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306話 犬山城攻め 柴田勝家、布陣位置決定す

ども、坊丸です。


今日は政秀寺で勉強の日です。いつもは一人で来るのですが、本日は預かり親の柴田の親父殿が、保護者の挨拶という名目で同伴しています。

まぁ、沢彦禅師に知恵を借りにきたのが、親父殿の本当の目的なわけですが。


「失礼します。津田坊丸、参りました。虎哉禅師におかれましては、本日も宜しくご指導の程お願い申しあげます」 


虎哉禅師の自室の障子をあけて、着座にて深々と一礼。


「そうか。とりあえず、入るがよかろう」


「失礼します」


虎哉禅師の正面に着座してすると、虎哉禅師からお話が。


「本日は柴田様も同道なさったのだな。声が聞こえた。吾等が瑞泉寺や善師野の寺々を説得できればよかったのだがな。柴田様には迷惑と苦労をかける」


あ、親父殿が何故来たか、予想がついてるんですね。


「街を焼かれて怒りに囚われる気持ちはわからなくもないが、三毒を説く身としては、赦しの心も必要なのだがな。

瑞泉寺やその周囲の寺々、善師野の清水寺や善徳寺、禅龍寺の面々も、まるで強訴する延暦寺の僧兵の如き有り様であった。

犬山での臨済宗妙心寺派の中心である瑞泉寺のお歴々が頑なであるから、周りも同調してしまっておる。困ったものよ。

僧たるもの、武を以て大名と繋がるなど下策であることが、何故分からん。

あ、いや。愚痴が多いな。すまんな、坊丸」


「いえ、お気になさらず。禅師のその話もまた、学びであります」


「ふむ、では、本日は我が臨済宗と曹洞宗の違いでも話そうか。

両方ともに禅宗として、禅を以て悟に近づかんとする教えなのだが、違いがあってな。我が臨済宗は公案と禅が両輪たるのに対し、曹洞宗は、ただただ禅を行う。

曹洞宗の面々はこれを只管打坐(しかんたざ)というのだがな。

まぁ、その違いの本質は、という」


「失礼します。虎哉禅師、坊丸殿。勉学の途中とは存じますが、沢彦禅師がお呼びです」


虎哉禅師の話が興に乗ってき始めたところで、宗尋さんが部屋に入ってきて、話の腰を折りました。

それはもう、素麺一束をボッキリ行くくらいの勢いで。

一瞬、ムッとした顔の虎哉禅師でしたが、怒りに囚われてはならないという話をしたばかりだからでしょうか。

すぐに了承して立ち上がると、自分にもついてくるように言いました。


宗尋さんの後ろについていき、沢彦禅師のお部屋に到着。

相変わらず、書院造の落ち着いたお部屋には、部屋の主たる沢彦禅師と親父殿が座ってました。


「虎哉宗乙、坊丸を伴い、参りました」


「二人ともそこに座るが良い。虎哉。柴田殿が何故参られたか、分かるか?」


「先ほど、坊丸にも話しましたが。我らの説得が失敗したため、武を以て抑える、ということでしょうな。先日、信長様から我らの説得が失敗した時は力ずくになるやもしれんと聞かされておりましたので。

そして、今、犬山や美濃方面で動いていない将で名のあるお方は柴田殿と滝川殿くらい。滝川殿は伊勢方面を任されているともっぱらの噂ですから、な。

その、柴田殿がわざわざ動くとあらば、犬山と結んだ瑞泉寺一派を力で抑えることになる準備に入った、と思いました」


「おおむね、合っているのぉ。善きかな善きかな。

柴田殿の話では、瑞泉寺とその一党は木曽街道、善師野宿方向から犬山城へ補給などで助力しているらしい。

で、だ。この寺にいない時は修行と称して尾張中をほっつき歩いている弟子の虎哉宗乙ならば瑞泉寺と善師野宿の寺々を抑えるのに適した場所を知っているのではないかと思ってのぉ。どうじゃ?虎哉?」


「ほっつき歩くとは、なかなかひどい言われようですなぁ。まぁ、多くの寺に学びに行っておるのは間違いではありませんから、否定は致しませんが。ふぅむ。抑えるのに適した場所、ですか。簡単なもので良いので、地図などありませぬか?」


って、そこは否定しないんかい、虎哉禅師。そして、地図が出てくるまで、考え込む様子です。


四人の間に地図が広げられると、虎哉禅師は善師野宿から北東の方向、犬山城から木曽川をさかのぼること二十町あまりにある山を指さしました。


「ここ、ですな。継鹿尾山に陣をおくのが良いでしょう。犬山城と継鹿尾山のちょうど間くらいの場所に瑞泉寺とその周囲の寺々があります。そして南東十五町ほどのところに善師野宿がございます。

継鹿尾山にある寂光院はたしか真言宗の寺。ここの境内にでも陣をおくのが上策かと。寂光院に陣が置ければ、臨済宗妙心寺派以外の寺は信長様についたという様に他の寺や民には見えましょう」


「寂光院は協力してくれましょうや?」


「柴田殿。そこは、信長様に一筆書いてもらうしかなかろう。寂光院を保護するとか、寺領を寄進するとか、そういう書状を。拙僧からも信長様に一筆書くよう促しておくからの。お主からも要望をきちんと出すが良い」


「沢彦禅師。ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


あ、話がまとまった感じですか。

自分、ただ、居ただけなんですけど。自分いらなかったんじゃぁ…。


親父殿は方針が決まって喜び勇んで帰っていきました。

が、自分はその後も虎哉禅師と勉学の時間。

何故、継鹿尾山寂光院を選んだかの解説と問答。話の途中だった臨済宗と曹洞宗の違い。最後に虎哉禅師の生薬の庭の自慢話。


虎哉禅師に言わせると、適地の候補をあげるのは公案を解く感じに似ていて割と楽しかったそうです。凄いな、虎哉禅師。

自分にとっては、いつもより濃密なお話しが多くて、そして、長くて、知恵熱でそうでしたけどね。

親父殿…。自分の勉学の日とは違う日に相談に行ってくれればよかったのに…。

臨済宗と曹洞宗の禅の違いは、対面して禅を行うのが臨済宗、壁に向かって禅を行うのが曹洞宗とよく言われますね。臨済宗は師匠が出した「公案」を考えながら禅を行う「看話禅」で双津州はただただ黙々と禅を行う「黙照禅」になります。


自分的には、臨済宗は座禅を行いながら「公案」と向き合うことで意識や思考を研ぎ澄ます過程を経て悟りに至るのに対し、曹洞宗は座禅という行為のなかで自分を空っぽにして意識を一度拡散させてまた自分に戻ってくるなかで悟りにたどり着くものなんだろうと考えています。


ま、坂口尚先生の「あっかんべぇ一休」を呼んだあと、影響を受けて数回参禅しただけですので、仏教の専門家でもない自分には詳しくはわかりませんが。


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宜しくお願いします。

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