368話 永禄九年 坊丸の年末
ども、坊丸です。
「我が手は血に汚れている」
は自分の両手をじっと見ながら、厨二病ぽいことを思わずつぶやいてしまいましたが、今現在、自分の手は血に汚れているのです。人の血液ではなく鶏の血液で、ですが。
そんな自分の様子を見て、柴田家の料理人であるお滝さんが微妙な視線をおくってきましたが、笑って誤魔化しておきました。ハハハ。
はい、そんなわけで、お滝さんと絶賛 鶏の解体中です。
昨年大晦日の鶏の唐揚げ一個しか食えなかった事件の反省から、石田村の皆さんに協力してもらい、小規模の養鶏を始めました。
今までは、寿命で死んだ個体や弱ってきた個体を柴田家の領地の村々から回してもらっていたんですが、それだと鶏肉の供給が不安定なわけです。それにお肉が硬めだし。
小規模ながらも養鶏をすることで、安定して鶏を潰しても大丈夫な体制を構築したわけです。おかげで二、三ヶ月に一度は鶏の唐揚げを食せるようになりました。
ちなみに胸肉ともも肉は唐揚げになるわけですが、他の部位はどうしてるのか気になって聞いたところ、「煎り鷄」っていう煮物になっているそうです。
それを受けて、今年の年末は「焼き鳥」に挑戦しようと思い至ったわけです。
ていうか、他の野鳥では「焼き鳥」があるんですよ。ただ、串打ちなんかしていない、いわゆる「丸焼き」かそれを少し解体したものなんですよねぇ。
鶏は「朝告鳥」でもあるので、基本食べるの禁止だし。食べていいのはさっき説明したおとり、お亡くなりになった個体か衰弱した個体のみ。まぁ、そんな状態なのでわざわざ鶏の食肉についての「免許」を特別に信長伯父さんにもらったわけですが。そういう個体なので、だいたいお肉が硬め。だから鶏肉は煎り鶏にして炊いて食べるのが基本なのではないでしょうか。知らんけど。
え?お滝さんに解体してもらえばいいじゃないかって。まぁ、そうなんですがね。
実は、転生前に好きだった鶏肉の部位を自分の分だけ確保するために解体してるんですよ。
その部位ってのが「ハツ」と「ボンジリ」なんです。
ほら、「ハツ」って心臓の「ハーツ」が訛ったというのを何処かの蘊蓄で見ましたが、どうなんでしょうか。「ボンジリ」は尾羽根元のお肉の形のが雪洞の形に似ているので、それとお尻が合わさって「ボンジリ」になったと焼き鳥専門店のメニューにある説明書きを見た記憶があります。あの店、まだあるかなぁ。もう行けないけど。
そして、正月の松飾りの端材から作った竹串です。
串打ちをお滝さんと二人で行うわけですが、先に試作品としてボンジリと血抜きを頑張ったハツを塩でいただきます。
そして、ハツですよ。心筋由来の独特の食感。他の筋肉とはちょいと食味が違う感じです。歯切れの良さと独特の歯ごたえ、そしてハツの濃厚な旨味。
骨格筋と同じ横紋筋だけど不随意筋で二十四時間稼働しているというのがやはり味の違いにも出るんでしょうか。まぁ、美味しければそれで良いんですが。
ちなみに、ハツを食べるときは、お滝さんから、本当にそれを喰うのかい?って言われました。心臓を喰うのは普通のお肉を食べるのより仏教的に不浄の度合いが強かったりするんでしょうか?
