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341話 堂洞合戦 什壱の段

今話では、残虐描写・グロい描写が含まれています。そういうのが苦手な人は☆☆☆のある段落のところまで飛ばしてもらって大丈夫です。

最後の織田家馬廻衆を討ち取った春近衆四十数騎は、柴田隊が近づく動きを察知し、前の織田信長本隊を追うか一瞬迷ったが、本陣とも言える秋山虎繁の下に戻る選択をした。


そして、先頭が秋山虎繁の側に近づき、近づく柴田隊との対決を優先するのか織田本隊を追うのかを、念の為確認しようとしたその時、横陣となった柴田隊から轟音が鳴り響く。


それが鉄砲の発射音だと春近衆各位が理解したときには、先頭の二名は馬から落ち、地に伏していた。

そして、その先には仰向けに倒れる秋山虎繁の姿が見えた。


「殿!大丈夫ですか!」


真っ先に駆け寄った春近衆の問いかけに、秋山虎繁が答えることはなく、その者は絶句して、その場で動きを止めた。


彼が見たのは、変わり果てた主君の姿だった。

秋山虎繁の右目付近に着弾した弾丸は、眼窩を抜け頭蓋内に到達、その運動エネルギーを灰色の脳細胞に向けて開放し、シナプス結合を破壊しながら大後頭孔付近から外に出たようだった。

そのエネルギーは秋山虎繁がかぶる緋縅筋兜の後頚部を護る錣の中央部をも吹き飛ばし、残った錣の辺縁に脳漿と鮮血が付着させていた。

もの言わぬ主君を抱き起こした春近衆の手には、彼の後頚部から流れる血が付着し、地を汚す血溜まりはさらに大きくなるような有り様であった。


☆☆☆☆☆


そして、そこに柴田勝家率いる騎馬隊が殺到する。主君の亡骸の側にて立ち尽くす春近衆に柴田隊の槍が襲いかかった。


「織田の鬼柴田とは我のことだ!」

「織田の馬廻衆、俺らの弟分を討ち取ったのはどいつだ!我が槍をうけろぉ!」


柴田勝家がそう叫べば、佐々成政もまた、その直ぐ側で吠える。

主君を失った春近衆も気を持ち直して奮戦するが、主君の不在、鉄砲隊の轟音、どこから鉄砲を撃ち掛けれたのかわからないという不安、それらがないまぜになり浮足立ってしまったのは否めない。


それに対して、柴田隊の士気は高い。鉄砲騎馬隊の斉射は明らかに敵に打撃を与えている上、騎馬隊の突撃で一気に敵本陣に殺到している状態である。

銃剣を装備した鉄砲騎馬隊、その少しあとから追いかけてくる吉田次兵衛率いる足軽衆も間をおかず、武田・遠山・美濃衆の混成軍に攻めかかる。


そして、混成軍であることに弱点が一気に露呈し始める。


信長の勢いを削ぐという信玄の方針に従い遠征してきた秋山虎繁率いる春近衆・武田勢、取り次ぎたる秋山虎繁の意向を受けて苗木・岩村城の兵を中心に集められた遠山党、長井道利の巧みな弁舌と竹中重治の策に乗った肥田勢、武田遠山の兵を見てから勝ち馬に乗るべく兵を出した久々利勢。


秋山虎繁という強い指導者、高名な将がいてこそまとまっていた面のある軍である。

そして、秋山虎繁の不在はすぐに問題を起こす。秋山虎繁が不在になったとき、誰が指揮を取るか、秋山虎繁の配下である春近衆と遠山党を率いる遠山直廉や富山景任らで指揮系統が明確化されていなかったのだ。


春近衆は春近衆の中で指揮権の順位付けがある。が、それは遠山党に対する指揮権とは別物なのだ。

そして、肥田勢も秋山虎繁がいたときは自軍に対する指揮権を預けたが、本来は配下でもなんでも無い別の軍である。更にいえば久々利勢は武田の武名に頼って少しでも功績をあげようとただついてきただけの軍である。


春近衆のほとんどはその場で奮戦したが、一部は遠山党・肥田勢・久々利勢に救援を求めた。

そして、その際に、迂闊にも秋山虎繁の死亡を伝えてしまう。各軍は救援することを約束したが、秋山虎繁の死を知った各軍首脳は当然自分の軍の損害を少なくすることを優先する判断をくだす。


なかでも久々利勢の動きは早かった。救援の約束したあと、伝令役の春近衆が自分の陣を去った直後から既に撤退を開始する有様である。「舌の根も乾かぬうちに」というのはまさにこのことである。


肥田勢も撤退はしないものの積極的には救援に赴かず、武田勢と向かってきた織田の部隊の動きを注視し様子見を決め込んだ。


遠山党は、武田家との関係性もあり救援に向かったが、春近衆からの要請が複数回に及ぶと、両遠山ともに徐々に悪感情をつのらせていく。武田家との取次役で武田の譜代家老格である秋山虎繁には従っているが、その配下ごときに指図される覚えはないのだと。


かくして、秋山虎繁率いる混成軍は柴田隊との戦闘のさなか、徐々に軋みを上げていく。

本来ならば武田の混成軍六百に対し、柴田生駒隊五百のはずが、既に久々利勢百は撤退し、肥田勢も動かないため、柴田隊の方が兵数でまさるようになっていた。


そして、最後に盤面に出てきたのは生駒隊である。当初は武田の騎馬隊とぶつかると思い、信長への忠誠を示す程度についていくつもりだけであったが、武田の騎馬隊との戦いで柴田隊が予想以上に奮戦し有利に戦いをすすめているのを見て、利や機に敏な生駒親重は自身の動き次第で勝ちを拾えると理解したのだ。


生駒親重の命を受けた生駒勢の矛先は、領地の近い美濃衆に向く。特に久々利勢は烏峰城と兼山湊を手に入れてから可児郡土田にも圧をかけて来ていたので、生駒親重としてはここで叩いておきたいという思惑もあった。


撤退しつつある久々利勢に対して鬨の声をあげ、襲いかかる生駒勢。逃げの動き一択の久々利勢は散り散りになり、軍の体をなさず、また、追うのも困難になるような有り様であった。それをすこし追ったあと、埒が明かないと考え、軍功を求める生駒の兵たちは肥田勢にも襲いかかった。


ここに至って、肥田勢も損害を抑えるために撤退を選択する。春近衆に不満を抱えた遠山党も、自身の後方にいたはずの美濃勢が引き上げるのをみて、勝機は絶えたと見て撤退を開始。

唯一奮戦してきた春近衆も丹羽長秀率いる織田家の足軽衆徒士衆が迫ってきたのを知るとついに撤退を開始した。


かくして、堂洞合戦は終幕を迎える。


竹中重治の策によって()()()()()()の堂洞合戦よりも信長の喉元近くまでその刃が迫ったが、結局、津田坊丸が持つ『信長公記』の知識、それによって動いた柴田勝家と鉄砲騎馬隊の活躍により、()()()()()でも、堂洞合戦の流れは史実とほぼ同様の流れになった。

ただひとつ、秋山虎繁が戦死したという事象だけが異なってはいたが。

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