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340話 堂洞合戦 什の段

信長の走ってきた方向に進む柴田勝家と生駒親重が率いる五百は、すぐに武田、遠山勢の姿を捉える。

数騎の織田家母衣衆馬廻衆が奮戦するも討ち破られる姿が遠目に見える有り様であった。

そして、それを見た柴田勝家は鋒矢の陣を指示し、全軍一丸となって突き進む。

が、勝家は自分の斜め後ろに控えさせた佐々成政が前掛かりになり気負い過ぎているのを感じ取った。


「成政。このまま駈けて行ってあの馬廻衆を助けたいか?」


「義兄者、それは当然だ。行っていいか?」


「ならん。そなたは佐々の当主ぞ。武功を上げ名を取りたい気持ちはわかるが、命を惜め。この戦場、そなたの武が必要になる時は必ずや来る。儂が作る。だから、今は、儂の後ろで部隊の動かし方を学べ。いずれ来るであろう、一軍の将として兵を統率するその日の為に」


「くっ。分かった」


そうは言うものの、佐々成政は歯がゆさから唇をかみ、じっと耐える様子である。


武田勢も柴田勝家率いる軍を認識はしているが、先鋒近くは捨て石になる覚悟で暴れる織田家馬廻衆への対応で動きが取れず、中軍が柴田勢の方に向きを変えただけにとどまった。


そうこうしているうちに、柴田勢は武田、遠山、美濃勢の混成軍の左脇腹までニ町(約220メートル)程の距離まで近づいた。

騎馬隊の最前方に居る鉄砲騎馬隊の観測役が規定の距離になったことを大声で叫ぶと、吉田玄久が前方の騎馬隊を率いる柴田勝家に前をあけるよう声を張り上げる。

それを受けて、加藤清忠が声をあげた。


「竜騎一番隊!火縄の確認!続いて撃ち方準備!」


玄久、加藤清忠の声を聞いて、柴田勝家は左手で騎馬隊の副将格の柴田勝定に指示を送ると、騎馬隊全体に指示を出す。


「儂より右のものは右に動け!左のものは勝定に従い左へ!鉄砲騎馬隊の前を開ける!遅れれば、鉄砲騎馬隊の弾にて蜂の巣になるぞ!疾く!動け!」


織田家の中でも勇猛果敢にて知られ、練度も高い柴田の騎馬隊はその指示だけで左右に綺麗に分かれる。

あたかもモーゼの海割りの如く鉄砲騎馬隊の前に視野が開けると、鉄砲騎馬隊の先頭を走る観測役、玄久の二騎が騎乗にて鉄砲を構えた横一列の隊員の後ろに下がりながら武田勢の状況を説明する。


「左手前、巳の方角、武田菱の旗指物多し!織田の馬廻り衆のすこし奥に将らしき豪華な鎧武者の一団あり、三階菱の旗指物のあたり!」


「目標!武田菱の騎馬武者どもじゃ!清忠!後は任せた!」


そういうと、観測役と玄久は鉄砲騎馬隊中央の加藤清忠の後方につく。


「承った!皆の者、構え!目標!巳の方角、武田菱の騎馬武者どもぉ!三、二、一、放てぇ!」


二十数発の火縄銃の斉射音が戦場になり響く。そして、加藤清忠だけは手早く鉄砲騎馬隊用の制式火縄銃である短銃身の織田筒、いつの間にやら隊員の間でついた愛称「竜吠(りゅうぼえ)」を鞍付銃架に置き、坊丸より今回も預けられた橋本一巴の遺品である短銃身の火縄銃に火縄を移すと、間をおかずに発射する。滑腔砲であるそれは、二つ弾で装填されていたので、一拍おいて丸い弾丸が二つ、二十数個の椎の実弾丸の後を追いかける。


