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353話 細川藤孝と和田惟政の憂鬱 後段

和田惟政に促された細川藤孝は、一礼して状況を話し始める。

その姿は、堂々としているが、衣類にわずかにほころびが見られ、永禄の変から今日までの日々が如何に過酷であったのかを伺わせる。


「はっ。つづきまして、それがしより上洛に向けてご説明させていただきます。我が主、足利義秋様のもとには、六角、京極、若狭武田、朝倉よりの支援がございます。また、越後の上杉、河内の畠山、三河の徳川殿より協力を約する書状をいただいております。つきましては、近隣の大名より兵を供出していただき、本年、秋、九月一日に近江守山の矢島御所に集って頂きます。九月九日、重陽に御所を立ち、三好家を討ち、入京いたしたくぞんじます」


「あいわかった。当家は如何ほど兵を出せば良い?」


「できるだけ多く、と申し上げたいところですが、六角や朝倉のことを考えてまして三千ほど、おねがいいたしたく存じます」


「で、あるか。織田上総介は兵三千を率いて義秋様のもとに馳せ参じるとお伝えいただきたい」


「あ、ありがとうございます」


「が、それだけで足りるのか?昨年、前将軍義輝様を殺害した時には三好は一万の兵を動かしたと聞くが」


「六角殿、朝倉殿、河内畠山殿には三千から五千をお願いしております。京極殿、若狭武田殿、美濃斎藤家にも二千程の派兵をお願いしております」


「ふむ、少なくとも一万八千、多ければ二万を超える大軍が義秋様のもとに馳せ参じるか。六角、朝倉、畠山は三千以上兵を出さねば我が織田よりも下になる故に、それを超えてくるとの読みか」


「御明察の通りにござります。二万の兵があれば三好義継、三人衆を追い払うには十分かと。しかも、三好三人衆と松永久秀が権勢を争った結果、松永久秀がこちらについたとの話もございます。さすれば、三好の兵は更に減るかと」


「で、あるか。ならば、織田は三千で良いということだな。しかと準備いたそう。一筆したためる故に、今晩は当家にてゆるりと休まれるが良い」


「「ありがたく存じまする」」


信長の派兵の約束を感謝する細川藤孝と和田惟政。細川藤孝は和田惟政の口元によだれが一瞬見えたのをいぶかんだが、長旅の疲れで空腹だったゆえだろうと理解した。


そして、一刻ほど後、先ほどの五名に加えて奉行衆両頭たる村井貞勝と島田秀満も呼ばれていた。


「宴席で済まんが、右筆とそこの村井、島田の両名が大急ぎで上洛についての書状を仕上げてくれた。まずは、細川殿、確認と受け取りを。また、浅井との婚礼が破談にったことについて義秋様、六角殿にご斡旋の御礼と破談の詫びについての礼状も併せて準備した。和田殿、お受け取りを」


その言葉を受けて、村井貞勝が細川藤孝の前に進み出て懐から書状を渡す。島田秀満も同様にして和田惟政に書状を渡した。細川藤孝は安堵と喜びを交えた表情で、和田惟政はやや硬い表情で受け取る。


「さて、硬い話をこれくらいにして、宴といたそう。細川殿には義秋様を救い出した時の話を伺いたいしんな」


講談師もかくやという饒舌さで幽閉先からの脱出劇を語る細川藤孝の話を全員が聞き入りながら、宴席は進む。和田惟政は何度もその話を聞いているのであろうか、そっけない表情で聞き流しながら料理に舌鼓を打っている。


細川藤孝の話と信長のいくつかの質問が終わり一度場が静まる。


「しかし、さすがは細川藤孝殿。前年の師走に山科言継卿が下総結城におもむかれる際、当家の立ち寄られたのですが、三条西家にて和歌を学ぶ俊英として細川藤孝殿の名を挙げておりましたぞ。和歌以外にもこのような語りもお得意とは思いませなんだ」


「山科卿がそのようなことを。確かに、若年のおり三条西公条様、実枝様父子に手ほどきを受けておりますが、俊英といわれるほどではございません。それに、公条様は数年前に亡くなられ、実枝様は今は駿河におられるとか。自分は義秋様のもとにおらねばなりませんし、三条西家もそのような状態ですので古今和歌集ついて学ぶこともできない有様ですので。それがしは、この後、三河の徳川様のところにもいただいた書状の御礼と上洛への兵を出していただけないかお願いに参る予定にございます。可能であれば駿河まで足を延ばし、実枝様にお目にかかりたいと思っておりますが…。あ、いや、駿河今川は信長様や信秀様と何度も戦った怨敵と聞き及んでおりますので、信長様のお気持ちに障るようでしたら、こたびは諦めまする」


