351話 永禄九年 新年の儀 後段
ども、坊丸です。
新年の儀での今年の施政方針演説的な奴が終わったので、後はいつもの家臣からの挨拶です。
例年の如く、重臣から始まるわけです。
で、最初は筆頭家老の森可成殿。
奇妙丸様の小姓役で同僚の森虎丸君のお父さんですな。
小口城城主から烏峰城城主にクラスチェンジした森可成殿。あ、烏峰城から金山城に名前が変わるんでしたね。さっきの織田家の矛にも盾にもなってやるって感じの発言はかっこよすぎです。
続いては二番家老の佐久間信盛殿。
同じく奇妙丸様の小姓役で同僚の佐久間牛助君のお父さん。
現在は鳴海城を中心に尾張南部で対松平、対水野&佐治を担う東方の要。でも、徳川家との同盟があるから、徳川家関連の交渉事がメインのお仕事らしいです。
あ、犬山攻めでも出陣してましたね。特に戦功を上げた雰囲気ではなかった感じでしたが。
三番家老は柴田の親父殿。
昨年は、堂洞攻めの後の追撃戦で大活躍の親父殿。自分の予想よりも大事になったんですが、なんと甲斐武田の名将、秋山虎繁殿を討ち取るという戦功を上げました。残念なことに領地はいただけなかったようですが。感状と金子だけなんてちょっと吝嗇だと思うんですよ。親父殿は感状もらって感激してましたが。
その後は佐久間盛次殿。
理助のお父さんですね。なんと、犬山城城主に大抜擢。まぁ、家老格で小さくとも安定した功績を戦においても内政外交においてもあげる盛次殿ですからね。ミスター安定、ミスター実直ですよ。派手さはないけど。
そして、丹羽長秀殿。
丹羽殿は犬山攻めから美濃攻めまで大活躍ですからね。佐藤忠能殿とのつなぎ役もしてたし。本当、米五郎左の別名は伊達ではないですな。
そして、家老格最後は、林秀貞殿。
なんか、最近あんまり名前聞かないんですよね。足利義昭様との交渉などで再度スポットライトが当たるのではないでしょうか、今後。
そういえば、『信長公記』の知識だと永禄十一年に信長伯父さんが単独で足利義昭様を奉じて上洛する流れなんですが、永禄九年に連合軍的な感じで上洛するって言ってたしなぁ、さっき信長伯父さん本人が。
歴史が書き換わったのか、それとも何か理由があるのか、『信長公記』に記載がないからなぁ…。しかし、永禄九年のデータがなさすぎなのよ、太田牛一さん。チラッと牛一さんの方を見てみるけど、この時間線の牛一さんのせいではないから、仕方ないよねぇ…。
部将格は筆頭の木下秀吉殿から。
墨俣城城代を務めていますが、昨年は、あまり活躍の場がなかった感じ?良くわからんけど。
そのあとに、坂井政尚殿、梁田正綱殿、蜂屋頼隆殿、金森長近殿、それに河尻秀隆殿。
坂井殿と梁田殿はそれぞれ楽田城城主、沓掛城城主を務めておりますからね。
坂井殿と梁田殿は、城主として頑張ってるはず。しらんけど。
母衣衆と兼ねている蜂屋頼隆殿、金森長近殿は堂洞城攻めで信長伯父さんの側近として活躍したらしい。元美濃の人間として交渉役とかもやってるらしいですよ。柴田の親父殿の話しによると。
黒母衣衆筆頭で猿啄城城主も務めることになった川尻秀隆殿。
先程、猿啄城は勝山城と名前が変わりましたが。城主になったからといってもまだ母衣衆なんですね。
赤母衣衆筆頭は滝川一益殿。
鉄砲指南役も担当していますね。しかも、松平との同盟をまとめたり、伊勢方面の担当を務めたりと外交も戦闘もこなせるマルチプレイヤー。甲賀忍者ともつながっているから、情報収集や調略までこなせちゃう凄い人。
鉄砲騎馬隊を組織するのにあたり苦労させている様子なので、ホント、すんません。
桃花さん経由で情報を吸い上げてるはずだから、あとは工夫してがんばってください。
あ、さっきの話だと伊勢方面でも戦果を上げたご様子。甲賀衆の情報網で服部党の隙を狙ったのかな?尾張で信長伯父さんに従わないのは、後は服部党だけだから、頑張ってやっつけてくれると良いなぁ。
この二人に次ぐのは池田恒興殿。
信長伯父さんの乳兄弟で信頼度が抜群な上に、手が合うらしいので側近の一人と言えるでしょうね。
後は大きめの戦功があれば、城持ちの部将に昇格するでしょうね。
あ、信長伯父さんが手元に置いておきたくて離さないかも知れませんが。
その他の母衣衆は、佐々成政殿、中川重政殿、津田盛月殿、塙直政殿、前田利家殿。毛利新介殿や野々村幸政殿、福富秀勝殿などもいます。
その後は、母衣衆より一段格下の馬廻り衆。奉行衆や右筆、小姓などなど。
連枝衆では、信包叔父さんが小口城城主に、信興叔父さんが服部党の領地、市江島あたりの城主になる様子。弟達を戦力として使うステージに入ったのかな?
しっかし、『信長公記』には永禄九年のデータが全くと言っていいほど無いからなぁ。傾向と対策が出来ないんだよなぁ。今年は大きなトラブル起こらないと良いなぁ。
母衣衆には桶狭間で信長に付き従った六人の小姓衆も入るようですが、岩室長門が戦死しております。
黒母衣衆、赤母衣衆ともに定員は十名で、谷口克広氏の著書や分析では黒母衣衆は馬廻衆から抜擢されることが多く、赤母衣衆は小姓衆からの抜擢が多いらしいですよ。
事蹟が不明な人は最初から出していないので、二十名名前がないのはそのせいです。
部将格と母衣衆は明確に差があるわけではありません。史実でも河尻秀隆、金森長近や蜂屋頼隆は重臣に類する扱いや仕事をこなしているのに母衣衆のまま留め置かれて居る様子です。
当作品では部将格は城持ちクラスかそれに準じる家臣、母衣衆は信長側近と区別しています。
このため、部将格かつ母衣衆と言う人も出てきますし、史実の資料で母衣衆、尺限廻番衆とされた人は母衣衆として名前がでるようになります。
少しでも「面白い!」「続きが気になる」と思った方は、下の★でご評価いただけると、作品継続のモチベーションになります。
宜しくお願いします。