まぁ、鶏の内蔵を嬉々として処理始める元服前の小童に薄ら寒い不気味なものを感じたのかもしれませんが。
お滝さんに「食べます?鶏ハツ?」って言ったらブンブンと首を横に振られてしまいました。
ボンジリは尾羽根を動かすためによく発達した筋肉なのに脂もよくのっていて美味しいっす。脂のジューシーさと筋肉のプリッとした感じが絶妙なハーモーニー。やはり塩でいただきますよ。
こちらは、お滝さんも一つ食べて、美味しさに驚いておりました。やはり、心臓はダメなのか…。
うん、試作品という名の自分が食べたい部分の試食、完了。
軟骨とかせせりも自分用に試食という名の試作品を作ろうとしましたが、お滝さんから煎り鶏等に使いたいからダメと言われました。残念です。
もも肉、胸肉というわかりやすい部位の串打ちを続けていたら、桃花さんやお妙さんが新作料理センサーを働かせてやってきましたよ。
「坊丸様。何やら焼き物の美味しそうな匂いがしましたが?」
「何を作っておられるんですか?坊丸様」
いやはや、二人とも試作品の数串の匂いを嗅ぎつけて来たんですね。
「焼き鳥という料理ですね。簡単に言えば鶏の胸肉、もも肉等の串焼きです。手伝ってくれるなら一、二本焼いてあげますよ」
「「是非!」」
「あたしにももらえるかい、坊丸様」
ウワァ、かなり食い気味の返事な上にハモってますよ、二人とも。仕方がないので、もも肉、胸肉の串打ちが終わったものを塩で提供。ボンジリを食べたお滝さんにもモモとムネを提供です。
「美味しい〜」
「坊丸様が朝告鳥を食べる免状をもらうのになぜ故そこまでこだわるかと訝しく思っておりましたが、ただ焼いたものも美味しゅうございますね」
「お、肉の部位でこんなに味が変わるんだね。さっきの尻の肉とはまた違うね」
ハッハッハ。お妙さん、自分が鶏食用の免状にこだわるのを訝しく思っていたんですね。全く心外ですよ。坊丸くんは美味しいもののためなら少しくらいは無茶をするそういう童子だってわかってたでしょうに。
そして、お滝さんが部位ごとの味の違いを一瞬で理解してくれました。そして「尻の肉…、か」とか呟いていたので、自分と同じボンジリスキーが誕生したんだと思います。きっと多分。
串打ちに二人が参加してくれるようになりましたので、お滝さんがちょうどいいサイズにカットしてくれて、三人が串打ちという分業体制に移行できました。おかげで早い早い。
もも、胸肉各々五十本完成!というか、竹串が百程しか作ってないし。試作品のハツ、ボンジリと三人に提供した串を洗って再利用してもそんなもの。
でも大丈夫。焼き鳥にならなかった残りのお肉は唐揚げに化けるからね。
もう少しで串が無くなるのを見たお滝さんが、焼きを担当してくれます。そして、唐揚げ用の衣を手際よく作成。油も準備始まりました。さすがは柴田家の台所を預かるお滝さん。手際がいいぜ。
と、自分もお滝さんの隣に立って別の作業開始。何って?焼き鳥といえば塩とタレ。そう、タレづくりですよ。
当時は松平元康と言っていた今の家康殿の饗応膳で作って以来出番があまりなかった照り焼きダレ。あのときは雉の照り焼きを作ったんですよね。もう何年も前だね。
あのときのレシピを思い出しながら、っと。ベースは同じでやや甘みを多めにするのが良いかな。
「隣の竈を借りますねぇ〜」
「あいよ」
「垂れ味噌と味醂、何か甘いやつあります?」
「垂れ味噌と味醂はそこの壺だね。甘味は、そうだね。蜂蜜があの戸棚の中の小壺に入っているよ。その組み合わせだと、照り焼きダレだね。塩焼きだけじゃなくてそれも塗るのかい?」
凄いな、お滝さん。調味料だけで、何をどうしたいかほぼほぼ当ててきたよ。
「タレをつけて焼きます。焼き鳥は塩とタレの両方があってこそ、なんですよ。あ、タレ焼きの方は塩少なめで軽く火を入れて下さいね」
「へぇ〜、そんなものかい。塩味とタレ味は似て非なるものもんなんだねぇ、って、そんなに蜂蜜入れちゃったらタレが甘くなりすぎるだろうよ、坊丸様」
「それでいいんですよ。じゃ、タレ用に焼いたのをもらって」
出来立てのタレに焼き鳥をドボンとイン。からの、また焼いてもらって、と。
「坊丸様、そのタレ焼きの串焼き良い香りですね。それも、いただけるんですかぁ」
「わたくしたち、たくさんお手伝いしましたものね、桃花」
「ですよね、お妙姐さん」
くっ。せっかくの焼き鳥の最初の一本目二本目が、二人の口に。
「甘いタレの焼き鳥も美味しい〜」
「そうね、桃花。このように美味しいものを思いつくなんて。さすがは、坊丸様です」
よし、自分も一本。
やっぱり、焼き鳥は塩もタレも美味しいなぁ。
そして、そんなに褒めてくれるなんて嬉しいなぁ。お妙さん。
でも、自分が鶏食用の免状にこだわるのを訝しく思っていたのは、忘れてませんからねぇ〜、お妙さん。
焼き鳥は江戸時代の文献から見られます。
それまでは、野鳥の丸焼きか少し解体し焼いたが普通で、天正10年の安土饗応膳でも鶉の丸焼きを焼き鳥として出した様です。
鎌倉、室町頃の鶏料理は「煎り鶏」「煎り煮」という現在の筑前煮に近い料理で出されることが多かったそうです。
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