鉄砲騎馬隊の周囲の硝煙が消えるとその前方に先ほどまで左右に分かれていた柴田の騎馬隊が柴田勝家を先頭に錐陣を組む。


「よぉし!敵もよもや騎馬より鉄砲が放たれるとは思うまい!慌てふためいていれば、世に名高き武田の騎馬隊も単なる雑兵ぞ!回り込んで敵の脇腹に突撃をかける!皆の者!いくぞぉぉぉぉぉ!」


鬼柴田の檄を受けて、柴田勢は一段速度をあげ、一気に武田の騎馬隊に向かっていく。佐々成政もここが自分の武を示すべき時と声を張り上げ、柴田勝家に並ぶ勢いで突撃していく。


そして、武田勢には不運が続いた。

一つは、捨て石になる覚悟の織田家馬廻り衆最後の一騎が柴田勢を認識したことで敵を引き付けるために勇戦。予想以上に最後の一人を討ち取るのに手間取ってしまったのだ。このため、秋山虎繁の麾下でも勇名で知られる春近衆がそちらにかかりきりになり柴田隊への対応が遅れた。


そしてその影響で秋山虎繁の周囲にエアポケットとでもいうべき間隙がうまれてしまったのが二つ目。武田でも名将の誉れ高き秋山虎繁はさすがに柴田隊の接近に対して対応すべく、自身の廻りの兵を指揮し柴田勢に向けて正対する様に向きを変えた。


そして、三つめは柴田隊には鉄砲騎馬隊が居たことである。いままでの戦場であれば秋山虎繁の判断・動きは正しい対応であったのだが、鉄砲隊に対しては悪手であったかもしれない。柴田の騎馬隊に彼らが正対した瞬間、それは起きた。すなわち、秋山虎繁率いる武田の本陣ともいうべき集団が、鉄砲騎馬隊の騎乗斉射を真正面で受けてしまったのだ。


どんなに有能な人間でも史上初の事態に完璧に対応できる人間などいない。すでに甲斐武田でも天文二十四年の第二次川中島の戦いで鉄砲は使用されており、秋山虎繁も鉄砲がどういうものは知っていたはずである。


が、知識として知っているのと、自身に向けて使われるのは別物である。しかも、通常足軽が担いで運び、陣を組んで発射する運用が普通であるという知識が刷り込まれていれば、よもや馬上から鉄砲が放たれるとは思わないであろう。敵の騎馬隊を迎え撃とうと指示を出し、敵の陣形が変化するのを見定めようとした時に、急に敵騎馬隊中央から轟音が鳴り響き、煙が上がったのだ。


秋山虎繁の周囲に訪れる、驚きと一瞬の思考停止。そして、死。

無慈悲な鉛玉はどんなに武芸の鍛錬を積んで来ようと、装甲のない部分や薄い部分に命中してしまえば、等しく死傷するという冷たい結果をもたらす。

ライフリングによるジャイロ効果を受けた二十数発の椎の実弾丸か、はたまた加藤清忠が追加で放った二発の丸い鉛玉かはわからない。

だが、そのいずれかが、甲斐の猛牛、秋山虎繁の命を奪った。


秋山伯耆守虎繁 享年、三十八才。()()()()()()では、三方原の戦いで別働隊副将を務め、十年後の天正三年(1575年)まで織田家に対する東美濃での矛となり盾となる武田の名将は、織田信長、津田坊丸、そして加藤清忠らによって作られた鉄砲騎馬隊の前に武名むなしく、無残に散華した。

騎馬鉄砲隊の制式火縄銃 愛称「竜吠」はライフリング火縄銃で、一般の火縄銃よりも短銃身です。拳銃よりも長銃身でアサルトライフルよりもやや短銃身であるイメージです。

ライフリングと銃身長、製造精度が現代よりも悪いことを考慮し現代の拳銃の有効射程距離(各社のカタログスペック)50mよりながく、アサルトライフルの数百mよりも短いと考え、100mから200mの間と設定しました。


加藤清忠さんの鞍付銃架は特別製で「竜吠」と「一巴さんの形見」の両方を安置できるように作られています。


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宜しくお願いします。



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