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359話 河野島の戦い 弐の段

信長達の見つめる視線の先、美濃勢から織田軍の方に数騎が駆けてきた。

いずれも完全武装の騎馬武者であり、和議を結んだ相手からの挨拶の使者にはとても見えない。


「そちらは織田の方々、豪奢な鎧兜を見るに名のある方々とお見受けいたぁーす。それがしは美濃一色家筆頭家老長井道利が嫡男長井道勝ともぉーす」


「ん?美濃一色?斎藤龍興の家中のものではないのか?」


「殿、斎藤義龍は先の将軍、義輝公に一色の名乗りを許されております。そのことかと」


信長のつぶやきを拾った丹羽長秀が疑問に答える。


「で、あるか」


敵と思われる者の名乗りが斎藤だろうと一色だろうとどちらでもよいと思ったのだろう。興味がなさそうにいつもの口癖をつぶやく信長であった。


「以前に足利義秋公より我が家と織田家の和議を勧める使者が来ておったのは存じておろうぅ!しかし、織田と異なり当家には阿波平島におられる足利義栄公の使者も参られた。

義栄公は、将軍宣下にあたり当家の助力を要請され、その見返りに我が主、龍興様に先代の義龍様同様に一色の名乗りを許された。それに伴い義栄公将軍宣下の後には当家当主一色龍興様に相伴衆となる許しをくだされた。

故に当家は義秋公のもとを離れ、義栄公にお味方いたぁーす。義栄公の将軍宣下の障害となる足利義秋はこれより怨敵となる。怨敵足利義秋の手先、織田信長とその将兵を矢島まで向かわせることはできぬ!足利義栄公のおん為、そなたらをここで討つ!織田信長とその一党よ!ここがそなたらの死地と心得よぉ!」


長井道勝は、昨晩、父長井道利、従兄弟甥で主の斎藤龍興、それと父道利の影のように控える竹中重治らとともに考えた口上を織田軍に叩きつけると速やかに斎藤軍の陣に駆け戻る。


駆け戻る敵将の姿を織田家一同は睨みつける様に見ていた。いち早く気を取り直した佐久間信盛が信長に問いかけた。


「殿、如何いたします?我が方は三千。敵兵を見積もるに二千程度かと。今から急ぎ準備を整え、戦えば勝てるかと」


「信盛。よく考えてみよ。既に渡りきったのは先陣四隊と本隊の半分以下よ。まだ、川の中や川向うにも兵がおる。三千が揃うのは半刻はかかろう。ここは諦めて帰る。それだけよ」


「しかし!それでは義栄公が将軍家になるが正しいと思われてしまいますぞ」


「くどい!引くぞ!」

そう言うと、信長と母衣衆はさっさと木曽川の方に向けて走り出した。 

そして、その後を織田信包らも追う。


「信盛殿。殿(との)があの様に申すのだ。従おう。それにここで勝っても傷ついた将兵を率いて矢島御所に向かう事になる。その先でまた戦になるであろう。その時、傷ついた将兵のいる織田はお荷物じゃ。活躍なんぞできまい。引くが正しいと儂も思うぞ。

さて、我ら柴田配下たち信長様が小牧山城に安んじて帰れるよう、殿(しんがり)を務めるか。次兵衛。川並衆に連絡を。ここで殿(しんがり)を務め、疲れた将兵に川を渡らせるはあんまりじゃからなぁ」


そう言うと、自分の陣に向かい歩いていく柴田勝家とその一党。吉田次兵衛は近くの武者に声を掛け、川並衆への依頼を始めている。


「佐久間殿。ここで勝っても、大垣、北方、曽根に西美濃三人衆がおります。たとえこれらに勝てても、美濃斎藤が敵となれば、南近江についても尾張との連絡や補給が困難になり申す。やはり、引くが正解かと。

