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332話 堂洞合戦 弐の段

兼山湊に遠山勢、武田勢が到着したその時、久々利城城主の土岐頼興は烏峰城に入っていた。


長井道利から加治田攻めへの協力の要請と木曽川を利用して遠山党、武田勢が兼山湊を利用するので助力、差配の依頼が来ていた。

そして、その書状を受け取ったときは、加治田攻めに自分を引き釣り出すために長井道利が武田や遠山の名を騙ったのだろうと思っていた。


が、現実には城から見える湊の周囲には武田菱、秋山虎繁の三階菱、遠山党の丸に九字が描かれた旗指物が翻る。


「武田まで動かせるのか、あのご仁は…。最近の勢いを見て織田方につくか迷っていたが、今しばらくは斎藤家、いや長井道利殿に合力したほうが良さそうだ…。

さて、誰ぞ、ある。湊にいる十郎左衛門に触れを出せ。久々利も斎藤方として些少(さしょう)なりでも兵を出しておけ、とな」


同刻、堂洞城とその周囲では風が強く吹いていた。

堂洞城は東の方向には丘が続いていたが、その他の方向は谷になっている山城である。信長は母衣衆、物見衆を堂洞を手早く落とすために、その周囲を探らせた。そして、信長は二の丸に対して火攻めを決定した。


信長勢の後方を脅かすために出陣した長井道利は、堂洞城に火の手が上がったのを見て焦った。本来なら信長勢の後方を攪乱する様に兵を動かし、一部の兵を自身の方に引き付ける牽制程度の軍事行動を想定していたが、堂洞城がすぐに落ちてしまっては、また策を練り直さなければならないからだ。


やむなく、長井道利は堂洞城に向けて軍を動かす。が、それを見越したように信長本陣の半数の兵は関城の方を向いて布陣していたのだ。


信長本陣は千強、長井道利の率いる兵も千程度。数だけ見ればいい勝負であったが、信長本陣には後に信長の軍制改革の代名詞たる兵農分離を象徴するような存在、信長が自ら選び鍛えてきた母衣衆と馬廻り衆が多数いる。

それに対し、長井道利の軍は旧来の農民兵が主体のそれである。一般には尾張の弱兵と言われるが、それは兵農分離前の尾張の農兵をさす言葉であり、信長麾下、本陣に詰める様な(もののふ)はこの限りではない。


兵が同数であれば、後は将の統率、兵の士気と練度の勝負になる。長井道利は斎藤家三代に仕える斎藤家の重鎮とはいえ、将器においては信長に劣る。兵の士気、練度も前述の如く信長の馬廻り衆が勝る。

故に、この二つの軍が戦った時、その勝敗は明白である。


一当てして、兵の損耗を肌で感じた長井道利の判断は早い。長井道利にとって今回の戦は、堂洞城を的に織田軍をより多くの軍勢で包囲挟撃するのが目的であり、局地的な勝利が欲しいわけでは無い。

故に、長井道利が撤退を選ぶのは道理であった。


長井道利を退けた信長は、一部の兵を高畑山に残し、堂洞城攻めにかかる。

堂洞城の二の丸を焼き討ちした信長勢のうち、槍三人弓三人の内の一人、太田牛一は焼け残った二の丸の櫓門に駆け上がり、本丸に向けて無駄矢無く撃ち続けた。

午の刻(正午近く)の頃に堂洞城本丸に取り付いた信長軍は、堂洞城を苛烈に攻め続け、酉の刻(午後六時前後)には、河尻秀隆の部隊が本丸に突入した。そして続いて丹羽長秀の部隊も本丸に攻め入る。

岸信周、その嫡男の信房、弟の信貞のみならず、岸信周の妻も薙刀を取り、必死の抵抗を試みるが、やはり多勢に無勢。ついに酉の刻も後半となった頃には、大将格、岸一族は城を枕に討死のことと相成った。


堂洞城は、信長軍の猛攻に耐えかねたった一日で落城の憂き目にあったのだ。


信長は、落とした堂洞城に入城し、今回の主攻たる諸将を労いつつ、今後の方針を以下の如く伝えた。


「皆の者、大儀。皆の奮戦にて、たった一日にてこの堂洞城を落とすことができた。まことに、大儀。堂洞城の攻略における一番の功績は、本丸にいち早く攻め入った川尻秀隆。猿啄城での奮戦も聞き及んでおる。この二つの功績を以て、猿啄城城主に任じる。以後も変わらず励め。功績の第二は、太田牛一。二の丸から本丸の兵を狙撃して敵兵の数と士気を下げたること、素晴らしかった。戦のさなかに約した知行の加増を行う。さて、本日は薄暗くなっておる。儂は佐藤父子の加治田にて一泊し、明日、首実検を行う。森可成の隊は、ここ、堂洞を守備せよ。丹羽長秀、川尻秀隆の隊は猿啄を守備せよ。森、丹羽、川尻は明日巳の刻、加治田での首実検に参じよ。丹羽の隊は、陣を払って帰宅することを許す。森、川尻の隊は城を守る人員以外は帰宅を許す。以上じゃ」


そう言うと、信長はその麾下たる本隊を佐藤父子に先導させ、加治田城に向かうのだった。


同刻、関城の付近。

信長本隊に手痛い攻撃を受け、陣を整えている長井道利のもとに、堂洞城落城の報せが入る。


「な!なんだと!まさか、一日で堂洞が落ちた、だと。そ、それはまことか!」


「はっ。物見の衆、複数の手の者より、堂洞城落城の報せが入っております。なお、森可成の部隊を堂洞に残し、信長は加治田城に入った模様でございまする」


「ま、まずいぞ、半兵衛。堂洞が落ちたことが知れたら、肥田も遠山も武田も兵を引き上げるぞ!」


焦る長井道利に対して、竹中重治は落ち着いた表情のままである。


「物見の衆にお尋ねいたす。丹羽長秀、川尻秀隆の軍はいずこにおられるか?」


「丹羽隊、川尻隊は猿啄まで戻ったとのこと!」


「で、あれば、まだ策はございます。長井様。信長は、自ら死地を招いた様子。信長は、おごり高ぶっておるのでしょうな。何故、桶狭間で今川義元を討つことができたか、忘れた模様にございまするぞ」


「半兵衛、何か策があるのだな、申せ!」


「信長とて、加治田に長居はせぬでしょう。猿啄、堂洞にも守るだけの兵しか残りますまい。ならば、信長が堂洞を落として気が緩んだ今こそ、勝機。明日、加治田から出た後、長井様の兵、稲葉山よりの兵、そして、肥田、遠山、武田の兵を以て三方より信長を討ち取るための刃を仕込みましょう」


そういうと、色白で優し気な顔立ちの竹中重治は、今まで見たことのないような酷薄な笑みを浮かべるのだった。

一部冗長な部分がありますが「信長公記」の堂洞合戦の描写、表現を踏まえて、取り込むようにして記載したためですので、平にご容赦ください。


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