれば嬉しい。敵に回るなら長らくの友誼ではあるが、貴公を攻めるに躊躇はしない』と書状を送る。
真実は自身が織田につくという決断のみであったが、西美濃三人衆の最大勢力ともう一つが織田についたと言われれば、もう一つの勢力は多数に靡くしかない。
事実、安藤守就は稲葉山城占拠のあとから美濃の治世の中枢からはじき出されており、自業自得とはいえそのことに不満をつのらせていた。
稲葉良通とて戦国の世に生きる領主である。時代を見る目、流れを読む力は十分にあった。自分や安藤守就が一人で織田についても他の二家と斎藤に挟まれて孤立するだけだが、西美濃三人衆が一斉に織田に降るのであれば、挟撃の目は無い。それどころか稲葉山城の東西南の三方を囲んだ上に、斎藤家の勢力は西美濃の半分弱と中美濃の一部にまで弱体化するのだ。
そんな状況を理解すれば安藤守就も稲葉良通も決断は早い。
彼らは氏家直元の言葉に乗った。
かくして、永禄十年八月一日。
西美濃三人衆からの使者が信長のもとを訪れた。
『信長公のお味方に参じまする。つきましては、誓紙を出し人質を送りまするのでお受け取りください』と言う内容であることを知った信長は殊の外喜んだと言う。
ここからは稲葉山城攻防戦です。まだプロット固まってないのです。まぁ、史実通りに信長が勝つんですが、途中はまだ決まって無い…。