そういうと、うつむいて手に持った杯を眺める細川藤孝。本音では古今和歌集について学ぶ機会、今は離れている旧師に会いたい気持ちが明らかににじみ出ている。


「細川殿。確かに、今川とわが織田弾正忠家は何度も矛をまじえた仲。なれど、義元亡き後、今川は尾張を、当家を狙う力はない。儂に気を使うことはない。その和歌の師匠に会うてくればよかろう」


「はっ。信長様のご了承をいただき、恐悦至極にございます。では、師三條西実枝様に一目お会いしてくることといたします」


細川藤孝はほっとして笑みを浮かべながらそう答えた。そこにちょうど、天ぷらの膳が運ばれてくる。

いままで、表情があまりなかった和田惟政が待ってましたとばかりに膳のほうを見た。そう、和田惟政は織田家との交渉で何度も小牧山城を訪問し、織田家の歓待の料理が他では見られないものばかりであることを知っていた。そして、天ぷらが出るのを心待ちにしていたのだ。


「して、信長様。この薄黄色の食べ物は何でしょうか。あまり、饗応膳では見ないものですが…」


「ああ、これは天婦羅と申してな。魚の切り身やエビをうどん粉の衣に包み油で揚げたものよ。うまいぞ。竹千…、三河の徳川殿も好物と聞き及んでおる」


そういうと、塩で天婦羅を食べ始める信長。至福の顔をした後、澄酒をクっとあおる。


「美味い!」


「では、それがしも失礼して…」


細川藤孝が周りを見ると思い思いに天婦羅を食べる織田家の重臣たち。隣に座る和田惟政もハフハフと声を立てながら食べている。


「うまっ。いえ、大変おいしゅうございますな、この天ぷらとやら。京でも見たことがございませなんだ。して、油で揚げるとは、一体どのような料理法でございますか?」


「鍋に油を張り、熱して熱くなった油に食材をいれるのよ。このような調理法を考えつき、饗応膳にてふるまったあの小童のおかげで知ったのだがな」


「油を大量に使う料理ですか!」


油といえば大山崎の油座が取りまとめる油商人の言い値で買うしかなかったのが長らく続いた時代である。坊丸が菜の花などから精油業を始め、いまは織田のいくつもの村でそれが展開されていることを知らない細川藤孝は織田家の財力を大幅に高く見積もってしまう。


「いやはや、それがしは、油といえば明かりに使うものと思い込んでおりましたが…」


「細川殿は、和歌を夜に学ぶのに油をかなり使うからな。この間もどこぞの神社にて分けてもらっておっただろう。あれ、金は払ったのか?払わんと後で神々に祟られるぞ。」


「和田殿、今はそういうことは!」

 

酔った和田惟政は細川藤孝が油を使うことが多く、手元になかなかないことをポロリと漏らしてしまう。それに面目をつぶされたと思った細川藤孝は本気で口止めにかかる。その様子を目を細めてみていた信長は、細川藤孝に声をかけた。


「細川殿、油が入り用なら当家出立の際に些少であるが、お持たせいたそう。近江の矢島御所に後日追加で届けさせる。儂は和歌のことはわからんが、わざわざこの信長に断りを入れてまで和歌の師匠に会いに行かれるくらいに好きなのであろう。それで、いくばくか和歌への学問を進めてくれ」


「の、信長様。ありがとうございます」


今までの儀礼的な平伏と違い、本当に感謝の気持ちを以て深く深く平伏する細川藤孝。そこまで感謝されると思っていなかった信長と細川藤孝のそんな様子をいままで見たことのない和田惟政はやや困惑気味であった。


翌日、細川藤孝の馬の背には五合は入る大徳利が数個括りつけられ、上機嫌で三河に向かうのであった。






細川藤孝が三条西家から一時的に古今和歌集の「古今伝授」を受けていたのは有名なお話。

細川藤孝が三条西実枝と駿河で会うのは創作です。

山科言継が下総結城に下向したのは本当の話。下総結城にて結城四天王の一人、水谷正村と会って禁裏御料所の回復に協力してもらったようです。その功績で水谷正村は伊勢守に正式に任じられています。

細川藤孝の神社と油のエピソードは本当の話です。


坊丸君、油がらみで少し名前が出ただけやった…。


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