退き佐久間の実力、噂に違わぬことを美濃衆に見せつけて下され」


そう言うと、佐久間信盛に向けて軽く頭を下げて、自分の陣に向かう丹羽長秀。


「はぁ~。権六も五郎左も物わかりが良すぎるぞ。全く。

が、退き佐久間の二つ名、虚名ではないことを見せるてやるか。やれやれ。こんなところで戦になるとは思わんかったわい」


斎藤勢二千に対して渡河が完了して戦う準備が整っているのは佐久間、柴田、丹羽の三隊九百。

信包隊は渡り終って未だ陣を組むにも至っていない。

信長本隊は、半数が渡河を完了し、残り半数は渡河中といった有り様であった。


その半数に向けて何故か先に渡った信長とその供回りが向かってくるという事態になった。

当然起こる混乱。そして、信長供回りが今起こった事実を伝えてしまう。美濃斎藤が足利義昭を裏切り足利義栄についたので、上洛は取り止め小牧山に戻る、と。


その言葉を聞いた兵は我先にと川の中で方向を変え尾張方の岸に戻ろうとする。

川の中での方向転換というだけでも大混乱であるが、そこにもう一つ不利な状況が起こってしまう。


数日前まで降り続いた雨が木曽川水系に流れ込み、徐々に水量が増え始めたのだ。

美濃側に渡る時と比べて深くなる水深。先程まで綺麗だった川の水が濁り始め水深が更にわからなくなる。そして、徐々に早くなり激しくなる水の勢い。


そこに斎藤勢の鬨の声が聞こえ、先に川を渡った兵達の方から聞こえる戦の音。

混乱に拍車がかかる中、更に川の水が増した。木曽川の水が信長軍の敵となったかのように兵たちに襲いかかる。


背水の陣というのは本来、愚策とされる。孫子の行軍篇においても「渡河をしたらすぐにでも川を離れよ」とされるし、尉繚子の天官篇にも「水を背にして布陣すれば先はすなわち絶地(死地)である」とされる。

楚漢戦争の韓信であるからこそ兵を死地に追い込み、孫子・九地篇における「之をゆく処無きに投ずれば諸・劌の勇なり」を実践できたのだ。


今回の織田軍は緩んだ状態で渡河し急に敵が出現した状態である。恐慌に陥った際、逃げるという選択が出来たとき、人は安易に逃げるほうを選ぶ。

そして、斎藤家の軍勢を率いるは歴戦の将である日根野兄弟と長井道利一党。この時間線においては長井道利の軍師として竹中重治までもがその場にいる状況である。歴戦の将や謀将・智将が、孫子・行軍篇に書かれた「敵が渡河の途中であれば、半数が渡ったところを攻めよ。さすれば敵は半数で済む」という箇所を知らないはずがなかった。

退き佐久間、鬼柴田といった二つ名をもつ織田の名将と言えども敵軍すべてを相手をするのは至難の業であった。佐久間・柴田・丹羽隊も本隊を守るため必死に戦うが、わざわざ準備の整っている部隊と戦う意味などない。彼らの陣の薄いところを突き、隙間を抜けて、再度の渡河もしくは渡河途中の方向転換で大混乱になっている信長本隊に弓矢を射かけ、槍を突き立てる。

信長本隊は大崩れとなり、木曽川の水を血に染め、さらに多くの将兵が濁流に飲まれるという有様であった。

本隊を狙う斎藤軍から本体を守り、すり抜けた敵兵を追った三人の部将とその配下であるが、本隊が大損害を出しながらも渡河しきったのを確認し、集まって陣を固めた。


斎藤家の軍勢も逃げる兵は無しと見て一度陣を構えなおす。斎藤軍は兵を損じること少なく二千弱。それに対し三将の率いる兵は合わせても八百を切るという有様で各々が別に陣を引くことを諦め、ひと固まりとなった。


「佐久間殿。我々も引きたいが、川の水は濁り増水しておる。ここはもうひと踏ん張りして敵に退いてもらうしかあるまい」


「兵のやりくり、虚実の駆け引きの段は終わったようだなしな。権六、五郎左。ここはひと暴れするしかあるまいよ」


「お二方の言う通りかと。あとは奮戦しつつ、犬山の方にじりじりと動いていくくらいしか生き残る目が思いつきませぬ」


「五郎左。それは悪手じゃ。権六殿の武をもって敵を叩き、引き付けて儂と五郎左で敵を討つ。逃げる様子を見せては士気が下がりすぐに陣が崩れる。退き時、退きどころはもうすこし先と心得よ」


「はっ。申し訳ございません。丹羽長秀とその一党、決死の覚悟で槍働きいたします」


「はっはっは。その意気よ、五郎左」


「では、それがしが先陣で宜しいな、各々方。鬼柴田の槍働き、敵味方に見せつけましょうぞ」


三将の率いる残存部隊の士気は高く、戦略も固まった。

柴田隊が僅かに前に出るよう陣形を組みなおしていると、美濃勢が動いた。

日根野隊を先頭に向かってくると見せて部隊全体が西に回頭。その後ろの兵たちも一気に西、稲葉山城に向かって動き出したのだ。


稲葉山城に向かう道すがら、長井道利は竹中重治に問うた。


「半兵衛。残った織田軍、そなたはどう見る?」


「はっ。あれこそ、まさに井陘の戦いで韓信がとったという背水の陣かと。道利様のご判断の通り、あれと戦うのは下策にございまする」


「日根野兄弟もそう感じたのであろうな。偽計の攻めからの転進という策に素直に応じてくれたわ。よし、疾く稲葉山に帰ろうぞ」


こうして、河野島の戦いは幕を閉じた。織田軍の損害は数百を数え、大敗と言っても過言ではなかった。ただ、その死傷者の大半が引き返す渡河の混乱と増水による溺死者であったのだが。


斎藤龍興は中美濃の戦いでの敗戦で失った美濃国主としての体面を、この勝利にて取り戻すことができた。が、同時にいくつもの信を失っていたのだ。そして、失った信頼が自分を窮地に誘うことを稲葉山城の人々はいまだ知らない。

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