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346話 永禄八年 坊丸の秋冬

ども、坊丸です。


先日、重大発表があるとの事で、柴田の親父殿が登城しました。

自分は小身なのと柴田家預かりなので、評定とかには呼ばれません。あ、奇妙丸様ご出座の時は小姓としてお供しますがね。


そんなわけで、自分も直臣ではあるんですがね、呼ばれませんでした。

小身ってどれくらいかって?いくつかの小さい功績を認められてご加増頂いてはおり、年三十貫文ほどいただけてはおります。

まぁ、小身。ちなみに足軽よりは多く頂いておりますって感じ。足軽数人分ってところですな。

ありがたいことに柴田の親父殿に預かりの身から完全に出たわけでは無いので、食費や衣服光熱費は必要ないのですし。おかげで、加藤さんに給金をお渡ししても余裕はあります。

残ったお金は、色々試作したりする原資になるので、贅沢はできませんが。


まぁ、そんなわけで、今回は評定には出ておりません。

で、帰ってきた後に親父殿から何があったのか聞くわけですよ。


「親父殿。お帰りなさい、お疲れ様でした。で、こたび、伯父上は何を発表なされたので?」


「おお、坊丸。今帰った。信長様の発表なされたことを皆にも伝えるゆえ、とりあえず、屋敷や近くにおるものを集めてくれ」


「承りました」


とりあえず、吉田次兵衛さんと玄久さんが居たので、広間に集まるよう声をかけました。それと、若衆にもね。

そんなことをして、四半刻後。柴田の屋敷の広間に人が集合。


「皆のもの、集まってくれたか。こたび信長様からあった発表の内容を伝える。織田家は、武田と婚儀を結ぶことが決まった。

故に先日は武田と戦をしたが、今後は敵とはならない。が、武田信玄は当家と友好を結びつつ、斎藤家の派兵要請にも答えて軍を出した。正直、奴は信用ならんと思っている。

そうは言っても、あの武田家が今後は敵ではなくなるのではあるし、めでたいことである」


「権六義兄ぃ。武田家と婚儀を結ぶと言ったが、どこの誰が結婚するんだ?武田家の姫がこちらに来るのか?織田の姫、お市様があちらに輿入れするのか?」


「そこが気になるか、玄久は。織田家より輿入れすとのことだ。津田掃部(かもん)が言うには、相手は諏訪四郎勝頼。武田信玄の四男だな」


玄久さんの質問と親父殿のやりとりに少し笑い声があがりました。

えっと、諏訪って苗字で呼ばれてるけど、それ、武田勝頼だよね。

四男だから、四郎って安直な通称ですよね〜。


「輿入れするのは、信長様の養女、姪に当たる姫だそうだ。信長様の妹御で苗木遠山に嫁いだ方がおられるのだが、その方の姫と聞いた」


うん、とりあえず、ご結婚するのはお市様や五徳姫様じゃないんですね。あ、五徳姫様は松平信康と結婚する予定だっけな。

養女っていうことは、織田家としてはリスク低めな方なのかな?武田としては、遠山党と織田家の両方と縁を結べるからメリット大き目なんでしょうか?


「もう一つ大切な話がある。当家に一乗院覚慶様の使者として近江甲賀郡の豪族、和田惟政殿が来られた。一乗院覚慶様は今後から還俗なされ、足利将軍家の当主となり、将軍位を目指す故に織田家にも協力を求められているらしい。和田惟政殿の話では、南近江の六角、越前の朝倉、美濃斎藤にも同様の話をしているとの事だ。

既に若狭武田、北近江の京極などが一乗院覚慶様のもとに馳せ参じているらしい」


「すまん、権六義兄ぃ。次兵衛義兄ぃや権六義兄ぃは、その一乗院覚慶様とやらのことを知っているのかもしれんが、ここに居る者のほとんどは、多分知らん。俺も当然、知らん」


ええっと、自分もよく知らない人ですけど、足利将軍家ってワードが出ていたから、足利の人ですよね。足利将軍家で戦国時代後期で自分が知ってるのは武芸で有名な足利義輝と最後の将軍の足利義昭だけですよ。信長伯父さん絡みなら最後の将軍の足利義昭本人かその関係者んだと思う。


「安心しろ、玄久。儂も信長様や林殿が説明してくれたのを聞いてわかったのを話しているだけだ」


その言葉にまた、笑いが起こる一同。吉田次兵衛さんだけが、ため息をついていますが。


「一乗院覚慶様は、先日、三好三人衆と松永久秀に討ち取られた十三代将軍足利義輝様の弟御だ。仏門に入れて、一乗院と言う寺院の門跡になっておられた方だそうだ」


ええっと、今の情報だと一乗院覚慶様は足利義昭で確定だろうね。

足利義昭から協力要請みたいな連絡来たってことは、信長伯父さんは天下に勇躍していくことになるわけね。


一応、『信長公記』を確認っと。


あ、『信長公記』の一巻の最初の節と次の節に永禄八年五月に足利義輝が三好勢に殺されたことと、一乗院門跡になっていた足利義昭が奈良を脱出して近江六角、越前朝倉を頼ったこと書いてあったわ。


なんか、信長伯父や尾張に直接関係ないやって読み飛ばしてたわ。ハッハッハ。

本来の時間線の太田牛一さん、今後の動きにとって大切だから永禄八年の将軍討ち死からの流れをきちんと書いてたんですね。さすがです。

うん、今後は気をつけよう。

永禄八年と言えば、足利義輝を三好三人衆らによって殺された永禄の変です。

永禄の変と義昭脱出、そこからの諸大名への協力要請を坊丸視点だとこう見えた、という感じですね。


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